メンバーズレビュー一覧

Takemitsu: From Me Flows What You Call Time, etc / Nexus (Percussion Ensemble)、他

武満徹は,音楽というより,朝日や夕焼けの空の色のような自然現象に近いと思う。朝日や夕焼けの色彩の移り変わりに,主音や導音も,トニックもサブドミナントもドミナントがなくても,美しさを感じられるのと同じように。ある音,ある和音がどのように進むか予測不可能な無調の音楽は,言わば音の無重力・無法地帯。その中で彼は秩序ある美の小宇宙を創造した。

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わおさんが書いたメンバーズレビュー

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(全9件)

「音楽の良い所は,打ちのめされても,痛くないところだ」ボブ・マーリー。
どんなに完膚なきまでに打ちのめされ、その圧倒的な美の力に比し、自らの存在のあまりの矮小さに地の底まで叩き落とされても、それでもそれを聴くことで幸せすら感じる。そして聴く度に堪えきれず泣きそうになる。クレーメルのバッハ「シャコンヌ」。
いつ聴いても決して「慣れる」ということがない。クレーメルが弾くこの曲には,切れ味鋭い日本刀で,自らも傷つきながらも,漆黒の夜の闇を切り裂いて進んでいくような,痛みと推進力,疾走感を感じる。
その演奏は「心揺さぶられる」なんてものじゃない,心臓を直接鷲づかみにされているような真剣味,そう,正しく刃物のごとく「真剣」味をもって,心に突き刺さってくる。そして,刃物で切られるかのように,切ない。刃物のイメージがつきまとう。これは刃物だ。
バイオリンの「弓」は正しく武器そして凶器ではなかったか。そして神がかった狂気すら覚える演奏に驚喜する。

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「西洋音楽は、例えば壁と絵のようなものだ。壁は間仕切りのためにあるし、絵は額縁の中に閉じ込められる。規格とか枠の中に収まっている。武満徹の音楽は日本間の襖(ふすま)であり掛け軸である。襖は取り払って部屋を広げることができるし、掛け軸は生け花との調和によって見る人の美意識を拡大させる」〜芥川也寸志
余白の美。ジャケットにもなっている、伯描く松林雨図。空間に大胆に余白をとり、見えない大気の質感、霞立つもやまで、描かずして描く、語らずして語る美意識にも通じるものがある。
枯山水に配置される大洋、島々、滝、清流そして幾何学模様の水紋などは、実際には存在しない世界。散策者の自由な想像に委ねられしもの。実際の庭園であって架空の庭園でもあり、人工でもあり自然でもある世界。

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「ピアノの詩人」「幻想ピアニスト」の異名を取るサンソン・フランソワ。
音楽の女神に愛された代償にその身を削り,酒と女性に溺れつつ短く駆け抜けた生涯に美への忠誠は失わなかった。
今年生誕100年記念の新作。
熱に浮かされ彷徨う幻想。ライブならではの降臨するインスピレーションを瞬間的に捉え、それをそのまま演奏に変換していくかのよう。
音楽の魔神が憑依し,次々にその姿を変えていく変幻自在のテンポとノリ。

「音楽は自由にする」とは坂本龍一の言葉。
現実の憂さやしがらみ,悲しみや苦痛,怒りなど一切のものから音楽は解き放ち自由にする。
しかしフランソワのピアノを聴いている間は,心はすっかりその音楽のとりことなり,束縛され離れがたい,自由とは真逆の不自由の状態に。

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Love After Love<数量限定生産盤>

坂本龍一

5:
☆☆☆☆☆
★★★★★

49日の法要の後で、まるで故人から不意に届いた手紙のように、輸入盤が発売になった坂本龍一「Love after love 第一炉香」。

坂本龍一の映画音楽は、時にやっつけ仕事というか、彼ならもっと出来るはずと思えるものもあるが、これはなかなかの力作、美しく、素晴らしい一枚。
「繊細にして流麗」と、書や絵画を形容する言葉が似合う。

私が彼の音楽に求めるもの、その全てがこの一枚に凝縮されているように思う。
それは、音であり、気配であり、香りであり、色彩でもあるもの。
それがたまたま「音楽」という「かたち」をとっているのは、
それらの全てを余すことなく表現するために、何かしらの形に入れて伝達されるものであるから。
「ち:血」が入った「かた:形」すなわち「形」によって、私たちは対象を捉え、認識することができる。
その「何かしら」が、たまたま彼の場合は音楽だったということなのだろう。

サウンドトラックである以上、「主」たる映像に寄り添い、時に映像を際立たせ、時に映像では語りきれないものを伝える。
音が映像を引き寄せ、映像が音を引き寄せる。
私の敬愛する武満徹、坂本龍一の両氏が最も愛した作曲家、そして私自身も大好きなドビュッシー。
そのドビュッシーの曲に「音と香りは夕暮れの大気に漂う」というピアノ曲があるが、このタイトルがひとことで全てを語り尽くしている。

音、香り、夕暮れの景色、そして大気。
渾然一体となった、それらをあえてどこまでが音で、どこからが大気で…、と分別してとらえることは、困難で無粋なことのように思える。
花を愛でるのに、その姿形、色彩、香りを分かつ必要があるだろうか?

たとえば、生まれたての朝を祝福するかのように鳴き交わす鳥たち、潮の満ち引き、カエルの鳴く声、川のせせらぎ。
まるで音に引き寄せ、吸い寄せられるかのように、ふと足をとめて、耳を澄ませて聴きたくなるような、それら自然現象が持つ「音の引力」に近いものの存在を感じる。

自然界の環境に「音」が一体のものとしてあるように、映像に「音楽」が一体のものとして、ある。
そして、それを聴く私もまた、この音と一体としてあるもの。
大きく深く深呼吸して新鮮な空気を取り込むように、身体の隅々にまで届けたい音。

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武満徹は,音楽というより,朝日や夕焼けの空の色のような自然現象に近いと思う。朝日や夕焼けの色彩の移り変わりに,主音や導音も,トニックもサブドミナントもドミナントがなくても,美しさを感じられるのと同じように。ある音,ある和音がどのように進むか予測不可能な無調の音楽は,言わば音の無重力・無法地帯。その中で彼は秩序ある美の小宇宙を創造した。

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[Vol.1]武満徹の音楽

武満徹

5:
☆☆☆☆☆
★★★★★

武満の音楽は,常に形と色彩を変え,一定の姿をとどめない「雲」のようだ。 雲はいずこからともなく自然に発生し,常に形と色彩を変え,そしていずこともなく消えていく。武満の音楽も同じ。姿かたちをとどめない雲を眺めるのと同じく,音楽の流れとともに,音の色彩と響きが移り変わっていくそのさま,そのままを感じ,味わう。音楽というより,音空間あるいは音世界と言った方が適切かも知れない。

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「技巧をこらした良くできた練習曲」にしか思えず好きになれなかったショパン。しかしフランソワと出会いそれは変わった。心臓を握り揺さぶる彼の演奏。フランソワのショパンを聞くのではない,ショパンでフランソワを聞くのだ。革命など,他の奏者は革命に及ばず暴動程度としか思えない。深い感情のひだを興の赴くまま気の向くまま,抜群のテクニックと生き急ぎの疾走感で弾き上げる。ショパンてこんなに格好いい音楽だったんだ。

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鬼才クレーメルの若き日,絶対の自信をもって臨んだエリザベート杯国際コンクールにて,不本意ながら3位入賞者として演奏した「詩曲」。その鬱憤を晴らすような尋常ならざるまでの集中力と熱気と凄みをはらんだ,鬼才による神がかりの演奏は,もはや「鬼神」のなせる技。若い阿修羅の失望,落胆,不満,怒り。そしてそれすらをも熱気と情熱に昇華させる,青春の激しい情動が全て記録されている。

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音が発せられた瞬間,音はこの世に溌剌としたエネルギーを持って生まれ,やがて精気を失い減衰し,残響となり消えゆく。消えるまでに,先に発せられ生まれてきた音と和音となって響き合い,旋律を構成し,老いて自らの音が消えゆく最中もその後に生まれてきた新しい音と共鳴,共生する。それは私たちの日々の生活での,他人との関わりや,生命の営みそのもののようにも思える。音と生命は似ている。武満の音楽は命に満ち溢れている

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