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第10回 ─ 70'sフュージョン

連載
Discographic  
公開
2003/02/20   16:00
更新
2003/04/09   12:48
ソース
『bounce』 239号(2002/12/25)
テキスト
文/大石 ハジメ(bounce)×馬場 雅之(タワーレコード新宿店)

ソウル、ジャズ、ファンクなどなど、さまざまな音楽を文字どおり融合して生まれた〈フュージョン〉。なかでも70年代にはソウルフルでメロウな数々の名作が残された。これら極上のナイト・ミュージックは、いまの時代にこそフィットする洗練さとファンキーさを併せ持っている。まさにシーンの生き証人ともいうべきクルセイダーズが復活したいま、この緩やかでメロウなグルーヴへと飛び込まない手はないぞ!!

対談で探る、70年代フュージョンの魅力と源泉

大石「〈フュージョン〉って聞くと、若いリスナーにはテクニック志向の音楽っていうイメージがあると思うんですよ。でも、70年代のフュージョンってファンキーなものが多いですよね。恥ずかしながら僕、最近はじめてスタッフを聴いたんですけど、あまりにカッコよくてびっくりしちゃった」

馬場「スタッフはアトランティック系ソウル・シンガーのサポートをしていた人たちの集まりだったんですよ。例えば、キーボードのリチャード・ティーはジェイムズ・ブラウンやアレサ・フランクリンの作品にも参加してますね」

大石「そういうことってポピュラーだったんですか?」

馬場「ええ。でも、クレジットされてないことも多かったみたい。そうやってシンガーのバックをやっていくなかで自分の表現を磨いてきたミュージシャンたちが、70年代に入って自分たちのバンドをはじめたんです」

大石「70年代のフュージョンの作品って、各プレイヤーのエゴが希薄な感じがするんですけど、そんな出自の影響もあるんでしょうかね?」

馬場「ええ、それはあると思います。だから、ソロを聴かせるよりも全体を聴かせていくことを重視していたと思うんです。だから、インストゥルメンタルでやってるバンドに関しては、70年代のフュージョンを〈歌なしのソウル・ミュージック〉として聴いてもいいと思うんですよ」

大石「なるほど、それはすごくわかります!!」

馬場「そういう意味で言えば、クインシー・ジョーンズの存在はすごく重要。ブラザーズ・ジョンソンやパティ・オースティン、ハービー・ハンコックまで参加して、それこそソウル・ミュージックの集大成のようなサウンドを作り出していた。いろんな音楽の橋渡し役をしながら、ジャズやソウルの人も巻き込みながら作ったのが彼の70年代の作品ですね」

大石「まさに〈フュージョン〉してたわけですね」

馬場「うん、そうですね。音楽的にはすごく難しいことをやっているのに、聴いてみるとハッピーで……そんなフュージョンの魅力がクインシーの作品には溢れていますよね。テクニックのある人がさらりと素晴らしい味付けを加える、そんなところもフュージョンの魅力」

大石「そういう部分は歌もののバックでも活きますね」

馬場「そうなんですよ。だから、ランディ・クロフォードの作品なんかも、演奏しようと思ったらすごく難しい。でも、難しく聴こえない。歌ものでいえば、(ギタリストである)ジョージ・ベンソンの代表作『Breezin'』は歌ものとして聴いても一級品ですし。それと、80年代に入っちゃいますけど、ビル・ウィザースをフィーチャーしたグローヴァー・ワシントンJrの“Just The Two Of Us”とか」

大石「あれはホント、メロウな名曲ですよね」

馬場「日本だと彼は、〈都会人のための音楽〉みたいな、ある種のステイタスとして聴かれてましたね。それこそ〈なんとなくクリスタル〉的な(笑)。時代の雰囲気もあったんじゃないかな」

大石「そういや、『Winelight』のジャケットなんかモロですよね(笑)」

馬場「そう、モロ(笑)。だって、“Just The Two Of Us”の邦題は〈クリスタルの恋人たち〉ですから(笑)。あと、フュージョンのプレイヤーはポップ・ミュージックの作品にも参加してますね。ポール・サイモンやスティーリー・ダン、カーリー・サイモン……それこそ挙げていけばキリがない。そうやって自分たちの音楽を作りつつ、60~70年代のさまざまなジャンルの作品を影から支えてきたわけですね、フュージョンのミュージシャンは」

▼文中に登場したアーティストの作品を紹介。