こういうことだろう。1987年のエレクトリック・カウンターポイントは、奏者は演奏に徹し、受容者は「我」が抜けるのだ。3つの形態は、受容者自身の音の記憶にも遡行する。例として当方の場合。1、はソ連映画『惑星ソラリス』に配された音楽に相対し、ハリウッド版『ソラリス』の音楽で別途付加された音の工夫に回帰する。2、は1970、80年代の日本のテレビドラマの効果音に類縁をみる。石立鉄男氏主演のもので多く用いられていた。3、はわが国での(他の国では、その国のエンターテイナーがある)木琴実演、例えば、平岡養一氏の音を挙げてみて良いだろう。新規の音の配置が、古い記憶に立ち帰る。そこで、受容者に受容者自身である必要はなくなる。1988年の高橋美智子氏らによる『驚異のコントラバス・マリンバ』が初手であった。加藤氏の音まで幾星霜。良い時代になった。