カスタマーズボイス一覧

J.S.バッハ: 無伴奏チェロ組曲 ヴィオール版 / ミリアム・リニョル

Myriam Rignolが父バッハの無伴奏チェロ組曲をviole de gambeで演奏したことは、日本発売直後から知っていたが、試聴音源が少なくて逡巡した。
チェロ演奏も気に入る演奏が見つからなかった上、食傷気味で、普段は殆んど聴かなくなっていた。
本盤は、企画が良く、viole de gambeの楽音が私は好きなこともあり、気に入って聴いている。
父バッハは、一つの作品を違う楽器への編曲をよくしているので、viole de gambe演奏は、意義深い。
力強さのあるチェロよりも陰影に富み、M.Maraisのように、情感を香気で表現する響きのように私には感じられる。時空間を金色で満たして変えてゆく。

ブックレットを読み、バレエレッスンで、父バッハの曲は芯まで音楽が浸透するゆえ、体が動きやすかったことを思い出した。
聴いている時でも、父バッハ作品の躍動感や飛翔感が大好きだった。

Viol de gambe奏者のM.Rignolに注目したのは、France Musiqueの動画にて、W.Christieの横で演奏している姿を見てからで、存在感があった。その後、H.D'Ambruys〈Le doux
silence de nos bois 〉の伴奏が耳に残り、愛聴。彼女のostinatoは素晴らしく、心の高まりを自然に、熱を帯びた感じを知的に表現。理性のタガがすぐに外れるような剥き出しの感情的な表現でなく、練り上げられた絹の光沢の楽音で、的確だったのだ。
リヨン音楽院出身であることは、更に私には喜びだった。リヨン帯同時は、コロナ禍でビザがなかなか発行されず、帯同待機中ゆえ、何となく縁があるように思え、心の支えだった。この待機期間に、ドイツ帯同以来空き家にしていた自宅の復旧に横浜から愛知県へ毎週通った。お詫びと感謝の気持ちで、自宅の掃除を始めた2021年6月、向夏の季。渡仏すると、永住したくなることはわかっていたので、一年後に自宅へ修繕のために必ず帰ることを誓った。
Rignolの演奏を聴きながら、20年ぶりに自宅と再会した時の情景を追想した。

〈帰り来ぬ昔を今と思ひ寝の夢の枕ににほふたちばな〉(式子内親王 新古今和歌集 巻第三 夏歌 240番)

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カトリーヌやキャサリンたちさんが書いたカスタマーズボイス

(全96件)

今まで見た映画の中で、最も感動した作品の一つ。初めて鑑賞した時、エンディングクレジットが流れ出すと、ソファーから立ち上がる程だった。そして、何回も見直す作品の一つ。見終わった後に気付きを得て、また見直し、読解を重ねる。深く刻印された場面は多数あるが、最近は、冒頭と掉尾のウルフの遺書に、感銘を受けた。朗読されている内容は、ウルフ自身が本当に書いた絶筆。私が最も優れた恋文と思うものだ。「Dearest」で始まる、勿論、それは定型であるが、本当に「最愛の人」と呼び掛けていることが伝わる。そして、闘病していたのに何故?と、20年近く長い間私には意味がよくわからなかった「I dont think two people could have happier than we have been. これまでの私たちほど幸せなふたりはいなかったと思います。」
グラスの音楽が、ふと流れてくることが多々ある。あの漸進性を顕すかのような、特に背景の弦楽部分が流れてくる。追憶と今の心境が交差して、自分の感情生活の軌跡が浮かび上がってくる。
「物語の構成を伝えるための手段が音楽だと思った」
「情感は必ず音楽によって伝えられる。
画像にも情感はあるが意外にニュートラルなもので、音楽によってかなり左右される。音楽の方向性は宙に放った矢のように作用し、印象を決める。」(P. グラス、特典映像より)
実は、本作品は画像も秀逸で素晴らしい。室内を映し出すカメラの速度や角度と色調が、情景を描写していて、心境によって見え方が変わる、転変の様相までも暗示している。
普遍性を獲得している名作。

以前、息子と社会問題に巻き込まれ、管轄や専門所管と連携という連絡をしていた時、映画『インサイダー』のエンディングの曲は、アル・パチーノら俳優陣の演技や演出と相乗し、他のレビュアー同様、腹からエネルギーが湧いてくるものだった。
しかし、当時の感情の記憶を更に鮮明に喚起する作品が、コレッリ〈バイオリンと通奏低音のためのソナタ ニ短調 作品5 第7-2 Corrente:Allegro〉。息子の中学卒業時に、連携部署の一つへ挨拶に行き、家に戻るために建物を後にする時の情景である。
“中庸と従順の人であるコレッリ”(C.ホグウッド『宮廷の音楽』)が、どうしてこの様な理不尽の衝撃と不条理の情景を、強力に聴き手の無意識下から引き出せるのだろうかと不思議だった。
今も、メディアでは、同じ中学で二人の生徒が自殺したことが取り上げられている。息子の存命に感謝し、自死という故殺でなくなった若いお二人に心よりのご冥福をお祈りする。
“…, mais comme les hommes ne se dégoûtent point du vice, il ne faut pas aussi se lassaier de leur reprocher; ils seraient peut-être pires, s'il venaient à manquer de censeurs ou de critiques; c'est ce qui fait que l'on prêche et que l'on écrit : …
…けれども、人間はなかなか不徳がいやになってはくれないものであるから、我々はそれを咎めることに倦んではならない。人間は、誹謗者というものがなくなったら、恐らく悪くなる一方であろう。だからこそ、皆が説教をしたり書きたてたりする必要があるのである。”
(La Bruyère 『 Les Caractères ou les Mœurs de ce siècle』/関根 秀雄 訳)
ジャン・ド・ラ・ブリュイエールJean de La Bruyèreの祥月命日(1969年5月11日)に。

本作品は、カミュの生涯や恩師とアルジェリア問題にまで目を向けさせ、理解を広げ深める、導きに優れた力作。ネオレアリズモの映画人である側面がよくわかる。
ずっと欲しくて迷っていた。評価が今一つと言う記事を読み、逡巡したのだ。ヴィスコンティ監督映画作品は、大好きなので、当然、何回も見るため入手が必要だが、迷いに迷った。本作品は貴族が主人公でないため、美術が地味に映ったからだ。
しかし、アントニオ―二監督『夜』に出演のマルチェロ・マストロヤンニがとても素敵だったので、思い切りがついた。
リヨン帯同時の仏語家庭教師から、カミュを読むようにすすめられていた。しかし、私はモンテ―ニュ+17~19世紀+プル―ストの仏文学が好きなため、なかなか食指が動かない。
邦訳文庫本は夫の書棚にあり、仏文庫本だけは買っていおいた。
『異邦人』は、高校三年時に通った、名古屋の予備校の春期講習の時に、講師が有名な冒頭を関西弁で紹介したことから知った。国語科でないかもしれないのは、実父の飲み友達の講師ではなかったから。共通一次の問題を事前に的中させた現代文の名物講師は、講義の前半は雑談であったが、不思議と受験勉強に身が入った。二人とも今は鬼籍の人である。
マストロヤンニが女優と海岸を歩く場面、なるほどとわかる、女性がなびく所作である。珍しく、演技に酔いしれていると、水辺の大通りを歩きながら、朝を共に過ごしながら、アントニオ―二監督作品並みに、主人公ムルソーは、「愛していない」と吐くのである。原作で確認しても、「愛していない」と出てくる。これは、難しい作品だとわかった。
飲み口が何ヵ所も欠けたカフェオレボウルが表す凄まじいリアリティ。形式裁判のような法廷の場面。異質感漂う、語る台詞が殆んどないアラブ人たち。
何故、仏文学に造詣が深いとは謂え、伊人監督が撮ったのか?背景や基に、フランス領アルジェリアの現実があったことも一つではないだろうか。あからさな告発ではなく、理不尽を正常化する人権無視の奇妙な感覚世界を、巧妙に文学的手法でもって編み上げた作品を、アルジェリア戦争直後の当時、仏人に撮れたのだろうか。
Luchino Visconti,conte di Modoroneの祥月命日(1976年3月17日)に。

大変良いアルバム。使用楽器チェロとピアノの2方向から撮影された写真が掲載載、簡潔で行き届いた解説に頁が割かれている。選曲と曲順も優れ、家庭的幸福感の汪溢と、安らぎと寛ぎを聴き手に与える。シュ―マンの人生の肝要な点が見直され、重要な人間関係の梗概が把握出来る。解説は、チェロ本演奏者ハンナ・ザルツェンシュタインと音楽家の伝記を上梓しているJean-Jacque Groleauが執筆。
門外漢の私などは、好き嫌いで偏った見方やその時の気づきのままに調べるので、メンデルスゾーンやN.Gadeとの関わりは見過ごされ、ブラ―ムスとクララ、ハイネぐらいしか眼界に入っていなかった。T.キルヒナ―と、ロベルトの死後、一時期恋愛関係だったことも知らなかった。肖像画を見るとクララは所謂面食いでないと思うのだが。細面で儚い憂い顔のメンデルスゾーンが、かなりの実力者であることも今一つ認識不足の迂闊な鑑賞歴だった。
実は、私は、クララが何故ロベルトが良かったのか、最初はわからなかった。肖像画を見る限り、父アウグストの方が私には魅力的に思えた。それが、ブラ―ムス宛のロベルトの手紙を読んでから、分かるようになった。日付は1854年11月27日。この1854年の2月27日は、すでに精神障害を発症していたロベルトはライン川へ投身自殺未遂、その後3月4日にエンデニヒ療養所に赴き、1856年7月29日に亡くなるまで入院生活を送るのだが、その療養所から書いた手紙である。後進のブラ―ムスの作品を詩的に称賛、日常生活でも役に立つ彼に感謝を述べ、包容力と推進力に満ちた温かい筆致だった。(映画『クララ・シュ―マン愛の協奏曲Geliebt Clara』にて、パスカル・グレゴリーがロベルトの症状の一端を正確に超絶技巧で演じているから、是非、御覧頂きたい。)
そして、本アルバムにも収載されている、結婚年にクララに献呈された連作歌曲〈ミルテの花 〉という題名。ミルテの花の写真を見て、趣味の良い人だと感じた。尤も、ミルテの花は、結婚式や花嫁のブーケに使用されるとあるので、単なる花束のセンスとは違うかもしれない。
〈クライスレリア―ナ〉がヒステリックに聞こえて以来、シュ―マンの良さが長くわからなかった私も、漸く、眼界耳界を拡げるアルバムに出会った。ゲ―ド〈エレジー〉、〈見知らぬ国の人々〉の三重奏が、特に美しい。

ランゼッティは、必ず1枚欲しいと思っていた。G.ナジッロ氏の演奏は、『バロックチェロはナポリで育つ』に収載のS.Lanzetti〈チェロのための小品―Grave〉の冒頭をOuthre MusicPV動画で聴き、耳を向けるようになった。懸田貴司氏が師事した事をブログで知り、更に傾聴したいと思うようになった。先の動画視聴の時に、懸田氏とほぼ同じ経験をしていたからだ。「あの人、こういう感受性を持ち、このような反応をするのではないか。」と直感で把握できる暗示を与える演奏だった。それは、作曲家の性格というより、違う誰かなのだが、とても的確に感じたのだ。
本録音は、期待通り、何回も聴くと情感が伝わって来て、共感する。そして、感受性を傷めることなく、重ねて聴くことが能う。柔らかいチェロの楽音に、美しく調和する通奏低音、神経の疲れが緩和され、嫌な気分が改善されていく。
丁度、今、ヴィスコンティ監督作品『異邦人』を鑑賞し、カミュの恩師ジャン・グルニエ『孤島 Les Îles 』を、井上究一郎(プルス―ト研究者の吉川一義氏の恩師)訳で読む機縁となり、不思議と示唆となった。ランゼッティから受ける感情表現の機微は多様で、錯綜する気持ちや複雑な情況を巧みに印象づけていく。“すべてを決定する瞬間といっても、かならずしも稲妻のようなものではない。”“ある存在の啓示は、漸進的にやってくることもある。”(グルニエ「空白の魔力」より)
ヴァンヴィッテリ四重奏団が演奏するマシッティ作品も同様、ナポリ楽派に傾倒する理由の一つが、微妙な情感の的確な表現にある。ランゼッティは、更に、両面価値的表情や内心と相反する局面まで捉えて提示するように私には聞こえる。
本作品は、ウェ―ルズ公=ハノ―ファ―選定侯フレデリック・ブラウンシュヴァイク公への献呈作品であり、Op.1(1736年)は12のソナタから成る作品。師弟で一つの作品を録音しているようだ。弟子の懸田氏が前半の1~6番までを(2011年、ALM)、師のG.ナジッロ氏は後半7~12番を(本録音:2004年、zigzag territoires)録音しているようだ。現代の演奏家の師弟の解釈の違いを聴き比べるのも有意義。ソノリティの違いと、所謂アフェクトの表出と伝達の仕方の違いが、興味深い。
再び現代でも、汎く人々に聴かれることを祈念する。

著者を初めて知ったのは、TV番組『京都人の密かな楽しみ』であった。着物姿で、ささげインゲンを湯がいて簡単な味付けにするのは、「三食作らなくてはいけないから、ぱぱっと簡単でないと」。そして、着物姿で買い物へ。
次にwebで見つけたレシピ「玉ねぎのきんぴら」が、薄口醤油と胡麻油と山椒の味付けだが、とても美味しくて、注目。ご実家は『美山荘』と知り、納得した。
私は、結婚以来、体力不足に悩み、特に30代~40代は周囲の無理解に苦しんだ。料理本も、ピンチの時にと銘打ってあっても、料理研究家は基本的にお元気で料理が好き、少しも私には役に立たないのであった。
一方、手数も調味料も少なくて済み、食材も一つの野菜で作る大原さんのレシピは、本当に私の心身の重荷を軽くしてくれた。
料理は、重労働。鍋は重くて洗うのが辛く、葉野菜を洗うのはとても面倒なのだ。ファスナー付きプラ袋は、食材の劣化が早くて、殆んど使用したくない。ひびが入る土鍋が嫌いで、鍋料理も嫌い。今は諦めたが、精神疲労がとれる功徳からお澄しと味噌汁の出汁だけは昆布と鰹節からと決めていたり、50歳前迄は、止めれば良いのに、茶葉でお茶が淹れたくなる性分で、シンクの手入れも一苦労の悪循環。自分の性格も災いして、キッチンに立つのがストレスだった。今は、出汁パックもティ―バッグも良いものがあり、鍋料理はクリステルの浅鍋で気に入り、下準備は耐熱ガラスの保存容器に助けられ、ようやく快適になってきた。そして、大原さんのレシピとの出会いである。
調子づいて、web上のレシピを走破して見ると、当然日本食の人。お酒が殆んど苦手で、あんかけや野菜を出汁で煮た類が嫌いな私とは、接点があまりない。料理本は、卵と豆腐があり嬉しかったが、さすがに私には手間がかかる手順だった。照焼目玉丼だけは、食指が動き作ると、簡単だがプロのレシピ。いつもの、目玉丼よりも満足した。三河みりんのおかげで照焼好きなので、おやつや体調不良の時にと愛蔵レシピになるだろう。
日本のお米を茲で礼賛。ドイツやベルギーでは、イタリア米に竹炭と昆布を入れて炊いた。フランスはカマルグ米に、塩と白ワインとオイルとロ―リエを入れて炊いた。何回水をくぐらせてといでも、日本のような美味なご飯にはならない。しかも、無洗米はとがなくても良いのだ。日本の美味しいお米で食すのだから、簡単でも本当に美味しい。

自主レ―ベル設立前に、大手レコード会社の担当者に、層の厚い音楽史を汎く聴いてもらうために、モンドンヴィルらの名前を挙げると「知らない」と言われ、知名度の著しく低い作曲家の作品よりも、日本の中学音楽科の鑑賞曲でも採択されている作品を録音した方が良いと言われた話をwebで読んだ。正確な記事内容であれば、採算重視の担当者と音楽家の役割を忠実に遂行していく人の違いがよくわかると得心した。門外漢の私でも、すでに業界の企画と商品化の流れが見える現在、聴き手の私が求めていた仕事が、このAudaxレ―べルでは着々とラインナップされている。
元々、古楽に系統したのはMAK が音楽担当の映画『王は踊る』からだった。ドイツ帯同時にアウグストゥスブルク城の階段コンサートを聞けたことは僥倖、帰国後に、解散を知った。本主宰J.プラムゾ―ラ―氏が、MAK主宰R.ゲ―ベル氏のヴィオリンを名実共に継承していることは、私にも旧くて新しい機運、嬉しい驚きと邂逅だった。
モンドンヴィルは、Wikiを読むと、重要なポストを歴任し、名声と実力共にあったようだが、歌唱曲を聴くのがあまり好きでないため、器楽曲のみの録音を望んでいた。
独学で音楽史を学ぶことは、私の場合、思ったよりも難しく、系統立って知識を蓄積しないと、作曲家と作品が点在したままで、楽派とはどういったものかも、未だ判然としない。出会いのまま、感じたままに鑑賞することが楽しいので、仕方がないかもしれない。
本録音は、すでに8年近く経過してから、ようやく私は入手した。発売後1~2年で取り扱い中止、取り寄せ日数長またはキャンセル、廃盤が多い中、幸いだった。
ブックレットは日本語も併載。輸入盤の殆んどが、英独仏語なので、本当に嬉しい。内容の理解には時間を要するのだが。今でもMAKは愛聴し、その解説は愛読している。本盤も、何度も聴き重ねることに耐え、音楽史理解の深化へと導いてくれる録音であることを願う。

コレッリを寵愛したピエトロ・オットボ―ニ枢機卿への献呈作品。期待を遥かに上回る美しい演奏。装飾音及びDouble(恐らく、和声進行に沿う旋律的即興を加えた変奏)はE.ガッティ氏による。
ヴェネチアの名家出身のオットボ―ニ枢機卿の初見は、この芸術の大パトロンの姓を冠したアンサンブルのアルバムジャケットから。倪下の支援を受けた、ヴェネチア共和国領出身のF.トレヴィザ―ニによる肖像画をデザイン。教会の威厳の標のビレッタ帽と合唱衣装の装着姿と思われる。
父スカルラッティの略歴を見ると、倪下自らオペラの台本を書いていたので興味を持つ。ヘンデルと息子スカルラッティの鍵盤試合は、倪下のロ―マの(カンチェッレリア?)宮殿に於いて。
職歴の内容を未だ掴めず残念。基礎知識不足に加え、自分の関心のある点に傾注して、要点を押えることが疎かなため、全体像や大切な部分が繋がるのに時間がかかってしまうからだと思う。触れた資料の量も不足。
ブックレットの他、高階秀爾『芸術のパトロン』を読む。紙幅からか、オットボ―ニ枢機卿には言及がなく、以下が参考点。“高度に人文主義的教養を備えたかぎられた知識人たちのためばかりでなく、もっと一般的なレヴェルで「楽しませつつ教える」というのが、バロックの基本的な理念のひとつだったからである。それはもちろん、トレント宗教会議(1545~63年)がもたらした大きな成果であった。…「われわれの〈救い〉の神秘の物語を絵画その他の手段で表現することにより、民衆が信仰の条項をたえず思い起こし、心にかけるように教化育成すること」という宗教会議の決定は、バロック美術の発展をうながす大きな原動力となった。“教皇庁の町ロ―マの特殊性は、その実質的な支配者である教皇が、いつ、どこから来るからわからない点にある。…例えば、小さい国に分裂していたイタリア半島においては郷党意識が強いから、新しい教皇や枢機卿は同国人を好む傾向が強い。”
実父の妹の結婚相手、つまり叔母の夫は、化粧品会社に入社し、美術館運営や文化・芸術分野を積極的に支援する企業ゆえ、最後は伝統文化振興財団にて退職を迎えた。理系の人だったので、勤め人として役職を果たしていたらしく、あまり詳しくは聞けないまま、3人とも鬼籍に入ってしまった。
Pietro Ottoboni枢機卿の祥月命日(1740年2月29日)に。

ムファットのシャコンヌを、MAKのアルバム『シャコンヌ』で聴いて気に入った。1663年から1669年の間に、パリにてリュリに師事した流れから、アルバムの最後に置かれ、掉尾を飾っていた。
どのような作曲家なのか興味を持ち、複数の作品を聴いてみることにした。略歴では、姿が殆んど見えなかったのだ。
息子とリヨン帯同のためのビザの発給を待っていた時だった。コロナ禍で、夫は商用のため通常通りのリ―ドタイムで発給されたが、私と息子は夫の出国後に更に半年間の努力と待機をする事となった。見通しがはっきりしない中の1日、キアラ・バンキ―ニや他の演奏家の動画で、昼下がりに腰を据えて聴いた。
ムファットの梗概を見直すと、出生地がサヴォワ公国ムジェ―ヴ、現オ―ヴェルニュ=ロ―ヌ=アルプ圏に属し、首府はリヨン。呼んでくれている気がして、とても嬉しかった。
リヨン帯同中も、Sonata violino solo(Praga1677)を動画で聴き、心の襞に浸透してゆく曲に共感と親しみを覚え、特別な作曲家の一人となった。
日本帰国後、数多くの作品を、せめて《調和の捧げもの》(1682年)だけでも手元に置いて聴きたいと思い、探してみると、入手可の録音は、このArs Antiqua Austriaの演奏しかなかった。少し逡巡したので、更に調べると、1678年から1687年までザルツブルク大司教の宮廷でオルガニスト兼楽長を務め、その期間中の1681年~1682年にロ―マに派遣されて、パスクイ―ニの指導下で学び、コレッリと出会い影響を受けて作曲した作品と知り、決め手とした。
9人の息子を持つ、父ムファットの生涯には、戦乱のための引越や定職を得られなかった時期もあると記されている。ソナタ(プラハ1677年)はその時の作品。夕暮れをどんな気持ちで迎えた日々だったたろうか。
息子の一人ゴットリ―プ・ムファットも作曲家でウィ―ン宮廷音楽家。マリア・テレジアの宮廷で首席オルガニストを務め、フランツ1世やマリア・テレジアらを教えたとして高名な音楽教育家でもあった。
Georg Muffatの祥月命日(1704年2月23日)に。

小倉貴久子女史のジェスティ―ニの録音を入手し、ブックレットで他商品紹介に掲載されていたコヂェルフ。試聴が一曲しか出来ないため、キム・ジェニー・ソジン女史の録音を入手する事に決めた。何よりも、全ソナタ作品が聴けるのだ。コヅェルフは、動画試聴時に一回で気に入ってしまい、ずっと聴いていられるので、迷わず選んだ。
フォルテピアノの楽音、演奏技法も申し分なく、リズムもテンポもタッチも心地が良い。録音場所にスタジオ(?)が多い点が残念だった。使用楽譜は、英国の指揮者及びチェンバロ奏者で英国音楽学者 故C.ホグウッド版。(キム女史の勤務先大学での解説講義 https://youtu.be/w7DmvtDaIjQ?si=tmMC8Uw7gQgGM3kF )
モ―ツァルトの鍵盤作品を聴き比べると、今一つ平凡に聞こえるくらい、ファンになると何もかも良く聞こえるから恐ろしい。しかし、当時、次男バッハ、ハイドンやべ―ト―ヴェンよりも高く評価されたこともあるという解説を読み、少し安心した。
モ―ツァルトとの比較で言うなら、交響曲は父シュタミッツが私は好きであり、フォルテピアノ作品は勿論コヂェルフの方が好きだから、仏や伊バロックの他にボヘミア人の音楽性も好きな傾向があるのだろう。モ―ツァルトを語る人の神の如くの崇拝も、否定はしないまでも四半世紀近く疑問を感じていた。末子バッハの作品の方が、何となく肌に合うこともあり、モ―ツァルト周辺の作曲家も傾聴したい。
モ―ツァルトとコヂェルフの接点も、モ―ツァルトが楽譜出版をコヂェルフ設立の出版社でさせた以外に、職位もモ―ツァルトの後任だった。モ―ツァルト作品理解には、私が言うまでもなく、重要な作曲家ではないだろうか。(久元祐子女史のHP https://www.yuko-hisamoto.jp/comtp/kozeluch.htm
)
聴く音楽史というのは、本当に楽しいもので、師弟関係だけでなく、勤め先や同僚も知り得ると、例えばバッハ親子など、音楽家同士の交誼を知るのも意義深く、耳界が広がる。教会の音楽組織や宮廷の楽団と音楽職位にも、もっと明るくなりたい。
チェコは、夫が工場の立ち上げから関わった、勤務先企業の海外拠点でもある。理解が更に進むことを期待する。

渡邊順生氏演奏『クリクリストフォリ・ピアノで弾くスカルラッティ・ソナタ集』を聴いて以来、クリストフォリ・ピアノの楽音の魅力が好きになった。チェンバロに比べて、響きが柔らかくて心地が良い。しかし、それまでフォルテピアノは、過渡期の半端な楽器にしか聴こえず、演奏も巧拙が判然とせず嫌いだった。
最近入手したビオンディ演奏『ストラディバリウス1690《タスカン》』の解説を読んでいる時、クリストフォリの名前を見つけて、大公子の楽器管理も務めていたと改めて知り嬉しく、初めて訪れた場所で知り合いに再会して和んだ感覚まで勝手に覚えたのだ。
クリストフォリの楽音を更に聴きたいと思い、録音を探すことにした。ジュスティー二の本作品が、現在、ピアノのために作曲された最古の作品とある。日本の演奏家が全曲録音していた。購入には逡巡したが、1995年ブル―ジュ国際古楽コンクールフォルテピアノ部門第1位受賞を決め手とした。動画でも、映像の音響に機材の音が入り質が悪くて残念だが、演奏法の様々な違いが視聴できて有意義だったのだ。
作曲の専門的な優れた点は、私には理解しているとは言い難いが、厚いつくりの丁寧で端正な作品だったゆえ、略歴を調べると、ジュスティー二は音楽家一家の出自でフィレンツェの北西ピストイアにて「1685年生まれ」(←父バッハ、D.スカルラッティ・ヘンデルも同年生まれ)、知名度が日本では未だ低いのではないだろうか?このソナタ集は、寛大王や太陽王と呼ばれたポルトガル王ジョアン5世の弟ドン・アントニオ・デ・ブランガンサD. António Francisco de Bragançaへの献呈作品。ドメニコ・スカルラッティが仕えたスペイン王妃バルバラ・デ・ブラガンサの叔父にあたる。王弟もD.スカルラッティに教えを受け、学芸に優れていた。特にリベラルアーツに頭角を現し、印刷や写本の稀覯本の大図書館も設立し、自らも歴史書を著す。
音楽作品の背景に雄大な歴史あり。当時は、大変高価で王族や極少の富裕層しか所有出来なかったというクリストフォリピアノ。本録音の使用楽器はコピーであるが、往時を偲んで傾聴し、演奏された場所と響きあった繊細な楽音に心身とも傾けたい。
Lodovico Giustiniの祥月命日(1743年2月7日)に。

ここ数日、入手したばかりのビオンディ演奏『ストラディヴァリウス1690《タスカン》』を聴いている。人間復興運動ルネサンスの発祥地フィレンチェでは、バロック期の当時どのような実情や実相であったのだろうか。ルネサンスについては、残念ながら、私は故渡辺一夫氏の2著作と『エセ―』以外知り得ないので、未だ蒙いのである。“自由検討の精神は、(略)、ギリシヤ・ラテンの異教時代の学芸研究を中心とした《もっと人間らしい学芸》に心をひそめて、キリスト教会制度の動脈硬化や歪められた聖書研究に対して批評を行った業績だった…”“ユマニスムという字は、(略)、歪んだものを恒常な姿に戻すために、常に自由検討の精神を働かせて、根本の精神をたずね続けることにほかならないのではないか…”(渡辺一夫)
息子が小学5年時から社会問題に巻き込まれて以来、人の負の実相に接することが多い。終わることなく無知や冷淡の害を払拭しながら生活を進めることに腐心する。昨日も、そのような日であったが、先の録音の1曲目を聞き始めて聞き終えるまでに、心の痛みが綺麗に癒えてゆく体験をした。そして、誕生日の今日はヴェラチ―ニの作品をまとめて聴く日とした。作曲家も、存命中は様々な葛藤を経験していることを改めて知り、優れた音楽家の力量を知るのである。理屈ではなく、言語でなく、名医の如く、心や神経の消耗や損傷を快癒してゆくのである。
Francesco Maria Veraciniの誕生日(1690年2月1日)に。

アッカルド氏が演奏するストラディバリウスの楽音が魅力的だったので、クレモナのヴァイオリンに興味を持つ。中でもアントニオ・ストラディバリの製作した時代は、音楽史のバロック時代であり、バロック・ヴァイオリンを製作。それ故、バロック奏者による、当時の演奏法による、同時代のイタリア人作曲家作品で、楽音を新たに聴きたいと思っていた私には念願かなったアルバムである。しかも、イタリア人バロック・ヴァイオリン奏者による演奏。一点だけ残念なのは、録音場所がコンサートホ―ルだったらしいこと。やはり、教会や宮殿での演奏を録音したものが聴きたかった。響きの相が違うのだ。現在の所蔵がサンタチェチェ―リア国立アカデミアであることから、所在地ロ―マでのコンサート企画だったからだろうか。アッカルド氏演奏の楽音が魅力的だったのは、教会での録音も寄与していると感じる。
日頃、専らバロック音楽ばかりを聴いている。気付きを与えて音楽史や世界史へと導いてくれる演奏(E.ガッティ『ピエモンテの真珠』)は、私をトリノ旅行にまで連れて行ってくれ、C.パヴェ―ゼも知り得たのだ。ところが、楽器については、勿論ストラディバリウスという名前は知っていたが、私の性向では、騒がれていると流行のように思え、懐疑的に見て距離を置き、詳しく知ろうとしなかった。チェンバロのルッカ―スと違い、単に名器ぐらいにしか認識せずに迂闊な鑑賞歴を重ねてしまっていた。バロック期のヴァイオリン作品はイタリアに限ると思うくらい好きでありながら。
傾倒すると何もかも良く感じるようで、関連動画ではイタリア語まで心地よく聞こえてくる変化には驚いた。若い頃は、イタリアオペラがけたたましく聞こえて、イタリア語もヒステリックに聞こえて苦手だったというのに、この変わりようである。(youtube Scrollavezza&Zanre『Fabio Biondi plays the “Tuscan” Stradivari』英語字幕付)
優秀な作曲家のみならず、楽器製作家も援助、楽器の向上発展にも多大な貢献をしたトスカ―ナ大公子。音楽好きの御夫妻で、御自身もチェンバロとフル―トを演奏した、トスカ―ナ大公子妃ヴィオランテ・ベアトリ―チェ・ディ・バヴィエ―ラ Violante Beatrice di Bavieraの誕生日(1673年1月23日)に。

日頃から、愛聴盤や音楽史への理解を進める録音を探しながら、潮流が芸術性より商業性?と感じていた。食傷にさらされ、価値が低減し、堆積赤字のような出費が嵩むこと、つまり精神的栄養失調を
懸念しなくてはならない。
ジャケットに複数のスポンサーが掲載されているものを私は多数所有している。やはり芸術は採算が不安定でお金のかかることだから、遡れば古代ロ―マ初代皇帝アウグストゥスとマエケナスやメディチ家など、保護育成は伝統活動なのだ。しかし、企画意図が半端なものは、物足りないし、精神の糧にはなり得ないから、入手対象にはならない。綺麗事や正論とは別に、趣味嗜好と感受性により選ぶものも違う。
この度、バッハ〈無伴奏ヴァイオリン〉の録音を探している中、S.アッカルド著『アッカルド|ヴァイオリンを語る』を読む機会を得て、マスタークラスの映像も入手可、録音演奏と合わせて多面的に鑑賞する機会に恵まれた。正直に告白すると、バッハ演奏はグリュミョ―の方が好きだが、楽音に惹かれての鑑賞となった。クレモナやストラディヴァ―リを詳しく知りたいと願ってのことである。
本品は、楽曲分析を期待した私の希望とは違って、専ら技術指導が収載されている。封入解説は、アッカルド氏の文章で、最後の締めくくりが“Senza la tecnica non puoi esprimere quello che hai dentro/ Without technique you cannot express what you feel inside. ”となっていた。
教育力を感じたのは視聴後の気付きからだった。生徒たちは、指導を受ける前後に、当然、演奏の練習だけでなく、楽器などの手入れから、時間や物品や生活の管理について、切磋琢磨して高水準なのだろう。教授から具体的な指示がどのようにあるかはわからないけれども、演奏練習以前の水準が先ず違うのだ。
イタリアの他分野の巨匠たちも、この不文律の非言語的教育力が非常にあることを、G.アルマーニのショ―を見た時に感じた。
繰り返し視聴して、私も日常をより良い生活に改善して行きたい。

仮眠から目が覚めても起き上がれなくて、ベ―ト―ヴェン第9第3楽章で管弦楽団を聞き比べをしていたら、フルトヴェングラー指揮の演奏は、テンポがゆっくりでありながら、哲学的な楽曲分析だからか、よく聞かせる名演奏だった。私が寝室に使用している和室も吸収して記憶が残るほどの不朽の名演なのだ。その不思議を知りたくて、先ずはWebで調べた。シェンカ―の誕生日(1868年6月19日)のことだった。
フルトヴェングラーは、妹が哲学者と結婚していて、父親は考古学者だった。日本では、かつて”フルヴェン“と呼ばれ、別格化されていた。私は、理屈っぽい雑談が苦手なので、蘊蓄を傾けるのが好きな集まりは何となく避ける傾向がある。それ故、この別格化がどういうものかは触らずに来た。御本人については、第一次資料で知りたいのである。
今様は、時代の反映か、スマ―トな仕上げの演奏が少なくない。私も、気忙しい生活を相変わらず送っているからか、テンポが早めの演奏や、磨き抜かれた楽音が心地よい場合が多い。
しかし、心身に浸透していく演奏となると、僥倖としか言いようがない頻度で、耳をひらく演奏と愛聴する演奏は違う。
フルトヴェングラーは、『Beethovens Neunte Sinfonie』を読み、著者である音楽学者シェンカ―に深く共鳴し、自分が指揮する古典作品をできる限り、シェンカ―と共に研究した、とあった。
“良心の重大な責務として、いかなる誤りにも立ち向かいたい。誤った道が残されている限り、真実の描写だけではまだとうてい人々の役に立たず、充分でないのだろう。”
“我々は、精神的盗賊騎士❲Raubritter❳に溢れた厳しい時代に生きている。”
(ハインリッヒ・シェンカ―著『ベ―ト―ヴェンの第9交響曲[分析・演奏・文献]』より)
序文以外は私には難読だったのが遺憾である。
本盤をブリュッセル帯同時に専門店Marksoundで購入してから約18年後の出来事だった。
ハインリッヒ・シェンカ―Heinrich Schenkerの祥月命日(1935年1月13日)に。

初めてバッハ〈無伴奏ヴァイオリン〉を買ったのが、このミルシュタインの録音だった。約18年前のブリュッセル帯同時に、Stockel駅近くの専門店Marksound(Sonamusica併設)で、当時はクラシック音楽について殆んど知らないに等しかったから、何となく購入を決めたアルバムだった。店の品揃えが良かったからということに尽きるが、偶然からミルシュタインの演奏によりヴァイオリン作品への私の耳は作られたのかもしれない。しかしこのアルバムは、ベルギーの曇天の下で聴いたせいか、陰鬱で好きとは言い難いものだった。
この度、〈無伴奏ヴァイオリン〉の録音を探すにあたって、手放したことを大変後悔して、再び手元に置くことにした。実母が、県公舎に住んでいた頃に交誼があった当時の名フィルのコンサートマスターだったヴァイオリニストに、シェリングを薦められていた事と、音楽性はグリュミオ―の方が私は好きだったこともあり、私も所有をシェリングの録音だけに整理したからだった。昨年末からの数週間、愛聴したい録音を探していて、偶然アッカルド氏の録音を聴くと、新しい出会いの演奏となり、ミルシュタインにも師事していたことから、再度聴き直した。
購入直後は、超絶技巧という紹介に神経が払われて、あまりよく聴けていなかったと思う。販売促進用語のような「超絶技巧」とは違い、本当にテクニシャン奏者で、今は聴き直す度に、こんなに凄腕だったかと、今まで何を聴いていたのかと思う。
父バッハは、装飾も音符にして記譜したと何かで読んだので、早計でもバロックヴァイオリニストの演奏にこだわらずに、再度選ぶことにした。
アッカルド氏の著書『L'arte del violino』に“ミルシュタインは卓越したヴァイオリニストで、高齢にもかかわらず自分の時間とエネルギーを賢明にコントロールしているために、異例の若さを保っている”とあった。初めて本品を買った時、確か健康管理のために通っていたバレエレッスンの翌日だったと記憶している。慢性の体力不足もあり、レッスン前後に色々と準備をしなくてはと、気付きのままにケアをしていた日々を思い出した。同列には考えられないが、やはり聴くことで人生の大先輩に教えられることが何かとあったのだと思う。
Nathan Milstineの誕生日(1904年1月13日)に。

夫が海外赴任中の一時帰国で在宅すると、食事づくりは勿論、洗濯にも追われる。物の管理と時間管理は直結して睡眠不足を招き、今使うものだけにしないと、今もっともリスクの高いトコジラミだけでなく、虫害があるため、常にこまめな掃除と整理は必須。家事は、生活や生命のエッセンスでありながら、日常の卑小な些事で成り立つため、やらなくても良いような錯覚まで覚える時がある。つまり後回しにしがちなのだ。私は、結婚の初期は夫の帰宅後のケア、次に息子の心身のケアに専心し、ついに最近は自分のケアまで重い課題となり、掃除を始めとする家事が、今も大変な比重を占めている。掃除が行き届かないと、夫と息子は咳をしだす。
冬の過ごし方も、ドイツで覚えた。湯たんぽを使うと、殆んどの不調が回復する。水分補給はことのほか重要だったことを思い出す。いつも、ロウソクで保温したティ―ポットを常備していた。今は、ペットボトルで飲む頻度が増えて、何かの指標ではないかと危惧の念を抱いている。日没が早く夜明けが遅いドイツの長い冬、室内の燻蒸と芳香浴に、酸素の消費が少ないランプベルジュを常用した。極寒の地では、窓を開けての換気が滞りがちで、酸欠気味になるため、キャンドルだけでは体調不良を招いたのだ。
私は生活の基礎をドイツ人に作ってもらった。ドイツ帯同時に、ドイツ人に教えてもらったのだ。
NHKドイツ語テキストの切り抜きも差し挟んであり、気に入って何度も読んだこの本は、出版直後に書店で買った記憶がある。一昨日、夫を勤務地へ再び送り出した直後から、読み直した。ドイツの静けさ、神経を回復させる静寂、深い精神性、著者の血筋と人柄が綴るエッセイは、心地の良い家にして行くエネルギーを浸透させ、物の管理の勘所を的確に教えてくれる。物の処分は、使い捨てと違い、難しいのだ。
レフォルムハウスのこと、クナイプのバスソルト、日本に本帰国しても、ドイツ人に教えてもらっていた。
門倉多仁亜さん、ありがとうございます。

待望の『古今和歌集』。日頃、自分と波長の合う和歌ばかりを鑑賞していると、眼界が狭いままで、感受性もひらかれていかないので、やはりこのように通して様々な和歌を知る機会はとても貴重。特に、他の作品との関連を教えてもらうと、読書から享受しているものが倍加する。文学史を知る楽しみは、ここにある。人間関係のように、縦横の影響を知ることは、作品が単体で終わらず、産出された土壌や時代精神等々、幾重にも扉が目がひらかれていく。自分一人の読書では、なかなか得難いのである。
“和歌の復興と復権を果たし、漢詩文に肩を並べる新たな和歌の時代を作り上げる目的の編纂プロジェクト”という点は、『フランス語の擁護と顕揚』から始まる、16世紀フランスの詩人グループプレイヤド派の活動とも共通項があり興味深い。
本テキストでの出会いの一つは、在原業平〈忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや雪ふみわけて君を見むとは(雑下・970)〉の1首。「思ふ思ひきや」の部分を何度も反芻して吟味すると、業平の心情が伝わり、情景が目に浮かぶ。惟高親王は白い寝衣を着ていて、すでに体調を崩しがちで病に罹り、寝たり起きたりの状況の中での謁見だったことが、何となく分かるのだ。この1首は強い思いを包含したもので、衝撃の強さがそのまま伝わって来るのだ。残念なのは、出家前の惟高親王の様子がわからないこと。
「古きを仰ぎて今を恋う」。紀貫之によるこのフレ―ズで傾倒して以来、私は和歌に親しむようになった。息子が生まれて一年後のことで、自宅で読み、20数年後に再び同じ自宅で本放送と共にテキストを読んだ。

アルカンを初めて聴いたのは20歳の時。
音楽のことなどよく知らなかったあの頃は、「この曲のここが好き」という程度で西洋古典音楽を聴いていたので、アルカンの魅力などわからなかった。ショパンやリストとの交流と、演奏不可能なほど技巧的難易度が高いと謂われている点が、印象に残っただけだった。
それから30数年経ち、再々度聴いてみることにした。グノーの祥月命日の前日に聴いたPeter Vanhove『グノーとフランスの作曲家たち』の演奏が心に響き、〈過ぎ去りし時 Op.31-12〉という題名にも心惹かれたからだ。
そして、もっとアルカンの個性が分かるように、まとまった録音が聴いてみたくて探し、本アルバムを選んだ。Laurent Martin氏が、夫が赴任中で、私も一年間帯同し、実父の同僚が長く教鞭を執った大学の所在地でもある、リヨン出身のピアニストだったからだ。聴いていて、郷愁まで覚えた。
本品が届いた日は10月20日、Martin氏が師事したPierre Sancan氏の祥月命日だった。
よく「心が震える」という表現を目にするが、実のところ、どんな感動を指すのか私にはわからなかった。マルタン氏のアルカン演奏は、大きな揺さぶりでなく、微細な煌めきで心を動かし、心の杯が満ち溢れるのである。大味とは無縁、フランスのピアニズムの体現者のひとり。確かなソノリティと、曲の核心を精確に把握すると、こんなにも聴き手の心に響くのかと驚嘆する。アルカンは、「女嫌い」と書き残している割には、非常にmoelleuxなのだ。楽譜からここまで弾き出せるのかと敬服する。
アルカンを聴くなら、この一枚からとお薦めする。
Charles-Valentin Alkanの誕生日(1813年11月30日)に。

“When the Soul listens,
everything living has a speech, …”

Tr.27のGuido Gezelle 「Als de ziele luistert 」の原詩全文と仏・英訳 は、Youtube【Pietro Umbert】〈Als de ziele luistert〉に掲載がある。

「絶対に叶わない願いにも関わらず、Farinelliの歌唱を聴いてみたかったといつも思わずにいられない」と、夫にLINEした10月中旬の日の夜、Yuriy Minenkoが2021年バイロイト・バロックオペラ祭でPorpora〈Polifemo〉Acis役を務めた、第3幕5場〈Alto Giove〉を動画で視聴後、録音歴を調べ、本アルバムと邂逅。
一聴して好きになり、王立美術館へ夫と行った時にロワイヤル通りを歩いた情景が蘇った。
ベルギーは、深い情趣を湛えた国だった。“教会の鐘の音が霧となって降りそそぐ”(『死都ブル―ジュ』岩波文庫、内容説明より)
Tr.2の題名は「秋の気配Herfststemming」、タイミングの良さにも感銘を受けた。
レ―ベル「Pavane」は、1978年ベルギーでレコード専門店 "La Boîte à musique" の店主Antoine de Wouters d'Oplinterが設立。エリザベ―ト王妃国際音楽コンクール受賞者とよく企画。
店舗には、一度だけ訪問したことがある。ベルギ―帯同時の15-6年前、世界最古(?)のレコード店があると教えてもらい、社会見学に行った。目当ての作品名のメモを店員に見せると、直ぐに一枚の商品を渡してくれて、歌手でお薦めはと訊くと、C.Bartorliを渡された。レジで支払を済ませると、「Have a good day!」と老舗に相応しい(辞書には《主に英古》とある)、店から出ての帰途に神の御加護があるような、御護りのようにゆかしい挨拶で快活に送り出してくれた。仏語の直訳であっても、私にはそう思えたのだ。
2013年クラシックセントラルのゴールデンラベル受賞。しかし、すでに取扱不可。地域性の強い良質な録音ほど、定番商品にして欲しい。再販を期待する。
Guido Gezelle(生歿ブル―ジュ)の祥月命日(1899年11月27日)に。

遺作に共通する透徹した視線と空気感。『善き人のためのソナタ』と共通する色調。硬い鈍色を帯びた蒼空、常に曇天のような情景。

芸術家はどのように暗殺されるか。手段は、組織からの除名、無職、困窮から病死で以て緩慢に殺すのである。

ワイダ監督映画作品は、この遺作から見始めた。TVで訃報と上映を知り、岩波ホールへ初めて足を運んだ。ロビーには、過去の上映作品のチラシが貼り出され、私が観てきた映画の殆んどがあり、自分が何によってつくられてきたかを知ったのである。

以下、映画パンフレットから。

”私は、人々の生活のあらゆる面を支配しようと目論む全体主義国家と、一人の威厳ある人間との闘いを描きたかったのです。“(アンジェイ・ワイダ、映画パンフレットより)

芸術とは、生活の重要な要素を見つけることであり、それらの抽象的な複製である。芸術とは、生活から分離したものではなく―その中で機能し、それ自体が不可欠な構成要素なのである。(ストゥシェミンスキ、映画パンフレットより)
ストゥシェミンスキは、1893年に現べラル―シの首都ミンスクにポーランド貴族の息子として生まれる。
妻カタジナ・コブロと、ポーランドに「構成主義」をもたらし、ウッチ美術館を創設、前衛美術運動を進めた。私生活では、一人娘ニカがいるが、宗教観の違い等から別居。コブロは、自身の作品を全てウッチ国立美術館に寄贈したが、造形芸術家協会への入会は認められず、生活は困窮を極め、貧困のうちに病死。(加須屋明子 背景解説、映画パンフレットより筆者まとめ)

高名な美術家夫妻は、不遇の死を迎える。“戦後のポーランドの社会主義政府が実施した意図的な政治活動”(映画パンフ)も、不条理という哲学的な言葉では何となく高尚な人類史の足跡のように聞こえるが、そんな深慮遠謀なものではなく、要するに無分別で滅茶苦茶だったのだ。

音楽は、アンジェイ・パニフニク。同様に、迫害され、英国へ亡命。ワルシャワ蜂起で、最初の30年にわたる作曲作品の全楽譜を失うなど、歴史に揉まれた軌跡を、HPや録音や動画等で幸い知ることができる。
芸術グループ「a.r.」のメンバー、詩人ユリアン・プジボスを、クシシュトフ・ピエチンスキが心に残る好演。

ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキWładysław Strzemińskiの誕生日(1893年11月21日)に。

実母の生前形見分けである古いポーランド映画雑誌の保管場所を見直したのは、11月2日夜。代表作『灰とダイヤモンド』をまだ見ていなかったので注文した。主人公がごみ捨て場で悶絶死する写真が凄絶で、長い間見るのを躊躇っていた。
物心ついた時から、実母が「ワイダ監督」と口にするのを聞き、その響きに崇拝を感じていた。しかし、私がワイダ監督作品を初めて観たのは約半世紀後で、訃報と遺作が岩波ホールで上映されることをTVで知り、足を運んだ。
スト―リ―は、ポーランド史の複雑さそのもので、私のように台詞以外に神経が行く人は、梗概と解説を読んでから観たほうが良いくらいだ。描写や背景も多重で、しかも何一つ看過してはいけないのだ。
主人公を演じた故ズヴィグニエフ・ツィブルスキを調べてみると、イタリアのネオレアリズモの影響を強くうけたポ―ランドの非公式な映画界グループ「ポーランド派」の代表的スタ―とあり、撮影中の事故死(1967年1月8日)まで、年に2~3本ぐらいのペ―スで活動。

実母は、若い頃、ポーランド映画の配給会社に勤務、ワイダ監督来日時に鎌倉へ通訳を兼ねて同行した。
古い雑誌を、実母から貰って約一年後、鑑賞後に初めて頁をめくると、ツィブルスキの写真と記事が掲載されていた。11月2日は彼の誕生日(1927年11月3日)前夜。環が繋がる時は、このような感じだ。

「普通に生きて勉強したい 資格はあるから 工科大学に進学したい」
(ホテルのバ―の給仕クリスティナとの逢瀬のシ―ンで主人公マチェクの台詞より)

息子と小学生時代より社会問題に巻き込まれて以来、親子で失意の日々を過ごし、ワイダ監督作品を何本も見るようになった。私が遭遇した出来事と作品内容は、規模も時代も大きく違いながら、多数の共通項があり、人間の負の実相を知る事となった。
ワイダ監督を日本へ紹介し支援してきた、故高野悦子女史の創立した岩波ホールが、2022年7月29日に閉館。私の手元にある映画ディスクは、殆んどが岩波ホール上映作品。。私の両親は、名古屋シネマテ―クへも通っていたが、2023年7月23日に閉館、終いに足を運ぶことは出来なかった。
人生を共に過ごした映画を、息子へ伝えたいと思いながら、台風警報発令の度に、まずディスク類を二階へ垂直避難させることしか出来ないでいる。

「作者の死」という概念に出会ったのは、『文学批評への招待』(放送大学教育振興会)の第1章で丹治愛講師の分かりやすい優れた解説の中であった。この魅力的な命名と指針は、私の感じていた読書観や経験則から形成された鑑賞観とも合致して、非常に興味を持った。抜粋文も適切で、すぐに吸収されたのだ。そして、全文を読んでみたくなり、書店で手にとると、私の苦手な理屈っぽい文章で編まれたもので、すぐに買うことを躊躇った難読図書だった。
コレ―ジュ・ド・フランスにおける開講講義を本にした『文学の記号学』は読みやすかったのだが、同じ訳者でありながら、咀嚼の労はバゲットとブリオッシュくらい違った。
それでもバルトの著作に魅力を感じ、愛蔵しているのは、文学への信頼と親愛に於いて、見解の一致からである。“文学とは実在なのである。つまり、現実を照らす光そのものなのである。”(『文学の記号学』)
息子と社会問題に巻き込まれて以来、残念ながら、慎重になるばかりで、実効性のある専門家には出会えなかった。「我が家だけ何故?」という呪縛が緩くて済んでいるのは、主にフランスの文豪たちのお蔭である。人間を具体的に教えてくれ、懊悩や愁傷に時間を蝕まれていくことから護ってくれた心強い存在なのだ。
私の両親も夫も、そして私も、文学部を卒業しているのだが、私は半世紀近く、文学の真価がわからないまま生きて来た。実母は、小学生の私と妹を親子劇場に定期的に連れて行き、演劇に親しませ、子供向けの世界文学のレコードが届くと私は結構楽しんで聴いていた。しかし、「その割りには…」という事もあり、特に結婚前までは、小説は娯楽用と思っていたり、映画も心情理解は夫の解説付きだったりした。
割り切れない感情、不条理、人生の深刻な局面、助けてくれる人に恵まれた人は別として、自分で復興していくには文学しか私にはなかった。処方箋があるわけではないので、気付きのままに読んで来たが、不思議と寸分違わぬほど言い当てた文章に出会った。そういうものが古典として遺されて来たのだ。
実母が連れて行ってくれた名演小劇場は閉館、活動母体は存続しているようである。世代交代か、芸術の日常からの衰退していくような、非常事態の正常化はいけない。
ロラン・バルトRoland Barthesの誕生日(1915年11月12日)に。


父スカルラッティの音楽に傾倒すると、
耳が繊細になることもあり、歌唱部だけでなく器楽伴奏も凄く魅力的で、聴き重ねる程、傾きを増す。
細面の若い頃の肖像画からは予想できなかったが、胆力があるのか、夜分に聴くと、演奏によっては心悸亢進する。それほど、劇的な表現に優れ、耳をひらいてくれる音源を探すのに大変苦労する。おそらく、作りが相当な充実で、精緻なのだと推察している。
作曲家解説に、“圧倒的な技量は、教会音楽の伝統的な多声書法を知り尽くしていたからこそ開花し得た”とあり、私に仰ぐ向きがあるためか、どのような作曲家だったのか手掛かりが今一つで、距離がなかなか縮まらないのだ。
本録音を知識や理解が進むことを期待して入手し、愛聴。風雅、優美で流麗な演奏ゆえ、いつでも傾聴できて秀抜なのである。
ブックレットを読んで知った事、ジャケットの絵画にある右から二番目の美装盛服の人は、芸術の後援者フェルディナンド・デ・メディチ。音楽では、自身も音楽家であり、最高の音楽家を招集した。ヴィヴァルディは〈調和の霊感〉を献呈、資金援助を受けたクリストフォリはピアノフォルテを発明。父スカルラッティは、プラトリ―ノにあるメディチ家の別荘の室内劇場のためにオペラを作曲し、音楽的詳細を書簡で緊密に連絡を重ねた。生涯を読むと、微妙で複雑な感を覚えるトスカーナ大公子だが、メディチ家の伝統である芸術の保護・振興という面では優れた人だった。
父スカルラッティの才能と仕事は、簡単に感受できるようなものではないと分かっていても、知識の不足を嘆き、切望を禁じ得ない。
アレッサンドロ・スカルラッティAlesandro SCARLATTIの祥月命日(1725年10月24日)、
フェルディナンド・デ・メディチFerdinando de' Mediciの祥月命日(1713年10月31日)に。

絶望しながら生きる、絶望と共に生きるとはどういうことか。そのような境遇になってみないとわからなかったが、具体的には絶望していることを忘れるように努めて生きるということなのだ。諦め、気分転換や気持ちの切り替えと似ているが、違いは積極的に励行する必要があることと、簡単なことではないという点。絶望と向き合う時に陥る重い身体症状を立て直すのは容易ではないのだ。
私は健康管理に、経験から、薬漬けではなく、音楽漬けを選んで来た。漬かるつもりはないのだが、やはりそのような状態になるのはやむを得ないのだろう。
暗い気分の時は、同じム―ドの音楽が良いとされるが、私は華やかな明るい音楽が聞きたい時がある。ヴィヴァルディの魅力は、私にはやはりAllegroの楽章。旋律は勿論のこと、恐らく当然超絶技巧の演奏家でもあったヴィヴァルディの曲は、ウッチェリ―ニと同様、消耗した神経を回復してくれる。そして、うつ病の治療法のひとつに光療法があるように、太陽のような明るさを心が欲するが如く、ヴィヴァルディの音楽を浴びたくなる。
本当はピゼンデルの作曲作品が聴きたくて探していた時、これといったものが見つからないので、出会いのままに入手。ハイニヒェンの門人となる前に、ヴィヴァルディに師事し、献呈された作品にも当然興味があった。勿論、愛聴盤になり、期待した役割を果たしてくれている。
ヴィヴァルディ・エディションには以前から気になっていたが、今回入手して初めて手稿譜の歴史を知り、素晴らしいプロジェクトに、もっと早く聴き始めていれば良かったと遺憾である。
そして、ようやくフェデリ―コ・マリア・サルデッリ『失われた手稿譜』(フランス音楽書籍賞選出/クロ―ド・サミュエル2023年)を読書中である。:
France Musique L'《Affaire Vivaldi 》de Federico Maria Sardelli-Selection du Prix du Livre France Musique-Claude Samuel 2023, 2023年3月17日
ポーランド王ザクセン選定候アウグスト3世の祥月命日(1763年10月5日)に。

息子の高校倫理の放送視聴で、ページ数が少なくすぐ読めるからと担当講師の推薦図書案内により通読。正確には、完読手前までの頁に栞が挟んであった。訳注の頁にも栞が挟んであったので読んではいたのだ。約7年後、再度、読み直すことにした。しかし、政略結婚による領土併合禁止や常備軍不可以外の内容や通読した記憶も曖昧で、これは紹介が必要な本だと痛感して、並読用に同時に購入しておいた本テキストも読み直した。故人の著作とはいえ、生きている人間同様、誰かの紹介を必要とする本がある。
テキストを読むとカントの人柄が何となく伝わって来るような感じがする上、カント哲学の本質的要素をわかりやすく完結に説明、キ―ワ―ドが各章の最後に1頁づつ挿入されている。
私は、カントと聴くだけで、読書意欲がわかなかったのだが、この『永遠平和のために』は、珍しく読んでみようと思った。カントの他の著作は、題名に壁を感じて閉口する。亡き実父(←言語学者)の書棚の本で、文学作品名は良く覚えているけれども、“演繹法”だとか“弁証法”というような用語の入った題名の類は一冊も覚えていないし、手にとることもしなかった。父の机の最も間近に配置されていたため、結界まで感じた。そして、言葉に対して厳密で厳格な、一種の職業病が思い出されて、カントには食指が動かなかった。
本テキストが優れている点は、カントが感じの良い温かみのある人だと感じさせてくれたこと。親近感がわき、もし聴講が叶ったりしても、「わかりましたか?」などときかれてしまうような、決して優秀とは言えない生徒の私だと思うのだが、抜粋を読むと、ご自宅での講義を受け、熱意に間近で接しているような感覚までした。
机上の空論ではなく、実践の基となる書。ウクライナ情勢が勃発した時に、私が最初に思った事は、製造業に勤務する夫たちの原価低減努力が水泡に帰することだった。平和の希求という高尚な理念よりも、実損を計算するのである。カントが言及している通りであった。
カントに関心を持ち、三批判書から始めると難しいのは、講読を必要する高い専門性ゆえ、『永遠平和のために』から読むことを推進するのが実際的ではないだろうか。しかも、内容は、喫緊で必読図書なのだ。その際、本テキストに紹介してもらってからが円滑。

ヴェルサイユ宮殿の鏡の間に施工されている鏡はサンゴバン社製の仏国産品であることを知ったのは、夫の勤務先企業の取引関連先の一つだったからだ。コルベ―ルが1665年に創設した王立鏡面ガラス建築製作所が起源で、当時ガラス・鏡製造の最先端だったヴェネチアから職人を集めて働かせた。ヴェネチアに「追いつけ、追い越せ」だったのだ。
実は、ヴェネチアについて、私は殆んど知らなかった。音楽史に触れるようになってから、ようやく都市の姿がぼんやりとだが現れるようになった。高校世界史程度では、人名や用語の暗記で止まっていて、本当に知っている水準ではなく、部分的断片的で、人間の移動や営みまで感じることができないままだった。
MAKの録音は、見つけたら購入することを課して来た。最初は、解説を読みながら聴いても、半分も理解出来ていないと思うし、作曲家も作品も知らないことばかりから始まり、しばらくしてから違う演奏家の録音が心に響きだすと、既にMAKで聴いていたという事が殆んどである。いつも、私の古楽鑑賞の基は、MAKから始まっていたと思うのだ。
本商品では既知の作曲家ばかりだが、解説を読むと理解の枠組みの仕切り直しをさせられる感がある。時間のかかる独学ゆえ、梗概のみに終始しており、何とかもっと上手に学べないものかと思う。23年にわたる古楽鑑賞歴で、カントの著作の方が読んでわかりやすいと思えるようになったことは、一種の効用か。
本録音の演奏は、勿論、宮廷音楽を顕現したもので、録音場所を問わず、城内の美しい豪奢な仕事を耳から入れてくれる高雅さ。やはり、古楽で聴きたいのは宮廷文化。
タワーレコードのこのシリーズ企画は、本当に嬉しい。

新宿店に取置を買いに行った時、レジの向かいに、チャイコフスキー〈悲愴〉のアルバムが特別陳列されていたことを思い出す。ジャケットが印象的で、しかし、私の性向で、「今話題の売り出し中」ぐらいにしか思わなかった。指揮者がギリシア出身ということも意外で覚えていた。
ちょうど今、ラモー〈ゾロアストル〉の舞台をディスク鑑賞始めたところで、日本語字幕・解説なしを購入してしまい、予習を格闘するように始めている。Webで調べると、複数の点で革新が認められるとあった。リュリが確立した楽派を守る人々を驚かせるものであったらしい。
しかし、私には具体的にどのようなものか現時点では判然としないので、これから気付きが得られる事を願いながら探ることになると覚悟して就寝した翌朝、偶然、動画で〈ゾロアストル 序曲〉を見つけて聴いた。
楽譜から立体的に読み起こして、エネルギーと熱量の高い器楽演奏に、オペラ作品を概観できるアルバム全曲を聴くことにした。
この器楽演奏の是非は、私は門外漢なのでわからない。ただ、心身に真っ直ぐに届くので、気に入っている。死者も生者も蘇生する演奏が芸術の域なのだ。
そして、フランス文化の特徴を確認するために、『フランス絵画史』(高階秀爾著)の序を読み直し、無為な10数年ではなかったと初めて思えた。
未だ、ウクライナ(英雄4都市含)情勢の戦火は終結しない。歴史を鑑みて、民族気質が死守するため、長引くと考えられるだろう。私は態度表明を求められることがないので困ることはなかったが、両親がボリショイバレエの舞台を見せに私を連れて行って以来、モスクワの芸術家たちから受けた芸術的感動を戦争犯罪人と同列には考えられないのが心情であり、ウクライナの作家や作曲家を愛聴した日々の思い出が戦禍にもまれて複雑な気持ちである。悪者vs弱者のような簡単な構造では当然ない上、開戦前夜の状況も、Webをかなり探したが、真実や事実の真偽を知り得ない。一刻も早く止めて欲しい。“『永遠平和のために』”の実践を希求するしかない。
因みに、新宿店での取置商品は、ベルギー帯同時に通った、ブリュッセルのSctocel駅近くの専門店(Sonamusica併設)がリリースした録音だった。約10年後に、日本でも店主から音楽を買う縁となったと、環の繋がりを覚えたことを回想する。

音大卒でない私にも非常に読みやすく、知識の整理や導入に最適の書。
バランス良く編纂されているので、関心を持ち逡巡された場合は、目次を、是非、春秋社のHPで確認する事をおすすめする。
日本チェンバロ協会の第42回定例会「再々考フレスコバルディ」が一般参加も可だったので、内容をどこまで理解出来るか不安がよぎったが、聴かない方が後悔すると聴講した。講義後に、臨席されていた渡邊順生氏に、御著書『チェンバロ フォルテピアノ』の再販をお願いしたが、出版業界動向を教えて頂き、残念な気持ちで帰宅した。その4年後、この大事典が販売されていた。嬉々としたことは言うまでもない。
チェンバロは、小学生の時にテレビで一聴して好きになった。様々な作曲家を出会いと感性で鑑賞を重ねたが、やはり感覚だけでなく、知識や理解も大切であると痛感し、何故ならアルバムの数ばかりを重ねてという状態となるから、私のような門外漢でも導入書が欲しかった。元々、理論派には出来ていないので、聴き始めると蘊蓄の確認を忘れて聴く性向があるが、やはり聴いては読み、また聴くという積み重ねが当然良いのである。古楽は娯楽のみならず学芸の範疇の音楽で、学究と音楽性が不可分なのだと拝察する。
特にフランスと親和性が私はあるので、フランスの作曲家たちのチェンバロ作品を聴くことが多く、その魅力は他の音楽辞典(U.ミヒェルス編、白水社)の説明通りである。:
(バロック時代のクラヴィーア音楽において)“フランスではチェンバロ(〈クラヴサン〉)が支配する. (中略)
演奏は繊細かつ優美で,記譜通りではなかった.〈不等奏法〉(〈不等音符〉),つまりきわめてこまやかなリズムの延長,アッツェレランド,緩急のニュアンスなど,楽譜には書けない即興的で不規則な奏法が好まれた.”
つまり、端的に言えば、魅力の理由は、一筋縄ではないのである。
今後、この大事典と共に鑑賞を重ねてゆくのが楽しみである。
ジャン=フィリップ・ラモーの誕生日(1683年9月25日)に。

ピアノで弾く〈やさしい訴え〉が好きになり、チェンバロ演奏も聴き、小川洋子小説〈やさしい訴え〉を読み、それと同時にこの曲が編まれている作品集をまとめて聴きたくなり、手元にある本アルバムを聴くことにした。
嬉しい驚きは、1716年にPierre Donzelagueにより製作されたリヨンのチェンバロで演奏された録音だったことだった。リヨン帯同から帰国して、ある種の懐郷の念を禁じ得なかった故と、音楽はヴェルサイユやパリにばかりに集中して、リヨンについてはよく知らないので、少しづつ断片を集めている段階なのだ。
『フランス音楽史』(今谷和徳・井上さつき共著)でラモーについて読み直すと、ラモーは、1713年にリヨンに移り、市のオルガニスト及び音楽家を務めていた。1715年5月は、まだリヨンにいたことが演奏者オリヴィエ・ボ―モン自身によるブックレットには書いてあった。パスカルの出身地クレルモンへ再び戻る前だろうか。
1736年8月以降、総括徴税請負人ラ・ププリニエ―ルが主宰するパリのサロンに集い、活動し、音楽家の中心的存在だった。このサロンには貴族、哲学者、文学者、画家、音楽家が多数集まり、常連にはヴォルテ―ルもいる。
ラモーの〈やさしい訴え〉という曲に、傾倒してから次々と新しい学芸作品に出会い、鑑賞する時間がいつもよりも充実した理由は、彼がサロンであらゆる階層の人びとと交流したからと得心した。私も、このような広がりがとても好きなので、しばらくラモーに関わる作品と共に過ごすことになるだろう。ラモーのチェンバロ作品は、まさしく心の琴線に触れ、耽溺することになる。“18世紀フランスの最大の作曲家と言ってもよい”(『フランス音楽史』)とは、どの様なことか、その一端を体感するのである。
Jean-Philippe Rameauの誕生日(1683年9月25日)に。

は都会に生まれ育ったので、父方の祖母は代々東京23区内の人間でもあり、漁業従事者に接した事がなく、つくられたイメージで覆われていて、殆んど知らなかった。漁業について、実家で話題になるのは、空港建設に伴う漁協との交渉についてであった。担当行政官の奥様と実母は、付き合いがあったため、恐らく本音であろう心労を聴くのであった。
約20年後、私は息子とリヨン帯同から帰国し、殉職のように亡くなられた話を思い出しながら中部国際空港から家路についた。
息子と社会問題に巻き込まれてから、個別の具体的な内容や、程度や規模の差があるものの、共通因子があることやその輪郭が自ずと見えて来て、人間の負の実相を身を以て知る経験であったとわかった。知性または良識の字義だけでなく、本質を知る事となる。堤未果女史は、アンチテ―ゼ「今だけ、カネだけ、自分だけ」で的確に知らしめてくれている。無分別が無知無教養から来るものではない忌々しさ、故渡辺一夫も『ヒューマニズム考』で指摘していた通り。
“地理的に海に囲まれている日本で、海と水産物は、漁業法や地元の漁業組合(漁協)で守られてきました。日本の漁協は大変クオリティーが高く、海という自然の生態系と、人間の経済活動とのバランスを見ていることで有名です。誰かが私物化して大儲けできないよう、持続可能な産業として維持するためにしっかりチェックし合って管理する。あまり知られていませんが、日本の漁協が作った分厚いル―ルブックは、世界でも高く評価されているのです。”(テキストより)
良心的でバランスの良い印象の安部みちこアナウンサー。NHKのHPで“祖父は漁師。父も漁船を所有して、いつでも漁に出られること”とあった。
失われてはいけない人の心の聖域を保持するのは容易ではなく、単なる素朴とは違うのだ。
堤未果女史の本テキストは、 様々な理由で原著の読書が困難な人にも最適。更に多くの人に読まれることを祈念する。
渡辺一夫の誕生日(1901年9月25日)に。

ラモー作曲〈Les tendres plaites〉が好きになり、楽曲解説を探していたら、小川洋子女史が邦題を書名にした小説を書いていることを知り、早速読んだ。
兎に角、楽曲について何でも知りたかったので、迂闊にも恋愛小説ということに注意を払わず手にとり、通読出来るか心配したが、そんなこと無用の秀作だった。
小川洋子作品は、ドイツ帯同時に、ベルギー横異動のために習った仏語の家庭教師の愛読書だったことから、『薬指の標本』を読んだことがあり、久しぶりに彼女のことを思い出した。また、小説の舞台設定が別荘だったので、祖父母が避暑と療養のために建てた八ヶ岳の別荘のことを思い出した。ベルギー帯同から帰国後には売却されて、今は他人が所有している。
この読書は、回想という心の旅行もさせてくれた。心身が不調の日々は、些事や凡事で目の前が詰まってしまい、疲れて荒れた雑な心と手で行うので、全てが雑用を済ます営みになってしまう。そのような疲弊した状態で、この読書はよい休養となり、新たなチェンバロ作品とも出会った。
私は後追いが多いので、既に御存知の方も多いと思うが、ドラマ仕立にしたフランスのラジオ番組も是非聴いて、小川洋子作品の世界(『余白の愛』)を感じることをおすすめする。: France courture L'Atelier fiction, Amours en marge de Yoko Ogawa
小説では、チェンバロの演奏や録音を聴く場面があり、恐らくレオンハルトや武久源造や中野振一郎の録音だが、私が愛聴した〈やさしい訴え〉の演奏は、Jean Rondeau。彼の演奏には語りかける力があり、ラモーのチェンバロ作品へ耳をひらいてくれ、すでに手元にあった他演奏家のラモーの録音を聞き直すことが出来た。彼のデビュー時、レ―ベル会社の称賛を伴う挨拶文が、決して販売促進だけのものでなかったと得心した。
さて、書名にまでなっている「Les tendres plaites」は、複数の邦訳がある。“やさしい訴え”“恋の嘆き”“恋のくりごと”、魅力的な標題ゆえ、自分でも単語の意味を確認しながら、当てはまるであろう様々な状況を思い浮かべた。そして、私も不平をもらすときは、この曲のように言えば良かったのだと後悔している。
ジャン=フィリップ・ラモーの誕生日(1683年9月25日)誕生日に。

日本では、盆と彼岸は先祖供養の特化期間という習慣がある。私は、元々日本の風習や形式に拘らない家庭に育ったこともあり、型通りには行って来なかった。
唯、不思議なことに、この期間が近づくとやはり何となく故人を特に思い出し、準備を考え出す。夫の海外赴任の帯同で、形式はすっかり取り払われて、民族を問わず共通する、故人を偲ぶ心情に則した在り方で行うようになった。
お線香を贈る際も、専門店と相談して決めるが、必ず「お気持ちですから」と謂う柔軟な裁量が前提となっている。
実母は何かと信心深く、僧侶を招いて読経をするが、その費用に私は納得がゆかず、やはりその最初の僧侶は蒸発して係争中。次の尼僧は読経に力があり、不信心の私が納得するものであった。
しかし、更に節約励行の私は、音楽をかけて、聴くのである。不肖となった娘としては、哀愁期間でもあり、選ぶ曲は、ジャン・ジルJean Gilles〈死者のためのミサ曲(レクイエム)Messe des morts(Repuiem) 〉。イントロイトゥスIntroitus(入祭唱)の数小節で、悲嘆を昇華してくれる優しさのある作品で、演奏はヘレヴェッヘ氏とMAKの本録音しか聴けない。
実父の祥月命日は、ジョスカン・デ・プレが聴きたくなるが、彼岸会はジャン・ジルが聴きたくなる。そして、傑作とはいえ、何故J.ジル作品なのかは、出身地がプロヴァンス地方だったからだと思う。実父はフランス語の言語学者、祖父は洋画専攻の中学美術の教師、叔母の夫の勤務先企業が設立した美術館はセザンヌの所蔵で有名。叔母の亡くなった日は、映画『セザンヌと過ごした時間』を観ていた。
本商品は4枚セットで廉価、CD1(要注意:ジャンジルのレクイエムはCD4)にはゲ―ベル氏による解説の日本語訳が収載。
録音の真価を発揮する本商品が、末長く広く多くの人々に聴かれることを祈念する。
秋の彼岸会中日の翌日に。

一昨年10月に息子とリヨン帯同へのフライトのため、羽田空港に接続しているホテルに2泊した。コロナ禍ゆえ、検査をして陰性証明書を取得してからの出発だった。
羽田空港で最も強い印象を受けたのがホテルのフロント前の床だった。ただきれいに清掃がしてあるだけでなく、艶やかな光を放っていて、私の心を捕えて忘れ得ぬ場所となった。そして、私もあのような光を放つ床掃除をしたいと奮起した。
この羽田空港の清掃の要となる女性が伝授する技術が番組となると知り、早速購入。とても役立つので、感謝しながら視聴している。
息子が社会問題に巻き込まれて、親として対応に追われた日々で、気づいたことのひとつに、床掃除が出来なくなることだった。私だけでなく、同じ境遇の他の親御さんも整理整頓が出来なくなったと言っていたことを思い出す。息子が高校卒業後に、本棚裏まで掃除をしたら、埃に黒黴がはえていた。
夫の勤務先企業は5Sという清掃活動を職務の基本としていて、その啓蒙社内紙を家庭でも見えるところに貼っていた。黒黴の除去をしながら、清掃はメンタルヘルスケアとも相関があると、本能的直感で得心し、励行を誓った。
だが、清掃は誰でも出来るように思われているが、実際は薬剤や道具、力加減など、やはりノウハウを必要とする。しかも、重労働で、特に呼吸器の健康管理にも直結している。
新津さんのやり方全てをなぞるのは難しいが、視聴するとすぐに掃除の仕上がりが良くなり、確かな教育力を体感した。
新津さんは、「掃除は優しさ」とも伝えているが、私は「掃除は文化」だと思う。特に日本の伝統文化は、掃きそして拭き清めることが基底にあるように思う。漢字「婦」は、解字が「女+箒(ほうきを持つさま)」と説明され、女性の性周期の行動特徴のひとつに掃除の頻度がある。
生活の質の向上となる、有意義な番組とテキストである。

本アルバムで最も心に残った作品はグレゴリオ・アレグリ〈ミゼレ―レ〉。ルネサンス音楽の多声音楽の秀麗なこの傑作を聴いてしまうと、ロマン派など近い時代の合唱作品が私には物足りなく聞こえる。そして、作曲の基の旧約聖書詩編第51編だけではなく、旧約聖書サムエル記下第11章に記されているバテシバ事件を読むと更にその内容の激甚さが心に刻印される。
ダビデとバテシバの不倫恋愛は、ポッペアほどの野心家ではない印象のバテシバだったからなのか悲劇性の色を帯び、ダビデが人口比で極少の王という権力者だったことから、バテシバ夫妻には恋愛災害による被災となった。
この物語のハイライトはどこだろうか。私には、ウリヤが戦死する場面である。気質も軍人だった美人妻の夫は、職務に忠実だったことも仇となり、恐らく満身に矢が刺さって死んだ。ダビデの奸計を戦場で悟りながら絶命したと私は感じる。
苦労人で、戦巧者のダビデが、王の割には、王だからか、軽挙妄動で、詩編を読むと、音楽家でもあり詩人でもあったダビデの作品に於いては、“ヒソップをもって、私を清めて下さい、私は清くなるでしょう。わたしを洗って下さい、私は雪よりも白くなるでしょう。”と都合よく美しい懺悔の詩の1篇に昇華されている。
聖書を、教養のためにと、端から端まで読むのは困難だが、音楽作品や絵画作品、里中満智子女史の秀逸な漫画などから入ると、人間がよく描かれていて面白い。教条的に読むより、人間ドラマとして読むと、人間の変わらぬ実相に触れて、真価も少しづつ分かるような気持ちになる。リヨン美術館所蔵のヴェロネ―ゼ作「バテシバの水浴」を見ることなく、帯同から帰国したことを我が身の不運のひとつと思う。
本盤は、キリスト教文化理解へ導き、門外不出とされた傑作作品の霊性を損なうことなき名演。

そもそも、芸能とは、諸人の心を和らげて、上下の感をなさんこと、寿福増長の基、遐齢延年の法なるべし。きはめきはめては、諸道ことごとく寿福延長ならんとなり。(花伝書)

「何々の詩人」「詩情ある何々」と、「詩」をつけた称賛や販促文をよく目にする。「詩」という形容も音楽分野では便利な言葉に感じられる。しかし、この「詩」が育み伝え能うには、どれだけの彫琢を必要とするかは、的確に言及されていないことが多い。
ブックレットの冒頭に、“I love delicacy”が仕事の主眼であったことが明記されていた。首肯の瞬間だった。職人技で極繊の美を作り出す音作りに、特にチェンバロの通奏低音、買って良かったと感じながら聴いたからだ。受け手に負荷をかけずに強壮していく演奏、心の皺が直り健やかになる音楽、世阿弥が言う芸術の役割で真価なのだ。心身の歪みを整え、正しい位置にもどし、調和均衡のとれた状態にしてゆく、それ程の作用がある。しかし、全ての演奏家が能うとは限らない。
常に繊細が尊ばれるとは限らない人生を送った私には、必要な時間。“何を食べても平気、何を着ても平気、どこで寝ても平気、そして何を言ってもやっても平気”という人間のつくりが違う人には、兼好法師も友人としては不適としたように、人柄が良い場合は別として、人面獣心のまま人格の陶冶が不十分だと、往々にして、無秩序で混乱を持ち込む、非常にはた迷惑な人たちになりかねない。バロック音楽、特に器楽曲の美質の一つは、この混乱を秩序ある状態へ戻す作用があること(Christine Shornsheim)。
本商品の購入の決め手は、アルバム『ピエモンテの真珠Perle Del Piemonte - Violin Music in 18th Century Italy』が素晴らしい演奏で、リヨン帯同時に長時間の清掃作業でも疲れないことを体験したから。清掃は管理保全業務でもあるが、プロでもうつ気味にまでなる重労働。
深く傷ついた息子には、住空間を快適に整える必要がある。清掃は、気分を左右し、経験則から健康の指標でもある。。息子が暴力的な環境から帰宅すると、家が散らかり汚れを清拭することが難しくなる状態となったことを思い出す。愛ではなく、埃が積もり積もっていくのだ。
鑑賞後も、健康や人生が向上して行くことを期待する。

D.スカルラッティの曲を聴き重ね、上昇のフレ―ズの仰角の情感が魅力的だと気づいた夜、その日はジェズアルドの誕生日だった。
D.スカルラッティの曲は、喩えるなら、
視線の投げかけ方が魅力的というか、顔の角度が微妙で美しい感じなのだ。ポルポラ先生の作品は、気持ちや局面の臨界の動きが美しい。風の動きとピタリと連動している如くのものには驚嘆する。
とにかく、ナポリに繋がる作曲家は強い磁力をもつ抗い難い魅力で、惹き付けられて止まない。
そして、ジェズアルドを聴くことにした。耳をひらく歌唱を探し、本録音を選ぶ。女声高音部が美しく的確だと感じたからだ。声部の重なりや動きも綺麗に層を成し耳に心地よい。歌謡曲が好きな夫に、突然聞かせても「きれいじゃん」と言うほどだ。
私の古楽鑑賞歴は10年以上だが、音楽修辞学など未だに学び得ず、ディスク枚数ばかり重ねる年月となった。蘊蓄より先に聴きながら感じとっていく方が好きなのだが、鑑賞の質向上を願うと理論も大切だ。
“後世の感覚では不協和とも感じられる独特の和声のニュアンス”(CD帯の紹介文より)は、何を表現しているのか。例によって、必要とされる音楽の専門知識に乏しい中で聴いて感じたことは、日常と非日常の境の感覚、気配の切り替わる臨界線、またはその移行に伴う感覚、齟齬から生じる響き、わずかな裂け目から射す光、または皮膚感覚の異なる空気感。つまり、様々な「際」の表現として私には感じられる。
全歌詞が恋愛詩で、正対すると辛いが、多義的にも読める普遍的な表現は心に届く。
ヘレヴェッヘ氏指揮の本録音は、各作品世界の”詩的空間の多層性”(エリス俊子)を各声部の的確な歌唱で美事に表現されていると、私には感じられた。耳をひらき気づきを与えてくれる演奏や歌唱に滅多に出会えないので、当然とするのは躊躇われ、特筆した。
因みに、Tr.14〈その美しい両目の涙を〉を管弦楽向けにストラヴィンスキーが編曲した〈Monumentum pro Gesualdo〉も動画で聴いてみたが、私には圧倒的にジェズアルドの本歌の方が充実していて美しく聞こえる。彼の先進性や普遍的な現代性と特異性からは高い芸術性を感じる。
カルロ・ジュズアルドCarlo Gesualdoの祥月命日(1613年9月8日)に。

吉川一義氏の『プル―スト美術館』と『プル―ストと絵画』の二冊は、読みたいと思いながら、購入を逡巡しているうちに品切れで、古本も高値がつきという状況になり、ずっと後悔と渇望していた。この度の新書版は、本当に心から嬉しかった。
本書は、先の二冊を整理統合して新たに1章を加筆したフランス語版『Proust et l'art pictural』の三著のような考証と構成を排して、絵画を手がかりに、『失われた時を求めて』の重要な主題を読み解き、そこからプル―スト文学創造の特徴を浮かびあがらせようとした、とあとがきにある。
複数の邦訳の中から吉川訳を購入した理由は、絵画図版が多数収載されていたからだった。まだ高名な世界的権威の研究者と知らず、一冊づつ美容院に行く際に買って帰宅した。すぐに読めばよかったのだが、楽しみを後回しにするような感覚で書棚にしまってしまい、大変後悔している。小説を読む準備ばかりして、未だに完読出来ずにいる。“長いといっても、二日の休みがあれば一冊は読める”という訳者あとがきを思い出しては、再開を試みるも、家事などを途中挟むとそのまま止まってしまう。ほんの数行読んでも面白いのだが、引っ越しが続いたこともあり、なかなかまとまった時間がとれないでいる。読書家にきくと、休日以外は通勤電車内で読むと教えてくれたが、私はまだ1日のなかに組み込めないまま忸怩たる思いで10年近く経つ。
しかし、吉川一義氏のプル―スト関連の単独著作は殆んど全て完読している。やはり、日本人研究者による日本語の著作であることと、何よりも自分では気づけないまたは知識不足で能わない読みとり方や視点を教えてもらい、その箇所と導きに目から鱗が落ちるからで、最後の頁まで進むことが出来るのだ。無理のない解釈と説明、これ以上ないと言う程行き届いた内容と分かりやすい文章。小説と併読すると、プル―ストの文章が鮮明に読めるようになる。
新書は手頃な価格で、携帯しやすく、本書は未読者への入門を主眼の一つとしてつくられている。少しでも関心を持ったら、是非、迷わず読むことをお薦めする。

独弦による幽独礼賛
“Solitude is to the mind what food is to the body.(Lucius Annaeus Seneca)”(Tr.4,
p.23)
このアルバムを購入した日は、イ―タロ・カルヴィ―ノが編み上げたチェ―ザレ ・パヴェ―ゼの生前未発表短編集『祭の夜』(岩波文庫)にて、一編を通読した翌々日だった。商品到着後、メディア・ブックを読むために、先ずPVで心に響いたJ.S.バッハ〈BWV1003〉(CD2Tr.7)の頁を開くと、パヴェ―ゼの抜粋があり驚いた。そして、最初の頁から読み始めると、パヴェ―ゼの言葉が多数掲載されていて、嬉しい驚きだった。
リヨン帯同時に、念願が叶ってイタリア旅行をした。「昔は、グランド・ツア―といって、貴族の子息はイタリアへ勉強しに行ったのだから。」と息子を口説いて連れて行った。トリノでは、パヴェ―ゼが姉夫婦と住んでいた建物内の宿泊施設に泊まった。日本へ帰国直後に、必ず通読可のために短編集を買っておいたのだが、半年後にようやく読めて本当に嬉しかった。
それ故、不思議な繋がりを感じるアルバムとなった。邦訳のパヴェ―ゼ文学集成は、殆んど品切れのうえ、古本で購入しても、一揃えとなると趣味ゆえに躊躇していた。本アルバムで、抜粋だけでも、ある程度まとめて読む機会に恵まれたのだ。しかし、一読二読で真意が掴めるようなものではなく、手元にある文庫等の解説を読んでは、アルバムを読み直している。
今回の録音で、Enrico Gatti氏は3つの弓を使い分けていた。父バッハとヴァイス作品は、クレモナの職人による2015年複製を使用。BWV926(CD1Tr.3)は、チェンバロ用の作品をガッティ氏が編曲して演奏。心身に深く響く。
本品の企画意図を構成と共に得心体感するには未だ到らないが、A5サイズの本と二枚のCDが、作家等の簡潔な言葉と写真そして音楽で玄奥な時空間が幻出、聴き手の心は逍遙を挟みながら巡るのである。今後、どのように繋がっていくか楽しみである。曲の出典一覧はあるが、抜粋にはないのが残念。
購入を検討している人、入手後の人も、レ―ベル会社のPV(英語字幕付き)は一見の価値がありおすすめ。
チェ―ザレ・パヴェ―ゼCesare Paveseの祥月命日(1950年8月27日)に。

邦訳で『オデュッセイア』を読むために入手。ナウシカアの物語には心打たれ、腰が入った。
息子の高校世界史の学習書の映画案内にあった『十戒』『アレキサンダー』、何故か家にある『トロイ』は、勉強のためと課して視聴したが、私には退屈で見通すのが非常に辛く、特に『十戒』は他の商品を探そうと保管場所の整理のために処分までした。そのため、買う前に非常に逡巡し、シルヴァ―ナ・マンガ―ノがペネロペ役と彼女の御主人ディノ・デ・ラウレンティスが製作、脚本にア―ウィン・ショウとあるので購入に踏み切り、鑑賞後は満足している。
本作品を鑑賞前に、念のため、里中満智子著『オデュッセウスの航海(漫画ギリシア神話第8巻)』も読んでおいたが、ギリシア神話への手引き書としては大変有用だったことも嬉しかった。小学校時代に、青少年向けのギリシア神話の本を読んで以来、遠ざかり、大人になってから原作を読みたくても、中々機会に恵まれず叶わなかった。特に、読書は、静かな営みであるが、かなり能動的な活動であるため、体力や集中力が低下している時に、内容が充実したものは、名文家の著作以外は、読みつき進めるのが困難なのだ。症状が食事と同様なので、やはり精神の糧というのは精神論や抽象概念でなく実在することをあらためて私からも強調したい。不要不急、背に腹はかえられないと、趣味費として家計の削減対象となりがちだが、緊急避難時のような日常ではいけない。厚生省HPにあるストレスケアとして“自分の好きなことができる時間を大切にしましょう。”という推奨を大義として、何とか確保したいものだ。
ホメロスという名前は、比較的耳にしていたが、ギリシア古典文化ということで、何となく高尚さが難解に思えて、不本意にも距離があるままだった。有り難みが縁遠くしていてはいけない。西欧文化の教養基底を身近に親しむ手解きとして、またイタリア映画史を知る機会として、有意義な買い物と時間を過ごしたこと特筆する。

重い社会派の映画だが、瀟洒な仕上がりの作品。後味がよく納まりもよい食事のような、調和と均衡に優れた感覚で扱われた、都会的洗練の肌合いである。Wikiに、監督はレストラン経営者とあったので、得心した。
ラッセ・ハルストレム監督作品『ギルバ―ト・グレイプ』(1993年)『Chocolat』(2000年)以来、ジョニー・デップに注目、出演全作品を見ようと片っ端からレンタルしたが、殆んどの作品が趣味嗜好にあわず挫折して、鑑賞不可のジレンマにあった。
本作『MINAMTA』は、ちょうど離婚関連の裁判中で、宣伝を一見して観たいと思った。製作もJ.デップである。リヨン帯同中、バス停等でJ.デップが広告塔を務める香水のポスターをみて息の長い活動も印象的だった。
日本に帰国後、ようやく公式サイトやPVを視聴し、俳優真田広之の演技「責任をとるまで、今日はここを動かん」には、予想外に感銘を受けた。
夫を口説き落として一緒に鑑賞。
水俣病の原因は工場廃液の含有する水銀であるが、しかし真因は人災である。私が息子と巻き込まれた社会問題も、直接対峙するものは、個人ではなくグループや組織防衛と被害の垂れ流しであった。
感銘を受ける演技は、人間理解の深さや共感の表現であると思いたい。役者や映画を含めた演劇の崇高な役割というものがあるとすれば、やはり人間の負の側面を汎く知らしめて、撲滅してゆくことにあると、私は信じている。17世紀にモリエ―ルが、偽善や欺瞞といった人間の害悪を笑い叩くことで、巨悪に挑み告発し闘ったように。
製作意図がよくわかる公式サイトのジョニー・デップの記者会見映像もあわせて必見。
これ以上、日本国民として日本の海洋が汚染される愚行が繰り返されないことを、環境先進国へ舵取りされることを希求する。

パヴェ―ゼの原作(『Tra donne sole
孤独な女たちと/女ともだち』)と知り鑑賞。
高い芸術性とケ―スの解説にあった。日頃、芸術性の高いものでないと見る価値はないと、夫に唱えている割には、本作品がトレンディドラマの類と何が違うのか、判然としないまま見ていた。登場するどの男女も、幸福な恋愛は一つとないので、不幸の陰りがある恋愛を描くと、高く評価されるのかとまで思った。
ただ、大きく違う点は、台詞を一つ足りとも聞き逃さないように見通したことだった。私の場合、衣装や美術やヘアメイクに目や神経が行ってしまう事が多いので、初見では台詞の見逃しが多く、筋を追うことが難しい。だから、何度も見るに耐えるものしか鑑賞出来ない。筋やスト―リ―展開も、自分の感覚のままに把握していくので、少なくとも2~3回以上見て、漸く話の内容を通して理解する次第である。
本作品は、一度で梗概をつかむことが出来た。台詞が簡潔にクリアカットされていたのだ。台詞だけでなく演技の一挙一投足一瞥が明解明晰だった。
もしかすると、既に評価が定まった高名な監督作品だから、有り難み効果で何でも良く見えるのではないかという疑念が生じたが、途中で飽きて白けてくると事がなかった自分の感覚を信じる事とした。
恋愛の不幸を描いた作品。重ねて観ると、最初に観た時よりも、理知的に精緻に出来ていることを感じた。
日本語では恋愛と謂う言葉は恋に愛が結びついているが、本作は恋愛に於ける悦びと残酷が諸刃の剣のように振るわれる。
ロゼッタの自殺の訃報を聴いた場面より:
クレリア「あなたに責任がある 彼との仲をそそのかしたのよ」

モミナ「クレリア 落ち着いて あなたに関係ないわ この間知り合っただけよ でも私には 」
クレリア「あなたには何? 彼女を理解しないまま 家の鍵を与えただけよ
他人の感情をもて遊んでるわ 感情とはなにも知らないの
恋人に棄てられたら 別の恋人を探すだけの人よ
人殺しよ 分かる?彼女を殺したのはあなたよ」

パヴェ―ゼの邦訳が絶版や品切、再販を希望する。

ミケランジェロ・アントニオ―ニのMichelangelo Antonioni祥月命日(2007年7月30日)に。

Wunderlichを知った時のことは忘れない。クラシカジャパンで彼の特集番組を視聴して興味をもった。
それだけだなく、その直後に、ランベ―ルに耳がひらいたことは大きな出来事だった。Francemusiqueの動画に於いて、シリル・オヴィティとポ―ル・アグニュの歌う〈Vos mepris 〉に耳が傾き大きくひらいた。
シュ―マンの歌曲は、ピアノ伴奏部も非常につくりがよく、ピアノの独奏が良いと、歌手がかすみ、ピアノ伴奏より歌手に叙情性が不足すると、違う曲に聞こえる。
恋愛の詩を読むと、白けてくる時が少なくないのだが、ハイネとシュ―マンの共作は、心傾けて聴いている。ハイネが詩人だけでなくジャーナリストであったことに首肯する。独文専攻だった夫の本棚に、『流刑の神々・精霊物語』を見つけた時は嬉しかった。
ドイツ帯同時は、デュッセルドルフ隣接都市に住んだが、ハイネにもシュ―マン夫妻にも関心がなく、帰国後に知る
ようになっていった。耳がひらいたのは、ブラ―ムスの方が先だった。シュ―マンに関しては、音楽より評論と一通の書簡の方に傾き、書籍商及び出版業の息子で、尊父の方がロベルトより魅力的な面貌という方が印象的だった。
老婆心ながら、Wunderlichのこの録音を聴いた後は、他の歌手の歌唱は聴かない方が良い。後者の歌唱を物足りなく感じるからだ。明暢な声と明澄な響きの声質、端正な硬質の美をつくる高い技術、詩の知的な解釈と表現、そして仕上がりの趣味の良さ、シュ―マンの歌曲を他の歌手で聴くことを私は今でも諦めている。
ロベルト・シュ―マンRobert Alexander Schumannの祥月命日(1856年7月29日)に。

ルイ・ク―プランは、なかなか耳が開かなかった作曲家の一人。本アルバムは、Ruckers製の音色を聞きたくて購入。美しい音楽なのに、少しも旋律や作品が耳に残らない鑑賞が続いた。
本録音が心に響きだしたのは、聴き出してから三年後だった。一昨日も聴き直すと、楽音の美しさを引き出し活かすようなフレ―ズ、水光の煌めきの如くその余韻と詩情に魅了されてゆく。
聴いているうちに、この叙情lyricismを感じさせる個性的なフレ―ズは、的確な表現ではないかもしれないが、男性的と感じるようになった。ラモーにも、同様の感覚を覚えた。では、「女性独特の叙情は?」となると、即答できず、「戦争は女の顔をしていない」というエピグラフ(A.アダモヴィチ)及びタイトル(C.アレクシェヴィチ)しか浮かばない。
この感覚は何なのか、手掛かりがないか、再度、Davitt Moroneyによる解説を読み直すと、次の部分が明示のひとつではないかと感じた。
“Couperin's music, as Le Gallois implied, is intrinsically most forceful. A tougher contrapuntal brilliance reinforces its structures. ”
ルイ・ク―プラン作品は、恐らく玄人好みと言われるだけあり、耳界が拡がるような感がした。“According to Le Gallois, Couperin's “style of playing has been much appreciated by experts due to the fact that it is full of chords, and enriched by beautiful dissonances, fine structure and imitation”, ”、“Le Gallois wrote that people said Louis Couperin “touched the ear” (touchoit l'oreille).”
本アルバムを購入直後に、日本チェンバロ協会の第42回例会に於けるフレスコバルディ研究の講義を偶然見つけて、一般聴講が叶ったことを思い出す。

Simone Kermes女史のPVで聴いて以来、兄ボノンチ―ニ〈Ombra mai fu〉を愛聴。PVを見ては一緒に感涙しながら聴くほど、彼女の歌唱でこの作品を聴くのが好きなのだ。彼女のコメントが、幸い英語字幕がついているので読解可で、ヘンデル作品よりも、シンプルで美しいから好きと語っている。彼女が歌ったこの〈Ombra mai fu〉は、私には救世の木陰であった。そして、この作曲背景は、劇的でもあった。
ナポリ楽派の特徴か、父スカルラッティ同様、朗唱部分もとても美しい。
愛聴から、歌詞にも心が傾く。Minato作詩の〈Ombra mai fu〉には、感銘を何度も受けた。
この時代の恋愛詩は、私は背景をよく知らないし、腕の競い合いだったとも思うが、アルバム等でまとめて読むと、私などは過熱や溶解防止装置がかかって、距離を置いて読み出し、浸透しなくなってくる。
“けだし恋愛は感情中の感情であり、人間情緒の最も強い高熱であるからして、抒情詩における最も調子の高い者は、常に必ず恋愛詩に限られて居る。即ち恋愛詩は抒情詩のエスプリであり、言わば「抒情詩の中の抒情詩」である。(萩原朔太郎)”
しかし、〈Ombra mai fu〉は、叙景と叙情が一致して、感覚的にも直接伝わり、何度も味わうことができる。
日本人の私には感覚的に合う上に、透析を重ねて練磨したものは味わいやすく、愛聴となる。
木陰の側を通るとき、街路樹が風にそよぐ時など、折々に思い出される。
“日本では、風景や自然を歌う「叙景歌」は、じつは本来恋心を歌う「抒情歌」として機能すべきものが多かった(大岡信)”
“自然発生的の径路で言えば、和歌の本脈は恋愛歌です。(萩原朔太郎)”
詩も曲もとても美しく、聴く度に心象風景が浮かぶ。緑陰と木洩れ陽、仰角の美しい叙情。
Simone Kermes女史は、他作品の歌唱時の顔の表情から、カラバッジオ『メデュ―サMedusa』を思い出す。彼女のバロックの造詣の深さの現れとして見ている。
ジョバンニ・バッティスタ・ボノンチ―ニGiovanni Battista Bononciniの誕生日(1670年7月18日Modena)に。

この作品は、ショスタコービチの心象日記という解説を、ニコラエワのDVDで聞いたことがある。しかし、本アルバムのブックレットを読むと、心に何らかの刻印を与え、心を満たす作品が、いかに豊かな蓄積―伝統に準えて歴史の上に作られたかがわかる。門外漢の私には、まだ全てを理解したわけでなく、今まで知識や素養不足で無頓着に聴くしかない貧しい鑑賞に終始してきたかを悟り、もっと一曲づつ丁寧に聴きたいと願うようになった。
本商品は、ブリュッセル帯同時に、近所のStockel駅近くの専門店(併設Sonamusica)で購入した思い出のアルバム。ルクセンブルクへ旅行中に、車中で聴き、美しさに感銘を受けてから、特にNo.13を愛聴。運転中の夫が珍しく「いいね~」と言ったことを覚えている。夫と私は同じ大学の文学部だったが、専攻が違うだけでなく、様々な違いがあるので、重なる趣味は多くないが、好奇心旺盛な夫のおかげで助かっている。私の両親も、大学の同窓生同士の結婚だった。実母は英米文科卒業だったので、町で外国人を見つけると果敢に英語で話しかけ、家に来るお客様の半分は外国人で、亡実父がアフリカ系フランコフォンを評価していたり、妹は国際結婚だった。
ロシア人作曲家の作品をアメリカ人のジャズピアニストが弾いたもので愛聴するのは不思議だったが、自分の育った家庭を思い出すよすがとまでなった。
Vadim Monastyrskiの動画 Lecture & Performanceで、ショスタコービチは優れたピアニストでもあったことを知った。
ショスタコービチ自身の演奏を動画で聴き、秋爽の空気を感じさせるsonorityが鍵のように聴こえた。
本演奏は、同じsonortyが耳と心に響く。
“…理性すなわち良識が、わたしたちを人間たらしめ、動物から区別する唯一のもの…
…pour la raison ou le sens, d'autant qu'elle est la seule chose qui nous rend hommes et nous distingue des bêtes…”
(René Descartes)

本録音Tr.1リュリ〈シャコンヌ ト長調 オペラ《フェ―トン》から〉を聴くと、いつも私の脳裏には催し物の最中に、一人の中高年の男性が悪い知らせが書かれた手紙を読んで悲嘆している姿が浮かんだ。肖像画のリュリではなく、違う人なのだ。リュリは目撃者のような立場に感じられた。私は、リュリは宮廷生活が長く、多数の人々の喜怒哀楽と栄枯盛衰を見聞きしてきたからだと思っていた。
後に、本盤の解説には言及されていないが、このオペラ《フェ―トン》は、ダブル・ミ―ニングで、1661年に失脚したニコラ・フ―ケが重ねられている。太陽のように高く昇ろうとした者が罰せられた無謀を寓話で説明、強い政治的メッセージのある作品であることを知る。
1683年1月6日にヴェルサイユの大厩舎調教場で初演。その後、他の都市でも開催。1688年にリヨンで、王立音楽アカデミーの落成式のために制作された。
さて、私の脳裏に浮かんだのは誰なのだろうか。オペラ《フェ―トン》の台本はフィリップ・キノ―とジャン・ド・ラ・フォンテーヌ。ラ・フォンテーヌは、イソップ寓話を基にした寓話詩(1668年、1678―79年、1694年)を刊行した、“おそらく17世紀世紀最大の抒情詩人”(渡辺一夫)。そして、当時最大の文芸庇護者だったニコラ・フ―ケと親友で、お抱え詩人であった。フ―ケ逮捕後は、セヴィニェ夫人らも同様に、擁護に努めた。リュリは、フ―ケ逮捕の3週間前、1661年8月17日にモリエ―ルとの共同制作コメディバレエ第1作目〈はた迷惑な人たち〉を、フ―ケのヴォ―・ル・ヴィコント城で初演。リュリやラ・フォンテーヌらは、どのような気持ちだったのだろうか。
本盤を購入してから約5年後、私はヴォ―・ル・ヴィコント城を家族と訪れた。
失脚の心理的要因は、嫉妬か脅威か反感か不興か、いずれにせよ、抜群に趣味の良い城と庭園だった。
MAKの演奏は、記譜された作品の記憶まで聴き手に伝える。そして、その場所にまで導いてくれた。
タワレコのVintage Collectionなどで定番商品化して、末永く多くの人の心耳に届くようにして欲しい。
ジャン・ド・ラ・フォンテーヌJean de La Fontaineの誕生日(1621年7月8日)に。

ボノンチ―ニ兄弟のチェロ作品の本盤は、入手前にかなり逡巡した。動画で試聴時に、嫌な思いをすると、縁無きものとして触らないようにするからだ。
兄ボノンチ―ニ(ジョバンニ・バッティスタ,)作曲〈オンブラ・マイ・フ〉をSimone Kermesの歌唱で聴き、兄ボノンチ―ニに傾注するようになった。
その直後に、このアルバムを知り、近所のfnacの店頭で見掛けたり、ジャケットの黒イチジクViollet de solleisが旬の時でもあり、色の美しさと甘美な味に、本盤も手元に置きたくなった。リヨン帯同時の事である。帰国後、他のアンサンブルのアルバム『Sanctum Desiderium』( Musa Jovis/Pieter De Moor,Sonamusica)のブックレットでボノンチ―ニの名前を見掛け、入手とした。
ナポリ楽派の磁力で、兄〈オンブラ・マイ・フ〉を動画で愛聴。歌手と一緒に感涙しながら聴く。しかし、当時、どれ程の影響力を持っていたか今一つわからないままである。このアルバムで、心に響いた作品Tr.6は、弟ボノンチ―ニ(アントニオニ・マリア,)だった。
入手後に聴くと、楽音が聴く時間帯により色調を変えることに驚き、夕方以降、夜の帳が降りる頃から聴くと、音楽の色調が濃くなり、心に響き出す。
ナポリ楽派の代表的作曲家兄弟だが、モデナ生まれだった。父ボノンチ―ニ(ジョバンニ・マリア,)は、モデナの宮廷楽団長や大聖堂楽長を務めたマルコ・ウッチェリ―ニに師事したヴァイオリ二ストで、モデナ大聖堂楽長。
ウッチェリ―ニは、“ヴァイオリンの新しい奏法によってモデナの音楽に大きな刺激を与え”、彼の“演奏法はモデナの音楽の特徴となり、その後にここで活躍した音楽家たちによって受け継がれていった”(今谷和徳)。これぐらいしか、まだ調べてもわからず、ボノンチ―ニ親子の音楽も、まだ断片しか知る機会がなく、とても遺憾である。
本盤には収載がないが、父ボノンチ―ニの弦楽四重奏曲も基底の確りしたつくりに聴こえる端正な美しい作品で、愛聴している。
モデナは、現在、自動車産業が栄えている。
ボノンチ―ニ親子の音楽との邂逅は、幾重にも繋がりを知り得て、多祥である。
Antonio Maria Bononciniの誕生日(1677年6月18日Modena)に。

Myriam Rignolが父バッハの無伴奏チェロ組曲をviole de gambeで演奏したことは、日本発売直後から知っていたが、試聴音源が少なくて逡巡した。
チェロ演奏も気に入る演奏が見つからなかった上、食傷気味で、普段は殆んど聴かなくなっていた。
本盤は、企画が良く、viole de gambeの楽音が私は好きなこともあり、気に入って聴いている。
父バッハは、一つの作品を違う楽器への編曲をよくしているので、viole de gambe演奏は、意義深い。
力強さのあるチェロよりも陰影に富み、M.Maraisのように、情感を香気で表現する響きのように私には感じられる。時空間を金色で満たして変えてゆく。

ブックレットを読み、バレエレッスンで、父バッハの曲は芯まで音楽が浸透するゆえ、体が動きやすかったことを思い出した。
聴いている時でも、父バッハ作品の躍動感や飛翔感が大好きだった。

Viol de gambe奏者のM.Rignolに注目したのは、France Musiqueの動画にて、W.Christieの横で演奏している姿を見てからで、存在感があった。その後、H.D'Ambruys〈Le doux
silence de nos bois 〉の伴奏が耳に残り、愛聴。彼女のostinatoは素晴らしく、心の高まりを自然に、熱を帯びた感じを知的に表現。理性のタガがすぐに外れるような剥き出しの感情的な表現でなく、練り上げられた絹の光沢の楽音で、的確だったのだ。
リヨン音楽院出身であることは、更に私には喜びだった。リヨン帯同時は、コロナ禍でビザがなかなか発行されず、帯同待機中ゆえ、何となく縁があるように思え、心の支えだった。この待機期間に、ドイツ帯同以来空き家にしていた自宅の復旧に横浜から愛知県へ毎週通った。お詫びと感謝の気持ちで、自宅の掃除を始めた2021年6月、向夏の季。渡仏すると、永住したくなることはわかっていたので、一年後に自宅へ修繕のために必ず帰ることを誓った。
Rignolの演奏を聴きながら、20年ぶりに自宅と再会した時の情景を追想した。

〈帰り来ぬ昔を今と思ひ寝の夢の枕ににほふたちばな〉(式子内親王 新古今和歌集 巻第三 夏歌 240番)

聞き終えた直後、買って良かったと思った一枚。
クラヴサン作品Tr.26も作曲していて、嬉しい驚きだった。どこかで聞いたことがある懐かしい曲調。大ク―プランかロワイエか、ルイ15世時代の音楽の特徴を湛えている。
全曲通して聞いていると、徐々に身に染みていく情感があり、ヘンデルの鍵盤曲集と同様、和泉式部の和歌を思い出す。
〈世の中に恋てふ色はなけれどもふかく身にしむ物にぞ有ける 後拾遺和歌集 第14 恋4 790〉
和泉式部は恋に準えたが、深く身に染むのは、作品のつくりの肌理が極めて細かく、浸透に優れ、徐放してゆくので、無理なく傾聴しているのだと思う。
動画で試聴時とは大きく違い、
独特の繊細な語り口が何箇所かに配置されているような音楽で、私などは最初は聞き過ごしてしまって、後からその意味が分かるような感じがする。明朗快活とは言い難いが、微細で控え目でも効果的な魅力を持つ作曲個性。
バリエルの詩情表現は、和歌とも似ているように私には感じられる。
“表現が内省的であり、理知的に、1度も2度も練り直された上で出てきている、控えめ目な感じがします。”(大岡信『四季の歌 恋の歌 古今集を読む』より)
遺憾ながら、ライナーノ―ツを読んでも、楽器の発展変遷期でもあり、バリエルが非常に楽器や技術に対しても並々ならぬ研究熱心だったくらいにしか私にはわからないのだが、演奏者コクセもバッハ〈無伴奏チェロ組曲〉を4種類のチェロで弾いた録音もあることから、良い蘇演が成されているのだと思う。
日本画家の速水御舟らと同様、40歳で亡くなったのは、“天与の資質に加えて更に一段と凄まじい精神の彫琢があるように感じられてならない。”(村越伸『眼、一筋』)ゆえか。
vol.1の再販を希望する。
Jean-Baptiste Barrièreの祥月命日(1747年6月6日)に。

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