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第61回 ─ アリワ

連載
Discographic  
公開
2007/04/26   17:00
更新
2007/06/28   17:39
ソース
『bounce』 286号(2007/4/25)
テキスト
文/大石 始、鈴木 智彦、YAHMAN、山西 絵美

ロンドンを拠点に、ジャマイカ産とはひと味違う洗練されたレゲエ・ミュージックを発信し続けているアリワ。ラヴァーズやダブのイメージばかり先行しがちなマッド・プロフェッサー主宰の同レーベルだが、さらに一歩突き進んでみると、そこにはあらゆるスタイルを詰め込んだヴァラエティー豊かなサウンドがゴロゴロと転がっている。そんなアリワの実体を、きっとアナタはまだ知らない……

創設から25年を経た現在もUKレゲエのトップ・ポジションをキープし続けるアリワ。その歴史をまずはおさらいしよう!

 UKのレゲエ・シーンは、70年代からジャマイカとは別の道程/サウンド・スタイルを築き上げてきた。古くはスキンヘッズらにスカが〈ブルービート〉と呼ばれ、愛聴されていたことなどはまぎれもなくUK独自のレゲエ史だろうし、70年代以降マトゥンビやアスワド、ジャー・シャカらが作り上げてきたサウンドは、ジャマイカのそれとは異なるクールな質感を備えたもの。そんなUKレゲエならではの魅力と醍醐味を持っているレーベルが、アリワである。まず、ここのカタログは非常にヴァラエティー豊か。アリワの代名詞ともいえるラヴァーズに加え、ダブやダンスホール、ルーツ、ジャングルと、UKレゲエが内包するヴァリエーションをそのままカタログ化したようなところがあるのだ。そこにはマトゥンビの時代から(もっと言えばブルービートの時代から)強かったUKのミクスチャー指向が反映されており、結果としてジャマイカ音楽がより世界中に浸透していく80年代以降の流れにおいて大きな存在感を放つこととなった。

 アリワの創始者、マッド・プロフェッサーが南ロンドン郊外にある自宅の一室に最初のスタジオを設立したのが79年のこと。ヨルバ語で〈コミュニケーション〉を意味する言葉からアリワと名付けられたスタジオは、81年にレーベルとしての活動も開始する。後にアリワの看板アーティストとなるサンドラ・クロスの兄=サージェント・ペッパーの7インチ“Come Back Again”をファースト・リリースに、同年にはマッドのプロデュースによる〈Dub Me Crazy〉シリーズの第1弾を発表。リー・ペリーやジョニー・クラークらジャマイカのキャリア組に新境地開拓のきっかけを与えただけでなく、サンドラ・クロスを擁するワイルド・バンチ(マッシヴ・アタックの前身グループとは別)やシスター・オードリー、コフィ、ジョン・マクレーンといった実力派シンガーの力作をお膳立て。さらにはランキン・アンやマッカBらによるUKダンスホールの傑作も放った。

 スタジオ設立から18年。ロボティクスやマフィア&フラクシーら有能な音楽家集団をバックに従えながら、コンスタントにリリースを続けてきたアリワのカタログは膨大な量に及ぶ。なかには一瞬で消え去ってしまったアーティストも少なくないが、そうした楽曲のなかにもアリワならではの丁寧な仕事ぶりが窺えるだけに、今後さらなるリイシュー&新作のリリースを期待したいところだ。
(大石 始)