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在庫わずか| フォーマット | CDアルバム |
| 発売日 | 2015年04月23日 |
| 国内/輸入 | 輸入 |
| レーベル | Harmonia Mundi |
| 構成数 | 1 |
| パッケージ仕様 | - |
| 規格品番 | HMC902206 |
| SKU | 3149020220627 |
構成数 : 1枚
合計収録時間 : 01:16:00
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ドラランド(1657~1726)は、リュリの権力の後継者で、“ルイ14世の信任が厚く、王の晩年の時代には、シャンブルの仕事と同様、シャペルの仕事もほぼひとりで行ったことがわかる。”(今谷和徳・井上さつき『フランス音楽史』より) 大ク―プランが10歳で父親を無くした時、18歳になるまで父親のポストの代理を務めたのもドラランドだった。
今はどのような状況か、私は知らないのだが、当時、4月の風物詩であった〈ルソン・ド・テネブル〉。日本人には馴染みのないジャンル、以下、簡潔で的確な説明を見つけたので御一読を。
“ルソン・ド・テネ―ブルは、17世紀末から18世紀初めにフランスで大流行したジャンルで、聖週間(キリストの受難の時期で、特に復活祭前の1週間)の3日間の典礼で歌われていました。この時期には、華やかな催しやご馳走はもちろん、オペラも上演禁止でした。…ルソン・ド・テネ―ブルは、カトリックの典礼では暗闇の朝課の読誦ともよばれ、本来は聖週間の最後の3日、真夜中に行われていました。けれども、当時のフランスでは、夜を避けて昼間に行われていました。そのため、当時パリに住んでいた貴族たちは馬車を仕立てて、宗教音楽を聞くためにロンシャン修道院へ向かいました。「ロンシャン詣で」という言葉もできたほどで、馬車がずらっと並んで、交通渋滞がすごかったと言われてます。”(関根敏子「講演 ク―プラン時代のパリの地図から見る音楽事情」より、『日本チェンバロ協会年報2019 第3号』)
ブックレットには、トマ・ルコント氏(多分、ヴェルサイユ・バロック音楽センター研究員)の解説有り。
聖週間を迎えて。