さまざまな音楽ジャンルを丁寧に教えてくれる誌上講座が開講! 皆さん、急いでご着席ください!!
I アフロビートの成り立ちと特徴
今回の講義は〈アフロビート〉。まずはその誕生から紐解いていこう。アフロビートと聞いて避けては通れない人物がフェラ・クティだ。38年にナイジェリアで生まれた彼は、50年代初頭に音楽キャリアをスタートさせ、初期はスウィング・ジャズにカリプソの風味をプラスした〈ハイライフ〉と呼ばれる西アフリカ独自の音楽を演奏していたんだ。その後58年に音楽を学ぶためロンドンへ留学し、クーラ・ロビトスというバンドを結成してハイライフを演っていたんだけど、ジェイムズ・ブラウンのスタイルを採り入れたりしながらオリジナルのサウンドを模索しはじめるんだよ。
そして大きなターニング・ポイントとなったのが69年に行われたUSツアー。ブラック・パンサー党を通してその当時盛り上がっていた急進的な〈ブラック・パワー・ムーヴメント〉に影響を受けたフェラは、帰国後にバンド名をアフリカ70に改め、そのメンバーたちと〈アフリカに根差した独自の音楽〉を追求するようになる。こうしてアフロビートが完成するんだ。つまりアフロビートとは、単に〈アフロ・ビート=アフリカ産のビート〉という意味ではなく、フェラと仲間たちが作り上げた、ジャズやファンクを下敷きに政治的なメッセージも組み込んだ音楽の呼称と解釈してほしい。フェラは公権力の不正への徹底的な対決姿勢を貫き、ナイジェリア政府や軍と衝突を続けて注目を集めるわけだけど、何より強烈だったのはそのサウンド。ハイハットやスネアが複雑に交錯するトニー・アレンのドラミングが、10分を超える長尺曲を支え、ほぼ掛け声のようなフェラのヴォーカルに女性コーラスが絡み、ホーン隊が火を吹くように熱狂を煽る。10数名を超えるバンドが一体となって生み出す衝撃的なグルーヴに世界中の人が夢中になったんだ。
97年にフェラがこの世を去ってからも、自国の政治に否を唱えるアルバムを発表したNYのアンティバラスら新世代のアフロビート・グループが世界中から次々と登場している。必ずしも彼らのすべてがフェラの闘争性を引き継いでいるわけではないけれど、アフロビートのグルーヴは国籍も人種も超えて発展を続けているんだね。