倖田來未“You/Sweet Kiss”の〈チアー・タイム〉
堂々たるストレートなウインター・バラードである。BoAなど、女性シンガーのバラードものに職人的な力を発揮してきたYoko Kazuyaのメロディー、Tohru Watanabeのバックトラックは気負わずにナチュラルで、しかも高品質極まりなく(さりげなく入るストリングスやハープ、ブラスなどのアレンジと演奏力は余裕綽々である)、純和風のR&B(最早それはR&Bと称するのもどうかと思われるほどの国民的ギャル音楽=エイベックス・ミュージックである)スタイルに乗って歌われる、良い意味で全く新奇さや衒いのないシンプルなウインター・バラードとして、歌い上げるパートもなく、一抹の寂寞感と共に、ありきたりな別れと孤独を歌う。楽曲構造は転調を廃した極めてスタンダートなもので、浜崎あゆみ当時はある種のインパクトだったものが、エイベックス調として完全に浸透した事が体感的に納得できる。
〈声が枯れるまで喋り続けることが特技〉という彼女の、適度にハスキーな歌声は、しかし浜崎のシャーマニックな絶唱とは正反対の軽さとカジュアルさで、非常にシンプルで等身大的なメッセージを歌う。作詞は彼女と、作曲者のYoko Kazuyaの共作だが、彼女が年長の商業作家と共に作詞を共作している姿を想像するにつけ、非常に微笑ましい気持ちになる。恐らく存在するであろう、彼女の作詞メモ用のノートに書かれた文字の色や形までが思い浮かぶようだ。
全くこの歌は、どこからどう解釈しようともクリスマス・ソングではない。彼女の陣営が〈トップだからこそクリスマス・ソングのネクスト定番を目指す〉といった大それた野望ではなく、文字通りのライフサイズ・ミュージックとして、12月の頭にはウインター・バラードとダンス・トラック(2曲目の“Sweet Kiss”は聴いている間中、「何のタイアップこれ? どこの車? どこの旅行会社?」といった問いが止まらなくなる快感。というものが継続するような、この国の風景に溶け込んだ、しかも飽きの来ない良質なナンバーである)をカップリングしたアイテムにする。というセンスには高いクレバビリティとシンシアリーが感じられる。彼女を支持する人々。にとって必要なのは、斬新な(歴史を変えるような)クリスマス・ソングのニュー・カマーなどではない。クリスマスには、クリスマスの定番ソングを聴いたり歌ったりすれば良いのだ。
それよりも、彼女にはさらっとバラードの小品を歌って切ない気持ちにさせて貰ってから、テレビから聴こえてきそうなダンスナンバーによって一気に楽しく(狂ったようにアゲアゲになる。とかではなく)踊らせて貰いたい/そうさせてあげたい。この、ユーザーとの間に交わされる、品位と言っても良いほどの誠実さが、彼女をして〈エイベックス・ミュージック〉の完成形と思わせしめるに充分なのである。
彼女の身長やスリー・サイズは意外と明らかにされていないが、明白なことは、手足が長く〈大人びた体型〉であることだ。何度も引き合いに出す浜崎あゆみが〈アニメのように〉小さく、〈マンガのように〉極端なまでの孤独や絶望/希望を歌い上げることで、90年代から00年代初期という、不景気で鬱病的な時代のディーヴァになったことと比べ、同じ声、そして(〈LONDON〉バージョンの写真を見てみよう)鈴木あみと同じ顔を持つ彼女が、非常にヘルシー(セクシャリティーがヘルシーに逆転する喜び)でジョイフル(悲しみや孤独は軽く、喜びや安心感はずっしりと)なディーヴァとして時代に君臨している事を我々はこのシングルによって知るだろう。
浜崎あゆみが大衆性を獲得しようとあがき、鈴木あみがセクシャリティーを獲得しようとしてあがくのを後目に、〈いつのまにか〉としか言いようがない意外さで、彼女は時代の顔になった。京都生まれの、〈水商売〉という言葉が全くダーティーにもナスティにも聴こえないという〈天然の品位〉を持つ彼女が動かしているものは、我々の想像よりも遙かに大きい。彼女の快進撃は、景気が回復し、引きこもっている場合ではなくなるであろう(そして、憲法が改正され、女帝が認められるであろう)近未来に向けて、極めて大きな支持を得るだろう。それを支えているのは、彼女のボディやフェイスに刻印されている、しなやかな強さと育ちの良さ(実家に資産がある。とかいった話ではなく)である。ギャル文化は勝利した。何に対して? 彼女のシングルが12枚出終えた頃には、それは歴然となるだろう。
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