メンバーズレビュー一覧

カトリーヌやキャサリンたちさんが書いたメンバーズレビュー

(全190件)

D.プランティエのアルバム(RIC461)で、心に響いてくるフレ―ズの曲が出てきたので、作曲家Jacques Aubertの略歴を検索すると、スナイエに師事とあった。10月15日の夜のこと。
ブックレットには、解説と質疑応答形式の演奏者2人の見解と録音背景が収載、必読。
本録音が、良質な演奏であることは勿論、教育力があり、「王の24のヴィオリン」の梗概を一気に理解した。この名称を知ってから8年後である。
ピエモンテ楽派の美質に傾倒してから、伊音楽と仏音楽を繋いだ創始者兄 ソミスのルクレ―ルら門下生にも関心が向いた。年長のスナイエは、伊ではT.A.Vitaliに師事。彼ら仏弦楽奏者たちは、伊音楽を吸収し、仏音楽と融合させていく楽派の流れの功労者たち。
J. B.スナイエの父親は、アンリ4世時代の1609年には存在した22人のヴィオリン奏者グループを、長男ルイ13世が「王の24のヴィオリン」として正式に組織したフランス王室の宮廷弦楽合奏団(『フランス音楽史』春秋社)の一員、現代のチェロよりもさらに低い、5つに分かれたパ―トの最下声部bass de violon担当。J.B.スナイエも1713年に父の職を引き継ぎ一員となった。42歳で逝去。彼の作品は、“La richesse harmonique de basss”と解説され、“Senaillé[…]composa des basses travaillées, remplies de batteries et de difficultés.”のAncelet評に得心するのは短絡的ではないと思うのだが。
バロック音楽好きは、作曲家は死者ばかり故、出会いは黙示、相手から飛び込んでくるように浮上して見え、偶々クリックしたアルバムや、偶々開いた頁で目にした名称から、繋がっていくのだ。以前から知っていても、環が繋がる時は、直感や感覚派、知識理解はもっと系統的に効率良くと願う。独学の弱点である。
息子スナイエによる5巻のヴィオリン・ソナタ全録音、「王の24のヴィオリン」や兄ソミス門下生に特化した録音も期待する。
ジャン=バプテスト・スナイエJean Baptiste Senailleの誕生日(1687年11月23日)に。

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秋から冬に季節が移行するこの時期、シューベルトのピアノソナタD894が脳裡に浮かぶ。空から降って来るように音楽が訪れるのである。または、身体の芯から浮かび上がって来る。
そして、手持ちの録音を聞いた次の日の朝、障子越しに遠雷がするので、冬将軍の足音がすると感じて、暦を調べると立冬。

〈Op.78 D894“幻想ソナタ”〉は、伊藤 恵女史の演奏(FOCD-9670)に耳を啓いてもらい、アファナシエフ氏の演奏(COCO-70806)を愛聴した。今冬、ブレンデル氏のアルバムにも収載されていることに、ブリュッセル帯同時に購入してから約20年後に気づいた。窓近くに陳列されていたので金色地のブックレットが陽光を反射して光り、何も知らなかった頃の私には啓示のように感じられて衝動買いした後、帰国後伊藤恵女史が日経新聞で紹介していたCDで、環がつながる特別なアルバムでもある。
シュ―ベルトは、私には特異な作曲家の1人で、結婚前は感傷過多で嫌いな個性、結婚後息子を授かり、社会問題に巻き込まれてる渦中に、伊藤 恵女史の演奏から旋律の美しさとレガ―ト技法の素晴らしさを知り得て、ダルベルト氏の演奏と解説(COCO-73217→8)で音楽表現による心情描写の理解へと導かれ、アファナシエフ氏の独特の解釈による演奏で作品世界に入って行けるようになった。音楽演奏と読書や文学の造詣が、如何に相関関係があるかを体感する。
冬の到来と共に、何故、シュ―ベルトが聴きたくなるのか? 曇天の冬空と寒光、寒樹の冬景色、寒威が日毎に増す中、吐く息が白くなるような凍空の下で聴きたくなる。冬の寂しげな景色全てが詩情を帯びたものとなる。寒色の詩情が、シュ―ベルトの魅力だと思う。
人生の殆んど、半世紀を大都市で生きて、今は地の涯に住んでいる。北緯の涯ではないから、何となく海の向こうには何かがあるように思えるが、極東日本の太平洋海岸は、地の涯でもあると気づいたのは、名古屋や大阪から帰宅すると、駅から帰りの夜の道や、自宅の気配が独特で違うからだった。家中に漂う夜の闇の沈黙が違う。
今冬も寒窓から見える景色がどのように心に映るか楽しみである。どんな思い出や物語となるのか楽しみにしている。
シュ―ベルトは冬の心友。

フランツ・シューベルトFrantz Peter Schubertの祥月命日(1828年11月19日)に。

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〈ピーマンの塩炒め〉〈ピーマンのしょうゆ炒め〉、ウ―・ウェン女史のこの2つのレシピは、ピーマンのシンプルな炒めものだが、味付けが塩の時は繊維に沿って細切り、醤油の時は輪切りと、切り方が違う。そして2つともとてもすっきりとした味で歯応えが良くて作り方も簡単で本当に美味。長く印象に残るレシピだった。私はあまり中華も作らないし、故王馬煕純女史の本一冊で20年以上満足していて、しかもなかなか次々となぞっていけない中、新しい出会いだった。
沢山の書籍も上梓されていて、興味を持ち、序を試読していくと、主婦の現実を代弁してくれていて、得心した。
本書は、文革の経験が描かれているので読んだ。歴史書や記録映像は、著名人の凄絶な吊し上げや農村への下放は描かれ知らされていても、一般の人々がどのような状況だったか分かりづらい。
御両親共に気象学者で、文革時は、北京から90km離れた田舎へ6時間かけて自転車で、下放された妻子に会いに来た尊父は、学問があるという理由から連日の迫害を受けていた。
“科学をはじめとする、あらゆる既存のジャンルの学術、教育、文芸を社会に害をなす元凶として破壊していきます。破壊を実行するのは毛沢東に煽動された、学問や経験の未熟な青少年少女たちの集団、紅衛兵です。紅衛兵たちは毛沢東語録の赤い表紙を振りかざし、市中の民家に押し入り、経験豊かな市民を引きずり出して自己批判をせまり、裁判をして理由のない罪をかぶせ、更正をはかるという名目で農村に追いやりました。”Pp.30-31
“学校に行っても、楽しいことはひとつもない。悪い人の娘だから私と遊ぶと悪い人になるとだれも遊んでくれず、だからいつもひとりぼっち。休み時間はひとりで毛沢東語録を読んでいました。本はそれ以外になかったのです。”Pp54-55

歴史の潮流を経験した人のレシピだった。

”食べもの以外はなにも自分を助けてくれないと思ったほうがいい、というのが母の持論。とにかくたくさんの種類の食ぺものを食べるように言われました。” P.105
医食同源という用語や掛け声よりも、実践的。
中国に触れることが少ない私には、久しぶりに文化交流の時間となる読書だった。

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約20年前、ブリュッセル帯同時に、Stockel駅近くのクラシック専門店で購入。再生機のregionが合わなくなり、もう少し廉価にて再販を希望。今後も、1人でも多くの人々の受容を願う。
今年末に、最新作『Waves』(監督 鄭 宗龍CHENG Tsung-lung) が日本初上陸、16年ぶり再来日?とwebで開催告知を見つけたので、この機会に他のディスク再販も希望する。

ブックレットから

・雲門舞集は中国語圏初の現代舞踊団、1973年、林懐民 LIN Hwai-min 氏が創設。中国最古の舞踊、5000年前の儀式舞踊「雲門」の名称を団名に採用。
・舞踊手の訓練は、太極拳、瞑想、京劇の動き、現代舞踊、クラシックバレエが含まれる。
・『水月Moon Water』は、次の2つから触発されて創作。
太極拳実践者のマントラ
「Energy flows as water, water's spirit shines as the moon.
気は水の如く流れる、水の精神は月の如く輝く。」
仏教の諺
「Flmwers in a mirror and a moon on the water are both illusory.
鏡の中の花と、水に映る月は、どちらも幻影だ。」
・本作は、相対概念の相関関係を探究。水、鏡、光と反映が重要な役割と視覚効果を造出、玄々と黒い舞台と白装束の舞踊手の簡潔な対比に寄与。
・使用音楽の父バッハ〈無伴奏チェロ組曲〉に、振付は中国武術 太極拳、特にChong Wei師が発展させた動きを組合せた。
・林氏は、高く評価された小説家で、小説『蝉』は台湾史上最高のベストセラーで、英訳され米国で出版。
・1983年、台湾 国立芸術学院の舞踊科を設立、5年間学科長を務め、1993/94に学部長を務める。
・初の監督オペラ『羅生門』は、1996年にオーストリアのグラ―ツ歌劇場で初演、激賞され、1998年 再演。

二つなき物と思ひしを 水底に山の端ならで出づる月影
(紀貫之、池の月の見えけるをよめる 、古今和歌集 巻17 雑歌上 881)
この和歌を知り得た時、『水月』の舞台が脳裏に浮かび、同時に紀貫之の学芸の水準の高さ、現代性や前衛性の一片を感じた。

極限の表現に深い満足を覚える。
更なる繁栄を祈念して。

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イノセント

ルキノ・ヴィスコンティ、他

5:
☆☆☆☆☆
★★★★★

娘時代は、墺で活躍した古典派以降の作曲家は、叙情の過多表現に感じられて嗜好に合わないので聞きたくなかった上、グルックはつまらない作曲家と無知ゆえ稚拙な偏見まであった。本作品中の演奏会の場面で、〈アリア エウリディ―チェを失って~『オルフェオとエウリディ―チェ』第3幕〉が全身に響きわたる程の感興を覚えて、知り直すことにした。歌唱曲に感動する時は、器楽曲よりも、振幅大きく驚嘆し、傾聴深度が違ってくる。
ヴィスコンティ監督の音楽の造詣の深さは、貴族の教養ゆえと思っていたのは、私が門外漢で知識不足だったからで、マリア・カラスはヴィスコンティ監督に教えてもらったと語り(『The Callas Converpations』)、尊父はスカラ座役員だった。

本作品の印象は、衝撃的な心理的残酷さだった。冒頭部にある、正妻に浮気を認めさせるための主人公の告知のような会話。今では「手放したくない妹のようだ」とか言ってるけど、何なのか。いつものように平静を保つ正妻だが、やはり破綻は睡眠薬の過剰摂取の身体症状となって表れる。
両親共に文学部卒でも、私などは正妻の立場に感情移入して白けると、ダヌンツォ作品だろうが耽美小説でも、正妻を口説き直す夫も、ただ理屈っぽいだけである。破調の美しさで、非常に叙情的で素晴らしい場面なのだが。自業自得なのに、何を言ってるのかと、終始、読解が今一つ芳しくなくなる。残酷で捻れていく夫婦の気持ちの交錯、残酷の連鎖の結末。
映像は、叙情詩の美を湛え、ヴィスコンティ監督の真骨頂。是非、一見だけでなく、繰り返し鑑賞することをおすすめする。衣装の格調高い趣味の良さが心に沁み入る。選ばれ活けられた花々が一際美しい。

ルキノ・ヴィスコンティLuchino Viscontiの誕生日(1906年11月2日)に。

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筆舌尽くしがたい不朽の名作。
是非、常時在庫ありの定番商品化して欲しい。
何回見ても、見る度に更に奥行きに気づく。仏宗教内乱史は勿論、衣装(Moidele Bickel、オペラ『トリスタンとイゾルデ スカラ座2007/08年』)も西洋服飾史理解に寄与する最優秀作。セザ―ル賞5冠にカンヌ3冠等の真価を観る。ワグナーオペラ復興の巨匠P.シェロ―監督の映画作品。
製作背景の内容を含む日本語解説付(映画評論家 遠山純生)。
特典にインタビュー、メイキングや解説等がないのが、本当に残念。ina.frの短い動画数本しか見つからない。

たまに、無性に聴きたくなる鐘の音がある。本作で使用された鐘の音がその一つである。
教会の鐘の音は、不思議な聴こえ方をする。可聴距離でなくても届いているのだ。リヨンのフルヴィエ―ルの鐘の音は、心を向けた時から聴こえたのではないかと思っている。
サン=バルテルミの虐殺は、仏国王の教区教会サン・ジェルマン・ロクセロワ教会の当時の朝課(夜半~朝)の鐘の音を合図に始まったとされている。

今回、日本語字幕に日本語解説を入手。美術の荘厳とキャラクター設定等が非常に面白く、スト―リ―など知識不足で半分も分からないまま1度に4回は観た初見以来、何回も鑑賞、漸く台詞の一つ一つの内容を理解し、メディチ家の輿入れの一端を知り得た気がする。仏ルネサンス期内乱史の関係人物等の複層や地政は、日本人に馴染みが薄いと思う。

母后役V.リ―ジの死神のような凄惨な表情と気配、セザ―ル主演女優賞5回受賞女優I.アジャ―ニの終幕に於ける悲しみを湛えた眼の演技、CdFの前身を創設したフランソワ1世の姉マルグリット・ド・ナヴァル(著作『エプタメロン』)のような優秀な女系輩出のナヴァル王国からの婿アンリ4世役のD.オトゥ―ユの人格の演技、シェロ―名監督や作家の意図を忠実に表現能うD.ブラン、精神の負の容態に深い理解と表現能うP.グレゴリー、打ちのめされた心身状態の少年王シャルル9世の早逝を演じ切ったJ.H.アングラ―ド。
時空を越えた想像の旅を担う音楽(G.ヴィレゴヴィチ)と共に、当時の匂いと気温と日照まで伝わって来る感覚を覚えるほどの迫真のスケ―ル。時事や物事の真相を深奥から暗示しているように感じた。

パトリス・シェロ―Patrice Chéreauの誕生日(1944年11月2日)に。

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菩提樹の下のバッハ

ロリス・バリュカン、他

5:
☆☆☆☆☆
★★★★★

稀少な印象の、バッハの2台のクラヴサン演奏録音、入手不可ゆえ、常に在庫有の定番商品にして欲しい。
菩提樹の花言葉は夫婦愛。入手不可のため、アルバムタイトルについて知り得ない事が残念。

父バッハの作品の中で、私が最も好きなのはオルガン小曲集のコラ―ルたちである。際立って、胸に響き共鳴するのであるし、歌詞を知ると音楽家たちが定めた音型などが非言語の言語として、かなり正確で普遍性を持つことがわかり、驚嘆する。楽曲構成や音楽史的解説以上に、象徴音型の解説に、是非重点を置いて欲しい。

本録音は、2台のクラヴサン演奏の魅力に開耳する壮麗な演奏。
当時の父バッハたちは信仰心が篤かったと、故ア―ノンク―ル氏が解説していた通り、光に溢れた楽音に、今日も一日をここで終わりにしようと、作業にキリをつけて、心安らぐ。特に、〈Actus Tragicus〉は、Kurtag編曲4手による連弾演奏が大好きで何回も愛聴してきたが、このピアノ演奏が脳裏に流れると帯状疱疹の症状か出る事から、要注意を知らせる曲だった。それ故、死に近づく知らせとして、決して看過せず、すぐに休むようにした、不吉な曲でもあった。
実は、父バッハのオルガン作品に感銘を受けて、全オルガン作品を聴きたくなり、全集を通聴し出すと、フ―ガが多かったからか、陰鬱で頭痛がして困り、聴くのを止めて処分してしまった。後日、ドビュッシーと私は似ていたと知る。
希求の哀愁を帯びる〈 Nun komm' der Heiden Heiland, BWV659〉が、本演奏では、黄金の輝きを放つクラヴサンの楽音の特徴により、深き淵に差し込む光を信じ仰ぎ見る心情を聴くように感じる。オルガンの楽譜で、特に11小節目から14小節にかけて、切望の表現が下降と上昇を繰り返しながら2度づつ、一歩一歩高みに向けて、祈念が昂揚していくように作られ、人の縋る心と祈りの強さが胸に響き昇華してゆく。

“たとえあなたが人生に絶望しても、人生があなたに絶望することはありません。
絶望の果てにこそ、光が差し込んでくるのです。”
(諸富祥彦)

古今東西、変わらぬ人の世の、苦難に直面する人の心情を代弁する、父バッハの才能と、楽器や演奏方法を変えることで、作品の多様な可能性を提示してくれた名盤。

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リヨン生まれのJ.M.ルクレ―ル作品に、耳を啓いてくれた1人が、ド・スワルテ氏(HAF8905292)である。
温和や寛ぎといった個性が仇になるのか、宮廷音楽家の節度を感じさせる演奏を探して、なかなか見つからない時期が続いた。
コロナ禍のビザ発給待ち、息子とリヨン帯同を願っていた時、発売後にすぐに売切、作曲家と同じ言語圏の仏人演奏家で聴くのは諦め、既存の録音を購入(Naxos8570888、8570889、8572867、Chan0551、0589)し、リヨンへ共に渡航した。
聴いていて、現代演奏者よりも当時の作曲家の方が演奏技術が優れていたと感じる時がある。それが、ヴィヴァルディとルクレ―ルだった。もたもたと聴こえる部分があるのが不思議で、もしかすると作曲家本人の方が超絶技巧者だったのではと思ったのだ。
リヨンから帰国3年後、ド・スワルテ氏の演奏をCDで聴き、改めてルクレ―ル作品の美質が心身に響く。Tr.3/Op.7-5 第2楽章、リヨンの穏やかで開放的な空気感を思い出す。予感と期待に溢れた温雅な甘美を連れてくる。
日本語解説と日本語訳は、簡潔でも梗概以上の奥行きある知識を訳注と共に提供。今春から輸入販売元が別の会社に移ったが、今後とも、日本語訳と訳者解説を是非付けて欲しい。読後の理解と展開が遥かに違ってくる。
“ド・スワルテは、フレ―ズ単位どころか、一音一音にもメッサ・ディ・ヴォ―チェのニュアンスを施しゆく丁寧なアプローチ。”(寺西 肇、ブックレット 巻頭 訳者解説より)
他の演奏家も解釈により様々な技巧を施していると思うが、門外漢の私は教えてもらわないと、このような感受はできなかった思う。叙情性の現出や活写はこのような演奏家の勤勉にもある。
オリヴィエ・フ―レ氏(音楽学者・舞踊家、多分 イタリア・アントニオ・ヴィヴァルディ協会(ヴェネチア)の一員)による解説には、トリノのソミス先生とヴェネチアのヴィヴァルディ親子の厚誼と関係、ヴィヴァルディとロカテッリの出会い、ソミス門下生の仏人ルクレ―ルの熟達の非凡な速さとロカテッリとの出会い等が記載。三者の個性と時代模様が織りなされた作品を、伊仏の音楽関係から聴くアルバム。何回も読み直して、理解を更に進め深めて行きたい。
ジャン=マリ・ルクレ―ルJean Marie Leclaireの祥月命日(1764年10月22日)に。

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良い連鎖が続く秀抜な料理書。

“おいしい料理は真の幸福の基礎となる―オ―ギュスト・エスコフィエ”
(本書 はじめに より)

人参が冷蔵庫で日数が経ち、切り口に黒黴らしきものがついていた。他の部分はまだ瑞々しくて、捨てるのは嫌。火を通した人参が嫌いな私は、いつもジュ―スにして食すが、黴の場合は、加熱しないと危険。迷いながら、先ずは朝食用のスクランブルエッグを作ることにし、珍しく生クリ―ムも消費期限で、レシピを探す。谷 昇氏のレシピにこうして出会った。添えられたパンの切り方も、私が好んで切る形だったので、他のレシピにも目を通してみると、人参のグラッセが艶々と美味しそうに見えた。疲れていたが、作るなら今と早速作ると、手早く出来て美味ゆえ、更に興味を持ち色々検索。辻静雄食文化賞受賞インタビュー動画を視聴。P.ボキューズの賄いを一時作っていたと話しているのが聴こえ、翌日、図書館で『ボキューズのフランス料理入門』を借りた。巻頭は、台所準備について。冷蔵庫の掃除の仕方や棚の使い方の指示から傾倒。谷氏の本書でも、実践基礎の簡潔で的確なヒントが巻頭にある。

洗濯や掃除は独帯同時、料理は仏・リヨン帯同時に覚えた。教室に通ったのではなく、現地の人々の一言や置いてある商品により自然と導かれたのである。仏料理が作れるという段階ではなく、毎日継続可の手料理のために保存容器使用、良質の白ワインが鶏肉を大変柔らかくする事、調味料を回しかけると美味になるな等、些事の認識だが、添加物や質の悪い食品を食べると蕁麻疹に悩まされたから死活問題でもあった。よく通ったLes Halles de Lyon Paul Bocuseの鮮肉の質の高さは忘れられない。一見で、精神疲労が払拭されるBernachonの店構えも。

本書とは別に、仏料理史への扉が開きだし、デュッセルドルフの書店で購入した文庫を20年ぶりに再読、名前だけ知っている人々や事項を吸収できるようになり、リッツホテルにも関心を向け直した。

実際に作ってみると、美味しいことは勿論、料理の時の手際も違ってくるし、冷蔵庫の5Sも日課になる。

社会問題に巻き込まれた息子の回復を祈念して。
プル―ストと生涯交友したR.ア―ンの歌曲〈クロリスに〉の詩人テオフィル・ド・ヴィオ―Théophile de Viauの祥月命日(1626年9月25日)に。

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キッチンに住みたい

サトウユカ

5:
☆☆☆☆☆
★★★★★

息子と社会問題に巻き込まれて以来、仏文学が私の心の支え。図書案内から、出会いのままに文学史上の名作を優先して手元に買い揃え、通読より積読が多いのが悩み。
沈鬱な日々の中、久し振りに衝動買いしたのが本書である。読書障害に悩みながらも、キッチンで食事準備をするのが、最近の楽しみになっていた時宜。どんなに塞いでいても、出来立の美味しいものを食べると、気持ちが切り替わるのだ。私の場合は、「お母さん卒業 キッチン」の須長 碧のスト―リーに近いが、孫はいない。息子夫婦が帰った後に、ひとり大の字に横になって休むところなどは、何故か全く同じである。
兎に角、6話全部が幸福感に溢れていて楽しい。日頃、不幸で仕方がない気持ちに蓋をして、強制換気のように音楽を聴いて気分転換をし、レッカー移動なみに重い体を動かして、家事を機械的に捌いていく。本当は、動けない時は動いてはいけないのだろうが、家事は毎日堆積していくから、少しでも効率的に済ませて前進させなくてはいけない。
家事がどうしても些事の組み合わせのように感じられて、つまらない事に思えた娘時代から、家事は技術が必要でなかなか難しいと認識した今なお小事従事者みたいな感覚がつきまとい、虚無感とも葛藤しなくてはならない。
日々の幸福を感受できないのだ。
本作品は、その機能不全を回復させてくれる一冊だった。
作ったものをお気に入りの瓶に移すことや、お気に入りのリネン類を使う楽しみや、手作りの食事の不思議な程の健康回復や神経強壮作用、その精神衛生への高い効果、など。日常茶飯事の幸福に囲まれる場所がキッチンなのだ。整理整頓が難しい場所でもあるから、自律神経の状態の指標でもある。
読後、幸福感が伝播するのか、幸福な気持ちに満たされる。

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夫の口癖は、「メシは?」である。結婚生活の長きに渡り、私には頭重や頭痛の種でもあった。私の夫は何故こんな水準なのかと新婚当初は悲嘆し、息子が就園以降は同じ学校のママたちの一人が、きっと調子を合わせてくれたのだろう、「うちも同じ」とか、先輩ママの一人は、「男性は食事の用意さえすれば楽だから」とか、宥めてくれたものだった。しかし、こればかりは、なかなか慣れないものである。
息子が学校生活を送っている時、毎週金曜日は卵サンドが定番の夕食だった。これしか、出来なかったのだ。しかし、このメニューも、もっと美味しく上達したいなどと少しでも気張ると、挫折して、サンドイッチも作らなくってしまっていた。
大原千鶴さんのレシピは、いつも私には救世主。あっという間に出来て、美味しく、作りまわしもきく。塩キュウリ(きょうの料理)や湯むき塩トマト(レタスクラブ)は、定番の作りおきになり、勢いづいて図書館で借りたボキュ―ズの家庭料理のレシピまで、この2品のおかげで出来るようになり、さすがに感激している。
息子は外食に行きたがらないし、私は添加物や質の悪い食品を摂取すると蕁麻疹を発症、3食必ず手料理が必須である。しかも、私は薬害に遭っているため、服薬治療は殆んど不可で、医食同源しか実際は選択肢がない。薬膳や栄養学等の類は苦手、食材の陰陽等よりも食べたいものを食べてしまう。
休養不足から体力を落とすと、本当に食欲がわかず悪循環、朝、バタートーストも食べたくないので、手軽なスイ―ツを食べてしまう日々が続いていたが、本書のサンドイッチのレシピのおかげで、作りおきが出来ることを知り、一日を辛うじて全うできるようになった。
まだまだ、本書のレシピは手つかずの方が多いが、とても参考になり、活路が見える気がして嬉しい。
名前が災いしたのか、私の生活の多くは食事準備に時間を多く費やしている。本当は、未読の本を読んだり、もっと文化的な生活がしたいのだが、中国の算命術で食神がついてるからと、言い聞かせて、諦めながら、家事を重視した生活をしている。
大原さんのレシピには、心より感謝している。

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ヴィヴァルディの音楽人生の軌跡を辿るアルバム。伝記録音。
ブックレットの解説も非常に有用。

夫と過ごすと、離れた時にヴィヴァルディを聞きたくなることが多い。
8月の夏季休暇を終えて、オリンピア―ドを聴く。音楽のない時に、脳裡にヴェストホフ〈鐘の模倣〉が何回も流れる。何故かわからなかった。翌々日にA.シャルヴェのプロフィールを検索にかけると、目に飛び込んで来たのが、このアルバムの紹介にある、ピゼンデルが演奏したであろうヴェストホフ〈鐘の模倣〉。
何か縁を感じて、殆んど躊躇わずに購入。
私は、イタリア・バロックの弦楽器音楽、フランスバロックのクラヴサン音楽が好き。こう言う趣味嗜好は理屈ではないので、イタリア人の弦楽演奏を聴くと、心身の奥底から活性化する。そのため、本アルバムはリリ―ス頃から目にしていたが、食指が動かなかったのである。
何事も機縁というものがあると、感じている。出会いのままに感性や感覚で聴き、ようやく企画意図を解して選んだ。
言語学者の亡実父が痛嘆したように、独学というのは恐ろしく時間がかかる。しかも、勉強というより、好きで聴いてしまうため、通史として体系的理解が今一つだったのである。教育力にも優れたアルバム。
ジャケットデザインは、レ―ベル側の方針もあると思うが、出来れば、企画意図や録音作品の理解を助けるような絵画作品などが、聴き手としては嬉しい。キリスト教文化圏外の日本では、常設展では極稀少、巡回展や収蔵元からの出品でしか展観出来ない上、圧倒的に鑑賞可能点数に開きがあり、Webでも自分で探し出すのは実際には至難の技、偶々見つけたという確率でしか知り得ないため。

夫の生地は臨海都市。碧宇の下、何度も「Serenissima !」と口から出る程美しい空、宇宙に繋がっていると感じられる。
数あるヴィヴァルディ演奏の中で、劇場性よりも、物語性の含有を感じさせる。カデンツァへの構えが優れている。最終Tr. 〈チャッコ―ナ 変ロ長調RV 583より〉の美しい情感と情緒の喚起は素晴らしい。

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美しい均衡と階調の表現、確かな構築で優れた演奏のアルバム。

シルヴェストロフ氏のピアノ独奏作品が更に聴きたくて、約10年前から欲しかった本録音を漸く購入。
E.ブルミナ女史の演奏は、所謂正統派の流れの継承を感じさせるもので、J.フィ―ルドやショパン作品に在る、夜の穏やかな心地の良い微風が立つような表現(所謂「漂う」)が、適所随所に遍在して、私は好きになった。
〈Naive Musik no.1 Waltz〉は大好きになった曲。ワルツという舞曲は、私には古臭く感じられ、若い頃と比して、好きではないが、優雅な魅力を再認識した。

“私が作曲しているのは、新音楽ではないのです。
I don't write new music.My music is a response to and an echo of what already exists.
私の音楽は、既存の音楽への反応であり、反響なのです。”(ecmrecords)
日本の和歌の手法、本歌取りと微妙に違う構想とも、共通項とも感じられるが、文化の違いをより強く感じた。言語感覚の違いだろうか。
“歌のさまを知り、ことの心を得たらん人は、大空の月をみるがごとくに、いにしへを仰ぎて今を恋ひざらめかも。”(古今集 仮名序)

“沈黙との二重奏 duet with silence”
“The moment is the begining of an experience but I do'n't know when it will end.”(ブックレットより)
沈黙と静寂、瞬間と契機、追憶と残響、郷愁と回顧、情緒の叙情性を現代の感覚で描く音楽作品群。
自然の音よりも動きに音楽と詩情を私は感じるので、シルヴェストロフ氏の定義や表現意図と、感受や理解にズレがあるかと思うが、解説を読むと殆んどに共感し、的確に理解したいと思う。放たれた作品は、先ずは聴き手によって違う作用や感覚を生じる。それとは別に、作曲家の意図をよく知ると、耳の開きも感受密度も深度も変わってくる。
momentは、和訳では瞬間となるが、時間軸の一点というより、動きを表す語源をもつ言葉。本アルバムのブックレットを読むことから、調べ直し再確認。

更に理解と鑑賞が進むことを祈念して。

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プル―ストに興味を持つ人や愛読者のために、常時、[在庫あり]商品化を希望する。簡潔で優れたブックレット付。

発売当初から注目していたが、知ってる曲ばかりだからと浅薄な気持ちで、買うのを見送っていた。スワルテ氏の別のアルバム『協奏曲で描くヴィヴァルディの生涯』(HMM 902373.74)のブックレットの演奏者自身による解説や企画・演奏意図が非常に良かったので、心残りだった本アルバムもようやく購入。
動画試聴とは音質が違い、微妙な陰影と心的時間軸や描写の違いなどがよく聴こえて豊穣な世界を現出、買って良かったと安堵。
私は、完読出来ていないがproustianだと思ってる。一般読者なので、読む気満々で、吉川訳全巻と鈴木道彦抄訳を始め、仏語原著や『Proust Essais』(nrf, 2022)を揃え、対訳と関係図書通読や映画2本を鑑賞、パリの博物館でプルスト着用の外套を展観など、完読への準備運動は余念がないが、準備運動ばかりしてると忸怩たる思いでいる。F .ク―プラン『クラヴサン奏法』は、頁数が少ないこともあるが、専門用語は未消化でも、一両日で完読したので、『失われた時を求めて』は中々読み進められないのが不思議でもある。
さて、本録音の感想は、曲の配置が美しく流麗であり、フォ―レの趣が際立ち、リスト編曲へ更なる興味を引出す。〈神秘の障壁〉のピアノ演奏は洒脱だが温もりがあり、人気曲〈クロリスに〉は追想または伏し目の心情吐露の色調で玄妙な解釈と演奏。
使用楽器の蔵する記憶が、演奏と共に部屋を満たすかのような感覚を覚える。
楽器解説は、パリ音楽博物館学芸員による。
巻頭には、パリ音楽博物館長M-P.マルタン女史の序文有り。
プル―ストとフォ―レの交誼の程がよくわかる解説は、(多分)ソルボンヌ・ヌ―ヴェル大学(パリ第3大学)教授C.Leblanc女史が執筆。
当然ながら、優れた企画と演奏のアルバム。

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CDの収納スペ―スを清掃していて、夫が購入した「モ―ツァルト交響曲 全録音集 /H.グラフ指揮 ザルツブルク・モ―ツァルテウム管弦楽団(CAPRICCIO49288)」を見直し、私も食わず嫌いを改めて、古楽奏者による演奏で聴くことに決めた。
私は、生来バロック音楽が好き。ただ好きで聴くことから始まり、タワレコ店舗の音楽史の棚にMAKが陳列されていたことから、音楽史を聴いていることに気づいたのだった。
それ故、今後モ―ツァルトを聴く時は、歴史的文脈や音楽史的理解から始めようと考えていた日に、本盤と出会った。
しかし、いつものように、私はこのような理論的な鑑賞が苦手で、聴いているとポルポラ先生の歌唱作品だけが明らかに浮き上がって耳を捉えて、他の作品が何故か小音量で聞こえるし、物足りないのである。聴き重ねると魅力を増して、ナポリ楽派へと戻る。“チェロにも非常に深い見識を持った作曲家”(商品説明)と首肯。チェロの執拗低音と歌唱声部との相乗効果で、高揚感が胸懐を満たして横溢する。感情の漸進性、心的過程が精緻に描き出されている。

私は何を聞いているのだろう。蘇演を通じて、当時の精鋭たちの夢のあと、または、現代に甦る不死鳥の如くの芸術。時空間を超えてくる彼らたちの生命の軌跡と共に、深く現代日本人の私の心身を傾倒させる才能とエネルギー。
本当に素晴らしい。心からの称賛に値する。何度も繰り返しての愛聴に耐える芸術性。
仰角の思慕と、傾倒する下降の情感。アンビバレントな心情表現にも優れ、自覚してなかった心の様相を鮮明にして行く。
結婚以来、祈る生活が続いた故、篤い信仰心を顕現する宗教曲の方を好む傾向があったが、ポルポラ先生や父スカルラッティはオペラに感性を啓いてくれる。しかも、深い憂いを華やかさで払拭し、救命。“ナポリの人々が「苦悩から逃れる2つの場は、音楽と宗教」とは、何世紀も前から言われてきたこと”(ジョ―ジ・J.ビュロ―編『爛熟した貴族社会とオペラ 後期バロックⅠ Man & Music THE LATE BAROQUE ERA From the 1680s to 1740』)

今尚、耀々として。
ニコラ・ポルポラNicola Antonio Giacinto Porporaの祥月命日(1686年8月17日)に。

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恐らく、ラ・ブリュイエ―ルの名前と作品を初めて知ったのは、リヨン帯同時に書店の店頭で『Les Caractères』が面陳列されていて、表紙の絵の人物と目が合ったことから、手にとり、直感のまま購入した時。その表紙とは、ル・ブランの下絵によるアンリ・テステランHenri Testelin画『ルイ14世に初代フランス科学院会員を紹介するコルベ―ル』。
Webにあった、
“誰かのことに満足するというのは何と難しいのか。”という言葉が澄明な響きと共に私の中で動き出し、その後、コメディー・フランセ―ズの俳優D.サンドル氏の朗読(Youtube: Comédie-Française/ Les Caractères, LivreⅤ(~Ⅺ) ―Lecture par Didier Sandre)が配信開始や、このNHKラジオフランス語講座の応用編の放送が始まった。
常々、古典や名作は、専門家による講読が必要と感じ、なるべく関連書籍を読むようにしていたので、本当に嬉しい流れだった。
このモラリストの観察と洞察は、現代日本人の私に、非常に力強い支えとなった。古今東西を越えた普遍性が、理不尽や不条理の害悪や損害から、蘇生させるのだ。
本テキストは、時代背景や語彙の歴史的な違いなどが簡潔に説明されていて、理解の幅や奥行を拡張してくれる。
(ラ・ブリュイエ―ル『人さまざま』は、2024年10月号~12月号、2025年4月号~6月号)
アカデミー・フランセ―ズ会員でもあった
ジャン・ド・ラ・ブリュイエ―ルJean de La Bruyèreの誕生日(1645年8月16日)に。

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買って良かったと心から思ったアルバム。
プ―シキンの詩の優れた魅力を教えてくれる。
この録音を聴いた後に、この企画の主題となったプ―シキンの詩(ブックレットに掲載)を読むと、詩の持つテンポやリズムなどが感じられ、所謂五感とそれ以上の感覚で以て、味わえるようになる。
自分ひとりで、プ―シキンの他の詩を読むと、感受性の違いがよくわかり、何とドライでク―ルに読む傾向があるのかと、香気も時間の流れも全く感じない、うわべの字義だけを趣味嗜好だけでさらっと味わうこと無く読んでいた。それこそ、目通しだったのだ。
シルヴェストロフの音楽は、アファナシエフがドキュメンタリー番組『漂泊のピアニスト Le Silence des Spheres』(Youtubeで視聴可、演奏は#2 20:13~)で出会った。今では、番組内の他の大作曲家たちの作品よりも、私には最も愛聴する音楽となった。
今回、A.リュビモフ氏の演奏でも聴いて、時間をかけて精聴したいと思い至った。
白状すると、私の音楽鑑賞時間の多くはキッチンに立つ時で、電化製品の稼働音等と共に聴くこともあるので、決して良い聴き方とは言えないが、確実に聴き込めるのはこのタイミングなのだ。アルバムを何回も通して聴き、気づきも多く得られて、他の雑音を制して鮮明に聴こえ、必ず際立って呼んでくれる作品が出てくる、お気に入りの時間でもある。
だが、シルヴェストロフ作品は、座して静かに雑音無しで聴く方が良い。
休養不足の私の心身に、優しく浸透し、自分自身の呼吸に戻してくれる。
1日の大半の時間を音楽と共に過ごして来た。
シルヴェストロフの音楽は、静寂の効能を体感する。
“Aux souffrances morales, le bruit aussi fait mal.
精神の苦しみに対して騒音は危害も加える。”(G.Rodenbach『Brouges-la-Morte死都ブリュ―ジュ』窪田般彌 訳)

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「力なく悲しき時は、小さき事、特に励めと御霊言う」羽仁もと子(本書には掲載無)
横浜でTVで井田典子さんを視聴時は、婦人之友の会の人とは知らず、横浜からリヨン帯同後帰国し、夫の実家近くの自宅に住み、動画を視聴し、冒頭の羽仁もと子女史の言葉が環となった。
私も新婚時に、婦人之友社の書籍は何冊か読み、羽仁もと子女史の著作にも目を通し、家計簿や主婦日記も試みたが、挫折。家事はドイツ帯同時に覚えた。私の結婚生活は、6回の引越と社会問題に巻き込まれ、家事は常に祈りだった。出産後に体を壊し、日光を浴びて洗濯物を干すと倦怠感、屋内でもサングラスが必要、慢性の休養・体力不足と鬱に悩み、経験則から切実だった。息子の学校生活が一区切り後は、失意と共に生きる日々、絶望を忘れるように努める生活。特効薬は音楽、家事は心の整理や安定に効果的で、整理や清掃は、夫の勤務先企業が推進する5S活動から、意識して課した。
井田さんの整理術は、良い連鎖や推進力があり、心強い。

“Ah! Le merveilleux d'une maison n'est point qu'elle vous abrite ou rechauffe, ni qu'on en possede les murs. Mais bien qu'elle ait lentement depose en nous ces provisions de douceur. Qu'elle forme, dans le fond du coeur, ce massif obscur dont naissent, comme des eaux de source, les songes…
そうだ!家のすばらしさは、それがひとを宿らせたり、暖めてくれるからではないし、ひとがその壁を所有しているからでもない。そうではなくて、ゆっくりと、わたしたち内部に心地よさの貯えを蓄積してくれるからなのだ。心の奥底に、泉の水のように、夢想が生まれ出る幽暗な塊りを形づくってくれたからなのだ…。”
リヨン帯同時は、コロナ禍でビザがなかなか下りず、リヨンに縁があるようにと、サン=テグジュペリの作品を読んだ時に出会った言葉。
私は文学部卒ゆえ、家は物件ではなく人生を共にする家族。
アントワ―ヌ・ド・サン=テグジュペリの祥月命日(1944年7月31日)に。

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D. スカルラッティ作品は、私には不思議で異質なものだった。最初は、多分、D.リパッティの録音で耳にし、次にハスキルの録音だった。ハスキルの演奏の殆んどが耳をひらき浸透するものであるのに対し、息子スカルラッティ作品は旋律さえ判然とせず、打楽器作品に感じるほどだった。
耳がひらいたのは、亡実父が翻訳したペロ―童話集の朗読CDの挿入曲でギター演奏からだった。勢いづいて、ピアノの録音を改めて探し、ナポリ出身のA.チッコリ―ニの演奏に出会い、ようやく鍵盤作品として聞こえるようになった。
第2の起点となるのが、消費税率改定前に駆け込み購入した、S.ロスのチェンバロ演奏録音にて、555曲の中で一曲選ぶならKk.208であり、“It's the most beautiful. It's also the slowest and the happiest one, the one with most sunshine in it.”と語っていたのを読み、私も再聴、とても気に入ってしまった。日頃から冷めたことを言っていても、lyricismに満ちた曲が私は好きなのだ。
F.コルティ氏の演奏を、今回迷わず選んだ理由は、リヨン帯同時に、France Musiqueの動画でD. スカルラッティの演奏を視聴時の事、作業をしながら聴き、聴き終える頃には所作が淑やかにまでなっていて驚き、マリア・バルバラ王妃効果まで演奏能うと強く印象に残ったから。
昨年まで、古典音楽演奏は、音楽史や奏者解説に触れていながら、楽譜通りという、作曲家自身が意図した演奏だけが正しく、基本的には一通りで、演奏機会により微調整有りぐらいにしか思っていなかった。しかし、バロック音楽は、“楽譜は見取り図にすぎず、ジャズにも似て即興演奏が重視され、聞く者の心に応じた多様な接点が可能になる”(『バロック音楽』講談社現代新書 表紙より)を読んで、聴き比べが、聴き手の審査員的なものから、本能的な楽しみへと戻った。漫然と好き嫌いで、感覚的に聴いてきたことが残念であり、遅きに失した感は否めないが、演奏者、使用楽器、使用楽譜等により、同じ作品が、違う表情や姿で現れることを、今後も更に意識して感受することを悦びとしたい。

ドメニコ・スカルラッティGiuseppe Domenico Scarlattiの祥月命日(1757年7月23日)に。

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本録音で使用した楽器について、紙幅を多くとり、一覧(Pp.12~13)とシャルル・リシェ氏製作のレプリカの写真付きで簡潔な解説(Pp.38~57、計10点/1点に付き見開き2頁)がある。

商品紹介を読んで購入。特に、父スカルラッティの作品が動画試聴時に、心に浸透し琴線に触れたことが、決め手となった。企画意図通りに鑑賞が出来るようになるには、私には未だ基礎知識や何かが不足して時間が必要なのだが、ボノンチ―ニ(ALPHA826)やランゼッティ(ZZT2041002、ALCD1131)の作品と再会したのは嬉しい。実は、本商品より前にも、『バロックチェロはナポリで育つ』(A385)も入手済みで、何回も聴いてのだが、不思議な現象で前進出来ずにいた。何故か、音量を大きくしても、小音量にしか聞こえなくて、ランゼッティ以外は何を言ってるのかわからないような感覚のままだった。本商品を聴いてからは、ようやく、音量通りに聞こえるようになった。
CD1ナポリ編にポルポラ先生の作品の収載がないのがとても残念である。まとまった数の演奏が聴ける企画の録音を今後に期待する。
奏者たちは、多種多様の当時の銘器やレプリカで演奏した企画の録音多数。
今後は、良い連鎖にて、鑑賞や知識が深まっていくことを期待する。

ヘンデルが改作したことで有名なアリア〈オンブラ・マイ・フ〉
(Youtube
▶Prospero Classical
・Simone Kermes:Ombra mai fu / Giovanni Bononcini、
▶Bruno de Sá
・G.B.Bononcini-“Ombra mai fu”)
の作曲家でもある、
ジョバンニ・バッチスタ・ボノンチ―ニ
Giovanni Battista Bononciniの誕生日(1670年7月18日)に。

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有名曲Jean-Baptiste Drouart de Bousset〈優しい小夜啼鳥よ、夜明け前に何故?〉に耳がひらいたのは、フレンチ・フラジオレットで演奏した野崎剛右氏と上羽剛史氏のチェンバロ演奏の動画を視聴してからだった。その後、Annie Dufresne女史が歌う動画(録音はALPHA342)を長いこと愛聴した。ヴォ―・ル・ヴィコントで見かけて購入した、コメディー・フランセ―ズ正座員D.サンドル氏の朗読本でMarianne Vourch編『Concert de fables』(Editions Villanelle)の挿入曲でも再会。リヨンの夜、アパルトマンの各室が談笑で賑やかな週末の夜、社宅のリビングに流れた時の気配が忘れられない。ド・ヴィゼ―『ある詩人の追憶に捧ぐ組曲』(CVS127)でも愛聴。
歌詞は、勿論恋愛詩なのであるが、私の場合、体調不良による早朝覚醒の憂鬱を緩和してくれる秀歌である。小夜啼鳥に起こされるか、不眠症状かの違いかと思えば、何となく気持ちが紛れるのである。
そして、太陽王のフル―ト奏者オトテ―ルのアルバムとの邂逅。
往時のヴェルサイユの音楽家の作品が、つまり彼の同僚たちの作品がフル―トに編曲されて、本盤には独奏用21曲が録音されている。
掉尾を飾るのは、既にLudovice Ensembleの動画で視聴していたから再会となった、M.ランベ―ル〈楽しもう、甘い休息を〉とド・ブ―セ〈どうして、優しい小夜啼鳥よ、夜明け前に〉。二曲続けて一作品のように演奏される。奏者の友人Fernando Miguel Jalôto(ポルトガルの古楽グループ Ludovice Ensembleの創設者・主宰)のチェンバロ伴奏付き、当時の華婉な情景を鮮華に顕現。(使用チェンバロ:2009年Klinkhamer & Partner製―オリジナル:1738年Christian Vater製/ドイツの製作家ファ―タ―一族の初代の息子、ニュルンベルク ゲルマン国立博物館 保存)
恋することに傷つき疲れた恋人たちの心に優しい、ランベ―ルの旋律。趣味嗜好に合うからか、他の作曲家とは違う趣や色を帯びて秀抜に明瞭に聴こえてくる。
ジャック=マルタン・オトテ―ルJacques-Martin Hotteterreの祥月命日(1763年7月16日)に。

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恐らく日本はJ.S.バッハが好きな国だと思う。学校の音楽室には必ずバッハ一族の家長の大バッハの肖像画があり、異名「音楽の父」と習った。クラシック音楽と言えばバッハ、バロック音楽と言えばバッハ、ヴィオリニストがここぞという時に録音するのは父バッハの無伴奏。タワレコの渋谷店などの棚の陳列では、他の作曲家に比して圧倒的に割合を占めている一人。そういう印象を受け続けた音楽環境で、私などは父バッハには今や食傷を起こすようになった。何故、こんなに「偉大」と連呼しながら提供するのだろうかと、私などはよくわかってないから、常々疑問と不満を感じていたが、一方、優れた研究企画の録音では、私は基礎知識不足で解説と演奏を連動して吟味しながら聴くことが出来ないという頭打ちの鑑賞になる。
そんな鑑賞生活の中で、本盤と邂逅。耳と脳が洗い直される感覚を覚えるほどの鮮烈なPVだった。
私は文学部卒、文学科ではなく心理学専攻だったのだが、聴くことによって、作曲家の生涯や音楽史の方へ導かれていくことが多い。家事は両手が塞がるため読書が中々出来ない実情もあり、音楽偏重の生活をしている。
夫は同じく文学部だが独文専攻。夫が出張などで離れている時に、夫の生活管理等を考えたりすると、高い頻度で父バッハや、ドイツ語圏の作曲家の曲が脳裏に流れてくるし、夫から実際に連絡が入ったりする。シンクロニシティは、父バッハたちの音楽が知らせてくると、目下、思いこんでいる。
挫折に疲弊した心境を、束の間でも回復させてくれる稀有の演奏を頌して。
マリア・バルバラ・バッハMaria Barbara bachの祥月命日(1720年7月7日)に。

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同レ―ベルから発売の『ANAMORFOSI ロ―マと北イタリアのバロック声楽芸術』[Alpha438/NYCX-10093]の解説の訳注に参照があったことから購入して鑑賞。実際にも、1630年2月に、G.アレグリの後任として、サッシアの聖霊教会に赴任したとwebの略歴にあった。ブリュッセル帯同後、フランドル楽派のジョスカン・デ・プレのポリフォニー作品が好きになり、フランドル楽派の集大成がロ―マ楽派とあるので、その流れの中で聴くことが出来たのは僥倖だった。
解説に於いて、指揮者エルヴェ・ニケ氏の言及があり、この録音は学者の仕事が起点にあることを知り得た。ヴェルサイユ・バロック音楽センター(CMBV)の研究者ジャン・リオネJean Lionnet氏のコツコツと丹念で膨大な労力の蓄積が結実してのこと。日本の聴き手の私は、自宅にてワンタッチで録音を楽々で聴くことが出来るが、ヴァティカン図書館での、手書きの楽譜の筆写があっての事と知り、落涙を禁じ得ないほど感無量となった。
もっと、当時の作曲状況から今の蘇演までの労力にも関心を払い、心を向けて、耳を傾けることを怠ってはならないのではないかと、改めて気づかされた。
故J.リオネ氏(1935年ヴェルサイユ生~1998年ヴィロフレ―歿)は、音楽業界に転向前の1962年~76年は、映画業界でM.アントニオ―ニ監督やL.ヴィスコンティ監督らと仕事をしていたこと、転向後の1977年から国際音楽資料目録の研究を開始、1990年からCMBVの研究員となり『Cahiers de musipue』コレクションを設立、1995年から古楽の学術雑誌『Early Music』の編集委員会の一員を務めた、とあった。
常々、古楽に於ける、自分の理解に疑問と不足を感じて来た。キリスト教信者でもないため、要となる基礎知識の不足で、長い間、殆んど感覚的に聴くより他なかったため、梗概もどこまで核心や真実を把握できているか忸怩たる思いがあった。しかも、邂逅と趣味嗜好のまま選択して聴くゆえに、音楽史も散見散在したものでしか入って来ない。
少しでも、的確な理解と鑑賞が深化することを期待している。
優れた企画と録音を世に送り出すαレ―ベルの弥栄を祈念して。
オラツィオ・べネヴォロOrazio Benevoloの祥月命日(1672年6月17日)に。

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PVで偶然視聴して、一回で心に残り、出会いのままに購入。予想を超える愛聴盤となった。
ドイツ帯同時には、メアブッシュに住んだので、デュッセルドルフの宮廷音楽家という縁も感じて聴き始めた。ヴィオラ・ダ・ガンバの楽音が非常に温かく柔和。沈み込んだ心情を浮かびあがらせて鮮明にしてくれる。
帰国直後から、何人も自殺者を出す社会問題に巻き込まれて以来、今では、息子に心で詫びる日々。どんなに努力しても、息子は「生きるも地獄、死ぬも地獄」のような人生になってしまっている。
心身の健康管理の為とは言え、音楽浸りで、本当に良かったのだろうか。
シェンクの音楽作品とは、そんな日々の夜に出会った。
遅発性の悲しみに優しく寄り添う音楽作品。
息子が不登校を余儀なくされていたときは、学校側との対峙で、悲しむより不浄不屈を旨としていた。不登校相談会では、体験談を話す母親がメソメソしながら洗濯物を干して「うちの子はいつ学校へ行けるのだろうか」と思った心情を吐露した時、違いに失笑するほどであった。きっと、悲しい時は、そのまま悲しむ方が、落涙を禁じ得ない方が、健康には良いのだ。
今や私が封印しても漏れ出す悲しみに浸かる日々である。悲嘆や失意を忘れる努力をする日々なのである。しかも、場合によっては重い症状を呈するため、払拭しながら。
息子と同じ年の若い青年を見るのは辛かったが、すぐに慣れるのは幸い、神の恩寵である。
ヨハネス・シェンクJohannes Schenckの受洗日(1660年6月3日)に。

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ヴァ―グナ―は、今ではどのような位置づけの作曲家か、私にはわからないが、存命中と死後かなり長い間は、ワグネリアンと称される、傾倒者が多くいたように思われる。
私などは、ヴァ―グナ―作品の何が良いのかわからないところから始まった。グレナダTV製作ドラマ J.ブレッド主演『シャ―ロック・ホ―ムズの冒険~ 赤い輪』のラストシ―ンで〈愛の死〉が使用されていたことから初めて知り得た。
主演女優が知的な仕上げをかけた濃艶美を湛えて見える、P.シェロ―監督作品が大好きで見始めた故、いつも視聴するのはW.マイア―の歌唱部分ばかり。(Bru-ray〈WARNER ERATO 2564605500〉)
私が、ヴァ―グナ―歌劇に真に目覚めたのは、その歌詞の趣味の良さからだった。ヴァ―グナ―自身が書いていた。
早速、対訳で原文を読みたくなり、書店で見つけて、価格に躊躇したが、語学力や今の読書事情など何もかも忘れて購入。
本書は、ヴァ―グナ―の生涯が簡潔にまとめられていて梗概を把握しやすく、製本デザインも優れている。内容の総量に比して軽くて、見開きが容易で読みやすい。目にやさしい紙と活字。白水社から発刊されている宮下志朗訳モンテ―ニュ『エセ―』同様に、水曜社の高品質の仕事である。本書を買うことにした最後の決め手が、水曜社の出版だったからで、プル―スト研究の国際的権威 吉川一義氏らの著作が刊行されている。
ヴァ―グナ―オペラは、夫の勤務先企業の拠点があるドイツ理解には必須と言い聞かせて、何度も鑑賞を試みている。バロック以後のオペラが苦手な上に、現代日本人の私には長過ぎる上演時間に、挫折するのである。
歌詞全訳と、『トリスタンとイゾルデ』から一点突破全面展開になることを期待している。

『トリスタンとイゾルデ物語』は、ウェ―ルズからアイルランドにかけての地方に生まれ、それぞれ独立したレ―(lai、詩形。13~14世紀後半にアルプス以北の欧州で作曲された歌曲または歌詞の形式)の形で伝わったものが物語にまとめられた。(『新版フランス文学史』白水社)
後に多くの文芸芸術作品、ワグナー楽劇などの霊感の源となった。(渡辺一夫)

リヒャルト・ヴァ―グナ―Richard Wagnerの誕生日(1813年5月22日)に。

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Tr.1〈Cnofitebor Ⅲalla france フランス様式による「わたしは心から主であるあなたを祝い」〉が聴きたくて購入。何度聴いても、飽きることなく、もうこの一回を聴いて今日はおしまいににしようと思うくらい大好きな作品。
本アルバムは、モンテヴェルディの作品だけでなく、マントヴァのゴンザ―ガ家の宮廷の音楽家を集めたアルバム。L.マリ氏によるブックレットにも書いてある様に、何回も通聴する程、Tr.1の作品とモンテヴェルディが際立って聴こえる。特に、本曲は大好きで、すでに本盤を入手する前に何回も聴いていて、美質が鮮明に聴こえるようになっている。
しかし、それだけだろうかと、理由を探したくなり、本盤の解説だけでなく、V.デュメストル指揮『モンテヴェルディの遺言~もう一つの「聖母マリアの夕べの祈り」~』(NYCX-10501)の解説も読み直した。基礎知識不足の私が思い当たる点と謂えば、“実に60年以上にもわたってほぼ毎日、礼拝や精神修養のための教会音楽を書いていたのですから。作曲に関わっていた時間は誰よりも長い部類に属し(大バッハよりも長いくらいです)、しかも途中で長く休む間もなしに続々と新作教会音楽で人々を満足させるべく、重要な宗教施設諸々のために連綿と作曲を続けていたのです。”(V.デュメストルによる指揮者解題より)

モンテヴェルディが賛美したのは、人間の各人の神性を賛美しているのではないだろうか。
信仰心の篤さはどこに基軸としたか。
抽象概念で沈黙の神ではなく、実は人間礼賛ではなかっただろうか。
リュリ同様、未だ大音楽家の仕事のほんの一部しか知り得ていない。今後も、邂逅と鑑賞の深化を祈念する。
クラウディオ・モンテヴェルディClaudio Monteverdiの誕生日(1567年5月9日)に。

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常日頃、夫の勤務先企業の拠点の地域理解の観点からも、作曲家と同郷の演奏家を選んで聴くようにしている。実際、耳を啓くのは、やはり同郷人の演奏によるものが圧倒的に多かった。
しかし、私はイタリア人の音楽家が好きで、父バッハもイタリア人の演奏に魅力を感じることが多い。それ故、バッハに関しては、自分の好きな演奏で聴くようにすることに決め、特にトリノ出身の音楽家の演奏は、日常の予定を時間通りにこなす時には、必需品にまでなった。
そして、このキアラ・ベルトリオ女史の企画録音と出会う。根っからバロックが大好きな私には、少し心配でもあったが、女史がトリノ出身ということ、プロテスタント信者の祖母の祥月命日に近いということで、供養として購入、精聴重聴することにした。
特に嬉しい再会が、〈BWV641 我ら悩みの極みにありて〉。
息子がリンチによって不登校を余儀なくされた時、私も対峙することに決めて、学校側と連携、実情は折衝だった。登校意欲を妨げるものを全て除却して、通学可能にするために腐心した日々、社会問題であり、組織問題、月に一回は自殺という故殺で落命する子どもたちのニュ―スを知るような状況。
その渦中で、聖ト―マス教会オルガニストU.ベ―ム氏のオルガン演奏で開耳。心に強く確かに働きかけるこの曲の邦題と邦訳を読み驚く。心情に的中していて、音楽が呼んでくれていた感がしたからだ。
そして、すでに10年以上経ち、今度はピアノ演奏で聴く。人災からの復興は、未だ成らず。過ぎ去りし日に後悔はなくても、息子に詫びながら生きている。
不条理の中を生きる人の心に、芳醇な楽音と音色で、束の間でも寂光が差すのが、父バッハたちの音楽。編曲により古典詩を現代語訳で読むような情趣があり、充足感がある。

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千利休 本覺坊遺文

熊井啓、他

5:
☆☆☆☆☆
★★★★★

英国喫茶習慣を調べ直した時に、千利休の侘び茶を知り直す機誼を得て鑑賞。
自分は人とどのようなお茶の時間を過ごしたいかを考えると、相手が難しい局面の時に共に茶を喫する事で、有意義な時空間としたいと思い至ったのである。愁傷は愁殺、心情吐露が目的ではなく、局面打開に繋げる状態まで心身回復を目することが主眼である。
息子と社会問題に巻き込まれてから、息子が学校から帰宅すると、ストレスケアの一環として、必ずお茶とお菓子を息子の机に持って行った。
重篤な心理状態で、人は事実や本心を話さない。一緒に間近にいることは避けて、少し離れた別の部屋に居た方が良いこともある。
では、近しく共に過ごす喫茶はどのように創出されたのか。
神経が整う茶道の稽古、手前の手順は完成度が高いだけではないと感じていた。
精神疲労を払拭する共通項の一つ、忘れられないのは、リヨンを本拠とする老舗ショコラティエ「ベルナシオBernachon」の店舗写真を見た途端、瞬時に疲労が払拭された事である。このブランドも、営業時間や寄せられた口コミには必ずある返答を読むと、天才の条件でもある、勤勉さが先ずはうかがえる。
“茶人の第一の必要条件は、掃き方、拭き方、洗い方の知識で、拭き、はたきをかけるには技術がある。…茶人たちが抱懐する清潔の観念…利休が求めたものは、清潔だけではなかったので、美と自然でもあった。”(岡倉天心『茶の本』桶谷秀昭訳)
一杯のお茶を喫する為に、場の創出にかける精神的コストの違いは何か。
利休は、戦国乱世に於いて茶湯を大成、侘び茶で何人もの死出の見送りを執り行った。戦死でなくても死がすぐ近くにいた時代、一期一会は、メメントモリmemento moriと実質不可分であったのではないだろうか。
「亭主給仕をすればすむ也」(『長聞堂記』、伊住政和『贅沢な食卓』引用)は、心を尽くすことの深遠を知る、終わり無き創造性の精髄の一つではないだろうか。
名作や名演奏の特性により、本作品を観て、利休の職業哲理と思想へ思い巡らし千思万考。
”The masterpiece is of ourselves, as we are of the masterpieces.“(岡倉天心『茶の本』)
自分の基となる日本人の感性を再認識した翌日、
千利休の祥月命日(1591年4月21日)に。

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私たちは祈りの効用について、もっと気づいてよいのではないかと思います。(酒井陽介、本書より)

私は、モリエ―ルを始めとする仏文学の娘たちで、ラ・ブリュエルの愛読者である。
礼儀作法や社交辞令で下げた頭に足を乗せてくる、庇ではなく物置に貸して母屋を取りだす、すがる心や人情につけこんでの強欲発揮等、百害あって一利なしの棒腹絶倒の事例に事欠くことがない経験をする。
重篤な事例だが、ほぼ全事例に共通項があり、雑な作りが多いのだが、メカニズムつまり心根を知ると愚昧蒙昧だからである。これに、遅鈍や愚者の特徴である頻繁な嘲笑も往々にして加わる。
このような人物や目に遭うと、特に子供は、落命してしまう。
仏教の有難い教えの和顔愛語も厳禁、標的にされて仇で帰ってくるリスクが高いのだ。
デカルト、ヘ―ゲルやクルタンも書き遺しているように、人間の範疇ではないからである。
呵責ない仏文学に比べて、キリスト教の言葉は、私にはまず思想として読解したい意向があり、派生した文化については、基礎知識不足ということもあり感覚的に趣味嗜好が合うことから愛好している。
魂が疲れている、それは霊的な疲労というものなのか、須らく心の疲れは魂や霊性の疲労なのか、兎に角、息子と社会問題に巻き込まれて以来、面会謝絶のように人払いをして、祈る生活が続いた。不条理は、簡単には覆すことが出来ないのだ。「復讐するは我にあり」の聖句を生き甲斐にして、自愛に専念している。在家在宅修道女の如く、家事はそのまま祈りの営為となった。

本屋で平積みだった本書を衝動買いして、通読。
「傷ついた癒し人」という言葉のもとになった概念は、C.G.ユングの「傷ついた医者」で、“身をもって傷の痛みを経験したことのある医師こそが、患者自身も自覚していない傷を明らかにし、癒しの助けとなれるとした。”(本テキストより)

ナウエンが通った高校も運営していた、イエズス会は、世界宣教だけでなく主要任務に大学と高等教育期間の運営があり、信仰心だけでなく深い教養を持つ組織。人文はともかく学術的技術が極めて高いと驚嘆した事をを思い出す。
現教皇もイエズス会出身。

聖金曜日に。

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美しい曲を、美しい声で、美しく歌った録音。

ドラランド(1657~1726)は、リュリの権力の後継者で、“ルイ14世の信任が厚く、王の晩年の時代には、シャンブルの仕事と同様、シャペルの仕事もほぼひとりで行ったことがわかる。”(今谷和徳・井上さつき『フランス音楽史』より) 大ク―プランが10歳で父親を無くした時、18歳になるまで父親のポストの代理を務めたのもドラランドだった。

今はどのような状況か、私は知らないのだが、当時、4月の風物詩であった〈ルソン・ド・テネブル〉。日本人には馴染みのないジャンル、以下、簡潔で的確な説明を見つけたので御一読を。
“ルソン・ド・テネ―ブルは、17世紀末から18世紀初めにフランスで大流行したジャンルで、聖週間(キリストの受難の時期で、特に復活祭前の1週間)の3日間の典礼で歌われていました。この時期には、華やかな催しやご馳走はもちろん、オペラも上演禁止でした。…ルソン・ド・テネ―ブルは、カトリックの典礼では暗闇の朝課の読誦ともよばれ、本来は聖週間の最後の3日、真夜中に行われていました。けれども、当時のフランスでは、夜を避けて昼間に行われていました。そのため、当時パリに住んでいた貴族たちは馬車を仕立てて、宗教音楽を聞くためにロンシャン修道院へ向かいました。「ロンシャン詣で」という言葉もできたほどで、馬車がずらっと並んで、交通渋滞がすごかったと言われてます。”(関根敏子「講演 ク―プラン時代のパリの地図から見る音楽事情」より、『日本チェンバロ協会年報2019 第3号』)
ブックレットには、トマ・ルコント氏(多分、ヴェルサイユ・バロック音楽センター研究員)の解説有り。

聖週間を迎えて。

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最高傑作のひとつとされる〈フ―ガの技法〉も、実は私には中々耳がひらかない作品だった。耳を啓いてくれたのは、主にケラ―四重奏団と冨田一樹氏のオルガン演奏だった。ケラ―四重奏団はすぐに愛聴盤となり、冨田氏の演奏は動画で鑑賞して、冒頭8小節目の♭の音色とそこから続いていく多声部との重なりが大変劇的で心身に響き、Contrapunctus1を感動のうちに聴き通した。
息子と社会問題に巻き込まれ、中学卒業時同様、高校卒業後の進路も不透明で、冬道を歩きながら〈フ―ガの技法〉は何度も脳裡に流れてきた。今でも、重い孤立感と厚い疎外感が、駅の人混みの中を歩くと、心身を取巻き出す。
更に鑑賞を深化させたいと願い、本盤の演奏意図に共感し迷わず購入した。研究態度や指針に賛同すると傾聴の腰の入り方が違ってくる。伊人の演奏が好きな理由の一つでもある。
解説は、研究動向と楽曲分析の詳細を簡潔にオルガン担当ルカ・グルミエル氏が執筆、主宰アルベルト・ラ―ジ氏による演奏の企画意図が記されている。読み応えがあり、他の録音の解説の繰り返しではない、本質的な知識を得ることができる。
例によって、遺憾ながら、私は基礎知識不足で、理解が及ばない水準故に、相変わらず感覚で聴いている。
基底も骨格も確かな演奏で、円滑と調和に優れた声部の連動、理知的な趣に聴こえるのだが、私の心情に寸分違わぬと感じるほど添い、感傷へ傾き陥らない効能。浴すると、動的で広大な作品空間に過ごし、胸の塞ぎが緩解してゆく。悲歎や悲愁や憂愁はそのままに、良識の欠落や無神経でなければ、恐らく多くの人が経験する推察可能な人生の局面と心情として、鬱屈や滞留から解放し、生活の進行を亨して行く。
ヨハン・セバスチャン・バッハの誕生日(1685年3月31日)に。

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“これは繰り返し見て 新たな絆や―共感を見い出せる作品にしたかった”(S.ダルドリー、監督)

恋愛フレ―ズと言うものを検索して読んでいると、人並みの恋愛結婚をして半世紀も生きると、私には心に響くような言葉は見つからない。多分、一文づつ紹介されているからだと思う。自分は言ったこともないのに、下手に文学部心理研を卒業してると、この言葉は多用すると悪い影響力を及ぼすのではないかと斜に構え出す。
映画『めぐり合う時間たち』で、ウルフの絶筆となる遺書を知り得た。年月を重ねる程真価を感じる、最も優れた恋文と私は思う。多数の恋愛書簡を読んでないから、尚更そう思うのかもしれないが、何度も読み返すと、飽きることなどなく、ウルフの真意が彼女の声と共に伝わってくるように感じる、さすが文豪の文章だと思える。
ウルフの遺書が全文引用されているピュリッツァー賞及びペン/フォクナ―賞受賞作品の原作本(マイケル・カニンガム著)もディスクと併売継続されることを期待する。
冒頭のウルフの遺書を読む場面から最後の入水時まで、グラスの音楽は、水面の漣や流れの如く、心象時間の表象である漸進性を体感させながら、映画作品を生命体にするエネルギーだった。
“彼女にとって 自殺は悲劇ではなく―人生を完結させるための決断だった
西洋より日本の文学に近い
人生をまっとうするための手段として自殺がある
つまり彼女の場合 絶望や狂気からの行為ではなかった
だから音楽も従来の死の象徴である必要はなかった
意志で選択された死だ”(P.グラス)

なかなかウルフの著作が読めない。友人が「蚕が桑の葉を食べるように本を読んだよね」と言っていたように、1日2~3冊読んだ小学生時代が嘘のようで懐かしい。
故神谷美恵子が病積学的研究を行った、
ヴァジニア・ウルフVirginia Wolfの祥月命日(1941年3月28日)に。

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アレグリ作品との聴き比べをしたかったこと、主にスペクタクル作品を目や耳にするリュリの仕事だが、調べ直すと宗教曲も作曲していて、これは片手落ちの理解になるところだった改めて気づき、購入を決めた。
“リュリは生涯を通じ、王室礼拝堂にかかわる役職を授からないままであった…中略…リュリの存在はグラン・モテの発展に不可欠だったのである。”(本盤解説より抜粋)
日本語解説付きを選び、本当に良かった。解説翻訳者の補記も併載されていることもあるが、ヴェルサイユ・バロック音楽センタ―研究員トマ・ルコントThomas Leconte氏の解説は優れているので、是非、一読そして精読をお薦めする。
世界史学習で王権神授説は必須だったが、私などは如何せん受験勉強の域を出ていない水準だったから、絶対王政における理論武装ぐらいにしか把握していなくて、実際、どのようなものであったか、本盤を聴、解説を読むまで、やはり核心を知り得ていなかったことに気づいた。
“フランス王という立場は神が授けた地位なのだから、現世における権力組織からは(たとえそれがキリスト教にかかわる重要組織であろうと)一切干渉されるいわれはない…中略…そうしたわけで
ルイ14世は日々のミサにおいても、ロ―マの教皇が定める礼拝の式次第は採用しなかった。”(本盤解説より抜粋)
フランスに於ける王権神授説は、ジャン・ボダン『国家論六編』(1576年)で理論化、ルイ14世の宮廷説経師ジャック=ベニュ―ニ・ボシュエ『世界史叙説』で展開しているとあった。
理論的根拠は、新約聖書『ロ―マ人への手紙』13章が考えられるとある。
“⑴すべての人は、上に立つ権威に従うべきである。なぜなら、神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだから。”
耳で聴く世界史として、大変価値のある録音。
弥栄を祈念して。
ジャン=バティスト・リュリJean-Baptiste Lullyの祥月命日(1683年3月22日)に。

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叙情悲劇/台本フィリップ・キノ―Philippe Quinault
初演1676年1月10日
於サン=ジェルマン=アン=レ―城

推奨参照Youtube:
オペラ《アルミ―ド》を楽しむ(講師 関根敏子)/北区文化振興財団事業係

3年前にフォンテ―ヌブロ―宮殿へ旅した時、売店でW.クリスティ氏指揮のCD『アティス』を見かけて手にとった。例によって、逡巡して、様子見で買わずに帰ってしまった。日本に本帰国後、すぐに名蘇演の映像ディスク(NBD0132V)を見つけ、しかも日本語字幕付きという僥倖、即、購入した。これは、是非、手元において末長く愛鑑賞すべき商品で、当時に忠実に再現した衣装やダンスなど、本当に貴重、お薦めする。
そして、オペラよりバレエが好きな私には、困ったことがあった。歌と歌詞をよく精読したいが、聴きながら作業をするには、映像ディスクだけではどうしても難しい。専業主婦は、両手が塞がることは、1日の中で時間を区切って確保しないと出来ないのだ。しかも、趣味となると後回し、いつまでも出来ない。無駄な出費にならないか迷ったが、歌詞付きのCDが必要と悟った。
それでも迷っていると、このヴェルサイユレ―ベルを見つけ、本当は、W.クリスティ氏らの録音(harmonia mundi HAX-8901257)の方が併読には良いのだろうが、私は別の演奏家たちの新しい録音も聴いてみたいと思え、先ずは本品を選択。
ブックレットの冒頭には、指揮C.ルセ氏の楽曲分析方針と演奏意図が明記。精聴がこれからとなる私には、内容理解には年単位を覚悟したが、兎に角、歌詞を一語一語確認出来て、予想以上に満足。
これを機会に作詩法など、新しい展開が進むことを、これを弾みに、リュリの他のオペラ作品にも、耳が開いていくことを期待し、祈念する。
昨年、映画『王は踊る』、ドキュメンタリー『ヴェルサイユ訪問』を再視聴した際、「もっと、ヴェルサイユを」知りたいと希求し、少しづつでも前進出来ることが嬉しい。
名蘇演が恒久的に広く多くの人々に鑑賞されることを願い、ヴェルサイユ国際バロックセンター及びシャトー・ド・ヴェルサイユ・レ―ベルの弥栄を祈念して。
ジャン=バティスト・リュリJean-Baptiste Lullyの祥月命日(1683年3月22日)に。

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ロ―マ楽派の正統の録音、常時在庫ありの定番商品化を希望する。

信心深いのか迷信深いのか判然としない実母だが、実父の死後、定期的に読経供養をしている。墓所の僧侶が蒸発したので、知り合いの尼僧に引き継いで頂いた。この曹洞宗の尼僧が読経をするようになってから、不思議な共時性を体験するようになった。最初は、実父の祥月命日のこと、尼僧が実家で執り行う日とは知らなかったが、実父の命日であることを思い出し、何となくジョスカン・デ・プレを朝から聞くことにしたのだ。後日、実母から供養実施日であったことを聞き、気休めの呪文ぐらいにしか思ってなかった読経の効力を感じた。掛け持ちで回る人気の尼僧と、得心する。
今年2月の雪の日に聞いた〈Miserere mei, Deus〉、更に遡ると選集録音で聴き重ねると格段に心身に浸透し、聖書へ向かわせた曲。為政者の裏切りにより妻を寝取られ、手を汚さぬ殺人としての出征命令、全身に矢を受けて死んだ軍人の話とその後。書かれていることは何を伝えようとしているのか。
今も、私には聖書がどのようなものか把握できていないのが遺憾である。
人が思う時や祈る時、意識的であろうが無意識であろうが、言葉にならないものであろうが、黙示となってでも伝わるし、時空間を超えることは、私には確かな現象なのだ。
ブリュッセル帯同以来、声楽ポリフォニーが好きな私は、宗教曲という感覚で聞いていないことの是非は別として、理屈抜きに好きなジャンルで、ロ―マ楽派は格別。
カトリック総本山の正統性を重んじて、システィーナ礼拝堂に於ける、正統にして世界最古の聖歌隊の歌唱も、当然、是非聴きたい。今後も、博く多くの人と共に、聴き継がれることを祈念して。

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色好みの系譜について興味を持ち、再度、テキストを読み直した。
広く多くの人に受け入れられる読み易い文章、示唆に富んだ内容、有意義なものだった。

「みやび」についての高樹のぶ子女史の洞察と見解から、私も自分の認識を洗い直した。
先ず、広辞苑の第2義には、“洗練された感覚をもち、恋愛の情趣や人情などによく通じていること。”用例には、伊勢物語「昔人は、かくいちはやき雅なむしける」。
私には、何度も反復される警句がある。
P.シェロ―監督『王妃マルゴ』で兄王シャルル9世が吐く台詞「女の趣味も良い」。
人情に通じている事と雅が一致を見る好例が、モリエ―ルやリュリらを輩出した「偉大なる世紀」のヴェルサイユ文化だと私は思った。
息子と社会問題に巻き込まれ、誰の助けもない時、人間の実相を呵責なく書き残した仏文学が、私の疲弊した精神を力強く助け起こしてくれた。そして、進路を決める時の若かりし頃の故鈴木道彦氏(プル―スト『失われた時を求めて』個人完訳)と酷似した点があった、フランス言語学者の娘である自分の定めを悟り、フランスの文豪たちと生きて行くと、今では毎日少しづつでも読むことが日課となった。

在原業平の和歌が物語の芽となり、『伊勢物語』が形成されたとする高樹のぶ子女史の見解に於いて、和歌から展開して、音楽作品も一つの和歌に準じた詩作品とすれば、触れることで個々人の内奥に作用して物語が生まれ、それは記憶の再構築や感情生活の創出であったりする。
最近、気づいたことは、真実と事実または現実は違う場合があると謂うこと。
『伊勢物語』は恋愛を主題とし、主に心情を語り織り成している。私は、恋愛をもう少し眼界を拡げた捉え方がしたいと感じた。恋愛も結婚も人間関係の一つであるから、良質な関係性の構築を主眼とするに至った軌跡が私にはあるからである。

雅が、感情生活の創出の場合、自分がどのように思いを扱いたいかを核とすることも可能。
先日、漢詩も好きな私の作法または営みの代弁と邂逅した。
・悲を美とする
・ただ、悲だけではいけない。悲とともに雅がなければならない。
(彭丹『いにしえの恋歌』)
文学は人の喜怒哀楽の情を表現することを旨とする。(同上)
文字で書くことに限定せず、生活時空間での行為で綴ることも出来ると信じている。
文学を創造する人々は、心を新機軸へ導く力があることを体感した。

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ブックレットには、曲目と見開き4頁の白紙を挟み、ロンド―氏の謝辞と録音デ―タはあるが、楽曲解説はない。silenceと印字がされてある白紙頁、私などは残念ながら何かを感じとるとまでいかないのだが、『源氏物語』の雲隠の巻を思い出した。

ロンド―氏の演奏の印象は、所謂、情知意の均衡がとれた表現。
「作者の死」が実現され、聴き手の感受性によって多様な表情を顕現。真実は硬直した一通りには限定されない可能性を顕現。または、作品の豊穣さを真に伝えることを可能にしている。この豊穣さは、父バッハのたゆまぬ彫琢という一人のものだけでなく、前後左右の世代からの遺産も含めたもの。
静寂とは何を定義しているのか。辞書を引けばわかるように、一義だけでなく、沈黙、静止、秘匿など複数の様相や様態を有する。鏡面や水面がよく、対象や自身の姿写しだすように。また、静寂の度合いを知るには、音が必要。僅かな休符の狭間から、静寂が洩れる。
春山無伴獨相求
伐木丁丁山更幽
(杜甫『張氏隠居 二首』首聯より)

仏言語学者だった亡実父の同僚の故早水洋太郎先生が翻訳されたジャン・スタロバンスキ―著『モンテ―ニュは動く』。この機縁からスタバロンスキーに主にFrance Curtureで親しむようになり、2022年4月10日にジュネーブ大学まで観光に足を運ぶことが叶った。その車窓から目にした、ジャン・ロンド―氏のコンサ―トポスター。その思い出に、本録音を購入。彼の恩師 故ブランディヌ・ヴェルレ女史が「やり過ぎないように」と教導したと記事で読み、本盤では豊富な装飾演奏が聴けると期待した。是非、旋律の包含する美を引き出す装飾を、更に多くの人々に聴かれることを祈念する。
残念ながら、バッハの修正も含めた記譜(ロンド―氏が使用した1740年代の印刷譜)通りかは私には分からない。
簡潔が芸術の美徳とされるが、退屈や食傷とは無縁のロンド―氏の饒舌な演奏を楽しむ時間も持ちたい。特に、孤絶の時空間では、人を生かす活力の放射を浴する。
ジャン・スタロバンスキ―Jean Starobinskiの祥月命日(2019年3月4日)に。

1

名アリア〈アルト・ジョ―ヴェ〉は、本録音が最も好きな歌唱。お薦めする。
(正歌劇『Polifemo』/台本パオロ・ロッリ、初演1735年2月1日、ロンドン、国王劇場)
リヨン帯同時にG.コルビオ監督『カストラ―トFargnelli Il Castrato』を再見して以来、ポルポラを始め、ファリネッリ、兄ボノンチ―ニ、A.スカルラッティら、先ずはナポリ楽派の音楽に傾倒した。音大卒でもない私は、知識不足により鑑賞が頭打ちになる。しかも、オペラよりバレエが好き。オペラ作品を最初から終わりまで聴き通すことが出来るか不安だったが、ポルポラ先生の作品を梗概だけでも把握したいと、一作品を通聴することに決めた。
通聴すると、装飾歌唱が十二分に聴けて大満足、兎に角、何度も聴きたいのだ。ヘンデルに対して、飽くまでも歌で勝負したポルポラの手腕を体感する。
未だに基礎知識不足ゆえ、概要を読んでも、聴き重ねないと把握出来ない水準が私の起点である。
私にはイタリア人作曲家の作品を聴くと、ある傾向がある。自分のケアを始めて、体調が整うのである。また、次から次へとその当時の同時代の新しい作曲家との出会いがあり、耳界や眼界が広がる。とは言え、もともと新しいものにすぐに飛び付けない性向なので、知り得るだけに先ずは留まり、再会まで更に年月がかかるのだ。
今回の購入にあたり、長らく先送りになっていたイタリア語の基礎の学習の見直しや、自分の実力を忘れて買ってしまった未読の本『作詩法の基本とイタリア・オペラの台本』(E. アリエンティ、東京藝術大学出版会)の頁をめくりだした。
亡実父はフランス語の言語学者で、ロマンス語学会にも所属していたから、イタリア語を少しでも学ぶことは大義名分にもなると、不肖の娘は自分に課すことを認め大切にすることに決めた。
ポルポラ先生の高弟ファリネッリの舞台が聴きたかったと叶わぬ願いが禁じ得ない。同時代の詩人ロッリや音楽学者バ―ニーの筆が留めた彼らの人柄にも傾倒、書簡集も読める日が来ることを祈念して。
ニコラ・アントニオ・ポルポラNicola Antonio Porporaの祥月命日(1768年3月3日)に。

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同封リ―フレットや付録ドキュメンタリーも、鑑賞を深化する必見の内容ゆえ、お薦めする。
クラシック専門チャンネル「クラシカ・ジャパン」で視聴して以来、動画と先のDVD『6つのバレエ』を繰り返し鑑賞し愛重している。中でも、〈ハンマークラヴィーア〉のハイライトは、私の原点のように思える程見直すことになる。現代は、様々な恋愛や男女の関係や性描写を視聴する時代で、似て非なるものや自分が求めているものがわからなくなる時、回帰するのである。
ベジャ―ル芸術への傾倒は、私が親から受け継いだもののひとつだが、ハンス・ファン・マ―ネン芸術は私の代に於ける新たな出会いである。
抗うつ剤で摂食障害になり、降圧剤の副作用でパニック障害のような状態になりと、薬害に遭った私には、バレリアンを飲んでも眠れぬ夜があるので、必ず音楽を聞く。薬漬けよりは次善の策と、浴びるように音楽を聴く。
マ―ネン作品は、眼を通して身体で観るというべきで、使用された音楽だけを何かで再聴すると、振付がダンサーと共に脳裡に浮かびあがる。そして、音楽の造りがよくわかるのである。マ―ネン氏が構成主義と付録ドキュメンタリーで知り、得心した。
告白してしまえば、私は感覚や感性で音楽もバレエも鑑賞しているので、舞踊言語である振付をどこまで解しているかわからない。ブリュッセル帯同時に習う機会を得た、ベジャ―ルのダンサーだったピョ―トル・ナルデリ先生が〈第九〉のパンフにて、“一見、何気ないムーヴメントでも、そこから感情を発散させるのが、ベジャ―ルのスタイルです。彼の作品を熟知すると、腑の底から感情が沸き上がってくる感覚を会得できます。”と仰っているのを読み、常々自分の理解や感受に疑問を持つようになった。しかし、映画『王妃マルゴ』は、筋も把握できないまま、確か初回に続けて4回も繰り返し観た程面白かったし、その後、故シェロ―監督がワグナーオペラ等の再興者と知る。
私は、もしかすると、このような鑑賞しか出来ないかもしれない。それでも、諦めきれずに、独学を余儀なくされても、本等で調べたりして、少しでも知識と理解を深めたいと願っている。
夫が、昨年、出張でオランダ国立バレエ&オペラ劇場に立ち寄った思い出と共に。

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「美」

リナ・トゥール・ボネ、他

5:
☆☆☆☆☆
★★★★★

本アルバムには、演奏家による録音企画意図と17世紀欧州に於ける学芸の簡潔な解説がなされている。

初聴から数年間、Nicola Matteis Jr.〈Alia Fantasia〉の録音を探していて、ボネ女史の演奏を選択。旋律線が極繊の美しさ、鋭敏な美しさ、冴え冴えとした楽音が秀抜だった。私は満月よりも繊月が好きな趣味嗜好なので、とても気に入って愛聴。日本の古典華道で謂う、生花(松月堂古流)や立花(池坊)などの作品がもつ気配や雰囲気と通じるボナ女史の演奏個性と私には感じられるのである。
そして、必聴のTr.4シュメルツァーとの再会である。悲嘆や悲愁や憤怒など、愁傷で難しい状態でも触ることが能う優れた癒し手のように感じたのである。ボナ女史によるシュメルツァーの企画アルバムの録音も期待する。
Tr.13ブクステフ―デ〈BuxWV272〉も情感の表現に優れ、新たな耳にしてもらったと感じている。

美は能動的な営みで獲得することが必要、それ故、懈怠の常態化ではあり得ず、理不尽や不条理など醜悪は受動的に得られる。息子と社会問題に巻き込まれて以来、痛感。

ウィ―ン旅行の思い出のひとつ、風に敏感な軍人プリンツ・オイゲンとして、ベルヴェデ―レ宮殿の思い出が強く残っているのは、クリムトらの作品だけでなく、軍人の専門性の一端を体感したように感じたから。庭園でモ―ツァルトの旋律に乗って吹く風を感じた追憶。眺めだけでなく美しい風が吹く夏の離宮。

聴き手に、気付きと解放そして有意義な時間旅行を贈る、奥妙なアルバム。

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…中世からフランス革命に至るまで、音楽は文化や人生の大黒柱のひとつだった。…
…音楽は言葉では言い表せぬものの生きた言語であり、同時代人によってのみ理解されえたのである。…
…われわれはみな音楽を必要としている。音楽なしに生きてゆくことはできないのである。…
(N.ア―ノンク―ル『古楽とは何か―言語としての音楽』より)
先に購入したG.ベ―ム『オルガン作品集』がとても良かったので、迷わず購入。裏切られることのない一枚で安心と満足、このヴェルサイユレ―ベルではよくある事だが、Tr.5〈ヴァイオリン独奏のためのソナタ〉と嬉しい再会もした。リヨン帯同時に偶然動画で知り、すぐに気に入り何回も愛聴したが、録音の選択には迷い、待つことにした。
本盤のヴィオリン奏者はM.ルキエ女史はリヨン音楽院卒、こういう巡り合いが嬉しく、一年の滞在であったが、リヨンの社宅のキッチンで聴いた時の感覚がよみがえる。この借り上げ社宅のオ―ナ―はサヴォアにお住まいだった。渡仏前にも、サヴォア生まれのムファットの作品に耳がひらいて愛聴していたが、この環が繋がった時は、呼んでくれていた気がして、何となく嬉しかった。コロナ禍で、ビザがなかなか発給されなかった頃の話である。
私の両親は表参道にある「地の塩、世の光」を理念とするキリスト教系の大学を卒業、父方の祖母は祖父を亡くした後プロテンスタントに帰依した。祖父母の家は東京の東久留米市にあったが、周囲にはキリスト教の教会が多数あるところだった。それ故、私は日頃は無宗教なのに、キリスト教文化の方が馴染み易く好む傾向があるようだ。
本録音で使用オルガンは、典型的なフランスの装飾を際立たせるとあるが、私に感受できているかはわからない。知識不足で頭打ちの鑑賞から少しでも脱却できる時を期待する。
リヨンから日本へ本帰国前、書店の顧客カ―ドを終了しようとしたら、若い女性店員は「リヨンに戻って来たら、また使えるから」とそのまま私に戻した。今でも財布にお守りのようにこのカ―ドを入れている。リヨン第3大学で教鞭を執った、亡実父の同僚の先生が翻訳されたSôseki NATSUME『Je suis un chat』のガリマ―ル社文庫を買った書店での事。
リヨンの思い出と共に。
ゲオルク・ムファットGeorg Muffatの祥月命日(1704年2月23日)に。

1

購入を決めたのは、アレグリの祥月命日(1652年2月7日)、購入ボタンをクリックしてから、鎧戸を開けると雪が降っていた。日本に大寒波到来の週の土曜日だった。
詩編51章7節を思い出した。
“Asperges me hysopo, et mundabor: lavabis me, et super nivem dealbabor.
汝ヒソブを以て我を浄めたまえ
さらば我浄まらん
我を洗いたまえ
さらば我雪よりも白からん”
本録音は、発売当初から知っていたが、耳が啓くまでは真価が聞こえないまたは響かないので、ようやくアルバム購入なった。時宜を得ると、全身に響きだす。合唱も含めて歌唱の活力に、何回も心身が聴くことを欲する愛聴盤となった。
既に、「全ての告解者のために」と解説されていた、オックスフォード・ニュ―・カレッジ合唱団の録音を愛聴していた。今回は、単品の魅力だけでなく、製作意図に沿って理解や鑑賞を深めたいと願ってのに入手。日本語解説には、期待通り、丁寧な訳注も付記されている。しかし、キリスト教圏の文化の伝統の厚みには、まだまだ知識不足を痛感することから始まる。
また、解説にも登場したスウェーデン女王クリスティ―ナの存在感が増して、ようやくE.カッシ―ラ―『デカルト、コルネ―ユ、スウェ―デン女王クリスティナ』を購入する運びになった。この著作を知ってから一年以上経過。何事も時宜を得てとは思うが、独学は恐ろしいほど時間がかかり、未読の本の数だけ寿命があると思いたい。
今回のアルバム入手から、改めてαレベ―ルのタワレコにおけるラインナップを総覧した。魅力的で意義ある価値ある企画に、本レ―ベルの快進撃の理由と軌跡を知り得た。
今後、更に眼界や耳界が拡がることを期待する。
αレ―ベルの弥栄を祈念して。

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一汁一菜でよいという提案

土井善晴

5:
☆☆☆☆☆
★★★★★

職業哲理とその思想書。一つの食の運動になると良いのではないかと感じて読了した。
この本を偶然webで見つけた時は、本当にホッとした。すぐに買わずに、試読後に検索をかけると動画が数本あり視聴してみた。簡単に気負わずに手軽に味噌汁を作る実演をしていたが、基礎が違うので真に受けてはいけないと思え、一般人が作るとやはり味に難があるのではないかと、私は未だ真似する勇気が持てない。
しかし、土井氏の真意には賛同するし、私自身が救われた。
私は新婚後からクリステルの鍋を愛用、スタートセットから少しづつアイテムを増やしていった。ノンスティックの16cmフライパンを4年前に購入した時、何を作るのに適してますかと販売員に尋ねると「アヒ―ジョなんか良いですよ」と教えてくれた。ところが、私はこの“アヒ―ジョ”がどこのどんな料理か知らないので、軽いショックを受けて落ち込んだ。私はいつも和食の惣菜ばかり作って、おふくろの味だとかいう神話を盲信していてのではないかとか、疑問と哀愁を覚えた。だからといって、料理は重労働、結婚直後からの体力不足に悩む私にはレパ―トリ―の拡充など自殺行為、もっと、パッとした見栄えも聞こえも良い料理も作りたいが、シンプルな和食の主副菜に味噌汁が現実的だった。
この一汁一菜は、土井氏が丁寧に解説している通り、単なる合理性からの和食家庭料理回帰ではなく、綿々と繋がれてきた風土に根差した伝統であるから、次々と生活が好転していくのである。
和食は、2013年にユネスコ無形文化遺産に登録されている。誰もが出来る文化遺産維持保全にもなるから、今日も一汁一菜から励行。来る日も来る日も、自信を持って、御番菜的一品を躊躇いなく作ることにした。

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シューベルト: 歌曲集

マティアス・ゲルネ

5:
☆☆☆☆☆
★★★★★

ドイツリ―トまたはシューベルト歌曲作品で、どれを聴けばよいか迷っている人には、是非お薦めする。
実母は熊野灘をのぞむ町の出身で、獅子岩と絵画的風物詩となる夏の花火大会のほか、織田信長に重用された九鬼水軍を誇らしげに口にする事があった。職業病の一種か、会話の時でも文法にうるさい実父に比して、実母は何かと不正確なので、九鬼水軍とその出陣太鼓「磯部楽打」を久しぶり思い出して調べ直した。九鬼というと、私には日頃使用する胡麻油がすぐに浮かぶが、九鬼水軍を率いた武将九鬼嘉隆、『「いき」の構造』で有名な哲学者九鬼周造を輩出している。
九鬼周造の墓石の側面には、西田幾太郎が翻訳揮毫した、ゲ―テ「さすらい人の夜の歌」(Wanders Nachtlied)の一節が刻まれているとあり、シューベルトが歌曲にしている。
今冬はシューベルトのピアノソナタ全集を聴きながら過ごそうと考えたが、歌曲を聴いて過ごす事となった。
若い頃は、何が良いのか分からないほど趣味嗜好に合わなかった。結婚後、人並みの苦労をし、息子と社会問題に巻き込まれて理不尽の連続、まだ不条理の世界から脱却出来ない。こういう時に、シューベルトが優しく作用する。仏文学そのままの、世間という書物を読み、不肖の娘の後半生は、未読の本の数だけ寿命があると思いたい。
M.ゲルネ氏の録音は迷わず選んだ。動画で〈夜と夢〉を聴いて以来、作品世界の創出力に感銘を受け続けた。
時代がかった古臭い古典歌曲に聞こえがちなリ―ト。心の琴線にふれて響き出すほど好きな曲は少なかった故、迷わず購入した割には、全部聴き通せるか心配だった。
”深遠な解釈”という商品紹介には、販促文としてでなく、心から共感した。越冬準備なしでは春を迎える前に死を迎えるドイツ帯同時の厳粛な酷寒を思い出す。
M.ゲルネ氏が歌うと、シューベルト歌曲を何もかも蘇生させたように聞こえる。現代に生きる聴き手の感情生活に於いて、懐古趣味ではなく、教養主義やブランド信仰でなく、シューベルト作品の変わらぬ美質。特別な日の特別な時間や特別な事ではなく、日常の中で、沈降し緘黙する心情に寄り添い、代弁し緩解してくれる。

夜をこめて草葉の露をわけ行けばもの思う袖と人は見るらむ
新拾遺384 花山院

フランツ・シューベルトFranz Peter Schubertの誕生日(1797年1月31日)に。

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フィリップ・グラス氏の音楽を知ったのは映画『The hours』に於いて、四半世紀前のこと。
それ以来、何回も間欠的に繰り返し私の感情生活に交差していく。それは、深く心身共に疲労し、憂鬱が色濃くなる時である。
私の結婚後の人生で、大きな影響力を持った映画作品は『王は踊る』と『The hours』。前者は多数の豊穣な芸術作品たちと出会うことが出来た。後者は、人生に疲れ白けて頽廃的虚無的な状態になった時に再会し、自分自身を取り戻してくれる。また、ヴァジニア・ウルフとの邂逅。あの絶筆の遺書は、私には最も美しい恋文として金字塔である。
グラス氏の音楽は、私には日常の心の様相そのものである。日常から乖離したものではなく、平凡とも言える日常の時間が表現され代弁されている。
週末はどこに行こうか何をしようかと考えると浮き浮きする夫と私は違い、息子と巻き込まれた社会問題の後遺症からいつ回復出来るのか、日頃は努めて感じないようにしている絶望感と、幽愁が溢れ出ることを抑える毎日。不条理とは何かと哲学的回帰など不必要、常に事欠かない事例の連続の日々。「復讐するは我にありVengeance is mine」、二次被害なき復讐こそが生きがいであり、祈りなのである。
孤絶した毎日、同じ作業を繰り返しながら、不安に覆われると、すぐに保留にして先送りにするしかない心境。P.グラス氏の音楽は、それでも肯定し、生かす力があるように感じた。目前の家事が次々とこなせるように自律神経が調う。

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シュ―マンとブラ―ムスの違いを感じる好企画。日本語字幕付でもブックレットには歌詞が付いていないので要注意。
デュッセルドルフに所縁のある二人の作曲家の理解を拡げるために入手。ドイツ帯同にて、デュッセルドルフ隣接都市に住んだことから、特に意識して聴くようにしている。
最近、ブラ―ムスが歌曲を作曲していることを知り得たが、どれが良いのか迷っていた。偶然、配信されて来た動画で視聴。安定した歌唱のDiana Damrau女史なので、聴いていて気に入った。
しかし、私は、恋の詩は和歌、歌曲はフランス宮廷世俗歌曲Air de courtが心情や性向に合う。仮借ない詩を、醒めた態度で表現する歌い方がピタリと合うので、繰り返し愛聴する。恋愛の熱気を発散して、高揚そのままで歌いあげるような詩や歌い方は、何故か共感しない。浮気や多情の推奨ではないが、相手の心が永遠に続くとか、変わらぬ恋情や愛を誓うとか、溢れる幸福感だとかいう、直情や熱情や陶酔そのままでは愛聴に絶えないでいる。
それ故、正直なところ、ドイツロマン派恋愛歌曲は、共感できるとは言い難くて辛いものがあるが、シュ―マンとブラ―ムスの歌曲は、伴奏のピアノの美しさに傾聴する。
ブラ―ムスは、後期ピアノ作品を愛聴しているので、歌曲でも同様に発揮されていると感じて嬉しいのは当然。シュ―マンは、ピアノ作品は殆んど聴かないのに、歌曲になるとピアノ声部の美しさが際立ち、歌詞や題名の趣味の良さ、クララとの熱愛を納得させることに驚嘆する。
今は録音技術も媒体も優れて、聴きたい時にいつでも聴けるが、二人の存命中は、やはり歌手たちが歌う演奏会でしか聴くことが出来なかったから、邦訳歌詞字幕と共に表情もよく見てみたいと映像ディスクを購入。
ブックレットには、是非、ドイツ語原文歌詞を掲載して欲しい。訳は飽くまで理解の補助であって、詩に使用されている言語の単語とその発音、その歌唱表現が知りたい。確かに有名な作品なので、webで検索すればドイツ語もわかるが、わざわざ買う理由や価値が減じてしまう。聴き手に良い時空間を、充分な対価となる商品提供をしてほしい。
ドイツでは、セルフケアや家事技術の基礎を知ることで、健康を回復したことから、故郷または母国くらいの気持ちを持っている。ドイツ人のヘアメイクも好きだった。
親愛を寄せて。

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〈スキタイ人の行進〉を聴いて傾倒、まとまった曲数を聴きたくて購入。しかし、この一曲の印象と魅力が強くて、他の曲に耳が向かないのか、どんな作曲家なのか今一つ掴めないままだった、久しぶりに他の演奏家で〈スキタイ人の行進〉を聴いて、本録音を聴き直した。やはり、既に手元にあるY.Maugo氏の演奏が聴きたくなり、久し振りに聴き直した。旋律線を繊麗な楽音で弾き描き出せる演奏を好む性向が私にはある。
ロワイエに対する気付きを与えてくれたのは、セリーヌ・フリッシュ女史のアルバム『L'AIMABLE UNE JOURNÉE AVEC LOUIS ⅩⅤ』の曲目から。標題音楽は、大ク―プランや大ラモーばかり聴くため、影が薄いような状態だった。再度、ロワイエについて読み直すと、クラヴサン奏者だけでなく舞台でも重要な音楽家だった。〈Vertigo〉は劇烈でかなり個性的な曲であるし、劇的な〈スキタイ人の行進〉は、何故かある場面が脳裏に浮かぶ。特に〈スキタイ人の行進〉は、男性性の曲だから、当時のロワイエたちの仕事が何となくうかがえ、フランスでは1965年まで夫の同意なく女性名義の銀行口座が持てなかったことまで思い出された。王族の教師拝命だけでなく、コンセ―ル・スピリテュエルの運営権入手と監督及び活動、王室音楽監督拝命や王立歌劇場管弦楽団監督任命など、もっと包括的に知ることが必要と感じた。チャ―ルズ・バ―ニーの辛辣な批判にも疑問を感じた。
クラヴサン曲だけでなく、他の曲種にも耳を向ける機誼となった。
因みに、1755年にロワイエ亡き後、ロワイエ夫人のLouise Geneviève Le Blondが仕事を引き継いでいる。
ジョゼフ=ニコラ=パンクラス・ロワイエJoseph-Nicolas-Pancrace Royerの祥月命日(1755年1月11日)に。

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味つけはせんでええんです

土井善晴

5:
☆☆☆☆☆
★★★★★

手料理への構えや葛藤が消えて、サッと料理が出来るようになるための、読み応えのある人間洞察の論考集。
著者『一汁一菜でよいという提案』をwebで試読してから興味をもち、予告動画などを視聴。土井氏のお考えはわかるが、本著の書名も、「またこんな真に受けてはいけない事を仰っている」と思いながら読み始めた。手料理の復興を主眼にしているのであって、外食や中食へ依存度が高い実情と潮流を食い止めて、家庭料理の苦手意識の壁を取り払うため。
やはり、土井氏の提唱は正鵠を射るもの。
結婚して息子を出産後、体力不足に悩んだ私には、特に料理は重労働。鍋の出し入れが重く、下茹での水を入れた鍋は特に重く、葉野菜を洗うためのボウルの水替えは重く、体が嫌がる。夕食づくりは、日課に於いて困難な障壁で、ご飯を炊き、具沢山味噌汁を作れば、先ずは良いのだからと思い定めて台所に立った。汁も作れず、米研ぎが辛い時は卵サンドを作った。夕食準備時に、野菜を洗い、包丁とまな板で切るところから始めるのは、体力不足の私には年々難しくなった。主婦歴のある女性料理研究家の有元葉子氏や大原千鶴氏たちが指南するように、野菜を切っておく、茹でておくなど、常に前準備しておかないと、実際は継続して家庭で料理を作ることは難しい。これは、男女問わず、自炊が必要な人は等しく必要な料理のコツ。
私が料理を覚えたと感じたのはリヨン帯同時。友人に前準備を教えてもらってから10数年経っていた。スタッキングが出来る大きめの保存容器を買うことで、格段に冷蔵庫が使いやすくなり、前準備が出来るようになって行った。主に野菜を切って炒め、煮卵を作ることや果物を切っておくことだったが、かなり楽になった。社宅は、ポ―ル・ボキュ―ズの名を冠したLes Halles de Lyon-Paul Bocuseへ徒歩10分と近く、月に2~3 回通った。普段の買い物はBioの店で殆んど買うので、ケ―キと精肉を買うことが多く、折角の機会が勿体なかったと思っているが、一年の帯同では、私の性向では様子見が長くて飛びつけないまま。路面の肉の専門店には屠殺の気配がして入れない、チ―ズも日本人の私には濃厚で受け付けない、パンは固過ぎてブリオッシュばかり食べるなど、フランスで食べられるものが私は少ない。日本のお米と卵と醤油の美味を再確認して帰国した。
現在、和食ばかり作って食べている。

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ブリュッセル帯同から日本帰国前に、A.ヒュ―イット「J.S.バッハ ピアノ アレンジメンツ」をよく聴いていた。翌年、夫の異動先の横浜へ帰国した直後の2008年、A.ヒュ―イットのコンサ―ト〈平均律クラヴィーア第2巻〉を東京オペラシティへ行った。直感でチケットを買ったので、〈平均律〉のことなどわからなかったし、ただ座っているような状態だった。会場で購入したCDとDVDを皮切りに、複数の演奏家の録音を聴くようになり、好きな曲が増え、名教師N.ブ―ランジェが指導の始めに使用する逸話なども知ると、鑑賞の質を高め理解を深めたいと願うようになった。
既に複数の録音を整理して持ち、自動車産業に勤務する夫との生活にて、馴染みが良くて愛聴するトリノ出身Luca Guglielmi氏、録音企画意図に共感して迷うことなく買い求めたFrancesco Cera氏、チェンバロ演奏はルセ、現代ピアノ演奏はV.Afanassiev氏とPierre-Laurent Aimard氏の録音も所有。伊人の音楽が大好きで、これ以上必要ないと思えた。
A. ピルザン氏の録音を更に買い求めたのは、調律法「不等分律」を主眼に演奏した点をよく知りたいと考えたからである。予想以上にブックレットの質疑応答形式の演奏意図が分かりやすくて良かった。
〈平均律〉だけ複数の演奏を身銭を切って聴きたくなる理由のひとつは、バッハの彫琢にある。“第1巻は1722年の日付の譜面がかなり良い状態で残っているが、この手書きの譜面には後年の異なる時期に多くの修正がなされており、バッハはかなり高齢になるまで推敲を重ねていたことがうかがえる。”(A.グロックナ―、エマ―ルの録音解説より)
A. ピルザン氏の演奏は、音と音の繋がりが流麗で、かなり稀少な高水準だったことに驚いた。“フレ―ズ毎に、私は音楽上のスピーチを思い浮かべます。…私は多種多様な母音や子音を思い浮かべ、その多彩な響きを楽器で伝えようとします。それはタッチにもフレ―ジングにも明らかな違いをもたらします。そのように最初のプレリュードから最後のフ―ガまで、大きな弧を描くのです。”(A.ピルザン、ブックレットより)。
〈平均律〉鑑賞歴を総浚する機運となった。
繰り返し聴くに耐える愛聴盤。〈第2巻〉の録音も期待する。

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疲れると脳裡に流れてくる曲で、高頻度の曲が、クルタ―ク夫妻による4手のピアノ演奏:父バッハ〈Gottes Zeit〉。
動画で何度も何度も愛聴した。何故なら、寝ながらスマホで聴くことが圧倒的に多かった事と、入手可のアルバムが見つからなかったからだ。
12月に入り、しきりに何回も聴きたくなり、動画を検索していると、偶々、このアルバムが目についた。この連弾用に編曲された作品が収載されているアルバムだった。こういう時、私には天上の故マルタ夫人が教えてくれたのではないかとまで思える。他の曲を見直し聞き直すと、私の苦手な無調の現代音楽が並ぶ。
それでも、これだけ好きな編曲作品だから、買う価値があると思い切った。
案外、一枚聴き通すことが出来るアルバムで、門下生ケラ―四重奏団を愛聴していたからか、馴染みのある感覚すら覚える。ライナーノ―ツを読んでも、残念ながら、音大出身でない私にはよく分からない。いつものように感覚や感性で聴いている。
芸術を愛した亡実父の書斎も、10年ぶりに実家に帰ると、遺品整理も殆んど終わっていた。同僚だった先生方との交流の軌跡、翻訳本2冊とタイプライターで複写された浄書の往復書簡を引き取って来た。2巻目は私のブリュッセル帯同という家族の近況を知らせるところから始まっている。
ブリュッセルから帰国直後から社会問題に巻き込まれて、まだ回復しない息子と、尊属の財産を損壊簒奪されて、不条理の中を生きる。世間という書物を読みながら。
しづかなる暁ごとに見わたせばまだ深き夜の夢ぞ悲しき
(式子内親王 新古今和歌集釈教歌1970番 
詞書「百首歌の中に、毎日晨朝入諸定のこころを」)

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