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第20回 ─ 田名網敬一×宇川直宏 濃密対談

第20回 ─ 田名網敬一×宇川直宏 濃密対談(5)

連載
NEW OPUSコラム
公開
2004/08/04   16:00
更新
2004/08/05   14:49
テキスト
文/村尾 泰郎

──そういった60年代という時代背景もあってか、先生の作品は〈サイケデリック〉という言葉で紹介されることが多いようですよね。当時、ジェファーソン・エアプレーンやモンキーズの日本盤のアートワークを手掛けておられたりもして。

田名網「いや僕はね、〈サイケデリック〉っていう言葉で説明されるのが昔から嫌だったんです。サイケデリックってアートには全然影響していないと思うんですよ。いわゆるサイケデリック・アートってのはフィルモア・イーストとかで作られていたポスターとか、そういうもののことでしょ。現代美術においてその頃でてきたのって、〈ポップ・アート〉だからね。いまの世代の若者たちがサイケデリックっていってるのと僕らの世代がそういってるのとでは意味合いがちょっと違うんじゃないかな。僕らのころはクスリと抱き合わせでサイケデリックはあった。クスリを抜きにしてサイケデリックは語れない」

──なるほど。先生の作品にはドラッグっぽさは感じないですもんね。もっと個人的な記憶とか経験とかがダイレクトに映像化されてるような。

田名網「そうです。だから当時作られていたサイケデリック・ポスターみたいなものとはまったく別なものなんです」


かつて宇川が衝撃を受けたこのデザインは、いまなお新鮮。ちなみに当時の邦題は「ヒッピーの主張」!

宇川「先生の作品はムーヴメントとはまるっきり違うところに位置してるというか。あの頃のヒッピーイズムみたいな楽園主義とはまったく違うところにある。それでも先生の作品にドラッグ・カルチャーと共通するものを見出すとするなら、それは先生のなかで、描いているときに脳内で分泌されたドーパミンとか、そういうものを感じるってことでしょ。つまり、先生個人がLSDとかと同じような存在でいるんじゃないかと。人間ドラッグみたいな(笑)。でも究極の表現ってそういうもんじゃないかと思うんです。サイケデリックって言葉の意味って〈サイ〉が心で、〈デリック〉が見るっていう意味らしいんですけど、先生の作品と向かいあったときに拾い上げられる要素っていっぱいあるでしょ。情報量も多いし。そのなかで、自分の体験が先生のフィルターを通して引き出されるっていう感覚があると思う。だから先生の作品は究極のサイケデリックな表現としても捉えられるんじゃないかな。だから当時のサイケデリック・カルチャーをリアルタイムで探求していない自分たちが、先生を通して歴史の時間軸を確認できるところもあるんじゃないかなと」

──じゃあ最後に、今後2人でこんなことやりたい、みたいなものがあれば教えて下さい。

宇川「それは7月2日のイヴェント(「テラージョーズ」オープニング・パーティー)でしょ。このフライヤー見て下さい。〈DJ田名網敬一〉!! 誤植だと思われたらヤだからわざとでっかく書いてあるでしょ(笑)。聞くところによるともう選曲終わってるらしいんですよね(横で先生、静かに頷く)。あとEYEさんとかMOODMANとかもDJやるし。スゴイでしょ。ぼくもVJやりますけど、今回の展覧会〈DISCO UNIVERSITY展〉の到達点がこのイヴェントなんです。そうそう、いま先生のマネキンも作ってるんです。ネオンで飾られたDJブースにそのマネキンがしばらく展示されてて、7月2日は先生本人がそのブースでDJをやる。いわば逆クラフトワーク状態(笑)」

田名網「この前有名なマネキン屋にライフマスク取りに行ったんだけど、大変だったね。そういえばマネキン、どうなったかな」

宇川「DJブースの前に道がずうっとあって、そこにブラックライトが仕込んである。結構凝ってるんですよ、ネオンも大きくてね。ほんとはこの鮫の口のなかで踊れるようなステージを作りたかったな。鼻からスモークが出たり。マジでスゴいんで来てくださいよ! でもラヴホテルですよね、コレ(笑)」。

※DISCO UNIVERSITY展は2004年8月1日で終了いたしました。
※「テラージョーズ」オープニング・パーティーは既に終了いたしました。