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第3回 ─ ノーウェイヴと共振したフリクション

連載
Ho!楽探検 タイムマシーン
公開
2007/02/01   19:00
更新
2007/02/01   19:04
ソース
『bounce』 283号(2006/12/25)
テキスト
文/ダイサク・ジョビン

日本のポップ・ミュージョックの歴史に残された偉大なる足跡を探してタ~イムスリップ!!


 77年。パンク・ロックが爆発した年――その爆心地・NYの街にレックは拠点を移し、遅れて到着したチコヒゲと共に、のちに〈ノーウェイヴ〉と称される極めて前衛的で創造的なポスト・パンク・シーンの形成に関わった。2人は、ジェイムス・チャンスやリディア・ランチと共にティーンエイジ・ジーザス&ザ・ジャークスやコントーションズといったシーンを代表するバンドでプレイし、レックと共に渡米したイクエ・モリもアート・リンゼイと共にDNAを結成。これらのバンド/シーンは、翌年リリースされたブライアン・イーノのプロデュースによる名コンピ『No New York』で世界中にその名を知らしめることになる。

 1年間のNYでの活動の後、東京に戻った2人は、ギタリストのラピスを加えて、NYパンクの象徴的バンドであるテレヴィジョンの曲名からバンド名を拝借してフリクションを結成する。NYで体感した新たな音楽の鮮烈な創造性と、東京という街で感じる違和感や居心地の悪さとのギャップ、そしてその退屈な場所に曖昧なまま取り込まれることへの明確な拒否と、つまらないなら自分でおもしろくしてやろうという、あらゆる〈摩擦・軋轢〉から生じるエネルギーを積極的に音に転化させる攻撃性を備えたフリクションは、瞬く間に当時勃興しはじめていた〈東京ロッカーズ〉というパンク・ムーヴメントの中核となる。しかし、ステージ上の3人が醸し出す虚無的でクールな姿勢は群を抜いてスタイリッシュであり、放出するエネルギー量も尋常でなく、リズムの多様性や独特の曲展開、そしてひねくれてひしゃげた鋭利すぎるギターやストレンジに打ち放たれる寝言のようなヴォーカリゼーションといった特異なサウンドも、既存のロック~パンクのスタイルから大きく逸脱していた。聴く者に覚醒を促す、その清々しささえ感じさせる圧倒的な迫力も含めて、 フリクションはあきらかにどのバンド/シーンとも異なる独自のオリジナリティーを強烈に放っていたのだ。

 80年、フリクションは立ち上げにも深く関わったインディー・レーベルのPASSからデビュー・アルバム『軋轢』をリリース。当時のシーンへ大きな衝撃を与えただけでなく、その後の日本のロック/パンク・シーンの流れを大きく変えた一枚であった。当時すでにYMOで大ブレイクしていたが、先鋭的かつ前衛的なサウンド志向も強く持っていた坂本龍一が共同プロデュースをしている(教授の『B-2 Unit』も当初はPASSからリリースされる予定だった)。PASSからは、この後も海外のニューウェイヴ・シーンと共振する先鋭的なアーティストたちの作品がリリースされた。

 その後も、96年頃に目立った活動を停止するまで、フリクションはレック以外のメンバー変動を繰り返しながら常に先鋭的な作品を発表しつづけた。そして2006年、ニューウェイヴ/ポスト・パンク・リヴァイヴァルも相まって、新たなリスナーからの再評価やリイシューが続くなか、10年ぶりにレックは中村達也と共にフリクションを再始動させたのである。
▼2007年1月7日にリリースされるフリクション関連作。