カスタマーズボイス一覧

J.S.バッハ: 平均律クラヴィーア曲集第1&2巻 / ダニエル・バレンボイム

残響を拾いすぎて、バッハ音楽の構築美がぼやけて聴こえるのが残念だ。もちろんセッションに関して、バレンボイムの意向が反映されているだろうから、これが彼の出したバッハの答えだろう。
バッハの鍵盤作品は、モダンピアノの演奏なら、もっと固い音で聴きたい。

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georterさんが書いたカスタマーズボイス

(全53件)

K.595の演奏は絶品だ。こんなにも悲しみと喜びが同時に響くモーツァルト演奏が他にあるだろうか。20世紀の巨匠、カーゾンとブリテンが残した超名盤だと思う。
廃盤になったが、タワレコからSHM-CDになって再売されたが、在庫が切れかかっている?ようだ…



ニコレのくすんだ音色とマズア率いるゲバントハウスの重たい響きがしんどい…
もう少し軽めの表現がライネッケやニールセンの作品には似つかわしいのではと思う。

アルビノーニの協奏曲集を何時間も聴き続けるのは、骨が折れる。ヴィヴァルディ同様、同じようなフレーズがリピートされる。
コレクターズ・エディションと銘打っているだけに手許に置いておくには価値があるCDだ。たまにBGMとして聴き流すには良い。
ジャゾットの、例の作品も収録されていることに、このCD集の価値があるのではなかろうか…

残響を拾いすぎて、バッハ音楽の構築美がぼやけて聴こえるのが残念だ。もちろんセッションに関して、バレンボイムの意向が反映されているだろうから、これが彼の出したバッハの答えだろう。
バッハの鍵盤作品は、モダンピアノの演奏なら、もっと固い音で聴きたい。

諏訪内晶子の天才ぶりを世界に知らしめたCDだ。
日本人の世界的ヴァイオリニストは女性が多い。辻久子、巌本真理、黒沼ユリ子、佐藤陽子、前橋汀子、五島みどり、竹澤恭子、堀米ゆず子、千住真理子、吉村妃鞠…
そんな多くの日本人ヴァイオリニストのなかでも、諏訪内晶子の音色は抜きん出て透明感がある。テクニックを前面に押し出し、自己陶酔が横溢するような、いやらしさがない。素晴らしいデビューCDだ。一聴に値する。
マリナーとアカデミーの伴奏が秀逸なのは言うまでもない。

華やかで煌びやかな音色を放つピアニストがもて映やされる昨今、カーゾンのような澄んだ音色を奏でるピアニストは見当たらない。ケルテスはロンドン響就任2年目、録音嫌いのカーゾンとの貴重なセッションだ。

生誕250年の際、廉価で購入した。演奏もワーナーが誇るアーティストを起用。今更ベートーヴェンなんかと侮っていたが、改めてベートーヴェンの奥深さを認識させられる全集だ。特に作品番号外のWooに分類される小品や断片も聴けるから嬉しい!
クラシック音楽の根幹を成すベートーヴェンに新たな発見を期待している御仁にお勧めします。                                               

ビブラートを抑えた、ピリオド奏法的な演奏である。往年の四重奏団の演奏に慣れ親しんだクラシック愛好家には、その響きは新鮮に感じるだろう。
抑制の効いた、落ち着いた表現に好感がもてる。

フルートと言えば往年のランパル、ニコレ、グラーフ、ゴールウエイ、現役ではパユの名を挙げるのではなかろうか…
ドイツのEckart Hauptを聴いてほしい。過剰な演出や大袈裟な表現をしない、本物のフルート奏者だと思う。バッハのソナタは彼が一番だ。残念なことに現在入手できない。再販を願うばかりだ。

Cranさんのカスタマーボイスに心動かされ、改めて聴き直してみた。確かに仰せの通り、素晴らしい演奏だ。今さら「皇帝」なんか、と小馬鹿にして、お座なりにしていた。
テクニックを前面に押し出すような野暮な演奏ではなく、エゴロフが奏するピアノは一音一音が粒立って生きている。一瞬一瞬を愛おしむ、刹那に命を懸けている音だ。すべてを超越した天才の響きだと思う。エゴロフを支えるサヴァリッシュの指揮も冴えわたっている。
ベートーヴェンが愛した、モーツァルトのニ短調協奏曲との組み合わせもベストだと思う。「皇帝」の高揚感に満たされた余韻のあとに奏でられる、モーツァルトの悲しみの旋律が心に沁みる。
ヴァン・クライバーン国際コンクールで、なぜエゴロフが予選落ちしたのか、未だに謎だ。
ユーリ‣エゴロフ享年三十三歳…

好みによるが、1回目のシュターツカペレを振ったベートーヴェン交響曲全集の方が優れているという声がある。1回目ルカ教会、2回目GHOとゲバントハウスホールでの収録。2回目はライブということもあってか、ややテンションが高い。1回目はあっさりとした演奏のように感じる。優劣を付けるのは、なかなか難しいそうだ。
分かりきったことだが、オケの違い、録音技術の違い、ブロムシュテットの年齢の違いだ。それをどう感じるかは聴き手によって違う。
ブロムシュテットは生真面目なマエストロだと思う。悪く言えば、学術的で冷たい響きがする。

ドイツのピアニストといえば、ギーゼキング、バックハウス、エッシェンバッハ等々、その名前からしてお堅いオッサンばかり思い浮かぶ。ドイツの女性ピアニストは?と問われると返答に窮する…「そっかぁ!アンネローゼ・シュミットがいるじゃないかぁ」
’22年3月、アンネローゼ・シュミット他界。20世紀に活躍の音楽家たちが次々と消えていく…「俺も歳食ったなぁ…」
旧東独を代表する指揮者クルト・マズアと入れたモーツァルトの協奏曲は好評を博した名盤だった。是非とも再販をお願いしたい。

このトリプルコンチェルトとドッペルコンチェルトは、フリッチャイが2度目の手術から復帰した翌年の’60年と’61年にイエス・キリスト教会で吹き込まれた、フリッチャイ最晩年の録音だ。彼の健康回復を願うソリストたちの祈りをこめた響きに満ちている。
この時期、フリッチャイは病気と闘いながら、BPOとのベートーヴェンの交響曲の録音、バイエルン国立歌劇場での公演、ザルツブルグ音楽祭への出演など多忙をきわめていた。そして’61年12月活動を停止、翌年48歳の若さでフリッチャイは天国へ旅立った…
「才子短命」の人生を歩んだフリッチャイ。これは天国へ帰る白鳥の歌だ。

私事で恐縮だが、クラシック音楽を聴き始めた頃、毎月頒布される世界の名曲全集と銘打ったレコードが我が家の書棚にあった。それは日本人指揮者と日本のオケによるベートーヴェンの交響曲だった。そのレコードで「いい演奏だなぁ」と満足していたのだが、ある日、クラシック好きの友人宅で、カラヤンのベートーヴェン5番を聴かされて、総毛立ちしたのを覚えている。それがこの’63年リリースのベートーヴェンだった。
ノスタルジーもあるが、カラヤンのベートーヴェンの交響曲は、’61~’62年の録音が最上の出来だと思う。「BPOがまだ旧ホールを拠点にしていた頃、音響効果の優れていたベルリン・イエス・キリスト教会で深夜におよぶセッションが続いた」と土屋邦雄氏。
みんな若かった…

ルドルフ・ケンペが残した録音で最上のものは、リヒャルト・シュトラウスの管弦楽全集だろう。ケンペがこの世を去ってから40年以上経った現在も、この演奏を越えるものは見当たらない。歴史的名盤と断言しても大袈裟ではないと思う。

ワルターはコロンビアSOを指揮して、このベートーヴェンの他にモーツァルト、ブルックナー、マーラーもステレオで録音を残している。コアなワルターファンによると、寄せ集めのプレイヤーで編成されたレコーディングオケのコロンビアSOでは、ワルターの真意を表現しきれていないと宣う。しかし、晩年のワルターの到達点を垣間見ることができる意味においても、コロンビアSOとの録音は貴重であり、ワルターの音楽家人生そのものだと言えるのではなかろうか。
恣意的ではなく、丁寧な響きがする。表面的な華やかさではなく、奥深い響きがする。エッジが立った、キレッキレの演奏が多い現在のベートーヴェンの交響曲。どうすればワルターのような優しい響きが創れるのだろうか…

ロストロポーヴィチのドヴォルザークは、ジュリーニとLPOで録った、この盤が最高だと思う。協奏曲であるからには、当然のことながらオケの比重は大きい。ロストロポーヴィチの名人芸を支えるオケの出来が素晴らしい。ジュリーニの歌わせ方が雄大だ。
サン=サーンスも秀逸。一聴の価値あり。

モーツァルトのヴァイオリンソナタには名盤が多い。グリュミオーとハスキル、シェリングとヘブラー、パールマンとバレンボイム等々…枚挙にいとまがない。モーツァルトのソナタを録音していないヴァイオリニストがいたら、かなりの変わり者だろう。
このズーカーマンとナイクルグのモーツァルトは、一点の曇りもない、澄み渡った秋空のような演奏だ。モーツァルトを季節に例えるなら、やはり秋が相応しい。紺碧の秋空を駆け巡るミューズに仕える天使。モーツァルトの手にかかると、底抜けに明るい天真爛漫な調べも悲しく響くから不思議だ。

コンツェントゥス・ムジクス・ウイーンをメインに活躍していた頃のアーノンクールが目指していた音楽性が伝わってくる。妻のアリスと共に古楽演奏の開拓の旗手であるCMWを率いていた若きアーノンクール。標榜していた演奏理論が認められた時期の貴重な盤だと思う。
コロナ渦で静まり返っていた音楽ホールにようやく賑わいが戻ってきた’22年夏、妻アリス・アーノンクールも鬼籍に入った。久しぶりにプレーヤーにかけた「インスブルックよ、さようなら」が妙に心に沁みた…

冒頭の「我が魂よ、天なる王を讃美せよ」のハーモニーからして尋常ではない。同じ旋律を違ったアレンジで3回リピートするのだが、特に3回目のオブリガードとオルガンの響きには心を揺さぶられる。
日々の生活で疲れ果て、傷ついた心を浄化してくれる讃美歌に耳を傾けて、明日からまた頑張ろう。

戦後まもなくの発足で、世界的名声を得たカルテットを挙げると、スメタナ、イタリア、ジュリアード、アマデウスの4団体だろう。
音楽性の相違とか何だかんだでメンバーが替わってしまう四重奏団。アマデウスは、解散まで同一メンバーで活動し続けたカルテットだ。古典派から現代に至るまでレパートリーも広く、ベンジャミン・ブリテンがアマデウス四重奏団のために作品を書いている。
彼らにとっては、自家薬籠中のモーツァルト。暖かさと優しさに満ちたハーモニーだ。
ヴィオラのペーター・シドロフが亡くなった’87年に解散…四半世紀以上経った現在、メンバーの4人は天国で美しいハーモニーを響かせていることだろう…

ウクライナのキーウ出身の”フリイェール”の傑作第3交響曲「イッリャー・ムーロメツィ」。ジョアン・ファレッタがバッファローpo.を指揮しての名演だ。ファレッタが音楽監督に就任してからバッファローpo.は、ビッグ5を凌駕するサウンドになったと思う。
ウクライナに思いを馳せながら、この名演に耳を傾けている今日この頃です。

あまりにも有名なツィゴイネルワイゼンを皮切りに、次々とサラサーテの作品を鑑賞できる有難いセットだ。
ティアンワ・ヤンは1987年生れの北京出身のソリストで、現在ドイツを拠点に活躍している。このサラサーテのヴァイオリンと管弦楽による全作品を録音したことで話題になった。
エルネスト・マルティネス・イスキエルドはバルセロナ交響楽団の音楽監督も務めたことのあるマエストロ。サントリーホールで東京交響楽団を振って、わが国でもその名が知られるようになった。
サラサーテが設立したスペイン最古のナヴァーラ交響楽団の豊かな響きにのって、ティアンワ・ヤンの音色が冴えわたる。

古楽器による演奏だが、いかにも音楽史的、学術的な奏法といった押しつけがましさが無く、古臭さを感じさせない、爽やかな仕上がりだ。ヒロ・クロサキのノーブルな音色とリンダ・ニコルソンの澄んだフォルテピアノの音色が織りなす、幸福な響きに満ちたモーツァルトのソナタだ。
ヒロ・クロサキのヴァイオリンは、18世紀後半のナポリ製でガット弦を用いている。弓も後期バロック期から古典派の仕様のものを使い分けている。その違いを堪能できる優秀な録音だ。フォルテピアノも18世紀に作られたもので、ピッチは430Hz、曲ごとに異なる非平均律で調律しているようだ。
どれも素晴らしい出来だが、K.454は特筆に値する演奏だと思う。

バッハはカンタータにこそ真髄があると言われる。バッハのカンタータ全作品を聴こうとしたら骨が折れるが、有名なものから鑑賞するには、ちょうど手ごろなセットだ。
オランダでバロック音楽を牽引してきたリューシンクが短期間で録音したカンタータ全集からの抜粋だ。セッションのやり方に関して、何かと物議を醸し出した全集のようだったが、演奏にはそのような懸念を微塵も感じさせない秀逸な仕上がりだと思う。ヨーロッパのどこか地方の教会で聴くような暖かい響きが心地よい。

今でこそ、シベリウスは演奏会プログラムに登場するが、バルビローリが指揮者になった当初、広く知られていなかったという。バルビローリがシベリウス普及の立役者だといっても差し支えないだろう。
ハレ管弦楽団の黄金期を築いたバルビローリ最晩年の録音だ。彼にとって最後となったマンチェスターの演奏会でもシベリウスの第6交響曲を振ったらしい。そして、このシベリウスの録音を終えて間もなく、彼は天国へ旅立った…EXPO’70の付随催事のコンサートに来日予定だったバルビローリ。8月のフェスティバルホールのステージにバルビローリの姿はなかった…
シベリウス演奏のバイブルのような名盤だと思う。

「わが祖国」はノイマン、アンチェル、クーベリックなどが最上の演奏と思いきや、このドラティの演奏を聴かずしてスメタナの交響詩「わが祖国」を語ってはならないと思った。
’82年ノイマン来日、東京文化会館で聴いたことがあるが、チェコ本家の演奏は、チェコの国家を背負うかのごとく、力み過ぎて鈍重な響きがしたのを思い出した。アンチェルやクーベリックのレコードからも、悪く言えば、泥臭い響きがして、少々胸やけがするような感じになる。
ドラティとコンセルトヘボウ管弦楽団の「わが祖国」は、透明感のあるシンフォニックサウンドで、「わが祖国」が連作の交響詩であることを聴き手に意識させてくれる名演だと思う。
世界情勢が怪しい今こそ、ドラティとコンセルトヘボウのコスモポリタン的名演に耳を傾けて、祖国とは何か、問う必要があるのではなかろうか…

往年のフルーティストを一言で。華やかなランパル、野太いゴールウエイ、渋いニコレ、繊細なラリュー等々…
そして、端正なグラーフ。彼の演奏には気品がある。インテリジェンスがある。控えめなヴィブラート。さりげない演奏テクニック。
フルート吹きにとって定番のモーツァルトのコンチェルト。グラーフの演奏が一番優れていると思います。私見ですが、次いでパウル・マイゼン、酒井秀明、加藤恕彦です。

アイルランド出身で合衆国に帰化したハーバートのチェロ協奏曲。第2番はドヴォルザークにチェロ協奏曲を書かせるきっかけとなった傑作だと、ようやく見直されるようになった。
これまでは、リン・ハレルとマリーナーが吹き込んだものが誉れ高いようだが、ハーバートの故郷アイルランドのアルスター管弦楽団を合衆国のファレッタ女史が指揮し、これまた合衆国のチェリスト、コソワーが独奏するこの盤は、アイルランドと合衆国を繋ぐ、さながらハーバートの人生を象徴するかのような響きがして、なかなかの出来だと思う。
これを聴かずしてチェロ協奏曲を語るべからず、と申し上げます。

エルダー・ネボルシンは、第1回リヒテル国際コンクールで優勝したウズベキスタン出身のピアニストだ。
アントニ・ヴィト指揮するワルシャワpo.の伴奏にのって、内に秘めた情熱的な音を淡々と紡いでいくネボルシン。
新バージョンスコアによるヴィトの抑制の効いた表現も絶品だ。ショパンのコンチェルトで最上の出来と言っても差し支えない。

人気のあるアーティストは必ずと言っていいほど、ポピュラーな小品のオムニバスを吹き込んでいる。とりわけカラヤンは、序曲集に始まって行進曲集やクリスマスソングまでの満艦飾ラインナップだ。クラシックレコードの販売を少しでも上げようという音楽業界の戦略だろう。古くから「あだ名」のある作品が売れる日本では「運命」と「未完成」のカップリングが定番で、とにかく「あだ名」のある作品が好まれる。諸外国ではベートーヴェンの第五交響曲を誰も「運命」とは言わないし…
まあ、偶には学校の音楽鑑賞に出てくるような小品をカラヤンが指揮する4管編成のベルリンフィルハーモニー管弦楽団で聴いて、豪奢な気分に浸るのも良いものだ。

このCDを聴くと40年程前、東京文化会館で「交響三章」を芥川也寸志氏本人の指揮で聴いたのを思い出す…当時、「交響三章」は、ステレオ音声テレビ【テレビ放送のステレオ音声が始まったばかり】のCMに芥川也寸志氏本人が出演して「テレビの音もここまで…」という芥川氏のセリフのバックで流れて、広く大衆に知られるようになった…
世界的マエストロ湯浅卓雄とニュージーランドSOの素晴らしい演奏だ。特に「エローラ交響曲」は厚みがある響きでありながら透明感が半端ない。
昭和レトロの昨今、時代を越えて輝き続ける昭和の大作曲家、芥川也寸志の作品に耳を傾けてみてはいかがでしょうか。

アグニェシュカ・ドゥチマルは、スカラ座に登場した初めての女性指揮者だ。彼女自ら設立したポーランド放送アマデウス室内管弦楽団を指揮して録音した名盤だと思う。
メンデルスゾーンが若き日に作曲した弦楽のための交響曲。後に管楽器を加えて実質最初の交響曲となった第8番など、メンデルスゾーンを知るには欠かせない作品だ。
ドゥチマルのこの盤には、1楽章のみの第10番を取り上げているのに同じく1楽章しかない第13番が入っていないのが残念だ。

LP時代、コンヴィチュニーとゲバントハウスによるベートーヴェンの交響曲は、国内では廉価盤の「フォンタナ」レーベルで販売されていた。
冷戦当時、東西の対立は芸術面においても例外ではなかった。最古のオケであるゲバントハウスやシュターツカペレを有する東側と比して、西側ベルリンのオケの歴史は浅い。圧倒的な資本を投じて西側の優位性を喧伝し、覇者となったのがベルリンフィルだ…
コンヴィチュニーはハッタりのない指揮をする人だと思う。もし彼が西側に居たなら評価はもっと高いものになっていただろう。
端正で外連味のないベートーヴェンが聴きたくなったら、コンヴィチュニーです。

ワルターは交響曲や管弦楽曲の他に室内楽曲もいくつかの作品を残している。マーラーに自作のピアノ曲を聴かせて酷評されたエピソードがあるらしい。フィリップ・グラフィンの力強い響きとパスカル・ドヴォワイヨンの澄んだ音色によって奏でられるワルターのソナタ。マーラーはきっとワルターの作曲の才能に嫉妬したに違いない…
カール・ゴルドマルクは、ヴァイオリン協奏曲はよく演奏されるが室内楽曲は滅多に取り上げられることがないと思う。このCDでは組曲1番が聴けるので貴重だ。

70年代スウィトナーがN響を振っていた頃、大したことない指揮者だと思っていた私は大馬鹿野郎だった。カラヤンやムーティーなどカッコいい指揮者に目を奪われて、スウィトナーの実力を見抜けなかった。
ともすれば中弛みになりがちで、日向臭いドヴォルザークの交響曲を見事な緊張感で盛り上げていく…一聴の価値あり。

ヴァイオリン・ソナタの傑作は?と問われたら、ベートーヴェンのクロイツェルやフランクのソナタを推すでしょう。シューベルトのヴァイオリン・ソナタは?と問われてピンとこなかったら、このCDを聴いてみては如何でしょうか?ドン=スク・カンの澄んだ音色が心に沁みます。

1990年の録音ですが、ナクソス創業当初によくみられた稚拙な録音ではなく、メジャーレーベル水準以上で録れています。

※タワレコさんへ…ジャケットの写真が違うので訂正お願いします。

フルート吹きでブリッチャルディを知らないのはもぐりです。そう、あのブリッチャルディキーの発明者です。
His contributions include inventing the B-flat thumb key for the Boehm flute.
フルートを習っている人は、このCDを聴かなければなりません。

「わが祖国」といえば、アンチェル、ノイマンの演奏で親しんできた。チェコから西独へ亡命したクーベリックは本家本元に違いないが、ボストン響を振った、この「わが祖国」はなぜかあまりパッとしない演奏だと私には思える。
70年代初頭にクーベリックがベートーヴェンの交響曲を一曲ごとに世界各地の有名オケを変えて吹き込んだ全集盤があったが、おそらく、そのついでにボストン響と入れたものだろう…急作りで仕込みが足りない感じがするのは、私の邪推かな…
いい演奏には違いないのだが…

戦後、モーツァルト弾きとして名高かった女流奏者は、ハスキル、ヘブラー、そしてリリー・クラウスだった。三者三様の良さがあるのだが、特にリリー・クラウスの演奏には知的な暖かさがあったと思う。
CDで聴きなおしてみて、この協奏曲全集がいかに優れた盤であったのか、と改めて思い知らされた。サイモン指揮のオケも素晴らしい。
この盤が、その後全集を吹き込んだバレンボイム盤やアシュケナージ盤のメルクマールになっていたのではないか、と考えるのは私の戯言だろうか…

30年以上前に単体で購入。その後CDケース入りの全集を購った。日本のファンでケルテスの人気が続いているのはなぜか?多分それは、彼が若くしてテルアビブの海岸遊泳中に亡くなったからだ。また、その現場に居合わせたのが世界的バス歌手の岡村喬生氏だった…
そういった悲劇的エピソードがケルテスの演奏に重なって響く。牧歌的なドヴォルザークが悲しく聞こえるのは私だけでしょうか…

ハイドンの交響曲全集金字塔のドラティ盤と比較して、フィッシャーの全集、優劣つけ難し。いい演奏です。一聴の価値大いに有りです。
難をつけるならば、全集にありがちな長期間に渡るセッションによる録音ムラです。レベルや残響に微妙な差があると思います。ドラティ盤より少ないと思いますが…

ハイドンのピアノソナタは、モーツァルトのソナタと比べて接する機会が圧倒的に少ないと思う。
ピアニストもコンサートのプログラムでは、ショパンやリストのほうが己の技巧を出せるし、古典派のプログラムでは、巨星ベートーヴェンと人気のモーツァルトの陰に隠されてハイドンのソナタは存在が薄い。
ブッフビンダーは偉い!そんなハイドンの全集を出すのだから…
コレクター的価値のあるセットだと思います。これを聴いてハイドンのソナタの真価を認識しましょう。

30年程前、単体でセラフィムから出ていたクリュイタンスの田園を聴いて感動。その後EMI盤で全集を購入。
素晴らしい!演奏はもちろん、当時の録音技術の高さにも驚愕です。
ベートーヴェンは、ドイツ人指揮者の演奏を最上とする風潮がありますが、この盤はそれを覆してくれる名盤です。

以前、EMI盤単体販売で購入。シベリウスの交響曲にはマゼールVPOで親しみ、その後さまざまな演奏に接したが、このベルグンドとヘルシンキの演奏が最上だと思った。是非一聴を。

私見を述べるならば、ラトルの演奏は何かが欠けてるような、平均的な仕上がりではないか…メジャーオーケストラの演奏でメジャーレーベルからリリースした…

これを聴けば、リストがいかにオーケストレーション研究に血道をあげていたか解る。また、ピアノという楽器の凄さを思い知らされる。

バロック音楽をポピュラーにしたのは、アーヨの四季です。ピリオド奏法が主流になった今これを聴くと、平板な響きですが、間違いなく、これが原点です。

古楽器によるピリオド奏法が隆盛を極めた今日から見れば、リヒターの演奏は恣意的な解釈が少々鼻につく。これほど温かみの無いメサイヤは聴いたことがない。時の流れとは残酷なものだ。当時はこのような演奏で喝采されていたのだから…

演奏、録音ともに平均的な仕上がりだと思う。田舎臭いベーム、都会的なカラヤン、学術的なホグウッド、優美なクリップス、こじんまりとしたマッケラス、エッジの効いたアーノンクール等々…モーツァルトの交響曲は数多くの名盤がありますが、このジェフリー・テイトの演奏は中庸をなす名盤の一つと言えるでしょう。

(全53件)