III その後の流れと、現在のシーンにおけるMPBの影響力
さて、スターの登場が少なかった80年代のMPBシーンは〈冬の時代〉と揶揄されたりもするんだ。89年、そんな停滞ムードを蹴破り、ブラジル音楽に関心が薄かったロック・リスナーにも注目を浴びる『Estrangeiro』をカエターノが発表。プロデュースは以後次々とMPBの大物を手掛けていくNY在住のアート・リンゼイだった。USでは時を同じくしてデヴィッド・バーン主宰のレーベル=ルアカ・バップのコンピ〈Beleza Tropical〉などで60~70年代のMPB作品が注目され、上掲のトン・ゼー盤はシカゴ音響派にとって〈サイケ参考書〉となったりも。そうそう、トータスに至ってはゼーといっしょにツアーを回ったんだよ。
また、日本では90年代以降に坂本龍一がアート・リンゼイ人脈と交流を深めたり、宮沢和史がブラジルに乗り込んでMPB新世代とのコラボを行ったりした(打楽器奏者のマルコス・スザーノはいまや宮沢率いるGANGA ZUMBAの一員)。近年もSaigenjiのようにMPBをルーツにする音楽家が現れているね。
そんな気運は本国ブラジルにも飛び火し、90年代初頭からマリーザ・モンチやカルリーニョス・ブラウンなど新たなMPBスターが台頭。オリジネイターたちの精神を継承するカシン、ドメニコ、モレーノら〈+2〉も世界的に活躍しているね。最近だとMPBに憧れて育ったデヴェンドラ・バンハートが繋がっていたり、MPBのエッセンスが多方面に飛び散っているよ。