「力なく悲しき時は、小さき事、特に励めと御霊言う」羽仁もと子(本書には掲載無)
横浜でTVで井田典子さんを視聴時は、婦人之友の会の人とは知らず、横浜からリヨン帯同後帰国し、夫の実家近くの自宅に住み、動画を視聴し、冒頭の羽仁もと子女史の言葉が環となった。
私も新婚時に、婦人之友社の書籍は何冊か読み、羽仁もと子女史の著作にも目を通し、家計簿や主婦日記も試みたが、挫折。家事はドイツ帯同時に覚えた。私の結婚生活は、6回の引越と社会問題に巻き込まれ、家事は常に祈りだった。出産後に体を壊し、日光を浴びて洗濯物を干すと倦怠感、屋内でもサングラスが必要、慢性の休養・体力不足と鬱に悩み、経験則から切実だった。息子の学校生活が一区切り後は、失意と共に生きる日々、絶望を忘れるように努める生活。特効薬は音楽、家事は心の整理や安定に効果的で、整理や清掃は、夫の勤務先企業が推進する5S活動から、意識して課した。
井田さんの整理術は、良い連鎖や推進力があり、心強い。
“Ah! Le merveilleux d'une maison n'est point qu'elle vous abrite ou rechauffe, ni qu'on en possede les murs. Mais bien qu'elle ait lentement depose en nous ces provisions de douceur. Qu'elle forme, dans le fond du coeur, ce massif obscur dont naissent, comme des eaux de source, les songes…
そうだ!家のすばらしさは、それがひとを宿らせたり、暖めてくれるからではないし、ひとがその壁を所有しているからでもない。そうではなくて、ゆっくりと、わたしたち内部に心地よさの貯えを蓄積してくれるからなのだ。心の奥底に、泉の水のように、夢想が生まれ出る幽暗な塊りを形づくってくれたからなのだ…。”
リヨン帯同時は、コロナ禍でビザがなかなか下りず、リヨンに縁があるようにと、サン=テグジュペリの作品を読んだ時に出会った言葉。
私は文学部卒ゆえ、家は物件ではなく人生を共にする家族。
アントワ―ヌ・ド・サン=テグジュペリの祥月命日(1944年7月31日)に。