
ラヴェル: 管弦楽作品集~ダフニスとクロエ、ボレロ、他(2025年リマスター)<タワーレコード限定> / ピエール・モントゥー、他
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さすが、御大の登場。「いよ、まってましたー!」とかけ声かけたくなるような出来映え(ハイレゾ化で音質が蘇っている)。昨今の切れ味の良いラヴェルではなく、しっかりと落ち着いた風格のある演奏であり録音である。冷たいだの、機械的だの、中身がない、あるのはスイスの時計職人のような精密な技法だけだと散々な言われかたをされるラヴェルだが、この演奏を聴いてさえ「冷たい」などと思われるようだと、残念ながらラヴェルとはご縁がないものと言わざるを得ない。人の感性は様々であるから致し方がないことではあるが、ものは試し、御一聴をお勧めする。因みにラヴェルとモントゥーは同じ年の生まれであり、ラヴェルが生きた時代の空気を肌で共有した指揮者の1人である。
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ねこさんが書いたメンバーズレビュー
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今年はラヴェル生誕150年といふことで、ラヴェルのピアノ作品を複数のピアニストの演奏で楽しんだ一年であったが、その記念の年の掉尾としてこのCDが発売されることを嬉しく思う。11月28日に京都で開催されたメジューエワのリサイタルにて先行発売されていたのを購入。コンサートの余韻がようやく消えたところでCD音源を楽しんだ。メジューエワのラヴェルは、キレッキレの怜悧な演奏の真逆で、演奏者の体温のぬくもりがそこかしに感じられるような実にあたたかな演奏であった。例えばクープランの墓のメヌエットのトリオ。メジューエワの演奏ではバスに響くト音の保持が陰影を伴って上声部への血脈となり体温を感じさせるのである。「繊細で豊かな己の感情を、豊かすぎるがゆえに隠しても隠しても隠しきれない」ラヴェルの心情が自ずとにじみ出てくる演奏。そうした心情にそっと触れるようで聴いていて心があたたかくなる、そんな演奏だ。録音もラヴェルの繊細な心情を感じさせるに充分だ。
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さすが、御大の登場。「いよ、まってましたー!」とかけ声かけたくなるような出来映え(ハイレゾ化で音質が蘇っている)。昨今の切れ味の良いラヴェルではなく、しっかりと落ち着いた風格のある演奏であり録音である。冷たいだの、機械的だの、中身がない、あるのはスイスの時計職人のような精密な技法だけだと散々な言われかたをされるラヴェルだが、この演奏を聴いてさえ「冷たい」などと思われるようだと、残念ながらラヴェルとはご縁がないものと言わざるを得ない。人の感性は様々であるから致し方がないことではあるが、ものは試し、御一聴をお勧めする。因みにラヴェルとモントゥーは同じ年の生まれであり、ラヴェルが生きた時代の空気を肌で共有した指揮者の1人である。
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ラヴェルファンなら既に持っているような名演の数々、私も多くのダブリを承知で購入。音質が改善されていたら儲けものくらいの気持ちでポチってしまいましたが 権利の関係からか、ラヴェルの最高傑作(遠山一行)とまで評されている「子供と魔法」がないのはどうかなと思ってしまう。アンセルメやマゼールの名演とまでは言わないまでも、フランス指揮者による演奏、例えばラヴェルの弟子であったロザンタールの名演(2種類の放送音源あり)を含めないのはなんだか画竜点睛のような気がしないでもない。折角の生誕150年記念のBoxなんだから。と、愚痴ってしまいました。あしからず。
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演奏は本当に素晴らしい。昔から評価の高い演奏ではあったが、SACD盤で再確認。但し、ステレオ最初期の録音だけに、最強音では歪み、潰れている。特に「ダッタン人」でそれが顕著である。それを差し引いても名盤に加えられるのは演奏の質が素晴らしいからである。タワーレコの紹介文に「曲の素晴らしさを紹介するかのごとく使命感を持って演奏しているかのよう」との記載があるが、この両曲とも「ロシアバレエ」のイギリス公演でビーチャム自身のタクトで上演しているからこそではないか。丁度「春の祭典」が初演された直後の1913年6月9日「ダフニスとクロエ」のロンドン初演と併せて「シェエラザード(拡大版)」を指揮しているのである。これ以外にもディアギレフに関わって、「ロシアバレエ」の演目を積極的に指揮しており、いわばこの演奏は劇場体験ともいえる舞台上演のホットな現場を実体験(20世紀初頭の時代体験でもある)した人間の演奏なのである。単なるオーケストラピースの1曲としての演奏ではない。スティーヴン・スターリクのソロ・ヴァイオリンと併せて人肌の温もり(バレエダンサーの肉体的動作に呼応したかのような深い呼吸の妙)を感じさせる名演である。タワレコが「これほど美しさと気品に溢れた演奏はめったにないのではないでしょうか」と語るのもむべなるかなである。
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異色の名演であり名盤である。先だって、大阪で開催されたパイクによる「ゴイェスカス」のみの公演を聴いて確信したところである。異色と言ったのは、ラローチャは別格としても、チッコリーニやルイサダに感じた、明晰な響きを背景に小粋でキリッとした歌い回しで「愛」を語るという風情とは大きく異なるところ。いままで彼らの演奏に聞き慣れた耳からすれば違和感とまでは言わないまでも、従来の趣とは大いに異なる異次元の演奏であるという意味である。第1曲目の「愛の言葉=口説き文句」からして大きく違う。甘く切なくやるせない情感を感じさせながら、若者の男女の恋物語をきりりとしたタッチで浮かび上がらせる語りではなく、例えようもない澄み切った目の奥に深い情念をたたえて大事な文句だけを鍛え抜かれた音の連なりで表現する大人の恋物語であり演奏である。その深々とした音は実に重く骨太でドラマチック(小粋とは真逆)。しかし、多彩な装飾音をかいくぐって聴かれるメロディーラインにおいては「おや?」と思うほどに彼の指先から恋に拘泥した心を温かくほぐすように感じることができた。誤解されないように念のため言っておくが、チッコリーニやルイサダ等々の演奏が軽薄で深みのない安っぽい演奏と言っているのではない。で、この重厚で厳しい表現は終曲まで緊張が途切れることなく延々と続く。よって、本来組曲には含まれない「わら人形」が終曲の「幽霊のセレナード」で幽霊がギターをつま弾きながら消え去った後に演奏されたとき、我々の耳は「愛の言葉-愛憎の綾」の呪縛から解き放たれ、我に返る-現実世界にひきもどされたような錯覚に陥るのである。この対比の妙は素晴らしく、実演では更に見事であった。最後に、ハードカヴァー・ブックは洒落ていて、パイク自身が撮影したスペインの風景写真も多く視覚的にも楽しめる。付録に絵はがきも2枚封入されている。でも最大のご褒美は、CDのラベル印刷にある。限定盤なのでお早めに購入することをお勧めします。
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残念ながら見過ごせない大きなミスがあります。第一部「敵の都の人々の戯れ」で6拍分のカット、同じく第一部の「大地の踊り」で2拍分の追加が聴き取れます。素人判断で申し訳ありませんが、第一部「敵の都の人々の戯れ」では練習番号63の3拍目から、次の小節まるごと4拍分、併せて6拍分がカットされています。練習番号63の小節では2拍分しかなく、次の2小節目を飛ばして3小節目に飛んでいます。つまり 練習番号63が4拍子ではなく、2拍子になります。あたかも高速ドライブ中に一瞬道路が突然陥没して前が見えなくなるような感覚に陥ります。「大地の踊り」では、練習番号73から4小節目と5小節目の間に2拍分(4小節目の2拍と3拍目)が挿入されていて、前のめりにずっこけてしまいます(ご存じのように「大地の踊り」は終始3拍子で進行しますから、ここ1箇所だけに突然2拍子が割り込んできます)。リズムと拍節(ビート感)の連携が本質的とも言えるバレエ音楽「春の祭典」で、拍の削除や追加によってリズムと拍子が変更されていることをなります(この曲を聴き慣れている方であれば、わざわざスコアを取り出さなくとも体感的に違和感を覚えると思います)。
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非常に残念だが期待外れのアルバム。およそ60年前のサントラに比べてはるかにつまらないものである。まずデヴィッド・ニューマンの編曲がバーンスタインにたいする敬意の感じられないこぎれいなだけが取り柄の代物になっている、そのためか、歌にも迫力がなく汗と体臭が感じられないヴァーチャルな薄っぺらい歌唱のオンパレードとなっている。トゥナイト(クインテット)、アメリカ、クールを聴けば良い。お行儀の良いというか、品行方正な有名私学の学園祭で優等生たちがスマートに唱ってるってかんじだ。ジェット団もシャーク団もはみ出し者たちの集団であるとするなら、彼らの社会に対する怒りのエネルギーや身内への深い愛が表現されねばならないはずではないのか。本当に期待外れであった。
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演奏は素晴らしいの一言。しかしである、マルケヴィッチ生誕100年記念のベートーヴェンBOXならば、マルケヴィッチ版のベートーヴェン交響曲について、具体的に言及するべきではなかったか。高校生でも書ける印象的な解説ではなく、それぞれの演奏に具体化されている改訂箇所およびその意図について解説してこそプロの評論家といえるのではないのか。解説者の人選に誤りがあるのが残念だ。
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言わずと知れた歴史的名演。今回は長時間収録のお蔭で、盤面の入れ替えなしで、「ラインの黄金」から「神々の黄昏」まで聴き通すことが可能(さすがに通しでの視聴となると忍耐がいるが)。デスクワークしながらの鑑賞には最適である。しかも高音質だ。こんなに便利なディスクはありがたい。今後もオペラ全曲、シンフォニー全集、歌曲全集などをブルーレイ・オーディオ化していって欲しい。
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「日本狂詩曲」は山田自身の再録含めて多数発売されてきたが、第一曲目の「夜想曲」に関してはこの演奏が最高と断言できる。冒頭のヴィオラソロのメロディからしてアセチレンガスの匂いがたちこめ、そこにフルートのオブリガートが闇に潜む魑魅魍魎の息遣いを感じさせてくる名演です。作曲された時代の匂いを感じさせてくれるという意味で、ほかの指揮者にはマネのできない貴重な録音が再発売されることを喜びたい。
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現存する「嘆きの歌」のCDでは最高の演奏。落ち着いたテンポの枠内でメルヘンを描ききった豊かな表現に脱帽。残念ながら使用スコアが古い上に、旧オリジナルの第一部に旧改訂版の二部、三部の折衷版。10番アダージョはクールで植物的な演奏ではあるが、余計な添加物がないだけに、聴き手のファンタジーを掻き立てる演奏。
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これはカンブルラン以来、久しぶりの名演。鳥肌モノノ演奏と断言できる。春の祭典はゲルギエフやブーレーズの演奏が高く評価されているが、カンブルランやT.トーマス、そしてこの演奏が彼らの演奏をはるかに凌駕している。特にこの演奏は、土埃のするにおいがたまらない。洗練された今風の演奏とは一線を画していると言える。
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