カスタマーズボイス一覧

トーン・ビトウィーン・トゥー・ラヴァーズ / メアリー・マッグレガー

世間ではそれほど評価もされさない平凡なアルバムでも、その人にとっては大切な想い出とリンクする”特別な1枚”というものがある。自分にとって本作は、そんな”特別な1枚”だ。長年CD化を待ち望んでいたが、願いは届かず、諦めかけていたところに朗報が飛び込んできた。埋もれたLPレコードに陽を当ててくれたのは、やはりBIG PINKレーベル(VIVID SOUND 配給)だった。
温もりのあるやさしいメロディを繊細な歌声で紡いでくれたメアリー・マッグレガーの「過ぎし日の想い出」が全米No.1に輝いたのは、時間が今よりも穏やかに流れていた1977年2月のことだった。少し経って、この曲の収められたデビュー・アルバムの発売を知り、セピア・カラーのモノクロ写真がプリントされたバースディ・カードを想わせるジャケットに惹かれてLP盤を購入した。
アルバムの最後を締めくくる「過ぎし日の想い出」を凌ぐ佳曲と出逢うことはなかったが、それでも、オープニングの「ママ」に始まる9曲は、昔ながらの焼き菓子のような懐かしい味がした。全体のトーンも落ち着いていて、楽曲たちはどれも控え目で、純朴で、ナチュラルで、やわらかな春の陽射しのように1977年の穏やかに流れる時間に寄り添ってくれていた。
そんなわけで、自分の評価は”★”五つだが、それは決して客観的な評価ではない。名曲「過ぎし日の想い出」は、ヒット曲を集めたコンピレーション盤で楽しむことができるので、温もりのあるやさしいメロディとメアリー・マッグレガーの繊細な歌声に癒されたいのなら、そちらの編集盤をお薦めする。それでも、昔ながらの焼き菓子のような懐かしい味をお求めなら、この愛すべきオーガニックな本作を聴いてみていただきたい。

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ねずみ1960さんが書いたカスタマーズボイス

(全198件)

ベスト・アルバムがいくつも種類がある中でも、この2枚組のエネルギーは半端ない。
”夏”にフォーカスしているが、飛ぶ鳥を落としていた頃の高中サウンドの集大成と言っていい。近年の『ALL TIME …』とは違い、真夏の空と海が創り出す青色の背景に赤い水着のコントラストが眩しい楽曲集として編集されている。
どの楽曲も”時代”を感じさせる"ノリのいい"ものばかりで、軽くて、速くて、滑らかで、煌めいている。一方で、その軽妙さ故に、少しテクニックに走り過ぎて”深み”に欠けるといった感じがしないでもない。あの時代、世の中は浮ついていたし、ギラギラしていたし、尖っていた。そんな”豊かで華やかな”時代の先頭集団を走っていたのが高中正義だった。
全30曲というボリュームだが、どれも南海の珊瑚礁が眩しい王国の優雅な夏物語が魅力的に描かれていて、決して飽きさせることはない。あの時代の、常に何かに心躍らせれているようなテンションの高い空気感が伝わってくるし、弾けるようなギターの音色が耳から入ってくるだけで気分は高揚する。
個人的には、リゾート映像のBGMの定番だった「SEXY DANCE」や優しい雨の降る情景を綴った「SHE'S RAIN」、歌モノの「MY SECRET BEACH」や「パラレル・ターン」(”冬”なのでアウト?)辺りも拾ってほしかったが、2枚組のキャパはいっぱい(空席なし)なので、これらはオリジナル・アルバム・オンリーとして、こっそり楽しむこととしよう。

“Whitney”のスペリングや邦盤ジャケット写真から、”白”のイメージがインプットされている。"白"は広がりの色、無垢の色でもある。デビュー盤なのに代表作の風格が漂う名盤だ。
楽曲としての完成度の高い「すべてをあなたに」をはじめ、華やかなトップ・ランナー「恋は手さぐり」、G・ベンソンとは別モノの「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」、ドラマのクライマックスを演出する「オール・アット・ワンス」など、記憶に残る名曲が揃っている。秀曲が眩し過ぎるため、繋ぎの楽曲が湿地に思えてしまうほどだ。
そんな中、先行シングルに抜擢され、米盤ではオープニングを任されていた「そよ風の贈りもの」は、自分の中では長らく地味で印象の薄い存在だった。平均点は超えているがK点には達していない、無難にまとめてはいるが野心が覗えなかったところが高得点に至らなかったのかもしれない。踏み切りの後、特に失速したわけでもないのだが、曲のブリッジでの大ジャンプ(あるいはコペルニクス的転回)あるいは難易度の高い技を期待し過ぎたのかもしれない。ところが、最近、自分の中での評価が変わった。見えなかった景色が見えてきた、というか、聴こえなかった音が聴こえてきた、といった感じで、単に飛行距離だけでなく、飛形や着地の美しさにようやく気づくことができたのだ。自分にとっては大きな収穫だ。
この曲同様、第一印象は薄くても聴き込む度に自己評価が上がった楽曲というのがある。タイプは違うが、プレイヤーの「今こそ愛のとき」やローズ・ロイスの「アイ・ワナ・ゲット・ネクスト・トゥ・ユー」などがそれに当たる。例えが良くないかも知れないが…。

最初『Ⅲ』だと思っていたら『Ⅰ+Ⅱ』の意味だった(のか?)。
本作のリリース情報の後で、少し遅れて、すべてのシングルA面曲を集めた3枚組『KAN A面 Collection』発売のアナウンスを耳にした。それなら、既発盤の『Ⅰ』はそのままに(あるいは再発)しておいて、同時期リリースの3枚組に収録予定のシングルA面曲を除いた『Ⅱ+Ⅲ=Ⅴ』として編成しても良かったように思う。“『1』で選出されず”かつ”シングルA面ではない”という条件を満たすものを集めた”裏ベスト”盤だ。
個人的には、”もしもし、木村です~”の「今夜はかえさないよ」やBilly Joel愛が感じられる「秋、多摩川にて」、締めの小品「永遠」、ノー天気で底抜けに楽しめる「8 days A Week」、どんでん返しのハッピー・ソング「車は走る」、和製ラップのお手本ともいうべき「東京熱帯SQUEEZE」、平穏で誠実なバラード「情緒」、音楽への熱い想いが感じられる「Song of Love ~君こそ我が行くべき人生~」など、多才な"アイディア"の詰まった楽曲たちをパッケージしてほしい。
しかし、既に列車は走り出しており、今さらガラガラ・ポンするのは不可能だ。それなら、本作2枚目には収録時間に余裕がありそうなので、もう3~4曲、”This Is KAN”といえるような名(迷)曲を加えてみてはどうだろう。2010年以降縛りでいえば、テクノポップ趣向が結実した「REGIKOSTAR ~レジ子スターの刺激~」やビッグ・バンド・スタイルの大作「小学3年生」、自身が熱愛していたフランス、パリを敬愛するビートルズ色で染め上げた「表参道」辺りを詰めてみたら? どれもたくさんの人に聴いてほしい、”未来に残したい傑作”たちだ、…などと、戯言を言いながらも、どちらの企画盤も躊躇なく買ってしまう自分がいる。

キャリア初のグラミー受賞アルバムだが、本来なら『エイジャ -彩-』で獲っているはずだった。だが、不運にも1977年のエントリー期間に引っかかってしまい、残念ながら巨星『噂』の前に屈してしまった。ジャズの色がいささか強過ぎたのか、保守的な選考委員から敬遠されたのかもしれない。
確実にリベンジできたはずの『ガウチョ』はジョン・レノンの遺作に阻まれた。アルバムとしての輝きは”異彩”でしかなかったのか…。そんなグラミー側の罪滅ぼしなのか(?)、同情票を集めたのか(?)、20年の時を経て2000年リリースの本作で念願の蓄音機を手にすることとなった。ただ、完璧だった前2作の落選の歴史があるので、口は悪いが、彼らの長年の功績に対する”功労賞”的な受賞と思えなくもない。
さて、そんな本作だが、個人的には、時を経ても変わらぬ輝きを放ち続ける過去の金字塔が眩し過ぎたこともあって、傑作アルバムの焼き直しに失敗したような、二番煎じ → 薄味といった印象が拭えず、前2作とは”別モノ”として捉えることができなかった。過度な期待を抱き過ぎたせいだと思う。
最近、久しぶりに頭をクリアにして向き合ってみると、リリースから相当の時間が経ったこともあって、意外とすぅーっと身体に入ってきた。熟成によって円やかになった醸造酒のように、口当たりが良かったし、深みも感じた。単に、自分が加齢によって寛容になったのかもしれないが…。
オープニングの「ガスライティング・アビー」は好意的だ。緩めのピンポン・ラリーのような軽妙で心地よい反復は、中毒性のある香辛料のように灰色の脳細胞を刺激する。以降、彼らの十八番ともいえる単調で起伏に乏しいメロディと難易度の高い複雑でクールなコード進行の融合が思考回路を麻痺させる。だが、混乱させることはない。苦い薬を噛み潰した時のような独特の渋味は、慣れてしまえばマイルドにも感じられる。東海岸の気どりや達は、スマートに音符を操りながら、美味しい料理の中にそっと毒を忍ばせているからだ。その巧みな技術、技法は健在だ。

前作、本作と、明度や彩度を抑えた楽曲が目立つ。キャロル・キングの『つづれおり』のアルバム・ジャケットで自身が佇む部屋に流れる音楽を想わせる。スノードームの中をゆっくりと沈殿していく白い粒子のような音符たちで満たされている。
冒頭の「雨の日と月曜日は」から気圧は低く、湿度は高い。仕事始めの日が雨模様という、タイトルを聞いただけで気分の下がる楽曲なのだが、グレー&ブルーな歌詞と旋律が美し過ぎて心に沁みる。出だしから哀愁たっぷりのハーモニカ、ブリッジで待ち受ける黒糖をマイルドにしたようなサックス…。芯の強いしっかりしたカレンの歌声が、感傷的で耽美な抒情詩に生命を吹き込む。終演の仄かに余韻を残すランディングも素晴らしい。
もう一つの重厚なバラード「スーパースター」も静と動のコントラストが鮮やかな佳曲だ。統制のとれた管楽器群に支えられて、艶やかで力強いカレンの歌声が、楽曲の深みと品格を極限まで高めている。こちらの着地も完璧だ。
このツインピークス以外にも、ベスト盤の常連曲「ふたりの誓い」や完成度の高い小品「あなたの影になりたい」、後の『ナウ・アンド・ゼン』にインスピレーションとして引き継がれた「バカラック・メドレー」など、聴きどころも多い。
余談だが、本作にはリチャードがメインをとる歌曲が2曲も収められている。オリジナル・アルバムを知る方々には珍しいことではないのだろうが、カーペンターズをベスト盤だけで済ませている愚者にはちょっとした”驚き”だ。カーペンターズはキャプテン&テニールなどのような完全分業の男女デュオではない。リチャートはカーペンターズのサウンド・クリエーターである一方で、もう一人のリード・シンガーでもあるのだ。

『“CITY POP”という切り口で90年代をコンパイルしたコンピレーション』として、マーカーは確実にターゲットを捉えている。
先行の『CITY POP STORY』に比べると本作のセレクションはとても魅力的で、同類の編集盤と重なる楽曲はあるものの、ディケイドの記念碑としてライブラリーに加えたいアイテムだと思っている。
ところで、“CITY POP”について、個人的には70年代の”ニュー・ミュージック”の進化系と捉えている。60年代以降の洋楽をベースとする、歌謡曲とは一線を画した広義の”和製ポップス”という認識だ。中でも“CITY POP”は、”都市あるいは街角で聴いていて心地よい音楽”として成立する、と思っている。そこでは日常の生活感は薄められ、あるいは消し去られ、クールでブライトな理想の世界が描かれる(ことが多い)。時には都市生活者の非日常にフォーカスした、極上のリゾート・ミュージックなども共存する。80年代の豊かで開放感に溢れていた時代のカラフルで華やかな音楽だ。
本作は、そんな80年代に確立した“CITY POP”の空気感を持つ90年代の楽曲集なのだが、決して懐古的なオマージュではない。どれも楽曲としての完成度は高く、音楽として成熟している。特別フレッシュで刺激的というわけではないが、"CITY POP"の新しい波としては、いい意味で、”穏やか”だ。

12年に一度やってくる○×△彗星のように、2024年のクリスマス・シーズンを前にリマスター盤として再発されることとなった。
遡れば1986年の冬が近い季節だった。角松敏生が自身のラジオ番組”FM・ライトアップ・タウン”で「CHRISTMAS TREE」を紹介してくれたのだが、そのもの凄い力量の歌声とスピリチュアルで重厚なゴスペルを聴いて、これがモンスター”吉田美奈子”が描く聖夜の情景なのか、といった感じで、ただただ圧倒されてしまった。
アナログ盤は枚数限定だったので入手することは叶わなかったが、2002年のCCCD盤のリリースでようやくアルバムの全容を知ることができた。なので、オリジナル盤を知らない。ラストの「もみの木」が後で加えられたことも最近まで知らなかった。ただ、デジタル化されても、6曲が7曲になっても、少しテイクを変えられても、『BELLS』は『BELLS』だ。
本作の収録曲を他のクリスマス・ソングとミックス編集しようとしても、個性と存在感が強過ぎて、熱量と濃度が違い過ぎて、LightでPopな楽曲と上手くコンピレーションすることはできない。それほど本作は骨太で硬派な、孤高のクリスマス楽曲集なのだ。
畳の部屋でこたつに足を突っ込んで、目をつぶって想像してみる。しんしんと降り積もる雪、窓を叩く北風、暖炉の焔が部屋を暖めている。夜の静寂に流れる音楽は、銅版画のシンプルなジャケットに収められている7編のクリスマス・ソングだ。
もし、このアルバムに合わせるとしたら、村松 健の「キャンドルパワー」(@『子供の時間』)辺りだろうか…。
クリスマスが待ち遠しい。

ジャケットのイメージもあるが、アルバム全体に奔馬が巻き上げる土埃の匂いが漂っている。乾いたギター群がレースのように疾走する、アメリカン・ロックのお手本のような作品集だ。
サザン・ロックの腹の底に響く重厚さや後に残る粘りはないが、西海岸産特有の流れるようなメロディにスピード感と切れの良さが加えられていて、結果、唯一無二のドゥービー・サウンドが出来上がっている、といった感じがする。支えているのはタイラン・ポーターの打楽器のように刻むベースだったりするのだが…。
ディキシーふうのピアノで幕を開けるオープニングから、まるで西部劇のサウンドトラックのような楽曲が続く。南部を意識したトム・ジョンストンの「テキサス・ララバイ」も素晴らしいが、クライマックスは何と言ってもパトリック・シモンズの「ハングマン - I Cheat the Hangman -」だ。個人的にはLP盤の見開きジャケットに中刷りされていたモノトーンでウェットな風景写真とシンクロする。イーグルスの「いつわりの瞳」に通じる「サウス・シティ・ミッドナイト・レディ」の穏やかでレイドバックとは全く違った、シリアスでドラマティックに展開する大作だ。何となくだが、本作で馬を降りて田舎暮らしと決別し、次作から大都会で生きることを決断した彼らのストーリーでいえば、まさに第一幕の終わりを告げる楽曲ようにも聴こえる。
余談だが、次作のリリース後に一つの区切りとして発売されたベスト盤の裏ジャケットにはメンバー全員の集合写真が掲載されていて、本作までのメイン・キャストだったトム・ジョンストンと次作以降の重鎮マイケル・マクドナルドが笑顔で写っている。1枚の写真の中で和気藹々としている様子を見ていると、やはり、彼らは”ブラザーズ”なんだと思ってしまう。何とも微笑ましい光景だ。

2017年の本作以降、彼らの音信は途絶えてしまった。一説には空中分解(あるいは自然消滅)してしまったみたいで、本作は貴重かつ希少なラスト・(ミニ)アルバムとなってしまった。”夏”にフォーカスした楽曲をたくさん提供し続けてくれていただけに、ソリッドな夏歌愛好家としては残念でならない。
本作には秋の気配が感じられる落ち着いた楽曲も収められているが、全体的に夏色の風景が広がっていて、方向性にブレはない。
出色は2曲目のミディアムな「君と僕の宇宙」だ。ゆったりとした時間の流れに身を任せているような、幸福感と安心感に包まれている。歌詞には生物学的な視点で綴られている部分もあって、何となく理系の匂いがするが、学術レポートのような堅苦しさなどはなく、酸素が十分に足りている無重力空間を浮遊しているみたいで何とも心地よい。
ジャケットに描かれた紫紺の海を泳ぐシロナガスクジラを眺めながら、1,650円で手に入るコンパクトな音楽に浸ってみるといい。彼らの残した4枚のCDはどれも秀作揃いで、聴いているだけで”なつやすみはおわらない”気持ちにさせてくれる。

楽曲のタイトルに”Negi”の文字が入っていたりするものもあるが、がむしゃらに走っていた頃のような”負けるもんか!”的な”頑張り過ぎ”な感じはなく、いい意味で肩の力が抜けている。
もちろん、スローな楽曲ばかりを並べているわけではなく、小気味よいリズムで高速走行するヘッドライナーもあるわけだが、加速も走りも滑らかで安定していて、何よりも耳にやさしい。パシュートのような3人が入れ替わりながらメインをバトンタッチする独特のスタイルを守りながら、シームレスでスムーズな繋ぎと澄んだユニゾン・コーラスを重ねて作られた楽曲の完成度は高い。
アルバムの印象としては、全体的に落ち着いたトーンに包まれていて、彼女たちの等身大の”今”を自然体に紡いでいる。歌詞も旋律もマイルドだし、何といっても無茶や無理をしていないところがいい。ラストのオルゴールのようなリプライズも完璧だ。
KANの『東雲』を想わせるアルバム・ジャケットは、幻想的で神々しい。紫色に霞む雲海の向こうから明るい陽光が射し込もうとしていて、彼女たちの新しい出発を予見しているようにも見える。Negiccoの旅は終わらない。

EPOのアルバムは”外れ”がない。選択に困ったら、お気に入りの楽曲が入っているアルバムを選べばよい。特にベスト盤で拾われていない推しの楽曲が収められていたりしたら、これはもう買うしかない。
そんなわけで復刻盤の買い換えとして、自分としては「Girl in me」目当ての『う・わ・さ・に・な・り・た・い』と本作に絞ったわけだが、こちらのアルバムのターゲットは何といっても「涙のクラウン」だ。この一択と言ってもいい。かつて” オレたちひょうきん族”のエンディングでも使われていたコミカルな小品で、土曜の夜のウキウキする感じが詰め込まれている。途中の”サンタクロースがやってくる”っぽい旋律など、どこかクリスマスの雰囲気も漂っていて、聴いていて温かい気持ちにさせてくれる。
本作は、オープニングのタイトル曲から猛スピードで駆け抜けるのかと思いきや、結構シックでクールな楽曲が並ぶ。そんな中、件のジングル・コーラスの佳曲と並んで、あどけない高見知佳を思いっきり輝かせてくれたオリエンタルな「くちびるヌード・咲かせます」も絶品だ。

2023年12月にカラー・ポートレートの78年盤が復刻された際、勝手な思い込みで96年の編集盤(追加曲入り変則 2 in 1)の再現を期待していたが、実はモノクロ・ポートレートの80年盤の復刻も予定されていたとは…。彼女のキャリアのことを全く知らずに文句を言っていた自分が恥ずかしい。
取り上げられた楽曲に関しては、ジャズやラテンのスタンダード・ナンバーよりも、気の置けない英米ポップスの丁寧なカヴァーに魅力を感じる。本作でいえばビル・ラバウンティの「25 Words Or Less」辺りがそれに当たる。原曲のポップでライトな空気感を保ちながら、ナチュラルなトーンで再生されていて、とても聴き心地が良い。
ブラジル由来の楽曲群に関しても、あくまでも個人の印象として、北欧と南米という環境や景色の違いを微塵も感じさせない”居心地の良さ”がある。清楚なジャケットとのコントラストなど全く気にならない。それどころか、灼熱の太陽の下で生まれた楽曲を熱唱する彼女の歌声には十分な熱量を持ったクールな焔を感じる。

自分の知り得る限りハイ・ファイ・セットの最高傑作だと思う。どの楽曲もクオリティが高く、カラフルでバラエティに富んでいて、個性豊かな充実したアルバムだからだ。
オープニングのミディアムなフローターから癒される。高速道路で偶然見つけた遠い故郷ナンバーの「水色のワゴン」。穏やかな夏の午後の素敵なサプライズが、甘酸っぱい想い出の1ページを捲ってくれる。何といっても、並走するワゴンが”水色”というのがいい。淡いソーダ水を想わせる”ペパーミント・ブルー”な楽曲は、邦楽の”夏の定番”として欠かせない。
”夏”つながりでいえば「7月のクリスマス」も素晴らしい。海辺のリゾートでの粋な夏のメロドラマが楽しめる。気取った会話が少々耳障りだが、アガサ・クリスティのミステリー小説をアイテムとして使っているので許すとしよう。クリスマス・ソング集には使いづらいが、「ジュ・マンニュイ」同様、”夏歌”のプレイリストにエントリーしたいところだ。
マンハッタン・トランスファーを想わせる「Viva ! オフ・ローダー」はアクロバティックでスピード感溢れる痛快なジャズ・ナンバーだ。息の合ったコーラス・ワークは当時の彼らの十八番でもあり、これぞ This Is ”ハイ・ファイ・セット”といったところだろう。
アルバムの締めくくりは、胸を詰まらせるセンチメンタルな絶品バラードの「Good-bye school days」がアンカーを任されている。「最後の春休み」同様、「卒業写真」とは違う、進行形の”卒業”を描いた佳曲がアルバムの”有終”を飾っている。
一つだけ勝手な注文として、レコードでいうB面1曲目のビターでシリアスな攻めのナンバーをもう少しファッショナブルな楽曲に差し替えてしてほしかった。例えば、前出のM・トランスファーでいえば「トワイライト・ゾーン・…」のようなスリリングでスタイリッシュな直球勝負でも"締まる"ような気がするのだが…。

“代表作”というレッテルに偽りなしの”名盤”だ。全体がジェントルなランキン色に彩られていて、カヴァー曲もオリジナルの域に達している。ビートルズの2曲など非の打ちどころのないくらい完璧に蘇生させていて、原曲を知る者に新しい景色を見せてくれる。
タイトル曲の”銀世界”がやや重だが、耽美でクワイエットなバラードや心弾ませるリズミカルな小品など、一つひとつの楽曲の粒立ちが良く、粋で、個性的で、確かな存在感があって、しっかりとした聴き応えのあるアルバムに仕上げられている。
軽いジャズの香りと甘くやさしいメロディがアコースティックの領域の中でほどよくブレンドされていて、最良かつ至福のひとときを届けてくれる”名曲集”だ。

2008年の紙ジャケット・シリーズ化の際、予算の関係で4枚だけの入手だったが、いずれも個性的な秀作で、”ベスト盤で十分と云うなかれ”を実感してしまった。もちろん96年の『Peaceful: The Best Of』のセレクションは素晴らしく、ケニー・ランキンの代表曲が網羅されていて、彼の魅力を余すことなく詰め込んではいるのだが…。
さて、オリジナル・アルバムの中でも本作は比較的大人しいタイプの楽曲集という印象を持っている。クラシカルな匂いのするジャケット同様、純朴で控え目な楽曲が並ぶ。定番のビートルズ・カヴァーの他に、ランキン節のアレンジが施されたイーグルスの「いつわりの瞳」などが素朴な料理に彩りを添えている。
構成としてインタールードを挟んではいるが、三幕とも展開に大きな変化はない。穏やかな音楽が緩やかに流れる時間と協調しながら、日々のストレスで傷んだこころをやさしく癒してくれる。ピースフルでイージーなフィーリングの好盤だ。

新顔≓アンダーグラウンドなアーティストのコアな楽曲集と構えていたら、意外にもライトでポップなテイストがセレクトされているのに驚いた。もっと尖っていて刺激的で野心的な楽曲をコンパイルしているものと思っていたのだが、どれも滑らかで緩やかでシンプルなマインドを持っていて、底辺には都市生活の”心地よさ”が流れている。これなら還暦を過ぎた爺さんでも十分楽しめる楽曲集だ。
そこまで前衛的でもなければスタイリッシュでもない、極めて自然体でありながらオーガニックでもない、要するにポップスの枠組みの中でフリー・スタイルで泳いでいるのだ。インディーズはどれも上を目指してハングリーでアグレッシヴなのだとと誤解していたが、真摯に音楽と向き合っているピュアなアーティストも多いということが良くわかった。
それにしても6月リリースの『… anagram』とは音楽的な立ち位置がかなり違っている。山手線でいえば”西日暮里”と”恵比寿”くらいの距離感の違いだ。どちらも”東京”には変わりはない、のだが…。

シリーズの”お薦め度”の評価としての”★”は3つだが、自分的には、不覚にも結構ハマってしまった。それも"深み"に。
本作にシャープで洗練されたファッショナブルな楽曲集を期待していると痛い目に遭うだろう。フォーマットはピュアな”和テイスト”なのだが、エスニックでオリエンタルで、時にエキセントリックな匂いさえする。もちろん、ディープな闇を抱えているような怪しい湿地などは存在しないが、楽曲によっては”あまく危険な香り”が漂っていて、聴いていてクセになりそうな中毒性を秘めたものもあったりする。
歳を取ったせいか、ある種の単純な西洋かぶれとは一線を画する”洋楽っぽい歌謡曲”に浸っていると、妙に心地よさを感じてしまうから不思議だ。
当然、自分の肌に合わない、どうにもこうにもブルドックな楽曲はあったりするわけだが、それでも十分元は取れている。昭和生まれの爺さんにとっても初体験の”昭和”を届けてくれる"魅惑"のコンピレーションだ。

P-VAINは時々やってくれる。欧州のお洒落なコンテンポラリー系専門レーベルという先入観を抱いていると、時に骨太のスラッガーを連れてきたりする。
本作も、70年代のアダルト・コンテンポラリーをリアル・タイムで楽しんできた老いぼれには嬉しい発掘で、爺さんが安心して聴ける耳馴染みのよい楽曲群で構成された良盤だ。唯一の難点は、個々の楽曲の尺が短いくらいだが、楽曲そのものの完成度は高く、物足りなさは感じない。
ホーン隊もしっかりと管を吹いているし、力業でねじ伏せるような重厚感などはなく、むしろ爽やかなブラスの響きに心地よさを感じる。個人的にはシカゴの『Ⅹ(カリブの旋風)』やボズ・スキャッグスの『シルク・ディグリーズ』の音楽性とシンクロしてしまうのだが…。もちろん、いい意味でノスタルジックだ。
ジャケット同様、豪奢に彩られたカラフルな意欲作だと絶賛したいところだが、本作はあえて”★”を4つにしておこう。次作の大躍進に期待したいから。

久しぶりに訪れた福岡店で、目に留まった線画のとてもシンプルなジャケットに惹かれて、気が付いたらレジに運んでいた。
本作は1974年の既発表曲中心のスタジオ録音盤だが、映画『Let It Be』への再挑戦というよりは、ツアーに向けたリハーサルのような雰囲気を感じる。ビートルズ時代のように演奏を途中で止めてしまうこともなく(実際は録り直しもあったのだろうが)、全ての楽曲を完奏している。
そんな、いわゆる一発録りを聴いて個人的に想ったのが、かつて噂されていた『Red Rose Speedway』のダブル・アルバム化構想だ。次の『Band On The Run』はグループ制作されたアルバムだったので『Red Rose …』とは色調が大きく異なっており、トラックの共有などは想像し難い。一方、2枚組のために当時のシングル盤オンリーの楽曲(B面を含む)をかき集めるというやり方をポールは好まない。
そんな個人的な疑問に答えてくれたのが『Red Rose …』のデラックス版でボーナス収録されていた未発表音源だったが、どれも完成度が低く、心を揺さぶるようなクオリティとは程遠い代物だった。たぶん、どれもサンプル素材のレベルだったのかもしれない。
ところが今回、本作収録の未発表曲を聴いてみて驚いた。どれもレコードとして出せるレベルまでに仕上げられていたからだ。これなら、お蔵入りしていたサンプル素材も、磨き上げればしっかりとした楽曲として完成するのかもしれない、そんな期待を抱かせてくれた。根拠などはない。だが、もしもメンバーの離脱がもう少し後だったら、錬金術師ポールであれば、赤いバラのレース場をダブル・トラックの豪奢な重層構造に仕上げることは容易いことだったのかもしれない。バンドがアフリカの荒野を駆けていたかどうかは別として…。
本作は、そんな景色さえ見せてくれたタイム・カプセル盤だった。

タイトルやジャケット写真に惑わされてはいけない。
これはベスト・セレクションのスタイルを借りた2in1のお買い得盤で、しかもそのうちの1枚(後半の10曲)は名盤『ソー・メニー・フレンズ(So Many Friends)』の全楽曲というのだから驚きだ。件のアルバムがCD化されたのが2004年で、当然のことながら既に廃盤となっていて、LPレコードとしてリリースはされてはいるが、再発の兆しは見られなかった。それが、まさかこんな形で復刻されるとは…、想定外のサプライズだと言っていい。
本作は”ゴールデン☆ベスト”と銘打った仕様であり、ストック音源をそのまま焼き付けたものと思われるので、リマスタリングによる音質や音量(音圧)の向上といった気の利いたプレゼントは期待できないが、この価格で五つ星のフル・アルバムが楽しめるというのはありがたい。反面、『ソー・メニー・フレンズ(So Many Friends)』の音質向上盤としての復刻が遠のいたようで残念ではあるが…。
今後、この手法が使えるのであれば、是非とも高橋拓也やスプリングスといったサイドウォークの寡作なアーカイヴスにも応用してもらいたいものだ。

“クイーンをベスト盤で済ませてしまおうとする根性が気に入らねえ!”と叱責されそうだが、このアルバムでほぼ満足している自分がいる。もちろん、中学生の頃の”一家に一枚”盤だった『オペラ座の夜』も持ってはいる、のだが…。
この決定版“グレイテスト・ヒッツ”には続編があるが、どういうわけか「炎のロックン・ロール Keep Yourself Alive」が収録されていない。自分にとっては初期の看板曲であり、彼らのスリリングでハードでスピード感あふれる秀作として外せない1曲であるにもかかわらず、リンダ・ロンシュタットの「また、ひとりぼっち Lose Again」同様、ベスト盤に拾われていない。たぶん、純粋なクイーン・ファンであれば誰もが知っている”事情”があるのだろうが、外様大名のように叱責を受ける身の自分はその”事情”や”経緯”を知らない。”手をとりあって”いる場合ではないのに、と不届きなことを書くと大炎上してしまいそうだが、この曲の欠落は何とも不条理で合点がいかない。
だからといって戦慄の1stに手を出すわけでもなく、何となくモヤモヤしているうちに『オペラ座の夜』のエクスパンデッドで漁夫の利を得てしまった。”ラッキー!”なんて書くと”なに~?!、この罰当たり野郎が!”と火に油を注いでしまうかもしれないが、これでパズルは完成した。
もう1曲、手に入れたいピースがある。続編収録の「Radio Ga Ga」だ。この曲のエピソードといえば、ドラマ”あまちゃん”を思いだす。フレディ・マーキューリーの恰好で登場した伊勢志摩さんが、小池徹平の”次も、またレディ・ガ・ガ?”という失言に、”よ~く見ろ!”と啖呵で返す、何とも痛快なシーンだ。おそらく、わかる人にしか、わからない。そんな”遊び”をさり気なく入れる、宮藤官九郎は天才だ。

そもそもの狙いは1曲目の「僕の想い入れ」だった。79年に全米トップ40入りした時から、その純朴で屈託のない明るさに魅了され、以来、気分が下がったときの元気回復ソングとして何度もお世話になっている。
ポップにステップする愉快なキーボード・サウンドに導かれて、ワクワクするような右肩上がりのメロディが心弾ませる。圧巻は終盤の最高に心地よい転調だ。最終コーナーでギア・チェンジして、一気に加速しながらゴールテープを切るような爽快感がたまらない。まるで天国から聴こえてくる音楽のような神々しささえ感じる。この1曲のためにアルバムを買っても損はない、と思う。
2曲目以降、「僕の想い入れ」を凌ぐ秀曲に出逢うことはないが、足を取られるような湿地もない。そんな中、7曲目の「ダンスしようよ」はアダルトでオリエンテッドなサウンドにポップな味付けが施された佳曲だ。フルーツ味のキャンディのように甘く爽やかで、炭酸の効いたソーダ水のように口の中でクールに弾けてのどを潤す。
アルバムの立ち位置はP・マッキャンやK・ノーランの1作目に似ている。AORとしての評価は2作目の方が高いようだが、個人的には、心に刺さるヒット曲を持ち、アルバム全体のバランスが良い1枚目を推したい。

連続する2枚のオリジナル・アルバムがどちらも”名盤”と評されている場合がある。
仮に”どちらか1枚を選ぶとしたら?”と訊かれたら、最終的には自身の好みに委ねられるとは思うが、中には簡単には決められないものもあったりする。
自分の場合は、イーグルスの『呪われた夜』と『ホテル・カリフォルニア』、フリートウッド・マックの『ファンタスティック・マック』と『噂』、ビリー・ジョエルの『ストレンジャー』と『52番街』辺りがそれに当たる。
反対に、スティーリー・ダンの『エイジャ』と『ガウチョ』だと、迷うことなく前者と答えてしまうのだが…、異論も多いとは思う。
ジャーニーの『エスケイプ』と本作はどうだろう(?)。個人的には、殻をぶち破って大躍進を遂げた大出世作に怯むことなく躍進を続けた本作の開拓者精神に敬意を表したい。実際、楽曲のクオリティ、演奏の重厚感、全体のバランスの良さなど、前作を凌ぐ完成度の高さを感じる。自分など、第一弾シングルかつオープニングの泣き節ロックが苦手で、長らく距離を置いていたのだが、改めて本作と向き合ってみて、ダイオードのように発色する神秘的な青色の世界に惹きこまれてしまった。けだし、”名盤”だ。

こういうスタイルの男女デュオというのは、日本ではあまり見かけない。
ムード歌謡系とは趣が違うし、「カナダからの手紙」のようなポップスには当てはまらない。村田和人と竹内まりやの「SUMMER VACATION」は爽やか過ぎるし、雰囲気の近いEPOに鈴木雅之が絡んだ「DOWN TOWNラプソディー」はイーブンに掛け合うデュエットではない。
改めて本作は、ジャケットのように黒いドレスとタキシードの似合うゴージャスな夜にぴったりのデュエット・アルバムだ。オープニングの「星空のふたり」など、1977年の幕開けに相応しい佳曲で、フルートの旋律が自由なフィラデルフィアの風を運んできてくれる。真冬の寒い夜でも心の炎は熱く燃えている。同じくカッコつきのタイトルを持つ「虹をわたる恋」だって負けてはいない。愛のちかいも抱擁も眩いし、ソフトで優雅なダンス・ミュージックは永遠だ。
バルーンで旅立って行った第五次元のスーパースターの二人が、今宵、最高のショー・タイムのために帰って来た。輝く星座から、ようこそ地球へ、”おかえりやす”。

ハービー・ハンコックの音楽について、本作しか語れない自分のような不届き者に何かを言う資格などない。処女航海に出たこともなければ、ジョニ・ミッチェルへのリスペクトにも触れていない異邦人が、偶然出遭った本作に魅了されてしまったという単純なストーリーに過ぎないのだから、スイカ男に首を絞められても文句は言えない、
ハンコックのキャリアを知っている友人の話では、ジャズやファンクに軸足を置いてはいるものの、その音楽は一つのジャンルに止まることなく、河の流れのように流転し、あるいはカメレオンのように七変化しながら、時代を超えて第一線で音楽を創り続けている、とのことだ。ベスト盤も編集できないし、代表作を1枚に絞ることも難しいらしい。”フランク・ザッパみたい”というと、双方のファンから罵倒されてしまうかもしれない。
本作の位置付けについて、横軸に難易度、縦軸に密度(濃度あるいは重度)のチャートにプロットするとしたら、最も解かり易く最も軽くて淡いゾーンにぽつんと1枚だけ置かれている異色のアルバムなのかもしれない。極めてポップだし、魂を抜いたR&Bといった感じさせする。もしかしたら、彼は自身のクレジットから外してほしいと思っているかもしれない。
だが、アダルト・コンテンポラリー好きの自分にとっては極上の楽曲が詰め込まれた”秀作盤”であり、あまり人には教えたくない秘密の”お宝盤”であることに違いはない。流れるようなスポットライトの似合う派手なダンス・ナンバーが目立つが、決してそれだけではない。ライトでメロウな”楽園”だって、ここにはある。

以前、2ndの浮世絵アルバム『マウンテントップ』と2in1で発売されていたが、今回はセパレートでの再発となっている。”CCM”というカテゴリーなのだが、Cool Soundが発掘したアダルト・コンテンポラリー寄りの隠れた快作だ。ブルース・ヒバードの『ネヴァー・ターニン・バック』やマイケル・ジェイムス・マーフィーの『サレンダー』などの”特A”クラスとは言わないが、十分”A”ランク評価には値する。
1stと2ndに劇的な変化は感じられないので、2枚をまとめたCDを通して聴いても違和感はなかったし、気になる湿地や落ちこぼれ曲などもない。どちらのアルバムも良質で買って失敗はないと思う。
とにかく、オープニングの「Paradise」からご機嫌なのだが、自分にとって最も気持ちを上げてくれる栄養ドリンクは、中盤の「Eternity」から「Love Is Forever」へと引き継がれる完璧なリレーだ。特に後者の小気味よいブラスにはタウリン以上に元気を貰える。魔法学校の優等生が指先から発した閃光を全身で浴びているみたいだ。聴いているだけで気持ちは一気に右肩上がりになるし、小さなイライラも吹き飛んでしまう。要するに、This Is “CCM”なのだ。
このアルバムに魅了された方は、もう一つの山登り盤を楽しんでみるのもいい。朝かステーキを食べるというのも、時には必要だ。

カラフルなイラスト・ジャケットがユーモラスな本作には心揺さぶる至宝の2曲が収められている。「I Won't Last a Day Without You」と「Traveling Boy」だ。
前者はカーペンターズの「愛は夢の中に」として、後者はアート・ガーファンクルの「青春の旅路」として、それぞれが原曲の持つ穏やかでクールな情熱の焔をトーチで受け継ぎ、自らのスタイルに落とし込んで、もう一つのスタンダードを完成させている。「愛は夢の中に」のリリカルな感傷はカーペンターズのものだし、「青春の旅路」のエネルギッシュなパッションはアート・ガーファンクルのものだ。
しかし、ここに収録されているのは紛れもないオリジナルであり、加工が施される前の原石だ。シンプルだが、何とも言えない独特の深い味わいがある。ランディ・グッドラムなどもそうだが、佳曲のソングライターがシンガーとして、こうして自ら歌ってレコードにしてくれたことで、最高のドラフトを楽しむことができる。そのことに対して素直に感謝しなければならない。

本当に“コンプリート”なのか、という議論は置いといて、この2枚組には5枚のオリジナル・アルバムに収められていないシングルズ・オンリーが収録されている。かぐや姫時代のメガ・ヒットは置いといて、あとの2枚は風の古暦を語る上で外すことはできない。
「ささやかなこの人生」は「暦の上では」と並ぶ”卒業ソング”の定番だ。カントリー・ポップスふうの爽やかなギター・サウンドに乗せて、サクラ色のそよ風が通り過ぎていく春の風景が描かれている。歌詞に綴られているのは懐かしい昭和の時代の”青春謳歌”だ。1970年代の穏やかな時間に学生時代を過ごした者に捧げられた”贈る言葉”のようでもある。背中が少し痒くなるようなニュアンスだが、これこそが”昭和”の”青春”だったのだ。
「夜汽車は南へ」はボズ・スキャッグスの「港の灯」をテンポアップしたような滑り出しで始まる。伊勢正三の歌には”汽車”がよく出てくる(「北国列車」は別だが…)。決して蒸気機関車というわけではなく、イス席が並ぶ客車を牽引するEF58の電気機関車だったとしても、やはり汽車は”汽車”なのだ。歌詞の語呂からは仮名3文字が上手く収まるが、”東へ”ではなく”南へ”としたところに都会から地方へと向かう”汽車”であることが覗える。イス席の客車を機関車が牽く編成の夜行列車が走っていたのも、やはり”昭和”だった。

決してネタが尽きたわけではないし、キワモノを選んだわけでもない。子ども向けの教育テレビと侮るなかれ、この楽曲群は本物(マジモノ)だ。
長くなるが、個人的な十傑は以下のとおり。本作に収録されていないものがあることはご容赦願いたい。いずれも原曲の美味しいところをしっかりと持ってきて、次代を担う子どもたちに洋楽(一部は邦楽)の素晴らしさを伝承しようとする姿勢が覗える。
【ランキング】 ※順位/タイトル/元ネタを記載
①「ボス豚」◆ボストン「ドント・ルック・バック」+「宇宙の彼方へ」
②「カキはえいゆう」◆トム・ジョーンズ「よくあることさ」
③「ホタル・カリフォルニア」◆イーグルス「ホテル・カリフォルニア」
④「スワローアゲイン(夏が来る)」◆ギルバート・オサリヴァン「アローン・アゲイン」+S&G「コンドルは飛んでゆく」
⑤「燃えよ!クチバシ ~カモノハシへの道~」◆ビリー・ジョエル「ストレンジャー」
⑥「ナメク☆ジノバネリ ~NEVER LOSER~」◆ジノ・ヴァネリ「アパルーサ」
⑦「チョー(E)!」◆ビートルズ「シー・ラヴズ・ユー」
⑧「サーモンU.S.A.」◆ビーチ・ボーイズ「サーフィンU.S.A.」
⑨「水の中の小さなクマ」◆はっぴいえんど「風をあつめて」
⑩「哀愁のヨーロッパ・バイソンやねん」◆サンタナ「哀愁のヨーロッパ」
次点「ピーター・プランクトン」◆ピーター・プランプトン「ショー・ミー・ザ・ウェイ」
1位から3位は文句なく素晴らしい。特に「ボス豚」は、Bostonの独特のギター・サウンドを再現しているだけでなく、間奏の構成・展開力もそっくりだし、それに加えて歌詞が泣かせるという完璧な仕上がりの楽曲だ。言葉遊びのような「ホタル・カリフォルニア」も、ドン・フェルダーが仰天するほどの見事なギターワークが楽しめる。
かつての邦楽にありがちな中途半端な”焼き直し”ではない。半分”訴えられたって構わない”くらいの覚悟と潔さがある。ここまでくると“パロディ”の領域を完全に超えており、原曲に対する奥深い"愛情"と真摯な”リスペクト”を感じる。

“アコースティックなポール・サイモンが帰ってきた”、といった感じのアルバムだ。センスのいい皮肉も和やかだし、呟くような歌声も心地よいし、一つひとつの楽曲も控え目で大人しい。何よりも音楽が薪ストーブのように周りを暖めてくれる。ジャケットもデジタルふうだが、ブラウン管の映像のような味のある粗さがある。
冒頭の「アレジー」は少し神経質で張り詰めた空気が漂っているが、タイトル曲以降はシンプルで落ち着いた楽曲が続く。
とりわけ「犬を連れたルネとジョルジェット」は、ルネ・マグリット夫妻が犬と佇むスチル写真から貰ったイメージを綴ったものだと聞くが、やわらかい陽射しが暖かく感じられる晩秋の景色が浮かんでくる。幻想的で奇想天外な絵画と穏やかな家族写真とのコントラストも一興だ。
ポール・サイモンの楽曲には”車”が登場するものが多いが、このアルバムには”車”の楽曲もあるが、さり気なく”汽車”も走らせている佳曲がある。鉄道好きの自分には嬉しい楽曲だが、汽笛が本物かどうかはわからない。それでも機関車”ネゴシエイションとラヴ・ソング号”は人生の光と影を縫って走り続ける。重なり合うハミングのコーラスも実に心地よい。
「レイト・グレイト・ジョニー・エイス」は締めの佳曲だが、アルバム『時の流れに』の「マイ・リトル・タウン」のような浮いた感じがしている。決して違和感ではないし、アルバムの重鎮としての存在感もあるのだが、他の楽曲と比べて、少しだけ色調が暗いような気がする。"死"の影が漂っているせいかもしれない。
この原点回帰ともいえる秀作アルバムの後、ポール・サイモンは遥かアフリカ大陸へと旅立ってしまう。久しぶりの里帰りだったが、居心地の悪さを感じたのだろうか…。
考え過ぎかな?

NHKの映像アーカイブで残っているのは番組最終回の放送分だけらしい。当時のヤングの躍動は僅かに残された写真でたどるしかないが、歌声はCDで楽しむことができる。
個人的なビッグ・フォーは「涙をこえて」、「人生すばらしきドラマ」、「怪獣のバラード」、そして「若い旅」の4曲だが、五指を選ぶとすれば、中村八大のペンによる和製ポップスの名曲「恋人中心世界」を加えたい。それぞれのテイクはレコーディングの時期によってメイン・ヴォーカルが変わって(引き継がれて)いるのて、人によって好みは分かれるところだが、楽曲自体の”素晴らしさ”は変わることはない。どの楽曲も聴く(あるいは口ずさむ)者に”勇気”と”希望”を与えてくれる"パワー"を持っている。
このアルバムでは番組後期の佳曲が拾われている。当時のグラム・ロックの匂いのする「ジャングルジム」やクールな「にくい太陽」を思いっきりシュールでモダンにしたような「僕が五年前に考えたこと」など、自分としては懐かしい楽曲ばかりだ。
2枚組の1枚目にはオリジナル曲、2枚目には彼らの十八番でもある洋楽カヴァー曲を中心にまとめられているが、そんな中、終盤の特選邦楽カヴァーの中で太田裕美が歌う「あなた」が、"Your Song"ふうのアレンジも含め、原曲の空気感に寄り添ってトレースされていて、個人的には大きな収穫だった。

輸入盤でCD3枚組というボリュームだが、カーペンターズはこれくらいの容量がなければベスト盤として十分とはいえない。
このアルバムの「Yesterday Once More」は、後のリ・アレンジで歌い出しの”私を笑顔にさせてくれる”へと移る直前に施された変調コードへの差し替えではなく、当初のシンプルでフラットな録音の方が選曲されていて、当時のレコードに親しんできた者にとっては何ともありがたい復刻となっている。もっとも、『ナウ・アンド・ゼン』のテイクなので、エンディングのエンジン音も添えられているが…(AIを使って剥がせないものだろうか?)。
ところで、今さらながら「愛のプレリュード」は不思議な魅力を持つ名曲だと思う。アルバム『遥かなる影』ではオープニングに起用されているが、自分が最初に買った来日記念のベスト盤ではアルバムのラストを飾っていた。どちらもそこが定位置であるかのように、とても収まりがよく馴染んでいる。タイトルどおり新たな始まりの”プレリュード”であるし、第一幕を締めくくる”エピローグ”でもある。激動の60年代が幕を閉じ、平穏な70年代を願うように、繊細なバラードは静かに始まり、途中、ふたりの誓いを力強く宣誓した後、再び穏やかな夜明け前の時間へと戻っていく。

夏色の落ち着いたアルバムだが、ポイントはそこではない。洋楽カヴァー曲の「夜も泣いていた」だ。タイトルで浮かぶのはエディ・マネーだが、実は、レスリー・パールの佳曲「おしゃれな関係 If The Love Fit Wear It」だということを聴いている途中で気づかされた。まるで巧妙に仕組まれたアリバイを解いたような、個人的には大発見だった。
この手の意表を突く洋楽の日本語カヴァーとしては、井田リエ&42NDストリートの「ひらめきラヴ」や、しばた はつみの「バイバイ・ジュエル」などがあるが、どれも聴いているうちに謎が解けていく、それも"わかる人にはわかる"といった凝った(?)仕掛けになっている。特に「バイバイ・ジュエル」なんて、原曲のメロディだけを貰ってきていて、かつてのステージ101の洋楽の翻訳カヴァーでもやっていない大胆な反則技を展開している。
話を『him』に戻して、本作に収録されている「曇りのち"Easy"」は、岡崎友紀の「Cafe B.H」やKAITAの「LOOKING FOR LOVE」、指田郁也の「パラレル」などと同様、M・マクドナルドの匂いがする。

サマンサ・サングといえばビージーズの全面サポートで大ヒットした「愛のエモーション」のワン&オンリーだろうと侮っていったが、それは大きな間違いだった。このアルバムはシングルヒットにあやかって半ばやっつけ仕事で作られたB救品ではなかった。
エリック・カルメンの「チェンジ・オブ・ハート」以外の邦題は、優しい日本語でラッピングされていて邦人リスナーに寄り添っているのだが、一方で有名カヴァー曲などが邦題に隠されてわかり難いこともある。例えば、「私は行かない」なんて、ブルース・ロバーツ自身も歌っている「I Don’t Wanna Go」の直訳なのだが、サンプルを聴くまで全く気がつかなかった。結論から言えば、個人的にはいい意味のサプライズだったし、原曲の持つ甘酸っぱい雰囲気を損なうことなく歌い上げていたので、アルバム購入の背中を押してくれる1曲になったことは確かだ。
他にも佳曲ばかりを取り上げていて、内容も充実しているが、ビージーズのカヴァー曲「愛のシャレード」は本家のオリジナル版「Charade」に軍配を上げたい。好みの問題だが、アルバム『ミスター・ナチュラル』の冒頭で魅せた3兄弟のウィスパーなコーラス&ハーモニーは絶品で、まるで深い夜の静寂に仄かに揺らぐ港の灯を想わせる完璧な”おやすみソング”の完成形だからだ。
最後に、この物価高の時代に税込み2,200円というリーズナブルな価格設定には感謝しかない。欲しいものリストにも入れていなかったが、レーベルのことも考えると無理をしてでも早めに買っておく必要がある。

アルバム全体としての印象は”シャープ”で”スタイリッシュ”なのだが、個人的にはそれほど熱心にお薦めはしない。ということで★は3つ。
唯一、(これも個人の感想として)秀逸なのがオープニングの「リフレッシュ!」だ。
自分の中でのこの曲は”夏のリゾート・ソング”の定番だし、これまでも随分と活躍してくれた。世の中が好景気に浮かれていた頃、24時間働けていたビジネス・マンが束の間の休暇を楽しむための”応援歌”だと受け止めている。フリーウェイに加速しながら侵入する時のようなスピード感と、爽やかに吹き抜ける涼風の清涼感が何とも心地よい。聴いているだけで南太平洋に浮かぶ客船のデッキに佇んでいるみたいで、身体の芯から”リフレッシュ”できる。優雅な夏の過ごし方を提案してくれる佳曲だ。
プレイリストの候補曲としては、この曲を筆頭に崎谷健次郎の「夏のポラロイド」や南 佳孝の「Vacances Bleu」、佐藤 博の「アンジェリーナ」、角松敏生の「FLY-BY-DAY」辺りを合わせたい。ベタな選曲になるが、山下達郎の「SPARKLE」で始めて、後半の山場に大瀧詠一の「ペパーミント・ブルー」を持ってきてから、最後を村田和人の「Summer Dream」で締める、といった流れもいい。ついでに、季節は少し外れるが、伊勢正三の「9月の島」や稲垣潤一の「夏の行方」辺りのアシストもアクセントとして欠かせない。収録時間とにらめっこしながらカセット・テープを作っていた時代が懐かしい。

『プライヴェート・ダンサー』の30周年記念盤を買いそびれて仕方なく辿り着いたのが、この2004年発売の2枚組ベスト盤だったが、これが大当たりだった。
最初は新しい3枚組の方を考えていたのだが、資金繰りに行き詰まり、不本意ながら古い方を購入したのだが、20年前の編集盤とは思えないくらい音圧(音量)がしっかりしていて、年代の新しい楽曲は音もクリアで、経年による遜色は全く感じられなかった。
それ以上に素晴らしかったのが内容だ。自分の場合、ビルボード・チャートに登場するヒット曲とグラミーを逃した件のアルバムしか知らず、特に後者の”山姥”のような渋谷系の風貌としゃがれた歌声(大いに失礼)に翻弄されて、本質の”歌の旨さ”に気づかずにいたという、何とも間抜けなリスナーであったことに気づかされてしまった。
とにかく凄かった。演っている音楽もソウルやR&Bといった領域に止まらず、本物のロックにも軸足を置いていた。それも威風堂々と。厄介な暴れ馬にも真正面から立ち向かい、いとも簡単に乗りこなしていた。そのパワフルでエネルギッシュな歌声は、聴く者の心の奥底に届き、魂までも揺さぶる力を持っていた。
もちろん、個々の楽曲そのものも素晴らしいのだが、それらに命を吹き込んでいるのは、紛れもなく”ロックンロールの女王”、ティナ・ターナーなのだ。

カーペンターズといえば、少し苦味のある副菜も添えられたオリジナル・アルバムよりも、ヒット曲を目いっぱい詰め込んだベスト盤で十分楽しむことができるアーティストなのかもしれない。それでも、「イエスタデイ・ワンス・モア」をメイン・テーマに架空のラジオ番組というコンセプトでひと昔前の懐かしいポップスをメドレーで繋いだ『ナウ・アンド・ゼン』のB面のような圧巻のトラック集など、ドーナツ盤と同時進行でリリースされたオリジナルのLP盤も結構侮れない。
この淡い紫色のジャケットがメランコリックな本作には、シックで落ち着いたトーンの楽曲が並ぶ。控え目な素材に彩りと奥行きを与えているのが、カレンの軸のブレないしっかりとした歌声とリチャートのペンによる包み込むようなコーラス&ハーモニーだ。70年代が始まったばかりに届けられた珠玉の一枚と言っていい。
白眉は何と言っても無敵の「遥かなる影 (They Long To Be) Close To You」に尽きる。この70年代屈指の名曲は、四拍子なのにワルツのように聴こえる、魔法のポップス・チューンだ。ゆったりとしたテンポでフロアを踊りながら、ゆっくりと”憧れの人に近づきたい”と願う乙女心が唄われる。やがて優雅なひとときは少しずつフェイド・アウトしていくが、アルバムでは、終わったと思わせて再び登場するアンコール・テイクが加えられていて、幸福な時間をもう少しだけ楽しむことができる。これもオリジナル・アルバムでなければ味わうことができない特典だろう。だが、余計なことに、一部のベスト盤では<自分が人生で最初に買ったLPレコードも同じく>、この曲のロング・バージョンが収録されている。それはそれで"幸運なサプライズ"ではあるのだが…。

70年万博のパビリオン”○◇□△ロボット館”のようなジャケットが愉快だ。カラフルなスケルトンの巨大ロボットもフレンドリーで憎めない顔をしていて、”いずれは人間を支配する”といった警鐘も聞こえない。
静かにフェイド・インする二部構成のタイトル曲「アイ・ロボット」は、エネルギーを投入されて動き始めるAI内蔵のロボットの創生が描かれている(ように感じる)。その後の展開も、まるで近未来を舞台とするSF映画のサウンド・トラックを聴いているみたいに壮大でドラマティックだ。あちらこちらにアラン・パーソンズがエンジニアとして関わった『狂気』のプロトタイプを想わせる匠の技も認められるが、本作はそこまでの重苦しい空気感やシリアスな問題提起といったものはないし、人の心の奥に潜む”闇”を描いているわけもない。特撮映像を観ているようなミステリアスな美しさを描いた「核」や「皆既食」なども、いい意味で”軽い”。
“私はロボット”に対して”君は他人”と距離を置いていた関係性が、曲折の果てに”創世紀”に辿り着くのだが、待っている結末は”協働”なのか”支配”なのか、わからない。そんなに難しいことを考えずに、川の流れのようにゆったりと流れる音楽に身を任せて、総天然色のファンタジーを心ゆくまで楽しめばいい。それが正解だ。

極めて個人的な感想だが、このLP盤2枚組は、それほど悪くない。かつての神々しい名作群と比べると見劣りするかもしれないが、棄て曲はないし、内容もそれなりに充実している。特大ホームランこそないが、全員安打でしぶとく繋いで勝利を収めている。
一方で、持ち上げておいて言葉は悪いが、EW&Fがスペクトラムのスタイルに寄せてきたようにも感じる。太陽の化身たちは、宇宙から地上に降りてきて、我々に分かりやすい音楽を説いているみたいだ。冒頭の「明日への讃歌」など、硬派で辛口のファンクで最後まで押してくるのかと思いきや、後半のコーラス・パートなどは『魂』の「サタディ・ナイト」のようにポップで軽快にまとめている。ロックやAORに”魂”を売ったような楽曲も見受けられるが、だからかといって決して”緩々”ではない。2枚組となると全体が間延びしてしまいがちだが、色調の異なる17曲をコンパクトに刈り込んで繋げているので、聴いていて飽きがこない。痒いところにもちゃんと手が届いている。
最後は角松敏生の「Heart Dancing(あいらびゅ音頭)」のような盆踊りから始まる長尺のタイトル曲だが、途中で針を上げたくなるような冗長さはない。
セールス面で”成功”とは言い難い結果に終わったこともあって、次作では長岡秀星のイラストで天空を駆け巡る本来のスタイルに戻ってしまったが、このアルバムでの表情豊かなチャレンジは決して”失敗”に終わっていない、と思っている。

アイドル寄りの女性歌手(全員ではないけれど…)による日本語版カヴァー曲集で、いわゆる”トリビュート”的な企画盤としてリリースされている。真っ赤なハートがデザインされた72年のアルバム『ア・ソング・フォー・ユー』を想わせるジャケットも素晴らしい。
起用した女性歌手のセレクションも秀逸だ。楽曲との意外な組み合わせが思いがけない奇蹟の化学変化を起こしていたりする。個人的には、斉藤由貴と石野真子が"思いがけない"サプライズだった。どのナンバーも原曲への深い愛情が感じられて、聴いていて心が和むし、癒される。
本作は初期の楽曲に重心を置いているが、それでも選出されなかった名曲はたくさんある。個人的には「雨の日と月曜日は」と「愛は夢の中に I Won’t Last A Day Without You」は外してほしくなかった。どちらもポール・ウィリアムス絡みだが、70年代初めの頃の甘く切ない空気感を漂わせている佳曲だ。もしも続編があるのなら是非とも取り上げてほしい。その際、決まり事として既に唄っているシンガーとソング・ライター(竹内まりや大貫妙子など)を外すのなら、前者は伊東ゆかりか岩崎宏美、後者は今井美樹か石川ひとみ辺りでお願いしたい。もちろん、歌詞は日本語て、アレンジは原曲のままで。

重厚で陰鬱なアルバム、といった印象を持っているが、ずっと、このアルバムに惹かれている。
出発の「アレンタウン」はエネルギッシュだ。基幹産業の衰退の煽りを受けて、かつて栄えた工場の街は寂れてしまったが、労働者たちは生活の糧を失ってもこの街で前を向いて生きて行こうとしている。傾斜のきつい坂を登る機関車のように、彼らの熱量は衰えていない。昔、”この曲は自分の暮らす北九州を唄っているみたいだ”と呟いた者がいた。”鉄は冷えても、魂は熱いままだ”と伝えたかったのだろう。生きる力を与えてくれる”応援歌”だ。
2曲目以降は重苦しい楽曲が続く。依存と愛情の中途半端な距離感、過度に張り詰めた緊張感の中で容赦なく襲ってくる抑圧、封じ込めた心の奥で徘徊し続ける戦争の記憶、プログラムどおりに進行する恋愛物語、共有できない価値観を持つ者同士の共同生活…。どの状況から脱することも、目的地に辿り着くこともできない。
タイトで辛口のR&Rの後に続く終盤の3曲は、さらに迷走する。ここまでのタールのような重苦しい流れに呑まれていると、不協和音にも違和感を覚えなくなってしまう。”驚き”がないのではない。捉える側の感覚が麻痺しているのではないか、と思う。
村上春樹が小説『ノルウェイの森』の執筆中にリトル・ヘルプを貰ったというビートルズの『サージェント・ペパーズ・…』は、ビリー・ジョエルにも第9革命のような”人生の1日”のインスパイアを与えた。鼓笛隊に導かれて、時空の歪みのような”旋律の溶解”が始まる。針葉樹の深い森の中に引き込まれないように、スカンジナビア半島の上空を音速で飛行しなければならない。
アルバムの最後は穏やかな楽曲で幕を閉じる。魂を抜かれたような無表情の旋律は、終末の葬送曲のようにも聴こえる。空っぽの劇場に一人残されて、歌劇が始まるのを待っているが、肝心のオーケストラがいない。”安息”の向こうから聴こえる微かな「アレンタウン」のメロディに癒され、やがて、黄色いナイロン・カーテン越しに” 永遠の静寂”がやってくるのだろう。
重厚で陰鬱なアルバムだが、何度も聴ける”迷盤”であり、”名盤”だ。

おそらく初めてのベスト・アルバムで、代表曲が”ほぼ”網羅されている。”ほぼ”というのは、意図的に外されたと思われるものもあったりして、続編のために残したのだろう。反対に”これを選んだか…?”といった選曲もあるが、クリスマスの匂いのする「三人目のパートナー」などは、自分にとって嬉しいサプライズだった。
一つ疑問だったのは、「コンチェルト」の歌詞のリメイクだ。アルバム『乳房』では”お腹のすかした<彼女>を 入口で待たしたまま~”と唄っていたが、自分の記憶が正しければ、ここでは”<彼女>”を”<きみのこと>”に唄い直している。おそらく、入口で待たしているのは<きみ>=”恋人”なのだろう。関西では女性の恋人のことを<彼女>と言うが、三人称だと伝わり難いと思ったのかもしれない。
それとは別に、この楽曲もそうだが、歌詞に”仕事”とか”働く”といった言葉が出てくると、いい意味で電撃が走る。例えば「POWER」には”わき目ふらずに 働き続けたい”という決意表明がある。このフレーズを聴いているだけで、大きな”力”を貰えたような気がして、元気が湧いてくる。
そういえば、大貫妙子の「突然の贈りもの」にも”仕事”が登場する。最後のところで”皆とはじめた 新しい仕事にもなれて~”と唄われるが、何気ない言い回しだが、頑張っている様子が覗えて、何となく微笑ましい。

男女混成のロック・バンドは他にもあるが、主力の男女メンバーが”自ら曲を作り、自ら歌う”といったスタイルは、70年代半ば以降のフリートウッド・マックくらいしか成功例を知らない。しかも、飛行機から宇宙船へと進化した”ジェファーソン号”には老若男女が乗り込んでいて、ほぼオムニバス・アルバムのように個性的なパーツが巧みに組み合わされている。まるで”足の数は多いが、赤いハート型の胴体は一つ”、といった感じだ。
勢いのある俊足ロックでスタートしたかと思えば、一転、マーティ・バリンの”泣き節”がハート悲しく登場する。いきなりのシフト・チェンジだが、ここで切り札を出せる辺りがこのアルバムの凄いところだ。シングル・バージョンは10ccの「アイム・ノット・イン・ラヴ」同様、ラジオ向けにエディットされているが、この曲の良さはフルで聴かなければ伝わらない(と思っている)。この曲と同じ匂いのするエアロスミスの「ドリーム・オン」も、この時期に大ヒットしたセンチメンタルな”泣き節”バラードだ。ちなみに、本作にはもう一曲、姉妹曲ともいえる「タンブリン」が用意されていて、こちらも聴く者のハートを悲しくさせる”奇蹟”の佳曲だ。
アルバムには陽気なフィドルのリード曲が存在感を示しているが、他のストレートなロック・ナンバーにも弦の音色が絡んでいて、乗組員総出の”プレイ・オン”がタコ足盤の一体感を作り出している。何とも”愛・ガ・リ・マ・ス”な一枚だ。
終盤にはスティクスの「永遠の航海」のような成層圏を突き抜けていくプログレッシヴなインストにもチャレンジしている。後にマーティ・バリンが唄った「ランナウェイ」では、地球を飛び出して、壮大な宇宙の彼方まで”逃亡”している。

表題曲でもある「ミント・ブリーズ」は、個人的な”夏”の和モノを集めたプレイリストでクール・ダウンさせてくれるインスト曲として欠かせないナンバーだ。アタックの強いTokyo Ensemble Labの「Lady Ocean」やカシオペアの「タッチ・ザ・レインボー」などとは異なるアプローチで、ミディアムな鈴木 茂の「コーラル・リーフ」や松任谷正隆の「イマージュ」などよりもソフトでジェントルな、”涼”を届けてくれる楽曲として貴重なアイテムとなっている。
今田 勝 との出逢いは『モーニング・ドリーム』という”裏”(あるいは”次点”)ベスト盤に遡る。ラテンの匂いの強いハート・カクテルふうの楽曲やジャズに特化した”表”ベスト盤を聴とは違い、聴き心地のよい”イージー・リスニング”感が漂う小品が集められていて、その延長線で入手した本作のメロディアスな”夏色”に魅せられてしまった。
爽やかに通り過ぎて行く夏のよそ風を深呼吸するように吸い込めば、ライト・グリーンの仄かな薄荷の香りを感じることができる。自分の中では、村松 健 のアルバム『緑の想い』の空気感とも共鳴している。

初打席で「アンダーカヴァー・エンジェル」という特大ホームランを放ち、その後、疾風のように去って行った(とはいえ2枚目のアルバムも出している)アラン・オディの美味しい料理が楽しめるアルバムだ。レシピはアラン・オディ自身のものだが、キッチンには愉快な仲間達が集い、カジュアルだがしっかりとした味付けで調理されている。ドクター・フックのような惚けた調子の楽曲もあるが、真摯に音楽に向き合った佳曲もあって、大衆酒場で誰もが口ずさめる歌謡曲や場末の女性コーラス隊を絡めたコミカルなポップ・ソングに浸かっているわけもない。“棄て曲なし”とは言い難いが、”拾い物”もいくつかあるので、”★”は4つとしたい。
ソング・ライターとしての実績もあり、本作でも彼自身のペンによるヘレン・レディのシックな全米No.1ヒット「アンジー・ベイビー」を自ら歌っている。余談になるが、ライチャス・ブラザーズのノスタルジックな「ロックンロール天国」も彼の作品というのだから音楽レシピのストックは豊富だ。
偶然だが、同じ頃、ソング・ライターのピーター・マッキャンも、初打席初ホームランとなる「恋人たちの午後」を大ヒットさせ、1作目となるアルバムでは彼自身のペンによるジェニファー・ウォーンズのスマッシュ・ヒット「星影の散歩道」を自ら歌っている。少し脱線するが、このアルバムのラストを飾る「If You Can't Find Love」は、リッチー・ヒューレイの「I Still Have Dreams」を想わせる、聴く者に勇気を貰える佳曲だと思っている。

世間ではそれほど評価もされさない平凡なアルバムでも、その人にとっては大切な想い出とリンクする”特別な1枚”というものがある。自分にとって本作は、そんな”特別な1枚”だ。長年CD化を待ち望んでいたが、願いは届かず、諦めかけていたところに朗報が飛び込んできた。埋もれたLPレコードに陽を当ててくれたのは、やはりBIG PINKレーベル(VIVID SOUND 配給)だった。
温もりのあるやさしいメロディを繊細な歌声で紡いでくれたメアリー・マッグレガーの「過ぎし日の想い出」が全米No.1に輝いたのは、時間が今よりも穏やかに流れていた1977年2月のことだった。少し経って、この曲の収められたデビュー・アルバムの発売を知り、セピア・カラーのモノクロ写真がプリントされたバースディ・カードを想わせるジャケットに惹かれてLP盤を購入した。
アルバムの最後を締めくくる「過ぎし日の想い出」を凌ぐ佳曲と出逢うことはなかったが、それでも、オープニングの「ママ」に始まる9曲は、昔ながらの焼き菓子のような懐かしい味がした。全体のトーンも落ち着いていて、楽曲たちはどれも控え目で、純朴で、ナチュラルで、やわらかな春の陽射しのように1977年の穏やかに流れる時間に寄り添ってくれていた。
そんなわけで、自分の評価は”★”五つだが、それは決して客観的な評価ではない。名曲「過ぎし日の想い出」は、ヒット曲を集めたコンピレーション盤で楽しむことができるので、温もりのあるやさしいメロディとメアリー・マッグレガーの繊細な歌声に癒されたいのなら、そちらの編集盤をお薦めする。それでも、昔ながらの焼き菓子のような懐かしい味をお求めなら、この愛すべきオーガニックな本作を聴いてみていただきたい。

硬派なジャズ・ファンクを下敷きにした、ほぼインストゥルメンタル・ナンバー「ピック・アップ・ザ・ピースス」の印象が強烈なAWBが、黒いジャガー印の重い鎧を脱ぎ捨てて、洗練されたアダルト・コンテンポラリーにシフトした改作アルバムである。EW&Fを彷彿とさせるオープニングからノリに乗っている。続くミディアム・スローなナンバーのエッセンシャルはエアプレイだ。だが、決して世の中のトレンドに”魂を売った”わけではない。デヴィッド・フォスターの力を借りた暗黒、いや、新境地への挑戦だと受け止めたい。
収録された楽曲には痛快な新風ばかりだが、アルバムの顔の一つとなっているのが「レッツ・ゴー・ラウンド・アゲイン」だ。流れるような回転(ラウンド)は、モノクロからカラーへと装いを一変したダンスフロアで映える楽曲として、ミラーボールのように”輝いて”いる。後にKANが80年代のディスコ・ブームをノスタルジックに綴った「DISCO 80's」でコラージュしたのは、間違いなくこの曲だと確信している。それほどダンサブルでスムーズな”ディスコ・ミュージック”の定番として完成されている。
とにかく疾走は続く。休みなく。後半の「ヘルプ・イズ・オン・ザ・ウェイ」など、ここぞという場面で琴線のメロディを持ってきて、リスナーの心をしっかりと捉えて離さない。最後はバラードで締めるのかと思わせて、どこまでも"輝き"続けて大空へと舞い上がる。何とも爽快なアルバムだ。
CDにはボズ・スキャッグスでヒットした「ミス・サン」が(カヴァー曲として?)追加収録されているが、リズム・テンポやアレンジも含め、全くの瓜二つに仕上げられている。決して”魂を売った”わけではない。

ジェネシスというバンドとは少しばかり距離を置いている。その証拠に、3種類の複数組ベスト盤でお茶を濁している。オリジナル盤で棚にあるのは『アバカブ』だけで、それ以前のプログレッシヴなアルバムには一切手をつけていない。
本作も3枚組というボリュームだが、1枚目がヒット曲中心のコマーシャルな入門編で、2枚目が少し難易度を上げた中級編、そして3枚目が難解かつ冗長な大作を集めた上級編といったヒエラルキー構成となっている。進学校のクラス分けのようなレベル別の編成だ。2枚目で「ついて来れるか?」と訊かれ、3枚目では「お前、本当に俺たちの音楽が解かるのか?」と試される、3枚目は軽い気持ちで踏み入れてはいけない領域だ。
例えは良くないが、シカゴ(Chicago)でいえば、1枚目が『Chicago Ⅸ Greatest Hits』で、2枚目には『Ⅱ』の「ぼくらの…」シリーズや、『Ⅵ』に収められていた陰鬱な「ハリウッド」、『Ⅶ』からはファンキーな佳曲「ママが僕に言ったこと」などを集めて小テストされ、3枚目になるとデビュー盤の「1968年8月29日シカゴ、民主党大会」や『Ⅶ』の「エアー」からの「悪魔の甘い囁き」を聴かせて本物のファンかどうかを見極める、といった感じだろう。ビートルズなら「レボリューション 9」や「ブルー・ジェイ・ウェイ」、「ユ―・ノウ・マイ・ネイム」辺りが並べられるのかもしれない。ただし、決定的に違うのが、これらがジェネシスではベスト盤収録曲として成立しているということだ。
自分はどうかと訊かれれば、2枚目の途中で方向感覚を失ってしまい、3枚目に至ってはフルで聴き通すことができなかった。完全な落第生だ。まだ追試に間に合うのかもしれないが、難攻不落な3枚目を突破するにはいささか歳をとり過ぎていて、チャレンジする力も失せてしまっている。3人が残る以前のアルバムを聴く資格はない。

とにかく”エグい”2ndだ。デビュー・アルバムも素晴らしかったが、本作はそれを悠々と超えてきた。
1曲目の「心のきずな」から独特の”エグい”世界観に圧倒される。まるでベテラン俳優の演じる”一人芝居”を観ているように、もの凄い音楽が聴き手の心の奥深く入り込んできて、魂までも揺さぶっていく。大作「ウェスタン・スロープ」もそうだが、楽曲の展開が目まぐるしくて、速球と変化球の投げ分けに全くついて行けず、ただただ翻弄されている。それも心地よい翻弄だ。自由なのだが、規則性を残している。”ジャズ”ではない。アシッドでプログレッシヴな”現代音楽”だと受け止めている。
「リヴィング・イット・アップ」も”静”と”動”の二つの顔を持つドラマティックな佳曲だが、他の追随を許さない前述の2曲に比べると、はるかにポップな印象を受ける。リードの旋律は穏やかで親しみやすいし、歌声はやさしくて温もりがある(ように感じる)。最後には歌姫の華麗な輪舞を想わせるクライマックスが用意されていて、6分半のショート・ムーヴィーは幕を閉じる。
アルバム中盤のスローな「スケルトンズ」や「ラッキー・ガイ」も、決して休ませてはくれない。凪のような静けさの中にも研ぎ澄まされた”緊張感”が潜んでいる。”安息”は、むしろ「スロー・トレイン・トゥ・ペキン」の気の置けないトラッドな楽曲の中にあるのかもしれない。前作のゆっくりと走る夜汽車とは違い、ガタゴトと疾走する賑やかな列車だが、乗り心地はよい。
というわけで、ジャケットの永遠の一コマを切り取った白黒写真も含め、彼女の渾身の1枚だと思っている。傑作だ。

発売元は“P-VAIN”のはずなのに“Light Mellow”というレーベル名となっていたり、大手サイトが発売前の注文を受け付けていなかったりと、謎の多いリリースなので、本当に発売されるのか不安を抱いている。
クリス・スミスのアルバムは、デビュー盤と思い込んでいた『REAL THING』に始まり、次の『BACK TO YOU』と、それに続く『LET THE BALL ROLL』まで、それぞれのリリース時に買い揃えてきた。3枚とも個々の楽曲の質が高く、何度聴いても飽きることはないアダルト・コンテンポラリーの的を射た良盤だ。
最初に入手した『REAL THING』のジャケットが自主制作を想わせる工作員のような顔写真に戸惑い、1曲目の変則なグルーヴ感にも馴染めなかっただが、2曲目以降の安定したラインナップがメジャー作品を凌ぐ出来栄えだったことで、結果、大きな収穫を得た。次作のおちゃめなジャケットの『BACK TO YOU』からはジャズの風を入れ、宇宙から地球を眺める『LET THE BALL ROLL』でも楽曲の質を上げていった。
それ以降、音沙汰がなかった(自分が見つけることができなかった)が、ここに来て、鳴り物入りの”デビュー・アルバム”が発掘されたのだ。これは何としても入手しなければ、と意を決し、ネット購入を受け付けているサイトでオーダーしてみたのだが…。タワー・レコードをはじめとする大手サイトの違和感のある対応に気持ちがザワついている。

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