JBと〈ロッキー〉を繋ぐ縁、そして男と男の間にいまも流れる漆黒のグルーヴ
さて、ジェイムズ・ブラウンといえば通称〈マント・ショウ〉だよね、いきなりだけど。一応説明しておくと、ライヴのクライマックスでJBが“Please Please Please”を熱唱するんだが、がんばった末に力尽きてガクッと膝をついたりするわけだ。で、お付きの人が肩にマント(正式にはケープらしい)をかけて労りながら袖に連れて行こうとする……のをガバァッッとハネ除けてまた歌いはじめる!ってのを繰り返すんだな。これは尽きることのない生と死のループを表現したものであり、セックスの消耗と回復を仄めかしてもいるそうだ。で、JBが好き勝手に語り倒したオモシロ自叙伝「俺がJBだ!」(文春文庫・刊)によれば、そもそも〈マント・ショウ〉はゴージャス・ジョージという人気プロレスラーのパフォーマンスを元に考え出したらしい。一方、同じくジョージの振る舞いにヒントを得て(諸説あるけど、話の流れ上そういうことにさせてもらう!)、達者なマイク・アピールを繰り広げたボクサーがいた……カシアス・クレイ、そう、後のモハメッド・アリだな。アリとJB、共に60~70年代を代表するアフリカン・アメリカンの英雄なんだが、両者は74年にアフリカの地で出会うことになるんだ。
当時のアリはヴェトナム戦争の徴兵を拒否して世界タイトルを剥奪され、すでに過去の存在と見られていたんだが、74年10月30日にザイール(現コンゴ)の首都・キンシャサにて世界王者のジョージ・フォアマンに挑戦することになる。悪徳興行師として名を馳せたドン・キングが仕切ったこの試合は、〈Rumble In The Jungle〉と謳われた一大イヴェントになった。で、その試合前に3日かけて行われた〈ブラック・ウッドストック〉というライヴに、BB・キングやスピナーズらと共にJBが出演していたってわけだよ。試合そのものや舞台裏、そしてライヴの模様を確認できるのが、96年にドキュメンタリー映画化された「モハメド・アリ かけがえのない日々」だ。とにかく凄い自信を漲らせたJBの傲慢すぎる姿が格好いいのよ。肝心のタイトル・マッチは老いたアリが〈Rope-A-Dope〉という戦術で若いフォアマンの猛攻をかわし、見事にKO勝ちを奪っている。これが世に言う〈キンシャサの奇跡〉だね。なお、この時観衆の発した〈Ali Bombaye(アリ、やっちまえ)〉というチャントを元にマイケル・マッサーとマンドリルが作り上げた曲が“Ali Bombaye”。これは76年にアリと闘ったアントニオ猪木に贈られ、諸君も知らんはずのない〈イノキ・ボンバイエ〉(曲名は“炎のファイター”)になるわけだ。
さて、先述の〈Rumble In The Jungle〉にしろ〈ローパドープ〉にしろ音楽ファンには馴染み深い言葉だろう。のみならず、〈蝶のように舞い、蜂のように刺す〉などのパンチラインを華麗にフロウしたアリはラッパーの元祖とも呼ばれているんだ。JBは当然ブレイクビーツの開祖なわけで、ヒップホップのルーツとなる両者が同じ場所で同じグルーヴを描いていたという縁は、何とも不思議だな! ちなみにJBのアフリカ訪問はそれが初めてだったわけじゃなく……続きは次回。おっ、連載らしくなってきたよね?
“Ali Bombaye”を収録したサントラ『Muhammad Ali : The Greatest』(Arista)。残念ながら現在は廃盤