カスタマーズボイス一覧

ラヴェル:ダフニスとクロエ(第1組曲、第2組曲)、ラ・ヴァルス、クープランの墓 / セルジュ・チェリビダッケ、他

ラヴェルの精緻にして華麗なオーケストレーションを見事に描出し得た圧倒的な名演。最強音においても最弱音においても、すべての楽器セクションが声楽も含めていささかの混濁もなく鳴り切っているのは、遅いテンポでも一糸乱れぬアンサンブルも相まって殆ど驚異的とも言うべき圧巻の至芸と評価し得るところで、正に印象派の名画を鑑賞しているような深い感慨を覚える。とりわけ、最弱音の美しさにはただただ陶然とさせられるのみ。

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つよしくんさんが書いたカスタマーズボイス

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(全21件)

未完成も名演であるが、より優れているのは第5番。若きアバドの躍動感溢れる指揮が曲想に見事にマッチングしており、聴いていて心弾むような思いがする。ウィーン・フィルも若きアバドを指揮台に頂いて、その歌心溢れる指揮にも深く共鳴した、これ以上求め得ないような美演を展開しているのも魅力的。録音もこの時代の実演としては十分な音質であり、後年の大指揮者アバドを彷彿とさせる大名演の発掘を大いに歓迎したい。

鋭いアクセントやアタック、打楽器やオーケストラの内声部の際立たせ方、テンポの大きな緩急など、クルレンツィスならではの個性満載の名演で、とりわけ第2楽章は刺激的とも言うべき怪演。徹底して歌い抜いた第3楽章も相まって、スケルツォ→アンダンテという楽章配置が他のあらゆる演奏にも増して説得力を有したものに感じられる。手兵ムジカエテルナの名技やかかる名技を鮮明に捉えた高音質録音も本演奏を聴く醍醐味である。

優れているのは第4番以降の4曲で、シベリウスの交響曲の歩みと同じく第7番に向けて演奏の深みが増している。とりわけ第6番の清澄な美しさ、第7番の崇高さは、至高の名演と評価し得る。これに対し、第1番から第3番は、不自然なテンポの起伏などが随所に横溢したくせのある演奏であり、好き嫌いが分かれるのではないか。それでも総体としては、録音の良さもあり、P・ヤルヴィが満を持して世に送り出した名全集と言えよう。

ヴィヴァルディの四季等における斬新な演奏の印象が強いカルミニョーラであるが、本演奏はバッハへの畏敬を感じさせる格調の高い正統的なアプローチによるもの。ノンヴィヴラート奏法を基軸としながらも、残響のやや多めの録音も相まって馥郁たる豊穣な音色を紡ぎ出しているのが魅力的。ソナタとパルティータを分離して演奏しているのもカルミニョーラならではの見識を感じさせ、正に満を持して録音した会心の名演と評価したい。

バックハウスの古武士の風格を有したピアノ、それに寄り添うかのように骨太の重厚な指揮で応えている壮年期のカラヤン、未だドイツ色濃厚な音色の残滓があったベルリン・フィルが三位一体となった至高の名演。随所に垣間見せる弦楽合奏などの艶やかな美しさはカラヤンならではのものであるが、巷間言われているバックハウスの芸風との齟齬は殆ど感じられず、ベーム指揮による名演にも十分に肉薄していると言えるのではないか。

著名な第2番も名演であるが、トリフォノフの個性がより発揮されているのは第4番の方で、かのミケランジェリの名演に勝るとも劣らぬ名演と評価し得るのではないか。卓越した技量を持つトリフォノフであるが、それをベースとしつつもラフマニノフ特有の抒情性豊かな旋律の数々を格調高く歌い上げているのが見事。実演だけあって、ネゼ=セガン指揮のフィラデルフィア管弦楽団ともども、終楽章の圧倒的な高揚感は実に感動的だ。

金管楽器から木管楽器、男声から女声、少年合唱に至るまで、すべてのパートが分離し、重層的に響くとともに、とりわけ打楽器の奥行きのある鳴り方は殆ど驚異的。既発CDではかき消されていた副旋律すら聴き取ることが出来るようになり、同曲を聴き馴れた耳にも新鮮に聴こえるのは、正にSACD化の醍醐味と言えるだろう。本演奏の凄味を再認識させるのに十分で、ムーティが同曲を二度と録音していない理由がよくわかる。

音質が極上で、抒情性が勝った演奏と思っていたバルビローリのシベリウスの印象が一変するだけのインパクトがある。ここぞと言う時のオーケストラの鳴らし方は豪快さの極みで、鮮明な録音がそれを見事に再現し得ている。もちろん、各旋律の情感豊かな歌わせ方も申し分がなく、交響曲から小品に至るまで、そのすべてが珠玉の名演揃いという非の打ちどころのない2018年発売の企画盤の中で随一とも言うべき名全集と評価したい。

スヴェトラーノフ&N響によるマーラーの交響曲第5~7番が一気に発売されたが、その中でも特にスヴェトラーノフの個性が発揮された超名演。テンポの振幅の激しさ、オーケストラの濃厚の極みとも言うべき鳴らし方など、大胆な表現に満ち溢れており、このような個性的な指揮に必死で喰らい付いていったN響の演奏も実に見事。終楽章の光彩陸離たる表現と圧倒的な高揚感は、この名コンビが成し遂げた究極の到達点と言えるだろう。

鳴りにくいとされるシューマンの交響曲であるが、オーケストレーションに一切手を加えていないのにもかかわらず、豊穣の極みとも言うべき演奏を展開している。特に、交響曲第2番の第3楽章のゆったりしたテンポによる情緒豊かな表現や終楽章の終結部に向けた圧倒的な高揚感は、晩年のバーンスタインの演奏スタイルを先取りするかのようであり、40歳代前半の若武者の演奏とは思えない奥行きの深さを感じさせて実に感動的だ。

全曲を通じて、メジューエワのスコアの読みの深さと個性を感じさせるが、音楽の流れにはいささかの淀みがなく、あたかも音楽そのものを語らせるかの如き自然体の演奏のように聴こえ、楽曲そのものの魅力を十二分に満喫させてくれる。弱音も骨太で、強音での打鍵の強靭さにも尋常ならざる迫力があるが、それでいて繊細さと美しさを失うことがないのも見事であり、メジューエワの円熟を大いに感じさせる至高の名演と評価したい。

ブルッフの2大名作に散りばめられた甘美な旋律の数々をゆったりとしたテンポで歌い上げた至高の名演。両曲の演奏に際しては、通俗性を避けるあまりテンポを速めたりして甘美さを抑制するヴァイオリニストも少なくない中で、ジョシュア・ベルは、悠揚迫らぬ歩みでいささかの奇を衒うことなく名旋律の数々を心行くまで歌い抜いており、スケールも雄大さの極みである。かかる名演奏を鮮明に捉えた録音の良さにも出色のものがある。

ラヴェルの精緻にして華麗なオーケストレーションを見事に描出し得た圧倒的な名演。最強音においても最弱音においても、すべての楽器セクションが声楽も含めていささかの混濁もなく鳴り切っているのは、遅いテンポでも一糸乱れぬアンサンブルも相まって殆ど驚異的とも言うべき圧巻の至芸と評価し得るところで、正に印象派の名画を鑑賞しているような深い感慨を覚える。とりわけ、最弱音の美しさにはただただ陶然とさせられるのみ。

「亡き子をしのぶ歌」もファスベンダーの名唱もあって名演であるが、チェリビダッケの個性がより発揮されているのは「死と変容」だ。例によってテンポは異様に遅いが、本演奏においてはむしろ功を奏し、途方もないスケールの演奏に仕上がっており、特に終結部のいつ果てることのない高揚感には深い感銘を覚える。これほど遅いテンポを取ってもアンサンブルが微塵も破綻しないミュンヘン・フィルの卓越した技量も聴きものである。

ラフマニノフの交響曲全集としては、この後、個性的な名全集がいくつも生まれているが、それぞれの楽曲のスタンダード足り得る名演が揃った最大公約数的に優れたものと言えば、本全集を掲げざるを得ない。本全集こそは、まさしくラフマニノフの交響曲の今日における人気の礎を築き上げた永遠のスタンダードとも言うべき歴史的な名全集であり、このような名全集がSACD化された意義には計り知れないものがあると評価したい。

スコアを単に正確に音化しただけの無機的な演奏との批判もあるが、デジタル編集の技術のない時代に、これほどまでに正確無比な演奏を成し遂げたこと自体が殆ど驚異的。3曲ともに総体としてテンポが速く、遮二無二突き進んでいく無慈悲な演奏であり、特に最強音など暴力的とも言えるが、聴き終えた後の充足感は他のどの名演にも決して劣っていない。待望のSACD化によって演奏の凄味が倍加されたことを大いに歓迎したい。

ヤンソンスの練達の指揮芸術を堪能出来る名演だ。テンポの振幅やデュナーミクの付け方、フレーズの歌い方など、ヤンソンスの個性に裏打ちされた手練手管が施されているが、それでいて、音楽の流れにいささかの淀みがなく、あたかも音楽そのものを語らせるかの如く自然体の演奏のように聴かせてくれる至芸にはただただ驚嘆させられるのみ。ヤンソンスの指揮に応えるバイエルン放送交響楽団の卓越した技量も聴きものである。

多種多彩な名演が目白押しの悲愴であるが、本演奏は、一味もふた味も異なる超個性的な名演だ。モーツァルトのオペラで鬼才ぶりを発揮しているクルレンツィスであるが、本演奏はあたかも一篇のオペラを聴いているかのようで、それでいてクルレンツィスのチャイコフスキーへの深い造詣もあり、いささかもあざとさを感じさせない。同曲に聴き飽きたという者にこそ新鮮さを大いに感じさせる新時代の悲愴の登場を大いに歓迎したい。

頑丈なボックス、各曲ともにオリジナルジャケットのデザインのCDに収められていること、詳細な解説書、シリアルナンバーが付されているなど、パッケージメディア全盛期を彷彿させる豪華な本盤は、ネット配信全盛期にあって、クラシック音楽が芸術作品であることをあらためて想起させてくれるものと言える。ヨッフム最良の遺産を高音質化した本盤こそは、デフィニッションシリーズの集大成とも言うべき究極の名全集と評価したい。

シューマンの交響曲にも古楽器の使用やピリオド奏法の演奏が増えている中で、本演奏は、旧来の伝統的な演奏スタイルを貫いたものである。オーケストラを余すことなくたっぷりと鳴らした重厚な演奏であり、しかも解釈に奇を衒ったところがないことから、安心して楽曲の魅力を満喫することが出来る。サンフランシスコ交響楽団の秀逸な技量も特筆すべきであり、いかなるシューマンの交響曲全集にも引けを取らない名全集と評価したい。

シューマンの第4は、良好な音質に蘇ることにより凄みが増し、深遠なスタジオ録音盤にも勝るとも劣らない輝きを放つことになった。エロイカも、1952年のスタジオ録音盤に実演ならではの気迫と生命力が付加され、それでいて、ウラニア盤のようなテンポの振幅は最小限に抑えられており、まさしくフルトヴェングラーのエロイカの掉尾を飾るに相応しい。本盤は、フルトヴェングラーの究極の至高の芸術が刻み込まれていると言える。

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