カスタマーズボイス一覧

マーラー・コンプリート・エディション<初回生産限定盤> / Various Artists

150周年の「お祭りBOX」としては良い企画モノです。
然し!「第7番」が何故に「クレンペラー」でないのか?ラトルなら全集で持っている人が居るだろうに。何故に彼だけ3回も登場?
「第6番」「第9番」がバルビローリなのに、理解に苦しみます。残念!

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二十一回猛士さんが書いたカスタマーズボイス

(全62件)

フルニエの無伴奏全曲録音はアルヒーフ盤は「マスト・バイ」である事は誰しもが認めると思います。
然し、迫力とライヴという一度限りの記録という点では私は59年ジュネーヴ盤に次ぐ必聴の記録だと思います。59年ジュネーヴ盤に劣るのは聴衆のノイズも盛大と言う点です。矢張りベストは59年ジュネーヴ盤、そして此の東京ライヴ、アルヒーフ盤というのが順当な評価だと思います。

ノイマンのマーラーって過剰評価されていませんか?:
恐らく「ブラインド・テスト」でマーラーの第9番を比較して聴いたら、「此れが良い」と言う人は少ないのでは?
ワルターの38年ライヴは鑑賞用というよりも「歴史資料」ですし、マーラーの第9番には、バルビローリ、ジュリーニ、カラヤンの2つの録音が有れば、(ラトルのBRS盤は別格)敢えて購入してまで聴く必要は無いのではないでしょうか?

BRSのマーラー第7番は・・・:
此の録音は頂けません。
ハイティンクはACO盤、BPO盤とも名演奏でしたが、此の最後のBRSだけはどうにも評価出来ません。
同じ事がマリス・ヤンスンスにも言えるのは何故でしょうか?
ACOではあれだけ出来たのに同じ指揮者でBRSはダメ(平均以下)が2度も続くとBRS其のモノの力量を疑いたくなります。
然し、ラトルがBRSを指揮した第9番は「稀代の名演」なのですから、不思議なモノです。
そうなると矢張りハイティンクとヤンソンスの晩年のオーケストラドライブに問題があるとしか思えません。
従いまして此の「第7番」は余程の「第7番フリーク」かハイティンク・ファン以外には絶対にお勧め出来ません。

ベルリン・フィル盤とACO盤を比較する楽しみ:
ハイティンクは、ACO、此のBPO、晩年のBRSと「第7番」を録音していますので、それぞれのオケの音色の違いを楽しむ事が出来ます。
個人的にはマーラー再現はACOが一番だと思っているのですが、弦の美しさ、個々の楽器の美音と鳴りっぷり(第2楽章で顕著に分かります。音量を絞って聴いても音が痩せないのは流石です)を評価すれば此のBPO盤が矢張り抜き出ています。(ホールの残響やPhilipsとDeccaの録音思想の違いもあると思います)
此の様なオケの比較が出来るのはハイティンクという指揮者が若い頃は「大きな欠点」であった「可も無く不可も無い」面が壮年期以降になって円熟も加わり、逆に良い働きをしたからでしょう。ラトルとは真逆の「大器晩成型・巨匠」がハイティンクなのです。
ACO盤のコメントでも書きましたが、マーラーの交響曲、特に「第6、第7、第9」の後期交響曲は指揮者が「出過ぎる」とマーラーではなく指揮者(典型がバーンスタイン)の曲になってしまうのです。特に様々な楽器が活躍する「第7番」ともなれば、指揮者としては「リキ」も入るだろうし、あれこれやりたくなっても不思議では無いのですが。(スタジオ録音のシノーポリですらうなり声を発しています)
其れでも第5楽章のテムポは「流石!」と思わせる処が矢張り「巨匠」です。
それにしても此のCD付属のリーフレットの「解説」は不要のみならず害毒です。此の駄文を書いた岩下何某(に限らず日本の『評論家』、何とかならないのでしょうか?輸入盤のリーフレットは「曲の解説」に徹していますので、日本固有の悪しき習慣は止めた方が良いと思うのですが・・・。★1つ減じたのは此のリーフレットの所為です。演奏・録音は文句無く「★5つ」の名盤です。

コンセルトヘボウの音で聴くマーラー:
ACOのマーラー第7番にはシャイー盤という決定的名盤があるが、此れは其の約10年前の録音。当時ハイティンクは壮年期で晩年の様な「深み」こそ無いが、此の録音がPhilipsから発売された時は美しいジャケットも相俟って「これぞマーラーオケのACOだ」と感じたものである。
其の後余りタワーレコードが再発する迄、余り顧みられる事の無かったCDであるが、指揮者の個性が出ないにも拘わらずオケが「鳴りきっている」演奏で、若い頃は「可も無く不可も無い・あっても無くても良い演奏」と評されたハイティンクが実は「ACOの音」を大切にしていたことが分かります。第5楽章の13:20のワルツ等、実に美しく、フィナーレの楽器総動員でも決して「煩く」ありません。ベストではありませんが、「第7」を初めて聴こうとする方には一番お勧めかも知れません。
クレンペラー盤で聴いてしまうと、指揮者の個性が強すぎてマーラーの意図した「音楽」が後退してしまうからです。(決してクレンペラー盤が「ダメ」という意味ではありません。其の「素晴らしさ」を理解するには、此のハイティンクACO盤が必要なのです。)

今や入手困難な「セブンシーズ盤」のワルターのライヴ音源が聴けるだけでもファンにとっては「価値」があります。
但し、言う迄も無い事乍ら、此のCDは飽くまでもワルター・ファンの為の企画であり、一般のクラシック愛好家、「モーツアルト神!」と言う方々に向けた企画CDではありません。
抑も「セブンシーズ盤」の存在自体を知っている愛好者が少なくなってしまった現在に於いては「有り難み」を感じる人は極僅かでしょう。
此の「モノラルライヴ」と言う決して音質が良いとは言えないCDを敢えて購入する方は、ワルターのモーツァルトだから、当時の演奏会の雰囲気を感じたいから、と言う人だけでしょう。
間違っても此のCDでモーツアルトの25番、29番、35番、39番を初めて聴こう等と思ってはいけません。
モノラル盤しかワルターが残せなかった25番は別としても、他はステレオ・スタジオ録音のコロンビア響盤を有線して聴いてこそ、此の企画CDの意義が分かると思うのです。
そう言う訳で「評価★5つ」は飽くまでも私個人の評価で、ワルター・ファン以外でモーツアルト好きの方が購入を検討されておられるとしたら、決して「お勧め」は致しかねます。
音質もHQCDは飽くまで媒体ハードの規格ですので、最新マスタリングされている訳でもありません。
其の意味で総合的な評価するなら、「★2つ」とするのが順当なのではないでしょうか?

元々「第7番」のSACDが欲しくて購入したセットだが、「第7」が良いのはLP時代から分かっていた事。音質向上であれば満足。抑も私は「第5番」は「第1番」「第8番」よりも触手が伸びない方なので、或る意味「どうでも良かった」。処が然したる期待も無く、いざ改めてショルティの「第5」を聞き直すと、漸く此の曲の良さが理解出来たのだから不思議なものである。
出たしのトランペットソロから、想像以上の素晴らしいマーラー再現である。20代はクーベリックのLPを愛聴したものだが、矢張り此の特殊な交響曲であり、ヴィスコンティに依って間違った使い方をされた故に『人気曲』となった「第5」はショルティ・シカゴ響盤に依ってこそ其の真価が理解出来るベストだと確信した。
私が若い頃から前世紀末迄随分影響を受けた某音楽評論家はバーンスタインの新盤が「人類の至宝」と迄書いておられたが私の心には何も響かなかった。
それどころか「第5」が嫌いになったものである。以来マーラーは「第1」「第4」「第5」「第8」は私にとって「鬼門」だったのだが、ショルティのSACD盤はそうした私の「誤解」を少なくとも「第5」に関しては全て解き放ってくれたのである。
SACD化で音質に満足した事はあっても曲其のモノの理解が180度変わってしまう、感動すら新たにする、と言う体験は今回が初めてであり、恐らく今後も無いであろう。
3枚組セット販売してくれたタワーレコードさんには感謝しかありません。

マゼール晩年の再録音こそマーラー後期交響曲の決定盤:
「天下の」ウィーンフィルとの全集を完成させながら、20年後にフィルハーモニア管と再録したマゼール。殊に此の後期3大交響曲(第7~第9)分けても第7番と第9番は歴史に残る名演奏です。先ずは第7番。ウィーンフィル盤と比べても其の楽曲解釈とオーケストラドライブが一層盤石で良い意味での「マゼールらしさ」が発揮されています。特筆すべきはテンポの自在な(それでいて計算され尽くした)動きです。第7番でスローテムポと言えば誰しもクレンペラーの歴史的名盤を思い浮かべるでしょうが、クレンペラーは遅いインテムポで一貫していますので、第一楽章の出だしで其の異様な遅さに驚いても楽曲が進む内にその遅さに慣れてしまいます。
処がマゼールは違います。若い頃からマゼールが「決めた」名盤には「ここぞ」という箇所で見栄を切る様にテムポを落して弦のポルタメントをかけるのですが、此の晩年のマーラー全集殊に第7番には其れが明瞭なのです。私は第8番に関しては演奏の優劣を語る程鑑賞しない曲ですので、論評は省きます。
さて、第9番。此れ程演奏・録音が難しいマーラーの交響曲は無いでしょう。
ブルーノ・ワルターの38年ウィーンライヴは最早歴史的史料以上の価値を私は認めません。勿論真っ先に聴くべき「第9番」である事には変りはありませんが。
只、「第9番」は失敗すると只喧しい音の洪水になってしまいます。其の点、マーラーの名演を残しているインバル・都響のワン・ポイント盤もコバケンの日フィル盤も、そして自身が満足していたというワルターのステレオ盤ですら、私には「煩く」感じて第一楽章を半分も鑑賞する事が出来ません。
其の点ステレオ録音で解釈は勿論、オーケストラ・ドライブの両面で(私にとって)鑑賞に耐える第9番は、レヴァイン盤、カラヤンのスタジオ録音盤、ジュリーニ・シカゴ盤でした。其れに新たに加わったのが、此のマゼール・フィルハーモニア管再録盤です。
マーラーの旋律美とオケの迫力の両立(此のバランスを取るのに「失敗」したのがインバル、小林研一郎、カラヤンのライヴ盤、其れに言う迄も無くバーンスタインの新旧の「駄盤」群です。えっ?バルビローリ?彼のマーラー解釈は実に半端です。嘘だと思われるなら、此のマゼール盤を聴いて比べて見て下さい。其の位の後期3交響曲の名演奏が此のセットです。

とてつもないブーレーズの第7番:現在、全集も単売も絶盤(第4・第6は販売中)のマーラー交響曲であるが、此の第7番を聴くとブーレーズがマーラー解釈の秀逸さに於いて、そして何よりオーケストラの響かせ方が実に巧みである事が分かる。第一楽章の出だし等真に「こうでなければならぬ!」と言う程の迫力。こんな演奏を聴いてからバーンスタインを聴いてみると良い。もうレヴェルの余りの「差」に愕然とするだろう。勿論約10年の時間差に依る録音技術の向上もあるかも知れないが、元々録音されていない「音」は聴こえないのだから、バーンスタインの新旧録音は「冴えない」演奏なのだ。
オザワ等に至っては最早「箸にも棒にもかからない」凡庸さだけが露呈している。
ブーレーズはマルクス主義者でもあると言う其の姿勢は全く共感出来ないが、若い頃からCBSレーベルから「運命」の最もスローなLPを出したり、ストラビンスキーも凄かった。此の第7番を敢えて自らがセルから受け継ぎ手塩にかけたクリーブランド管弦楽団で録音した事もブーレーズの「聴かせ上手」が万全に発揮されていると思う。そうである。ブーレーズは第7番はクリーブランド管弦楽団でしか有り得ない、と確信しているのだ。第6番はウィーンフィルを起用し、其の録音はエソテリックにもなっているが、私は其の「第6番」はブーレーズ主導という依りもウィーンフィルの「匂い」を感じてしまい、余り評価出来ない(特に最終楽章のハンマーの打撃はブーレーズならもっとやれた筈だと感じるのだが)。
とまれ、幸運にも此のCDをお持ちの方は性能の良いモニターヘッドホンで鑑賞して欲しい。ブーレーズが意図した(マーラーが本来意図した筈の)全ての「音(ノート)」「圧(トーン)」が十全に「体感」出来るからである。もっと評価されて然るべき「第7番」の名演奏と言えよう。

輸入の全集や「マーラー・コンプリート・エディション」とは音質が異なります。特別なマスタリングや盤面ハードの変更は無い只の「国内プレス」のワーナーレーベルでの再々発にも拘わらず、不思議な事に音質は明らかに向上していると思います。
但し、其れを聴き分けるには性能の良いヘッドホンで再生した場合に限られます。
演奏終了後の拍手も含め、ホールで聴いているリアルな音です。
マーラーのオーケストレーションの醍醐味をスピーカーで堪能出来るのは余程色々な意味で再生環境に恵まれている一握りの人だけでしょう。
近隣への音を気にしながらではどんなに高価なスピーカーやアンプも「宝の持ち腐れ」です。
と言う訳で、飽くまでもモニターヘッドホン(開放型)で再生した感想です。
兎に角細かな音が明瞭に聴き取れます。輸入盤では味わえなかった音場の広さ、各楽器の位置がクッキリしています。但し同じヘッドホンでもバーンスタインの7番は全くそう言う楽しみが無く、カウベルの音等、埋もれてしまって全く聴き取れません。本盤はラトルの若い頃の録音で、現在彼は2度目の全集をBROとスタートさせていますが、第一弾に「第9」次いで「第6」と言う順序を見るだけでも如何にラトルのマーラー理解が半端なものではない事が分かろうと言うものです。
2度目の全集での第7の演奏がどの様なモノになるか、興味津々ですが、此の若きラトルの第7番の解釈は既に完成されており、全く空恐ろしい若手であり、90年代以降のラトルの活躍も当然の結果だと思われます。此の最初のディスクが出た時に「某評論家」が『自我の暗示と周到なソノリティがポスト・モダンにも通じる』と意味不明な評(?)を書いたが、此の人は一体ラトルの第7番の何を聴いたと言うのだろうか?日本でクラシック音楽界を此の手の「駄文家」が牛耳っている限り、本当の意味でのブルックナー理解もマーラー理解も深まらないのだろう。無駄にマーラーの録音を残した「S/O氏」が最近亡くなったばかりだが、寄せ集めのボストン響でのマーラー全集(イタリア・ユニバーサル輸入盤)は絶版になって久しいが・・・。抑も国内盤が発売されなかったと言う事は何を意味するのだろうか?

デジタル初期の録音は悉くリマスタリングすべきです。本CDはUHQCDなので音が改善された訳ではありません。ユニバーサルがどの様な基準でリマスタリング、SACD化をするのか、此処最近2-3年の動きを見ているとSHM-CDかUHQCDというハード面のみ変更して再発売というパターンの様なので(そうでありつつ)カラヤンの9番は何故か紙ジャケでSACDにしており、一体何を考えているのか判然としません。
此のバーンスタインの二度目の7番も通常CDを持っていて、グラモフォン120周年で再発された本UHQCD盤には期待もあった丈に、デジタル初期の周波数帯域を人工的にカットした様な音に変化は全く感じる事が出来ません。抑もバーンスタインは2番は兎も角、何故に二度目までNYPに拘ったのか、不思議です。此の曲はRACOの「メンゲルベルク・ティンパニ」を使わなければ第5楽章が万全なものとならないのに。(因みにシャイーはRACOで大成功しています)マーラーの権威で何度も録音しているギーレンはバーンスタインのマーラー解釈其のモノを「恣意的・個人的」と難じていますが、此の再発CDは改めてギーレンの正しさが実感出来てしまう、或る意味残念な第7番です。
21世紀以降、第7番の名演奏が数多ある中で、バーンスタインは極論すれば「平均以上だが、あっても無くてもよい」レヴェルなのです。
恐らくもう1世紀経てば、ワルターのマーラーは残ってもバーンスタインのマーラーは一部のファン以外には忘れられるのではないでしょうか?
此のCDで評価出来るのはリーフレットのF・シェルリース氏の「解説」が専ら7番の意義を紐解いているだけで、バーンスタインの演奏云々やアルマ・マーラーの嘘話を引用していない(21世紀になっても日本の評論家なら大いにやりかねない。そう言えばYou Tubeで某声楽家がマーラーを紹介する動画で未だに『第9のジンクス』なんて放言しているのですから)点です。
そろそろ(特に日本のマーラー愛好家は)「アルマ・マーラーの呪縛」を脱ぎ捨てるべきだと思うのですが・・・。
後、『夜の歌』なんて恥ずかしいタイトルを付けるのも止めにしませんか?

チェコ放送交響楽団である。プラハ放送交響楽団でもチェコ・フィルでもありません。英文リーフレットによると1926年創立だそう。此のマーラーの7番の録音は色々な意味で「ユニーク」且つ「面白い」です。先ずライブである点を差し引いても録音は決して良好では有りません。高音依りでシャリシャリした音。間違ってもモニタースピーカーやモニターヘッドフォンで聴いてはならない音です。多少低域が盛ってある再生装置で調度良いと思います。然し此の録音が面白いのは其の高音依りが第4楽章のマンドリンやギター、第5楽章のカウベル等の高域楽器が此の上無く活き活きと聴こえるのです。テンポはかなり揺れ動き、時に「ハッ」とする表現が多々あります。
こう言う演奏を聴いてしまうとバーンスタインやハイティンク等の80年代のライブ等優等生的で「詰まらない」と思ってしまうのが凄いです。
オケのミスも目立ちますが、そんな些細な瑕疵を差し引いても此れ程楽しませてくれる「第7番」はそうありません。似た例としてヘルマン・アーベントロートの「悲愴」の放送録音に匹敵します。
現在在庫はありませんが、e-bayで容易に入手出来ますので、マーラー好きなら是非一聴を強くお勧め致します。

アバド晩年のベルリンフィル盤マーラーが全て廃盤状態(2023年7月23日現在)とは、ユニバーサルレコードは何を考えているのだろうか?若き日のシカゴ盤を中途半端に再発する前に「やるべき事」が分かっていないのではないか?
兎に角、現在(クレンペラー盤は例外として)7番の最美な演奏は2001年ベルリン・ライヴなのに。
第6番も同様。弦の美しさは此の世のモノとも思えない。
こんな名盤を売らないで一体何を売ろうと言うのか?
バーンスタインのマーラーが如何に「ゴミ以下」か、アバド・ベルリンフィルの演奏を聴けば直ぐに分かるであろうに・・・。

「フルニエの59年ライヴ盤に迫る迫力」:初めにスピーカーで音量を絞って聴いた時は30年前の演奏(DENON盤)の方が良いんじゃない?と言う感想でした。弦をかなり強く押しつけている印象だったのです。其の後フルニエの59年ライブを聴いて改めてヘッドフォンで本盤を聴き直して此の演奏の「凄さ」が分かりました。藤原さんの息づかい迄聞こえてきます。その迫力たるや、フルニエの59年ライブ盤に迫るモノがあります。30年前のDENON 盤が美しく流麗に演奏したものであるのに対し、本盤はバッハと藤原さんの魂がぶつかり合う様な有無を言わせぬパッションを感じます。それにしてもフルニエのライヴ盤と言い藤原再録音盤と言い、通常CDである事(SACDでもUHQでもSHM-CDでも無い)は偶然でしょうか?ハイスペックのソフトが必ずしも良い音では無い事を改めて感じます。無伴奏組曲が好きな方ならフルニエのライヴ盤と並んで「必聴」の音源と言えるでしょう。大推薦!

此れはお勧めです。アルヒーフ盤を既に持っている方でも聴く価値は大いにあります。演奏に良い意味で「迫力」と言うか、あたかもフルニエが目の前で演奏しているかの様です。此れはSHM-CDもHQCDでもなく東武商事が敢えて普通CDで復刻したものですが、此れを聴くとSACDとかEsotericとか所謂ハイスペックCDって何なの?と思ってしまいます。バッハ好き、フルニエ好きなら、絶対に持っているべきCDです。

ベニー・グッドマンのCDは星の数程出ていますが、私の愛する『メモリーズ・オブ・ユー』、『シング・シング・シング』、『グッドバイ』の3曲が揃って収録されているのはキャピトル・レコード時代から此の『ベニー・グッドマン物語(Mr.BENNY GOODMAN)』のみなのは実に不思議です。で、今回のSHM-CD盤ですが、モノラルレコード時代の雰囲気を余す処無くマスタリングされており、数あるベニー・グッドマンから一枚、と訊かれたら迷わずお勧め出来るCDです。レコード時代からジャケットデザインは文字だけで現在となっては非常に「地味」ですが、「あの時代」の雰囲気が出ていて、其処がまた良いのです。ジャズはオリジナルジャケットに限りますね。

言うまでも無い事ですが、恐らく現在でも最高の演奏です。同じ音源のOIBP盤を持っている人でも此のBlu-ray Audio盤は手に入れる事をお勧め致します。何しろ「板渡り」無しで6つの組曲を通しで聴けるのは此の上無い利点です。90年近い古い録音のカザルスを「名盤だから」と無理して聴いている方、音楽は「楽しむもの」ですよ。フルニエには59年のライブ盤も最近復刻盤が出た様ですので、其方と是非比較してみたいと思いますが、此のアルヒーフBlu-ray盤こそ演奏良し、録音良し、気軽に鑑賞出来る、3拍子揃った無伴奏組曲ファンの「マスト・バイ」盤です。買って絶対に損は致しません。

元祖「左スト音楽家」であるカザルスの「無伴奏」は或る意味「神格化」されすぎていると思います。彼の功績は此の曲の「再発掘」にあるのであって、演奏ではないのです。だから戦後その気になりさえすれば機会は幾らでもあったにも拘らず、カザルスは此の組曲を再録音していないのです。ワーナー(旧EMI)レーベルが80年以上前の音の悪い「黴の生えた骨董品」を何度も再プレスする意味が分かりません。
フルニエのライヴ盤とスタジオ録音の2つがあれば、其の他は(マイスキーやヨーヨーマも含め)有っても無くてもどうでも良い(お好みで選べば良い)のです。

ワーナーにはマーケティング戦略が無い。SACDを買う意味に「音質の良さ」は全く(殆ど)ありません。従ってワーナーがSACDの長時間収録という利点を活かして「2in1」シリーズを6種類販売したのはとても良い処に目を付けたと思います。然も本盤は単独でもそれぞれの曲の「代表盤」「名盤」として長く絶賛されているミュンシュの「幻想」と「ブラ1」なのですから、文句の付けようがありません。高額なEsoteric盤で「ブラ1」を買った方は「残念!」としか言い様がありません。
演奏に就いては今更付け加える必要はありません。問題はワーナーレーベルが数ある過去(EMI盤)の復刻を遅々としてしない点、其れに此の「2in1」という良いアイディアが其の後「尻つぼみ」になってしまった点です。ワーナー・ミュージック・ジャパンは販売戦略を真剣に考え直すべきです。例えばワイゼンベルクのブラームス協奏曲第1等は真っ先に「2in1」にすべき音源でしょう。ラフマニノフの3番をロストロポーヴィチのチェロ協奏曲と組み合わせたSACDは「最悪」の音質ー音が痩せてしまってEMI盤の通常CDの方がマシですから。

最近漸くワルター・クレンペラーは「マーラーの『弟子』だから『直伝の演奏』」と言う嘘は言われなくなったのはやっと正確なマーラー理解が始った証左で喜ばしい事です。其れでも以前音楽の専門家がYou Tubeでマーラーは死を恐れていた(所謂『第9番のジンクス』)等とデマを垂れ流していますので、アルマの著作の悪影響は依然として残り続けるのでしょう。さてクレンペラーの「第7」は此の曲を愛する人なら避けて通れない演奏です。こんな「凄い演奏」を半世紀前に成し遂げてしまったクレンペラーの偉大さに驚嘆せざるを得ません。カラヤンですら、「第7」は避けた(指揮出来なかった)位ですから。オーソドックスな「第7」を聴きたい人にはシャイー盤、アバド・ベルリンフィル盤をお勧めしますが、其れ等オーソドックスな名演を聴いて「第7」が好きになった方には是非とも聴いて欲しいのが此のクレンペラー盤です。
滅多にマーラーを振らない(第7と第9のみ)バレンボイムと比較してみるのも一興かも知れません(残念乍ら第7は絶盤ですが)。
間違ってもバーンスタイン盤(旧・新録音共にNYP)は余程時間とお金がある方以外はお勧め出来ません。彼の全集は「極めて個人的解釈」に過ぎません。アルマの著作同様、マーラーを枉げて理解する事になりかねませんので。

カラヤンの死後82年ライブ盤が出ましたが、私はあの演奏は何処か破綻した処があり、本当にカラヤンの意思で発売されたのか、疑問に思うのです。其の点アナログ最後期にセッションで79年から約一年を掛けて録音された本盤はカラヤンのマーラーでは最高傑作だと思います。
数ある9番の中でジュリーニ盤、アバド盤(ベルリンフィル)と供に、かのワルター36年ウィーンライブに対抗出来る数少ない名盤です。
尚、SACD版も出ていますが、SHM-CDで音質は充分です。DENON のSACDプレイヤーと上級アンプKEFのスピーカーで再生していますが、SACDの優位性を感じる事は殆どありません。値段が高いだけなので、購入を検討されておられる方は余程のエントリークラスの再生機器で無い限り、SHM-CDで充分満足されると思います。

此の時期のメータ&ロスフィルは何を演奏しても「名盤」でした。然しレコード時代に聴いた此の演奏、CDになってリマスターされ、また様々な「第2番」の名演奏(キャプラン含め)が出揃っている今となってはウィーン・フィルも然程良いとは思えないのは時の流れでしょうか?『マーラーを語る』と言う29人の指揮者に同じ質問をしている書籍があるのですが、其処でメータはマーラーの音楽に就いて語るのでは無く、ハリウッド時代に晩年のアルマ・マーラー元夫人と長時間語り合った事を得々として自慢しているのです。(マーラー本人の亡霊と語った造り話ならまだしも理解出来ますが)所詮メータにとってマーラーの音楽理解はその程度でしか無い事が分かって、余計に此の録音がビジネスとして為された事が推測出来、「こんな程度の指揮者だったのか」、と興醒めな事此の上ありませんでした。
老醜を晒し太った身体で椅子に座って指揮する自分の姿にも気付いていないのでしょう。曾てのロスフィル時代栄光のファンの思い出を穢さない為にも、一日も早い引退をすれば良いのに、と思ってしまいます。同年代のアッバードとは余りにも「格」が違ってしまいました。其の意味でも此の録音の存在意義は最早無いでしょう。前述の素人のキャプラン・ウィーン・フィル盤の方が数倍感動出来ます。

ザンダーはブルックナーの「第5番」録音でも非常に優れた演奏を残していますが、此のマーラー第2番も特筆すべき演奏です。バーンスタインやクレンペラーとは最早次元が違います。勿論、ザンダーの方が「上」という意味です。
こう言う演奏を聴いていると、改めて良い曲だと言う事が実感されて、マーラーの「第2番」に人生を掛けたギルバート・キャプラン氏の気持ちが良く分かります。

一般に「オペラ指揮者」として認知されているパッパーノ唯一のマーラー録音ですが、マーラー自身がオペラを非常に多く指揮した事を考えるとマーラーの「第6番」にある種の「親和性」を感じたのでしょうか?
但し2011年の録音なのに「スケルツォ→アンダンテ」の順で演奏しているのはパッパーノの「拘り」なのかもしれませんが、「時代遅れ」「国際マーラー協会の最新研究のスコアに忠実では無い」点で減点要因とせざるを得ません。(★1つマイナス)
但し(今の処)唯一のマーラー録音に選んだだけあって、私の感想としては『パッパーノ君、頑張って良く出来ました』と評価出来ます。まぁ、今後録音するなら「第7番」で止めておいた方が良いと思います。

150周年の「お祭りBOX」としては良い企画モノです。
然し!「第7番」が何故に「クレンペラー」でないのか?ラトルなら全集で持っている人が居るだろうに。何故に彼だけ3回も登場?
「第6番」「第9番」がバルビローリなのに、理解に苦しみます。残念!

テンシュテットの「第6番」は91年ライヴが最高!
テンシュテットには数種類の「第6番」の音源がありますが、此の91年ライヴ盤があれば、他は無用と言う位、演奏の質が違います。「第6番」は「癌サバイバー」の指揮者に名盤が多い(アッバード、井上道義)のは不思議な符合でしょうか?病気以前の録音と比較すると何かが決定的に違うのです。
日本だけ勝手に『悲劇的』と言うタイトルが付いていますが、そう言う意味合いでは無く、マーラーの音楽其のモノが此れ等名指揮者の中の「何か」と通じるものがあるのかも知れません。こう言う爆演を聴いた後ではバーンスタインやカラヤン等「子供の遊び」にしか聞えないのですから恐ろしいモノです。

シュテンツのマーラーは「第6番」もそうであった様に「奇を衒わない」演奏です。バーンスタインを基準にマーラー演奏を評価する方には恐らく「肩すかし」を喰わせるでしょう。然し、良く聴けばバーンスタインのマーラー解釈は「自己表現」に過ぎず、其れ故、「第7番」の様に全楽章を通してバランス良く演奏するのが難しいのです。其の意味では最終楽章はもっと暴れて欲しいと言う(私の個人的)願望はありますが、ブーレーズに比べれば遥かに勝り、「伝説」のクレンペラーとは良い意味で「別次元」な演奏と評価出来ます。良く考えてみて下さい。クレンペラーは「マーラーの直弟子だったから」なんて言う「間違い」は既に前世紀の「遺物」なのです。マーラーはヴァルターもクレンペラーも、その才能を認め、就職活動に手を貸しただけで「師弟関係」は全く無いのです。
21世紀になっても以前アルマ・マーラーの『回想』と言う捏造書を信じている人、いい加減に目を覚まして下さい。シュテンツのマーラーは其の為の「良い薬」だと思います。

ギーレンには1971年盤から2013年迄、4つの「第6番」があります。外見上の違いは2013年盤が時代を考慮して国際マーラー協会の楽譜に合せ「アンダンテ」「スケルツォ」の順にした事ですが、此の40年間の演奏はどれもギーレンのマーラーに対する「畏敬の念」に溢れたものです。本盤の1999年は「全集」にも収められた演奏ですが、何と言っても第一楽章終盤でのティンパニの強奏・強打が特徴的です。或る意味一番「ギーレンがやりたい事を全部実現した」(其れもバーンスタインの様に個人的な「再現」ー「自己表現の道具としてマーラーを使う事)では決してなく、飽くまでもマーラーの楽譜を音楽として研究し尽くした結果としての「再現芸術」)演奏と言えます。
惜しくも単売では手に入りませんが、自我と音楽を混同し(ギーレン自身の言葉で言えば)マーラーを「俗化」してしまったバーンスタインや、金になると見るや「第5番」から録音を始めた「ビジネスマン」カラヤン(そう言う再現方法も「有り」だとは思います。現実問題として売れなければオーケストラもレコード会社も喰っていけない訳ですから)等の(敢えて言えば)「音楽家としては軽薄な輩」には絶対に再現出来なかった「第6番」の名演奏として今後も聴き次がれるべき名盤だと思います。

キーシン盤以来の「あるべきテンポ」。ー正当派の「第3番」です。近年(と言ってもホロヴィッツのシルバージュビリー盤以降ですが)此の協奏曲を技巧だけで速く弾く若手が多い中で、最新の演奏ながら、「第3番」には慎重な姿勢を示していたフェドロヴァが遂に昨年に録音しただけあって、此の演奏には並々ならぬ意欲と覚悟が伺えます。出だしの心の籠もったテンポの遅さはキーシン盤に次ぎますが、演奏の「質」自体は明らかにキーシン盤を上回っています。それにしても最近の輸入CDは何故紙パッケージが多いのでしょうか?CD保管の面でも良い事はひとつもありません。しっかりとプラスチックのジュエルケースに収めて欲しいものです。

なかなか、良い「第6番」です。アンダンテ、スケルツォの順になっている処も良い、と言うか21世紀になって国際マーラー協会が正式にスコアを発表した「当然」の事なのでギーレン始め良心ある指揮者は全員此れに従っている。
日本では未だにスケルツォ、アンダンテで(2003年)演奏している「OUE」とか言う馬鹿者も居る。誠に恥ずかしい限りの現状です。此れは最近のどの演奏(除くOUE)にも言える事なのですが、バーンスタインの「俺だけのマーラー」の時代はもう「遺物」以外の何物でもないのです。此のシュテンツの演奏は特に奇を衒わない(詰りバーンスタイン型ではない)純音楽的にマーラーのスコアを再現する事に没頭した演奏で好感が持てます。個人的には今ひとつの「迫力」があれば「★5つ」なのですが。

「2種の演奏」盤に収められた71年ライヴ、2013年でもなく、「全集」に収められた99年より少し前の84年盤です。従ってマーラー協会の最新スコアではなく、スケルツォ、アンダンテの順の演奏です。それにしてもギーレン程的確にマーラーを「音楽」として正確に捉えた指揮者は稀だったのではないでしょうか?少なくともバーンスタインが極めて「個人的」(自分のマーラー)だったのに対し、飽くまでも「如何に美しく、且つ正確にスコアを再現するか」と言う点に於いてギーレンを超えるマーラー指揮者、就中、「第6番」を振れる人は有り得なかったし、恐らく今後も出現しないのではないでしょうか?曲全体のバランスを考えれば、アッバードのベルリンフィルライブ(2004)が万人受けするスタンダードな演奏なのかもしれませんが、70年代から21世紀迄、40年余りの演奏の変遷が比較出来るのもギーレンならではの楽しみと言えましょう。それにしても「第6」はライヴで「名盤」が多いのは何故でしょうか?

何も感動しないで聴き終わってしまった演奏です。
普通「第6番」に関しては、聴き流し状態でも「嗚呼、美しいな」とか「凄い迫力!」と思う箇所が幾つかあるものですが、此のCDに関しては、気が付いたら終わっていた、と言う感想しかありません。
此の実演をサントリーホールで聴いた方はきっと感動したのでしょうが、私がCDで聴く限り、「取り敢えず6番を演奏してみました」以上の何も心に残りません。
バーンスタインの2回の録音やカラヤン、ブーレーズでも感動はありませんでしたのでまぁ、私の耳が悪いのでしょう。其れから此のCDの酷い処は解説書に未だにアルマ・マーラーの『回想』に書かれている曲の「解釈」を其の儘引用している点です。
60年代ならいざ知らず、21世紀にもなってアルマの『回想』等は「後書きの作文」であり、マーラーは何一つ第6番に就いては語っても書き残してもいない事は「常識」なのに。
抑も「悲劇的」というタイトルからしてマーラーが付けたものではないのです。
こう言ういい加減なCDを出しているから、未だに「マーラー伝説、マーラー神話」が罷り通っているのです。
リブレットの解説を書いた岡本某なる人物は私の識る処ではありませんが、マーラーに就いてもう少し誠意を以て「解説」して欲しいものです。少なくとも「虚偽」を書くのは止めて欲しいです。
故に演奏その物は「★3つ」ですが、解説が酷いので、「★2つ」と評価致します。
こんなCDは「有っても無くても良い」というのが私の正直な感想です。

シノーポリのマーラーは現在、単売は入手出来ず、専ら高額な「全集」を買うしか無いのが残念です。但しタワレコさんは「大地の歌」抜き、1-10番でオリジナル「交響曲全集」を出しておられる姿勢は評価出来ます。(大地の歌を交響曲扱いしているのは何故か日本だけ)
処でシノーポリのマーラーと言うと彼が精神科医でもあった事で「分析的な解釈」と思いがちですが、6番、そして此の7番を聴くとバーンスタイン等が中途半端に思える程ゆっくりしたテムポ設定で歌っているのに驚かされます。更には第1楽章ではオケを叱咤する様な声が聞こえてきます。私はマーラーの交響曲は第1、第4,第5,第8は絶対に聴かないので、単売が有り難いのですが、7番が好きな方なら、是非一度シノーポリを聴いてみて下さい。ブーレーズの方が「分析的且つ冷静」である事がお分かり頂けると思います。日本盤は絶盤ですが、中古で入手されたら、迷わず購入される事を強くお勧めします。

専ら「第6番」を聴く目的で購入しました。別の音源に対するコメントにも書いたように私の「第6番」の評価基準は①第一楽章はゆっくり、特に第二主題は歌って欲しい②アンダンテ楽章は限りなく美しく③ハンマーの打撃は迫力が有ればあるほど良い。の3点です。処が此の演奏は此の3点を悉く覆しているのです。にも拘らず感動したのですから矢張りヘルマン・シェルヘンは只の「変わり者指揮者」では無い事が分かります。何せ此の演奏が行われた60年には「第6盤」のステレオレコードすら無かったのです。其れは6年後のラインスドルフ盤を待たねば鳴りません。ましてバーンスタインに依る「マーラー・ルネサンス」なんて夢の時代なのです。
そんな時代に「俺の第6番を聴け!」とばかり猛烈に速いテムポで「進軍」する様は、聴く者を戦慄させるのです。第一楽章が中途半端に速いカラヤン盤、ショルティ盤と比べると、もう「指揮者の格が違う」と言わざるを得ません。
勿論、本CDが「第6番」のファースト・チョイスにはなり得ませんが、聞き飽きたと思っている方は是非聴いて下さい。
案外マーラー自身が望んでいた再現はこうだったのかもしれませんよ。

若造(失礼!)の演奏と思えない立派なマーラー第6です。 先ずノックアウトされたのは第1楽章19分の「アルマのテーマ」でぐっとテムポを落して歌う箇所です。 そう。マーラーの第6は「こうであらねばならない!」のです。 テムポのやたら速いカラヤンやショルティ、オザワ等何も分かっていないな、と(個人的には)思います。(オザワは何をやってもダメダメです。最早「老害」でしょう。早く引退すれば良いのに。其の点潔く「僕は舞台人だから幕は自分で下ろす」と引退を表明しておられる井上道義こそ真の「マエストロ」だと言えます。) 其の点で「合格」なのはシノーポリ及びザンダーのフィルハーモニア盤、シャイーのコンセルトヘボウ盤、井上道義新日本フィル盤でしょう。 ライブ録音に優秀なCDが多いのも「第6」の特徴でしょうか? 第6の全楽章を通じて万人にお勧め出来るのはアッバードのベルリンフィルライブ盤です。 さて前記「アルマのテーマ」と同じ事はアンダンテ楽章にも言えます。 13分30秒辺りの旋律の歌わせ方等、実に泣かせます。 此処まで聴いて約1時間(54分)なのですから、ネトピルが如何に丁寧にマーラーの音楽を扱っているか分かります。 最終楽章も井上道義盤やザンダー盤に比べるとやや劣るものの実に堂々たる歩みでカウベルの音もしっかりと捉えられています。勿論ハンマー打撃の迫力も充分合格点です。ブーレーズの様に「ゴン」ではお話になりませんし、バーンスタインの様に3回叩けば良いと言うモノではありません。新たな世代が老巨匠以上のパフォーマンスをしているのですから、驚きの音源です。スタジオ録音乍ら、僅か2日のセッションで終わっているのも指揮者とオケの信頼関係あればこそだと思います。「マーラーは矢張りバーンスタインだ」 「6番はバルビローリに限る」なんて思い込んでいる方にこそ聴いて頂きたいお勧めの名盤です。

CD1のスタジオ録音の1971年盤も凄いです。同時期のバーンスタインNYP盤やクーベリック盤と比べても全く遜色ありません。いや、其れ以上です。録音時間はバーンスタインNYP盤に比べ3分程短いだけ)ギーレンはアンチ・バーンスタイン(『バーンスタインはマーラーを俗悪にしたんですよ!』ー「マーラーを語る」音楽之友社より引用)ですが、此の演奏を聴くと結果的にマーラーを正しく(音楽として)理解していたのはギーレンであった事が分かります。バーンスタインの功績はマーラーを広く世に知らしめた事です。其れでも表現方法はバルビローリの方が正しいのですが・・・。
CD2&3のザルツブルク音楽祭・ライヴ(何と8/21の一発録り!)の2013年盤はこれぞ「第6」の決定盤と評価出来ます。此の録音を聴く迄アッバードのベルリンフィルライヴ(2004年)が第6番のメルクマールでしたが、ギーレン2013年盤は其れを超えています。此処はこう歌って欲しい、此処では打楽器がこう鳴って欲しい、と言う(私の個人的な)希望が100%叶えられています。真に「第6」を聴く醍醐味此処に有り、の感です。(シノーポリ、井上道義、インバルの第6も個性的で好感度大なのですが)ハンマーの打撃音の迫力はアッバード盤、ザンダー盤に一歩譲りますが、其れでも平均以上、合格点です。ブーレーズ盤の様な「ゴトッ」と弱く撃つ演奏の対極ですね。鞭やカウベルの音も明瞭です。
此れだけ音楽を堪能出来て価格がCD1枚分って、信じられない程良心的です。こう言う音盤にこそ「賞」を与えるべきだと思います。「音楽評論家」(最近は「クラシック・ファシリテーター」等と自称する馬鹿も居る)は何を考えているのでしょうか?

凄い名演が出たものです。ズヴェーデンに関してはブルックナーの演奏で其の天才ぶりを知っていましたが、対極にあるマーラーはどうだろうか?と些かの不安を抱いて買いました。結論から言って「大正解」です!
収録時間を見ると速いテムポの様に予想していたのですが、実際に聴いてみると全くそんな感じは受けません。寧ろセカセカせず、聴き疲れのしない好演です。第一楽章の「アルマのテーマ」もしっかり歌ってくれますし、アンダンテ楽章も美しいです。ハンマーの打撃はアッバードのベルリンフィルライブ盤に匹敵する程の大迫力で、「ハンマー好き」の方には是非一度聴いて頂きたい「第6」です。

恐らく最新の「没入型第6」ーセッション録音にも拘わらず第1楽章からフィッシャーがオケを叱咤する様な「うなり声」が聞えます。其の点インバル都響ライヴ盤に似ています。但し第2主題のうっとりさせる様な「歌わせ方」(此の部分が最高なのはシノーポリ盤)は今一つなのが残念ですが続くアンダンテ楽章の最後の4分辺り等は結構泣かせてくれますので「第6」を聴く醍醐味は充分に味わえます。スケルツォでは木管の響きが美しく12分過ぎた時、テムポをぐっと落す処など、マーラーが意図したであろう事が見事に再現されています。ハンマー打撃は然程「強烈」ではありません。総合的な評価としては合格点乍らも若いネトピル盤に比べるとやや劣る感は否めませんので「★4つ」と致します。其れでも充分聴くに値する「第6」の名盤である事は確かです。

これぞ「第6」と言える演奏がまた一つ出ました。私が「第6」を評価する最低の基準は①第一楽章のテムポが(カラヤンやショルティ、オザワ某の様に)速く無い(特に第2主題は思い切り歌って欲しい)②アンダンテ楽章に於ける弦の美しさ、カウベルの音がハッキリ捕えている③終楽章のハンマー打撃の力強さの3点です。此の演奏は真に上記3点が全て叶えられている希有な音源です。アンダンテ楽章の19分辺り等美しさの限りで第6を聴く醍醐味此処にありと言える程で泣かせます。ハンマー打撃はアッバード・ベルリンライブ盤程の迫力はありませんが、その直後の弦の美しさは特筆ものです。欲を言えば「鞭」の音がもっとハッキリしていれば最高なのですが。また収録がモスクワの劇場を使って行われたのも珍しく、ライヴで名盤が多い「第6」の中で特別な位置を占める録音として此れからも多くのリスナーに支持されてゆく「名盤誕生」と言えましょう。そろそろバルビローリ盤の呪縛から逃れるべきだと思います。

此れは戦慄すべき演奏です。プレートルはオペラ指揮者、ウィーン響はリヒテルのチャイコの1番、ジュリーニとのブルックナー第2番程度しか印象が無かったのですが、「第6マニア」の私でも滅多に聴く機会の無い「爆演」です。第一楽章ではアルマのテーマは心から歌い切っています。其れに阿修羅の様な打楽器の打ち込み!此の両極のバランスがとれている音源は余りありません。アンダンテは真に「天上の音楽」。美しさの限りです。惜しいのは牧歌的なカウベルの音が埋もれてしまている点です。フィナーレも井上道義・新日本フィル盤に次ぐ迫力。特に木管の響きが美しさは特筆に値します。但しハンマーの打撃は其れ程でもありません。其れにしても此の演奏を聴いた後では一般に評価の高いバーンスタイン(新・旧)盤等は生ぬるく感じます。バルビローリ盤ですら最早「時代遅れ」です。然も一発録りのライヴなのですから驚きです。(名演ですがインバル・都響の第6ですら2つの別会場での録音の「継ぎ接ぎ」なのです)「板渡り」では無く全曲が1枚に収まっているのも良い点です。「最後の巨匠指揮者・プレートル」の偉大な遺産として聴き次がれて行くべき「名盤」でしょう。

「東京エムプラス」のCD紹介は「虚偽」が多い。此のCDの説明でも「多くの聴衆が慣れ親しんだ一般的な解釈とは一線を画す極めて個性的な演奏を展開」と書かれていますが、テムポ設定が速い(ラフマニノフ本人の録音と同じ位)だけで、「一線を画す」程個性的ではありません。私は此の曲のCDを40枚以上所有していますが、他の録音と比べても極めて普通レベルの「第3番」です。決して「凡演」とは言いませんが、図抜けて素晴らしい演奏でもありません。「東京エムプラス」では似た様な「虚偽表示」がマーラーの「第6」でもありました。「東京エムプラス」がリリースするCDは余程覚悟して購入される事をお勧め致します。

今となっては「遺物的名演」です。80年代以降、シノーポリやシャイー、アッバード、マゼール等の超名演、美演が陸続としてリリースされている中、此れ等バルビローリのマーラーが国内で再発されていないのは、メーカーの姿勢(EMIの消滅)以上にマーケットのニーズが其れ程無いからでしょう。

「アルマのテーマとして知られる第2主題の思い入れたっぷりのねちっこい歌いまわしに思わず惹き込まれます。」と解説文にありますが、テムポも速く全然「ねちっこい歌いまわし」ではありません。販売会社はどの音源と聞き違えたのでしょうか?シノーポリ?井上道義?
アンダンテも特別美しくない。完全に騙されました。
「取り敢えずマーラーを演奏してみました」程度の「凡演」です。こんなCDには存在意義すらありません。

シャイーがコンセルトヘヴォウと18年も掛けて録音したマーラーの全集も殆ど「絶盤」なのはどうした事でしょうか?中でも此の「第6番」は超名演でテムポ設定と言いアルマのテーマの美しさと言い、ハンマーの打撃と言い、「第6はこうで無ければならぬ!」と言う要素が全て含まれています。こう言う演奏を聴くとバーンスタインですら、テムポ設定に無理があるのが良く分かります。中古で手に入れる事が出来る機会のある方は是非聴いてみて下さい。

現在「全集」でしか手に入らないシノーポリのマーラーですが、此の「第6番」は有名な「アルマのテーマ」の再現に関しては歴代最高美の演奏です。マーラーの交響曲の中でも飛び抜けて個性的でオケにとっても演奏困難な「第6番」は其れ故に指揮者の個性が発揮しにくい曲ですが、シノーポリは見事に自己主張をしています。医師でもあったシノーポリの「曲分析」の見事さが分かる空前絶後の名演。リマスターで「単売」される事を切に願いたい1枚です。

絶盤なのが惜しい。マーラー6番で最も美しい音!
マーラーの「6番」はオケの一つ一つの楽器の音が美しくなくては再現不可能な交響曲だと思います。故に其れに相応しいオーケストラはベルリン・フィル、ウィーン・フィル、シカゴ交響楽団に限られます。ベルリンフィルでは70年代のカラヤン絶好期の演奏も素晴らしいのですが第一楽章のテムポがやや速め。然るにアバドの此のライブ演奏はテムポ設定も絶妙。ベルリンフィルの澄んだ弦の美音を最大限に引き出した「超絶名演」です。こんなに美しい6番は恐らく「空前絶後」でしょう。
然るにアバドのマーラー(シカゴ交響楽団の旧録音含め)もカラヤンのマーラーも現在(2023年3月時点)で絶盤状態。誠に惜しい限りです。
タワーレコードさん、SACDで復刻して下さい。期待しています。

ブーレーズの解釈よりもウィーン・フィルの音色を堪能する録音と言えます。マーラーの「第6番」はノイマンやマーツアルに依るチェコ・フィルSACD盤が名演奏ですが、其れ等と比べてもオーケストラの「格が違う」事が明瞭に分かります。終楽章の「ハンマー」は意外にも控えめです。

私は殆ど全ての「ブルックナー・交響曲第5番」のCDを持っていますが、最低の部類の演奏です。テンポが速いだけの「ヤルヴィ親子」や2度のティーレマンもダメですが、ヤノフスキはまるで「水で薄めた様なブルックナー」です。此のCDも「処分対象」確定です。ヤノフスキの「トリスタンとイゾルデ」が爆演だった丈に残念です。

フローリアン修道院ライヴの音源がSACD化され、第1楽章後の自然発生的拍手、第2楽章後の神の恩寵とも言うべき鐘の音がより鮮明に聴き取れる様になったのは何よりも代えがたい価値があります。然し、オランダでのブルックナーは明らかに楽員に疲れが出ており、朝比奈先生も同様で特に金管の音が汚く、此の音源が今まで発売されなかったのも当然と言えます。朝比奈先生は90歳記念コンサートで振った5番も凡演ですが、其れと並ぶ朝比奈先生の「黒歴史録音」なのは実に残念です。マイスタージンガー序曲も「聴かなければ良かった」レヴェル。ベートーベンの7番もアンサンブルの乱れが耳に就いて今となっては無くても良い録音です。フローリアン修道院ライヴだけSACD化すれば良いのに、と思いました。

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