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第125回 ─ 90年代初頭、レゲエを学ぶために2人のサムライが海を渡った……

第125回 ─ 90年代初頭、レゲエを学ぶために2人のサムライが海を渡った……(5)

連載
360°
公開
2007/06/28   18:00
ソース
『bounce』 288号(2007/6/25)
テキスト
文/岡部 徳枝

ジャマイカでのがむしゃらな日々

 当時のジャマイカを訪れる日本人といったら数えるほど。ましてや2人が入国管理官に見せたチケットは片道のみ。とくれば、「簡単に入れてくれるわけないんですよ(笑)。別室で〈お前ら何しに来たんだ?〉って質問される。それで〈DJしに来たんだ〉って答えると、〈じゃあ、歌ってみろ〉って言うもんだで、そこで何回も歌ったよ(笑)。そしたら入れてくれた」(ACKEE)。しばらくの間、ローランド・アルフォンソの実家に身を寄せた後は、さまざまな人の家を転々とする日々が始まる。同時にメトロ・メディアやストーン・ラヴのダンスに行ってはマイクを握り、その名を広めていくこととなるが……。「3か月を過ぎた頃には金もなくなって、飯にも寝場所にも困ってた。そんなある日、ジョニーPの所属していた事務所に行ったら、そこにいた(シンギング・)メロディーが拾ってくれたんだ。〈俺のとこに来い〉って。オックス・テールっていうのを食わせてくれてさ。それがうまかったなぁ」(ACKEE)。また、ブジュ・バントンと出会ったのも、ちょうどこの頃。「2人で小銭稼ぎのために散髪屋やってたんだ。人間、金がないと頭使うし、なんでもできるようになっちゃうもんで(笑)。その時に〈俺たちも切ってくれ〉ってデイヴ・ケリーが連れてきたのがブジュ。91年頃かな。まだラスタマンじゃなかったから、そこで髪を切ってあげたんだけど、ブジュとはいまでもその話をしとるよ」(SALTFISH)。