言葉は旅立ちたいのか、それとも根を下ろしたいのか。
言葉は旅を続けたいのか、それとも故郷に帰りたいのか。
言葉は世界と出会いたいのか、それとも世界と別れたいのか。
言葉は切り刻まればら撒かれたいのか、それとも拾い集められ編み上げられたいのか。
故郷イギリスを離れ、インド、パキスタン、アメリカ、上海、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、と世界各地を旅してきた西の涯の言葉、英語(イングリッシュ)は、故郷の島国にはたして帰りたいのだろうか。「ロンドン世界の最大都会」かどうかはわからないのと同様、「英語世界の最大言語」かどうかも霧の中。故郷を失くし、母の歌を忘れた言語は、うしろの山にすてましょか、せどのこやぶにうめましょか、いえいえそれは詩人にまかせましょ、それとも画家をよびましょか。
というわけで、イギリスで生れ、カナダで育ち、パリを彷徨い、モロッコで店主となり、アメリカ人のジャンキーと意気投合した、画家詩人・詩人画家であるブライオン・ガイシンがロンドンで行った朗読ライブ・パフォーマンスは実に興味深いのであって。
しかも、共演者は、
TESSA(cello+bass, the Slits)
STEVE NOBLE(drums, Rip, Rig and Panic)
GILE(percussion, Penguin Café Orchestra)
RAMUNTCHO MATTA(guitar+electronics)
となってて、パンク・ムーヴメントを経た1982年ロンドンの時化(しけ)と凪が聴ける。
言葉は旅をするのだが、言葉は船なのか、いやむしろ水なのか、フィッシュ・アンド・チップスをつまみながら考えてみる。
ブライオン・ガイシンとともに英語は故郷へと帰れたのか、帰れなかったのか。
そしてブライオン・ガイシンとともに英語は旅立ったのか、旅立たなかったのか。