
ブルーノート・プレイズ・ザ・ビートルズ / Various Artists
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選曲の妙。なお、1991年版の「BLUE BEAT Blue Note Plays The Music Of Lennon And McCartney」では、重複があるが、CAN’T BUY ME LOVE(Stanley Turrentine)、ELEANOR RIGBY(Stanley Jordan)、I WANT TO HOLD YOUR HAND(Grant Green)、YESTERDAY(Lee Morgan)、FROM ME TO YOU(Bobby McFerrin)、HEY JUDE(Stanley Turrentine)、IN MY LIFE(Gil Goldstein)、GET BACK(The Three Sounds)、ELEANOR RIGBY(Lonnie Smith)、HEY JUDE(The Jazz Crusaders)の10曲。いずれ劣らぬ強者揃い。
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村夫子さんが書いたメンバーズレビュー
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1.R.シュトラウス/ワーグナー=冨田:スペース・ファンタジー、2.オネゲル=冨田:パシフィック231、3.アイヴズ=冨田:答えのない質問、4.J.ウィリアムズ=冨田:「スターウォーズ」:メイン・テーマ、5.ロドリーゴ=冨田:アランフェス、6.グリーグ=冨田:ソルヴェイグの歌[「ペール・ギュント」より]、7.ディニーク/ハイフェッツ=冨田:ホラ・スタッカート、8.J.S.バッハ=冨田:ソラリスの海、のラインナップ。8.に注目。アルテミエフ氏の演奏集、映画サントラに比して、新たな面白みあり。
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01.DRILLING AN OCEAN。宗教に属さぬ聖歌の低唱。ただし、リズムが予定調和する。もし、これを嫌う者ならば、予定調和してしまう。音は抜群によい。
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当方はチャイコフスキー5番交響曲を分担。1955年の録音。悠揚迫らざる推移。音はくぐもっているが、聴くに心地よい。
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肉声の迫力を認める。あとは、もし残っていたら、小林秀雄・黒澤明両氏によるものわかれにおわったとされるドストエフスキーをめぐる対話の記録を聴きたいところ。
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モーツァルト20番は名高い録音。プロコフィエフ5番は、曲に特異な価値あり。初演は作者の独奏、フルトヴェングラー指揮ベルリンフィルで1932年。
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楽団の音、ソリストとして注目するバスーン(ファゴット)の音よし。
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スヴャトスラフ・リヒテルによるバッハ、フランティシェク・ハンタークによるヘンデル、ノイルジー・ノヴァークによるモーツァルト。ヴァーツラフ・ターリヒ指揮するチェコ・フィルが3様態を奏でる楽団の音。
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本盤にも音の移動の推進力を確認。「合唱」交響曲でも冒頭より歌唱開始の直前までに認めた。「英雄の生涯」は作者の交響詩スタイルもの。30代前半で完成をみる。この人20代前半で「死と変容」を作っており、簡素かつ明白な表現方法は確立済み。本作は或る意味で手法のアンソロジーめいている。「シェエラザード」第3楽章を観る。夢魔の境域であるが、実際にはメタモルフォーゼンの自己確認かも知れぬ。すなわち、手放しの情緒と客観的認識との描き分け。かつてFM日曜喫茶室で、ゲストのトキワ荘住人の面々が、映画に学んだ話をした際に、シェエラザードが流された。この曲にその人々が好感をもったことをいかにもそうであろうと思った。うつくしい。
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さらに歌唱による充実。当方は、杉山好氏にドイツ語の発音および音韻構造について学んだことあり。カセットテープ教材があった。
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聴く前から音は良い。当方、曲は「松」「祭」は冨田勲「リボンの騎士」テーマ、「噴水」はモルダウの味わいに近似すると満足する。もっとも時代はスメタナ→レスピーギ→冨田勲であるが。ところで、作者の古典渉猟とはいかなる謂いであるか。
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パッサカリアとフーガに就て。古典回帰のレスピーギ・エルガーの作譜に結実。奏者は、やや色彩を強めている。なお、レスピーギ版なら、トスカニーニがウィーンフィルと最終部にオルガンを加えて演奏したとの記録あり。
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交響詩。細密な音の構成は作者ならばこうなる。奏者は普遍を目指す。ムラヴィンスキーはイタリアへの留学を申し入れて当局に阻まれた。獲得されざる要素があるとすれば、本録音中に一例があるように思う。なお作者に関する奏者の感想など1分53秒の付録がある。
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指揮者は、5、6、8、9、10、12番交響曲のプレミアを務めた。Web辞書記載項目に昇格させてもよい一事。なお、これらとは別に、ソヴェトの場合、指揮者が楽譜を設定し、奏者が試演して初めて指揮者解釈の終局を見ることあり。事例収集しておくべき。
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音のハーモニーが美しい。属啓成氏は、シュトラウスの『英雄』を引用しておいでだったが、リズム・テムポともにマーラーの楽曲に相対する奏者であろう。
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1941年完成。1942年クイビシェフにて初演。レニングラード市への献呈。1953年ムラヴィンスキー、レニングラードフィルによる録音。指揮者はチャイコフスキーピアノ協奏曲のセレブリャーコフとの録音に、俗謡或いは俗謡調の部分を鮮明化した。本作にも、民族的特徴を奏鳴せしむる。
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ポオの詩「鴉」に由来。作者言「近代人の理性的世界に守られた存在に、不気味な動物『鴉』が侵入して、その理性的秩序の世界が、崩壊する過程が描かれている。」。結果は、音により確かめられんことを。当方は古風に、詩論「構成の原理」を持ち来る。「・・・この詩は終わりから始まったと言っていい(すべての芸術作品はここから始まる)。」(篠田一士訳)。倒叙法による時の逆転を観る発想なら花田清輝「球面三角」(1941.12)「終末観」(1942.11)に露わな先例を持つ。もっとも詩の構成要素を細分化し「実際には」連続の着想成就というよりは不連続より連続を構成するという詩人の主張は、今日、デジタルからアナログをとでも言い換えることができよう。女声人声による朗誦および音の付加の企画に、当方は、タルコフスキーがユリア・ハマリらによるバッハの音を映像と並行させたことを想起。借問す。天使による命名にレノアとされた、発話者に相対する存在を、理性的世界の崩壊の価値の一因子とするか? 理性の光がアテナ女神の青白い胸像をみやり、詩人の理知と等分の理知が作者に働き、曲が生まれ、作曲行為が、決して崩壊せぬ理性的秩序の活動の証左と化す。本邦、1920-30年代のフランス詩移入に、自意識の過剰な働きが特筆された。一方でヴァレリイの理知表現も存在していた。落差修正には吉田健一らが尽力した。良い曲を聴いた。
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音が綺麗。遅速変化および不連続の妙。間をとる。舞曲にはあたらぬ。
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トラック3 MATの後半にワンダバがある。感慨一入。
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ライナーノーツが充実。あと特徴は、各曲の主旋律の設定だろう。7つのポケットを確保していたということだ。
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俵幸太郎氏死去。レコード・CD批評から日本音楽紹介まで筆を振るわれた。若い者たちにとって良い先生の一人だった。音楽関係の著書はすべて点検したが、惜しいことにソ連官僚主義を嫌われて、該当の時代の音に批評の対象から除外されたものがあったため、平成年間のDENONなどによるロシア・ピアニズム評価にかかる見解を伺うことができなかった。
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DISC-1、第2曲、高橋アキ氏演奏による「エナジー・フロー」。音源入手に好適。
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ウルトラマンからの飛躍が、音楽面にもみられて、劇中へのクラシック音楽の使用や、歌詞付きの曲の普及の努力があった。行進曲と短調基盤の曲とが多かった。本盤の選曲、惜しむらくは、「ウルトラ警備隊」の歌詞がなかった。しかし、27曲は記憶を呼び起こすきっかけとなる。
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ギレリス42歳。チャイコフスキー協奏曲のモノクロ映像が貴重な記録となっている。
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XERROX TOPIA。比較は本来無用の付け足しだが、『惑星ソラリス』アルテミエフのバッハ処理を想起する。自然音、宇宙音という。自然の音は採集し得るが、それを音楽に組み込むと音はそのままで異化する。宇宙音は本来そんなものはこの世にないもので、宇宙に相関しそうな音の作成を経て聴く側=受容者の承認を求める。そこで、バッハの音を自然音として、宇宙音として、論理として構築したうえで、いかに映像の背後に貼り付けるかが音楽担当者の課題となった。のちに坂本龍一氏らも積極的に自然音や自然めいた音の取入れを展開させてみせた事は記憶に新しい。さて、それらの作業は、多次元の低次元への投影であるとも解釈できる。すなわち作曲過程が統一総体の一連の音楽として形を得る時点で、多次元の音存在が音楽へと収斂される。ここにTOPIAが在る。各曲12曲は、若い人たちの手許で良く味わっていただきたい。もはや我らの出番には非ざる世界だ。
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ヴィシネグラツキー作品18。3楽章。第2楽章緩徐楽章が強く印象に残る。
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18NOVEMBER1987、フランク。踊るが如き演奏。かつてこれとはやや筋の異なるフランソワの音を得た。ともに捨てがたい。なお、フランクの同曲を30APRIL1987にNimbusレーベルに録音している。こちらは、より楽譜通り。
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或る意味では、本盤の方が主任警部モースのサウンドトラックより曲の粒が揃っている。
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17-5のワーグナー・タンホイザーは、1938年録音。この曲の1954年録音の映像が、EMIのジョルジュ・シフラBBCDVDにボーナスで入っている。ご参考までに。
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フランク交響的変奏曲。ルイ・ディエメへの献呈。作者は、ディエメにやらせてみたかった。シフラにやらせてよかった。
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センスあっての日常音=自然音の音楽化。邪魔にならぬ軽音楽の提供。作者の日常音ストックを点検したい。
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BS番組で、奏者自身による編曲でフランク「前奏曲、フーガと変奏曲」を視聴。本盤で演奏の細部をモーツァルトにより確認。
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しらずしらずのうちに、耳にして記憶していた曲の数々。10、11、17、23は、調査対象の映画についていた。それぞれ回想シーンの効果を高めていた。もっともそれらの場面を当方は、肯定していた訳ではないが。
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本盤の記録を以て、フルトヴェングラーの絶筆「混沌と形象」の大意を得ることが叶った。有難い。
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本曲は、非宗教曲。アルヴォ・ペルト氏だと鈴音様態までも援用しよう。場合により宗教性が発生する。もっともお御堂に鈴は鳴らない。両者を貫いてあらわになる事柄は、音の「輝度」に就てである。
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既に奏者による「メアンデル」を観た。本盤では、音により聴き手は自身の精神活動の内訳を確認することとなる。メアンデルにはロゴスが働いた。本盤では、ロゴスなきロゴスを音の配列に求める。
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ヨハネを用いる。形成する世界は自ずから福音書自体に根拠を持つ表現となる。受難曲でもヨハネとマタイとでは構造が異なり、例を挙げると、タルコフスキー監督は『サクリファイス』でマタイを使った。そして、メロディーによる価値の付加がある。本盤の曲想は、ペルト自家薬籠中の表現方法を、ヨハネに付加してみせた一事例である。
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Wyschnegradsky、24 Preludes Quarter-Tone System(1934/70)。受容側の文化的背景も理解に関与するものか。目下、フルトヴェングラーによるシュナーベル批判を検討中。
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1948年録音。ジュスキント指揮フィルハーモニア管弦楽団。LP復刻の手柄あり。
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すでにリヒテルとの連弾で音を知る。ここに全集録音を達成させて、流麗たる音の完備を示した。ひとつ宿題があって、奏者は若年時には、いかなる弾き手であったのか?
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プラハの春音楽祭にてリヒテルはソナタを演奏。ここに、レオンスカヤとの連弾も成立させた。
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「国際派」ならずとの評言あり。曖昧な話であるが、ソナタ演奏の遅速変化に根拠を認める。
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1973-1986年の録音。自然音の工夫され意図された配置に器楽音で対応。
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奏者に就ては、ドビュッシー、モーツァルトは本選集にて要確認。
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モーツァルト、ドビュッシーで奏者の音に就いて確認。チャイコフスキー協奏曲の様態を知る。その充実を知る。
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24番協奏曲。コリン・デイヴィス指揮ロンドン交響楽団。聴いて響きを楽団が返す。
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