時は70年代。グツグツ煮えたぎっていたラテン音楽にいろんな材料をバンバン投げ込んで、とびきりアツく仕上げた音楽がサルサ。それを語るのに欠かせないレーベルがファニアである。若いスターが名を連ね、活力に満ち溢れたファニアは当時のNYラテン社会を象徴していたのだ。いまこそその熱気を感じてほしい!
64年にNYで設立されたファニアは、サルサの最大かつ最強のレーベル。ってことはポピュラー音楽界全体から見た最重要ラテン・レーベルでもあるってこと。ソウルにはモータウン、ジャズにはブルー・ノートがあるように、ファニアの歴史はサルサの歴史。
歴史を紐解けば、50年代の空前のマンボ・ブームで世界的にポピュラー化したラテン音楽が、59年のキューバ革命でキューバとの国交が絶たれて以降、アメリカにほとんど入ってこなくなったのをきっかけに、NYはスパニッシュ・ハーレムあたりの中南米出身のミュージシャンが〈ならば!〉と自分たちでデスカルガ(ジャム・セッション)を繰り広げ、ロック、ソウル、ジャズを呑み込みながら行き着いた先が〈究極のミクスチャー・ラテン〉=サルサだったってわけ。何を隠そう、サルサってのはスペイン語で〈ソース/混ぜる〉って意味ですから! その混じり具合は大変なモンです。
ジェイムズ・ブラウンらブラック・パワーによる〈ソウル to ファンク〉の流れが当時高まりつつあった公民権運動を背景にしているのと同じく、70年代のファニアの隆盛にはラテン系移民たちの社会進出への動きとの相互関係があった点も見逃せない。そういった民族的昂揚をバックに、ファニアは若手の大胆な起用や、数々のライヴを映画化(今回DVDボックスという形でリイシュー!! 詳しくは別項)するなどの複合的なプロモーション戦略を敷くことで、ストリートからオーヴァーグラウンドに至るまでの幅広い層からの支持を同時に獲得して、単なるレコード・レーベルの枠を越えた優秀なラテン系企業へと成長していった。こんなことも、ファニアがなぜ他のラテン系レーベルを差し置いて〈サルサ〉というネクスト・ステップを生み出し、その熱を全世界規模に押し広げていけたのかを物語っている。
そんなファニアがアメリカ音楽界におけるラテン市場をほぼ独占していた黄金期の代表作が、多数リイシューされた。あらゆる世代/層に訴えかけ得るポテンシャル満載!なわけです。このページの〈匂い〉が気になったJB好き、ソウルやハウスが好きっていう君! 間違ってないぜ!!