カスタマーズボイス一覧

ラフマニノフ: ピアノ協奏曲全集&パガニーニ狂詩曲 / ユジャ・ワン、他

今後これらの作品においてこれ以上の録音が出てくるだろうか、と思うほどの超絶的な名演奏です。驚嘆するほどのテクニック、底鳴りする低音から煌めく高音まで、どこまでもクリアで非の打ち所がないユジャのピアノ。歌には胸いっぱいのロマンが。そして、ドゥダメル率いるロサンゼルス・フィルとのフィーリングが本当に最高です。ピアノとオケの一体感がこれほど強く感じられる演奏にはなかなか出会えないのではないでしょうか。「私たちはまるで室内楽を演奏しているように互いに理解し合っています」ドゥダメルのこの言葉に一切の誇張はなく、この一体感こそがこの一連の演奏を特別なものにしていると感じました。特筆すべき互いの強烈なテンションの高さからリズム、フレージングまで、そのあらゆる要素に信じがたい一体感があります。これぞ言葉通り「協奏曲」です。また、録音が本当に素晴らしいです。音圧は高く、オケの強奏時でもピアノは埋もれることなくはっきりと聴きとれます。かと言ってピアノだけオンで拾ったような空気感の不自然さは全くなく、ピアノとオケの空気感、バランスはとても自然です。大変聴き心地よく、聴き手のテンションを上げてくれる録音です。ユジャはカーティス音楽院でグラフマンに師事していました。グラフマンはホフマンに師事、またホロヴィッツの元で研鑽を積んだ経験があり、その系譜を通しても、またカーティス音楽院のあるフィラデルフィアという街を通じてもラフマニノフと繋がっています。そのようなことに思いを馳せながらこの録音を聴くのもまた楽しいのではないでしょうか。

商品詳細へ戻る

やまとさんが書いたカスタマーズボイス

  • 1

(全24件)

数多あるブルックナーの全集の中で、全曲を聖フローリアン修道院教会で録音しているという特別な全集です。なんだ、録音場所かと思われる方々もいらっしゃると思いますが、ブルックナーが生前オルガニストを務め、今もそのオルガンの下で魂の眠る聖フローリアン修道院教会で演奏されたブルックナーというのは、聴き手にとって、そして演奏者たちにとってもやはり特別です。このセットはすべてライブ録音で、残響の長いこの教会でのライブ録音は本当に難しかったと思いますが、驚くほど見事な録音でした。全く混濁することなく楽器の音はクリアに録られていて、その上教会の美しく長い残響も見事に録られています。聖フローリアンの長く美しい残響に包まれて響き渡るミュンヘン・フィルの極上の音色を聴くだけで、このセットを買ってよかったと心から思いました。さて肝心の演奏ですが、これもまた名演揃いで大変です。ゲルギエフとミュンヘン・フィルは教会の長い残響で響きを混濁させないことを考慮し、演奏テンポを遅めにして細部までとても丁寧に演奏しています。また金管セクションを弦、木管セクションに乗るように演奏させ、各声部が明確に聴き取れながらも合奏全体の響きが教会の長い残響に融合するように演奏しています。これがブルックナー作品にまさに相応しい音として聴こえるのです。ゲルギエフとミュンヘン・フィルの組み合わせでも、ここ、聖フローリアン修道院教会での演奏だからこそ成し遂げられたものだったかもしれません。1番から素晴らしい演奏ですが、後へ行くにしたがって演奏はより素晴らしいものになっていく印象です。個人的には6番の演奏が同曲異演の中で飛び抜けた大名演。4、7、9番も本当に素晴らしいです。ミュンヘン・フィルはロシアのウクライナ侵攻後、ゲルギエフを首席指揮者から解任しました。思うことはたくさんありますが、このセットのこととは直接関係ないことなので書きません。ただゲルギエフとミュンヘン・フィルは本当に素晴らしい組み合わせだと思っていたので、これから聴けなくなってしまったのが残念です。そしてこの教会での素晴らしいブルックナーを聴きながら、改めてすべての地において戦争のない平和な世界になるよう祈りたいと思います。

小澤さんが亡くなられてから、廃盤になっていて久しく入手困難だった生前の録音が色々と復刻されています。その中で個人的に、まだ聴いたことがなければこのタイミングで絶対に買い求めて聴いた方がいいと思うものの最右翼がこのディスクです。この作品は小澤さんが若い頃から愛してやまなかった得意曲でした。フランス国立管とのこのライブ録音は再録で、以前にはロンドン響と録音していて、この録音以降にもサイトウ・キネン・フェスティバル松本でも演奏していました。知名度は決してメジャーとは言えないこの作品を2度も録音したのは小澤さん以外にはいないと思います。そしてこの作品の録音自体も他にはほとんどないのではないでしょうか。そういった意味においても、この小澤さんの録音は極めて貴重です。作品は劇的オラトリオと銘打たれ宗教的要素が濃い作品ですが、オペラのようでもあり、また20世紀に書かれた作品ながら、無調、12音技法で書かれた作品とは違い、聴きやすいです。ジャンヌ・ダルクはフランスの究極のヒロイン。英仏百年戦争でフランスを危機から救ったものの、敵に捕らえられ火刑に処されてその人生を終えます。ジャンヌ・ダルクの物語はフランスのために自己を犠牲にしたという、まさにフランス的なものです。この演奏はフランス革命200周年記念特別公演として、パリのサン・ドニ大聖堂で行われました。その演奏会の持つ意味と作品に宿る意味。この演奏は極めて重要で貴重な価値を持っていると思います。演奏の出来栄えも筆舌に尽くしがたいほど素晴らしいです。録音も残響の多い教会でのライブ録音の難しさを微塵も感じさせない、オケの各楽器から語り、ソロ歌唱、合唱までとてもクリアな録音で、バランスも美しく極めて秀逸な仕上がりです。この難曲を前に完璧な楽譜の読み込みと情熱を持って指揮する小澤さん。その素晴らしい統率力に全力で応えるフランス国立管の精緻で完璧な演奏。真に迫る語りとまたこれも本当に見事な合唱(素晴らしい児童合唱も)!この作品の知名度と演奏にかかる巨額な費用を鑑みれば、今後この作品の新録音が出てくる可能性はかなり低いと思います。まだこの録音を聴いたことがない方々には、再販されこのディスクが入手しやすい今のうちに(こういった作品のディスクは大抵すぐ生産終了になってしまうので)是非一人でも多くの方々に聴いて頂き、この感動を共に出来ればと思います。

今まで聴いてきた中で屈指のシベリウスです。ライブ録音と見紛うほどのテンションの高さ。ヤンセンのヴァイオリンは粘りのある骨太の中低音域から色気のある高音域まで本当に美しく、絶妙なポルタメントを伴った滴るような歌心に溢れた見事なもの。1楽章はどこまでもドラマティック。2楽章は優しさに溢れた歌心から、やはりドラマティックな一面まで表現の幅がとてつもなく広く、特に感銘を受けました。3楽章は見事なダブルストップのテクニックを駆使しながら素晴らしい切れ味と熱い歌心の両面を余すところなく聴かせてくれます。シベリウスのヴァイオリン協奏曲はそれこそ星の数ほどの録音があり、数多くの名盤がありますが、ヤンセンとマケラのこの録音は間違いなく指折りの名演奏に入ります。さて、伴奏を務めるマケラとオスロ・フィル。シベリウスのヴァイオリン協奏曲でこれほどまでに素晴らしい伴奏がかつてあったでしょうか!デビュー盤だったシベリウスの交響曲全集も本当に素晴らしかったですが、このヴァイオリン協奏曲はまさにその延長線上にあるもの。いや、むしろヤンセンの本当に素晴らしいソロのおかげもあって、それを上回る出来栄えに聴こえます。マケラは最近パリ管とのストラヴィンスキーを聴き、それも本当に天賦の才能を感じさせる素晴らしいものでしたが、オスロ・フィルとのシベリウスはさらにひと際だった才能を感じました。伴奏としてソロとの音楽的なバランス感覚も際立っていて、この方はどこまで行くのか、これからも本当に楽しみでなりません(すでに超一流ですが)。プロコフィエフの方も大変な名演奏です。こちらはシベリウス以上にヤンセンのセンスの良さに耳を奪われます。1楽章の優しい歌。2楽章の軽妙なフレージングとテクニック、3楽章では音楽の推進力と、また優しい歌心が心地良いです。マケラとオスロ・フィルもまた素晴らしい!表現の振幅も広く、バランス感も絶妙です。録音もソロとオケのバランスが絶妙で、本当に素晴らしいです。ホールの空気感もしっかり感じられ、Deccaらしい秀逸な音質です。ヤンセンとマケラのシベリウスとプロコフィエフ。オスロ・フィルの特筆すべき見事な伴奏もあって最高の出来栄えです。特にシベリウスは大変な名演奏ですので、ぜひ多くの人とこの感動を分かち合いたいと思います。

ルノー・カピュソンのDGデビュー盤。エクサン・プロヴァンス音楽祭でのリサイタルのライブ録音です。このリサイタルは直前に若くして亡くなった、二人の友人でもあったピアニスト、ニコラ・アンゲリッシュ(数多く来日してくださりました)に捧げられています。今回のカピュソンの相方を務めるのは御年81歳のアルゲリッチ。歳の差35歳のデュオですが、息もぴったりで年齢差を感じさせず、互いの良さを引き立たせあった素晴らしい名演です。曲目もシューマンの1番、ベートーヴェンの「クロイツェル」、フランクのソナタと王道の名曲を並べた選曲。これ1枚でヴァイオリンとピアノのデュオの素晴らしさを堪能できる最高の1枚ではないでしょうか。演奏は瑞々しい音楽センスと表現力、美しい音色で弾き切ったカピュソンと、年齢を一蹴する濡れた音色と色気、自在な表現力に圧倒されるアルゲリッチ。この二人がしっかりと息を合わせて、音楽の方向性を一つにし、互いに引き立てあいながら演奏している様に心から感動しました。ペースはやはりアルゲリッチが握っているようで、フランクなどアルゲリッチ以外には不可能な色気のある変幻自在で微細なルバート、声部のバランスの引き出し、テンポコントロールを聴かせ、これはカピュソンが引きずられるかと思いきや、これがかえってカピュソンの表現力を引き立たせる魅力となり、まったく演奏は崩れることなく、互いに一糸乱れず深い呼吸を伴って進んでいくところが奇跡的です。よほど肌のあった相性のいい二人なのだと思います。録音もヴァイオリン、ピアノ双方を良く捉えていて、分離良く自然なバランス感。またライブ感をしっかり感じられる自然な空気感もあって秀逸です。「クロイツェル」とフランクは、私はギトリスとアルゲリッチのライブ盤をよく聴いていました。あちらは親密さはあるものの互いの個性を一歩も譲らず、そのぶつかり合いが火花を散らすような演奏でスリリングです。それもまたデュオの楽しみ方ではあるのですが、落ち着いて作品の素晴らしさに身を委ね、デュオの一糸乱れぬ演奏に酔いたいのなら、文句なしにこちらがお勧めです。カピュソンとアルゲリッチが至福のひと時を味わわせてくれるでしょう。

小澤さんの録音の中でも屈指の名演、数ある「巨人」の録音の中でも同様に屈指の名盤です。フレッシュで瑞々しいこの美しさ、若々しい熱気は一度聴いたら忘れられないものでしょう。黒を基調とした小澤さんのこのジャケット写真もとても印象的で秀逸、やはり忘れられないジャケット写真です。小澤さんとボストン響はこの後、Philipsに全集の一環として「巨人」を再録しており、そちらも素晴らしい演奏ですが、個人的にはこのDG盤を超えるほどの印象はなく、小澤さんの「巨人」を聴くならこちらのDG盤がお勧めです。このDG盤は演奏の素晴らしさもさることながら、なんと言っても2楽章に「花の章」を入れて、本来の5楽章版として演奏されているところもポイントです。「花の章」はマーラーがこの作品の改訂中に削ってしまった本来の2楽章ですが、このチャーミングで美しく愛らしい楽章をこうして素晴らしい演奏で聴くことが出来るのは、本当に嬉しいです。「花の章」はソロ・トランペットが活躍する楽章ですが、ここでのボストン響のソロ・トランペットは本当に美しく、まさに美しい花畑にそよぐ爽やかなそよ風のようです。1楽章から4楽章まではマーラーの青春譜に相応しい瑞々しさと若々しさに溢れ、終楽章は小澤さんもボストン響も本領を発揮して、情熱的で劇的な爆発を見せてくれます。特に僅かずつテンポを落としながら演奏者らが一丸となって歓喜を高らかに歌い上げるコーダは、ティンパニの熱いせり出しと共に聴き手を大きな感動に誘ってくれます。「花の章」も入り、全5楽章構成になっているからか、聴き通した後の感動と満足感は、他の「巨人」からは感じられない、大きくて素晴らしいものです。録音もアナログ最後期らしい素晴らしいもので、コンサートプレゼンスとバランス、細部の細やかな音もしっかりと拾われていて、充実感のある良い録音です。この録音をまだ聴いたことのない方々は是非一度聴いてみてください。心から素晴らしい「巨人」の演奏を聴いたと、温かな感動で胸いっぱいになることでしょう。

小澤さんの数多い録音の中でもとても印象深く、よく聴く一枚です。「20世紀のバッハ」と銘打たれたこの録音は、そのタイトル通り、偉大なる大バッハの作品を20世紀に活躍した作曲家らがオーケストラ用にトランスクリプションした作品が集められています。手がけた作曲家(音楽家)は指揮者で有名なストコフスキー、ヴェーベルン、小澤さんの師、齋藤先生、ストラヴィンスキー、シェーンベルクの5人。大バッハの作品とあって、それぞれ自身の個性を持って作品と真摯に向き合った渾身のトランスクリプトです。中でも齋藤先生が手掛けたシャコンヌは、小澤さんが一番録音したかった作品だったのではないでしょうか。この一連の録音の中でもハイライト。熱の籠った指揮振りに、ボストン響も更なる熱気を持って応えています。このCDはストコフスキーが手掛けたトッカータとフーガから始まりますが、この作品の演奏は、シャコンヌ同様、とても情熱的な演奏となっていて、バッハ解釈としてはかなり浪漫的な演奏です。全編この感じでいくのかなと思っていると、そこは小澤さんの凄いところ、次のヴェーベルンのリチェルカーレはトッカータとフーガとは全く違い、ヴェーベルンが細部にまで拘り抜いた、新ウィーン楽派の中にあって最も急進的で斬新な音響を隈なく再現しています。続くそれぞれの作曲家たちのトランスクリプションも、やはり各人の個性をしっかりと露わにしていて、バッハ作品を聴いているはずなのに、ヴェーベルン、ストラヴィンスキーやシェーンベルクの作品を聴いているように感じてきます。これもひとえに小澤さんがそれぞれの作曲家の個性と語法を完璧に理解し、描き分けて演奏されている賜物でしょう。私が個人的に気に入っているのは、ストラヴィンスキーのトランスクリプションのもの。まるでプルチネッラの足音が聴こえてくるようなオーケストレーションで、その個性に心をつかまれました。録音もPhilipsらしい落ち着いた潤いのあるサウンドで、ボストン・シンフォニーホールの美しいホールトーンと各楽器とのバランスが素晴らしい優秀録音です。最初から最後まで、小澤さんとボストン響の団員らの大バッハに対する敬虔さに貫かれ、熱い思いを持って演奏された素晴らしい名盤です。タワーレコードさんの安価での復刻に心から感謝するとともに、一人でも多くの方々に聴いて頂きたいと思います。

生まれは1867年。マーラーの7歳年下、R.シュトラウスの3つ年下。偉大な作曲家らと同世代のトスカニーニは長生きしてくれたおかげで数多くの録音を残してくれました。今を生きる我々にとってはまさに時代の証人。極度の近視から楽譜を見ながら指揮ができないということで、何百とあるレパートリーの楽譜をすべて暗譜し、奏者らに対しても厳格、楽譜に厳しかったトスカニーニですが、そのリズム、パッション、カンタービレに満ち溢れ、鮮血迸るほど情熱的な音楽解釈は、今も並ぶ者なしの偉大な大指揮者です。多くの名盤があり、ヴェルディやプッチーニのオペラなど、私の大好きな演奏が多々ありますが、どれか一枚!と考えた時に真っ先に思い浮かぶのは、やはりこのレスピーギの交響詩3部作です。トスカニーニはレスピーギとも親交があり、中でもローマの祭りはトスカニーニが初演しました。そういった面からもこの3部作の録音が残ったのは本当に幸せなことで、ぜったに外せない一枚と言えるかと思います。演奏はどれも推進力に満ち溢れた生きたリズム、強靭なカンタービレに貫かれ、凄まじいほどの情熱が籠った大名演。中でもやはりローマの祭りはこれ以上のものは今後も出てこないだろうと思うほど凄まじいです。徹底的にしごかれているNBC響の全力を傾けた演奏!レスピーギの3部作を曖昧さのないこれほどのクオリティで演奏するのは、今のオケでも相当に難しいと思います。どのセクションも凄まじいのですが、中でも特にトランペット。トスカニーニにすべてを捧げているかのようなこの尋常ならざる吹きっぷりは筆舌に尽くしがたいです(特にローマの祭り!)。録音はモノラル録音ですが、バランスが良く(これはトスカニーニが作るオーケストラのサウンドバランス自体の良さも充分にあったのではないかと思います)とても聴きやすいです。ステレオ録音に慣れている方々も、しばらく聴いていれば耳が慣れて、充分にその音楽の素晴らしさを楽しめることでしょう。ちなみにyoutubeで検索すると、このコンビによるローマの松の動画がありました。トスカニーニがいかにしてローマの松を振っていたのか、NBC響がいかにしてこの作品を演奏していたのかを実際に見ることが出来ます。ご興味のある方々はぜひ!

ドゥヴィエルがついにモーツァルトとシュトラウスの歌曲を録音しました。モーツァルトもシュトラウスもその歌曲はもう星の数ほどの名盤があります。ドゥヴィエルにとっては「挑戦」ではなかったか、と、思いますが、録音を聴く限り気負ったところもなく、持ち前の良く伸びる透明なその声で歌いあげていて、本当に素晴らしい一枚に仕上がっていると思います。録音を聴いていてふと思いましたが、声の出し方がかのルチア・ポップに似ていると感じました。特にシュトラウス。シュトラウスと言えば、この一枚には私の大好きなMorgen!が入っているのですが、これは本当に素晴らしい!今まで多くの歌手のこの歌を聴いてきましたが、一番のお気に入りになりました。ですが、もう一つお気に入りの歌のStandchenでは、もう一つ踏み込んだ官能美を聴きたいとも思いました。この方は敬虔に祈るような歌が似合いますね。ですから万霊節も本当素晴らしかったです。面白いなと思ったのが、モーツァルトがシュトラウスとそれほど違って聴こえなかったこと。シュトラウスに似ているというのでしょうか、いえ、本当はシュトラウスがモーツァルトに似ている、というべきなのだろうと思うのですが、この録音を聴いている限り、やはりモーツァルトがシュトラウスに似ている、と言いたくなります。歌の軸がシュトラウスの方に立っているのでしょうかね。全てにおいて満足とまではいかなかったですが、この一枚は本当に素晴らしい!多くの名盤の中にあって、しっかりとその存在を示すことが出来る一枚だと思いました。録音はEratoらしく音の生々しさと音楽的なプレゼンスのバランスが秀逸、伴奏を務めるポルドワの素晴らしさも特筆しておきたいと思います。将来ドレイクのように育ってくれるでしょうか。

フランスワインを飲みつつ、「何か気の利いたフランスものでも」と思いながら聴き始めたら最後、ワインを口にすることも忘れ、その美しい歌声とピアノに引きずり込まれて、そのまま聴き通してしまった一枚です。とにもかくにもドゥヴィエルの歌声が本当に美しい。透き通るほど透明で、どこまでも良く伸びていく歌声。フランス人ですから当然ながらフランス語のディクションも綺麗で柔らかく、まろやか。言葉に乗せる感情の表出もしっかりしていて、素晴らしい歌姫です。キャリアの初期にはバロックをメインに歌っていたそうですが、確かにノンヴィブラートとヴィブラートの部分的な使い分けにその影響を感じます。近代のフランス歌曲に用いるノンヴィブラートには新鮮さを感じました。タローのピアノは千変万化するニュアンスが本当に素晴らしく流石です。フランス歌曲のピアノ伴奏でこれほど多彩なニュアンスに富んだピアノは初めて聴きました。いや、もはや伴奏ではなく、デュオですね。フォーレからプーランクまで、それぞれの作曲家固有の色彩を鮮やかに表現していて最高なのですが、中でもプーランクの和声の表出は、本当にその響きと色彩に関するセンスというか、なんというか、「凄い」です。録音は歌、ピアノ双方を生々しく録っていて秀逸、ブレンドもバランスよく言うことはありません。フランス歌曲がお好きな方々にはもちろんのこと、歌がお好きな方々には本当にお勧めの一枚です(私のようにフランスワインの肴に、と思っている方々、聴き過ぎにご注意)。

シカゴ響との録音から5年。ベルリン・フィルとの演奏会のライブ録音です。この巨人、ジュリーニに興味のある方々ならシカゴ響盤をお持ちでも絶対に「買い」です。シカゴ響盤にはない多くのルバートや異なるテンポ設定個所。テーリヒェン、フォーグラー揃い踏みの圧巻の2対のティンパニによって始まる終楽章に至っては演奏時間が2分半分ほど遅くなり、踏みしめながら進んでいくような雰囲気とテンポが、とてもドラマティックです。弱音部での繊細さとカンタービレの表出もより濃密で、シカゴ響盤よりもロマンティック。基本的な演奏設計は同じでも、ジュリーニの細部にわたる作品解釈はこの5年でぐっと深まっていて、聴いた印象はまた違って聴こえます。この頃のベルリン・フィルの素晴らしさ(凄まじさ)は言うまでもありません。凄みすら感じる音の緊張感と爆発力。演奏会の一発録りでは仕方のない数か所の音の外しもありますが、集中力は片時も途切れることなく、熱と気合の入った凄演でジュリーニの指揮に応えています。マーラーをレパートリーに入れているとは言い難かったカラヤンに率いられたこの頃のベルリン・フィルは、客演指揮者らのラインナップを見ても、他のオケに比べるとマーラーを演奏する機会は少なかったのではないかと思いますが、ジュリーニの元で、フレージングやサウンドバランスも違和感なくマーラーらしい演奏をしていて、それも特筆しておきたいと思います。録音はマイクに制約のある演奏会のライブ録音ということで、さすがにスタジオ録音ほどとはいきませんが、音の鮮度はかなり高く、優秀なライブ録音だと思います。ハイドンの驚愕(こちらもジュリーニらしく音楽的で大変素晴らしい演奏。2楽章の例の個所では観客がどよめくほど驚いています)とマーラーの巨人というプログラム。通して聴けば古典派からロマン派への交響曲の進化も楽しめるセンスの良いプログラムで、ジュリーニファンならずとも多くの方々にお勧めの1枚です。

私がここで何某かを言うまでもなく、初出時から多くの方々に聴き継がれてきた、言わずもがなの名盤ですよね。ジュリーニはマーラーの正規録音は、この巨人と9番(シカゴ響)、大地の歌(ベルリン・フィル)しか残しませんでした。元々商品化する予定ではなくライブ録音されたものでも、ベルリン・フィルとの巨人とウィーン・フィルとの大地の歌くらいしか商業用にCD化されたものは見たことがないので、自身のレパートリーにも、この3曲しか入れていなかったのではないでしょうか。正規録音された9番、大地の歌もジュリーニ以外には誰もこのように演奏させることはできなかっただろう、素晴らしい名盤だと思いますが、それらより録音が古いこの巨人にも全く同じ感想を持っています。ショルティ時代のシカゴ響から、サウンド、バランス、フレージングもショルティとは全く違う方向性の演奏を引き出していて、僅か数回のリハーサルの中、いったいどのような稽古をすると、このような音作りが出来るのだろうかと驚嘆至極です。とても丁寧に外声、内声のバランス、縦の線を揃えながら、その上に横の線であるなめらかに流れ歌う美しいカンタービレを聴かせる。ジュリーニの専売特許とも言えるこの音楽作りは、他の誰にもまねのできない至芸です。充分に爆発的な迫力を持ちながらも、優しく温かで心に沁みる歌心に溢れた巨人。長く聴き継がれるに相応しい名演です。録音は以前にWarnerから発売されたSACDハイブリッド盤は聴いていないので、今回のものとの比較はできないのですが、以前のCDと比べ、音の鮮度が格段に上がり、大変生々しい音質に生まれ変わりました。大満足です。ジュリーニならではの素晴らしい歌心に溢れた、長く聴き継がれるに相応しいこの名盤、音質も生まれ変わり、また多くの方々に聴いて頂きたい一枚です。そして、この一枚を通してジュリーニ、シカゴ響の組み合わせを気に入られた方々には、この巨人以外にもまだ複数のこのコンビの名演、名盤がありますので、ぜひ!(ジュリーニならではの歌心を堪能できるシューベルトのグレイトは特にお勧めです!)

見事な各声部の描き分け、リズムの切れ味、鮮やかな場面転換、煌めく音色、どこを取っても本当に素晴らしいペトルーシュカでした。春の祭典、火の鳥を聴いた時の印象と被りますが、オーソドックスな全体的な解釈の中にしっかりと個性的な音楽的センスを刻み込んだ演奏で、その個性的な音楽的センスは前作以上に強く感じます。フレージングの自在さが本当に痛快です。パリ管も前作以上に自在で素晴らしいの一言に尽きます。特に細部にちりばめられたソリスティックな部分での自在さと強い表現力が、ペトルーシュカという作品をより一層分かりやすく、魅力的なものにしてくれています。使用楽器はもちろん一昔前の伝統的なフランス式のものではないと思うのですが、出てくるサウンドは確かにフランスの伝統的なサウンドの先にあるもので、いやむしろ、60年代くらいの伝統的でメローなサウンドに近づいている(戻っている)ような感じすらあります。ベルリンやウィーンの音色がインターナショナル化してきている(個人的にはウィーンはまだ伝統的なウィーンの音色を保てていると思っているのですが)と嘆かれる中で、このパリ管のフランスならではの明るく輝かしく、そしてメローなサウンドは本当に貴重だと思います(ソロ、トゥッティともに決め所での爆発的で自在な表現力も)。表現の方向性がやりたい放題でちぐはぐにはならず、完璧に統一された中での自在さであるところを見ると、これはオケの力だけではなく、マケラの素晴らしいリードがあってのおかげかと思います。それはもちろんペトルーシュカ!そしてもしかするとそれ以上かもしれない遊戯や牧神の午後への前奏曲に顕著に感じられます(特に表現においては本当に難しい、牧神の午後への前奏曲!)。録音も前作同様、文句のつけようがない仕上がりで、美しい残響を伴いながら、生々しい各楽器の美しい音色を堪能できます。前作同様、皆様に心からお勧めです。

鮮烈極まりない春の祭典と火の鳥です。全体の設計はオーソドックスながら、声部の強弱による出し入れとバランス、フレージングにはしっかりとセンス溢れる個性を刻み込んでいます。こうした真の天才には年齢のことを考えることなど全く無意味であることを改めて実感しました。複雑至高なスコアを完全に読み込み、必要な音はすべてが、必要な意味を持って必要な場所にきっちりと存在する、そんな印象を持ちました。春の祭典、火の鳥、どちらも甲乙つけがたいほど素晴らしかったですが、私は個人的に火の鳥の繊細な扱いにマケラの音楽的センスの天賦の才を感じ、より感銘を受けました。マケラのリードのおかげが充分にあると思いますが、それにしても、パリ管の素晴らしさは何と表現したらよいのでしょう!技術的にも完璧で圧巻の見事さですが、何よりもその輝かしく明るいサウンド、もうとろけてしまうほどにメローです。弦も金管も打楽器ももう本当に素晴らしいのですが、特に木管の美しさと素晴らしさは筆舌に尽くしがたいです。今、このとろけるようなフランス伝統のメローなサウンドと圧巻の技術的完璧さでストラヴィンスキーが聴けるだけでも貴重ではないでしょうか。録音も美しいフィラルモニ・ド・パリの音響を完璧に収めていて、文句のつけようがありません。繊細なアンサンブルから輝かしいトゥッティまで見事に再現されています。Deccaの面目躍如たる録音ではないでしょうか。マケラに興味がある方々は勿論のこと、フランス伝統のメローなサウンドで技術的にも圧巻のストラヴィンスキーを聴いてみたい方々、素晴らしい録音でストラヴィンスキーを聴いてみたい方々に心からお勧めです。

数多く聴いてきたわが祖国の録音の中で、これがマイベストです。わが祖国を聴きたいと思った時、必ず手に取る一枚。心からすべてを安心して任せることが出来る演奏です。楽曲解釈、音色の美しさ、テンポ感、すべてが私の好みなんですね。特にテンポ感。例えばヴィシェフラドもグランディオーソなどはチェコのお国ものの演奏に比べると結構速いのですが、このテンポがなぜか心地いい。シャールカのコーダの堂々たるスローテンポもこうでなくては、と思わせられる。先日、ビシュコフとチェコ・フィルによるこの作品の決定盤になり得ると思える大変素晴らしい演奏を聴きましたが、マイベストは変わりません。面白いものです。この録音でのコンセルトヘボウ管の音色はチェコ・フィルと互角に渡り合っています。わが祖国という作品においてはやはりオケの美しい音色が名演奏の重要なポイントだと思っていますが、ここでのコンセルトヘボウ管の音色は本当に美しくて素晴らしいです。そしてドラティの作品解釈とオケの統率力の見事さ。細やかなニュアンス付けはビシュコフが上をいっていると思いますが、ドラティはそのテンポ設定と作品のドラマの秀逸な解釈、しっかりと手綱を締めた統率力が何よりも魅力かと思います。美しくかつ引き締まっているのですね。ですから、この長大な連作交響詩の構成の見通しがとても良く、分かりやすいです。ターボルやブラニークはドラマティックに盛り上がり、ボヘミアの森と草原からは美しい自然の息吹に包まれます。もちろんヴルタヴァも陶酔できるほど美しいです。録音の音質も極めて秀逸で、美しいホールトーンとソロからトゥッティまでとてもきめ細やかに捉えられています。ビシェフラド冒頭の2台のハープも大変美しいです。わが祖国に興味をお持ちでチェコのお国ものに拘らない方々に、心からこのマイベストの一枚をお勧めします。最高に素晴らしいわが祖国を楽しめること請け合いです。

細部にわたり入念極まる大変な名演奏です。全曲通して80分を超える演奏ですが、気の抜けたところが全くないどころか、80分に渡って細やかな表情付けとニュアンスに溢れる素晴らしい演奏。わが祖国の決定盤と言っても過言ではないかと思います。チェコ・フィルにとってこの作品は特別なもの。多くの名盤がありますが、ここまで入念なニュアンスが持続するものはなかったです。ビシュコフの作品解釈が本当に素晴らしい。オケとの呼吸もぴったりで、指揮者とオケのコンビとしては、現在世界屈指のものではないかと思います。ヴィシェフラド冒頭のハープからいきなり作品の世界観に引きずり込まれたのは、初めての経験でした。有名なモルダウ(ヴルタヴァ)もどこを取ってもあまりにも美しいです。美しさと熱気にも溢れるシャールカ、チェコの美しい原風景を肌で感じるような、ボヘミアの森と草原からを経て、全曲のクライマックスをターボル、ブラニークにしっかりと合わせてくるところ、全曲通しての作品解釈の設計も見事に決まっていて、長大な連作交響詩がものの見事に一望できる分かりやすさを持っています。それにしても、チェコ・フィルの音の美しさは例えようもありません。如何なる賛美の言葉も無力に思えるほどに美しいです。おそらく現在聴ける、数あるチェコ・フィルのわが祖国の録音の中で、この録音の音質はすべてを凌駕していると思いますが、その例えようもなく美しい録音によって、このオケの持つあまりにも美しい音がひときわ際立って聴こえます。本当に素晴らしいわが祖国でした。柔らかくチャーミングなニュアンスと丁寧なフレージング、際立つ見事な構成力、美しいオーケストラの音色。聴いていて、心から幸せを感じる名演奏です。

「トゥーランドット」録音史上に今も燦然と輝く伝説のセットです。私は普段から出来るだけ今の時代の録音を評価するよう心掛けているのですが、ほとほとこの作品においては、今もこのセットを聴く度に「この作品において、今後これ以上の録音が出てくるだろうか」という思いになります。ニルソン、コレッリ、スコット、メインキャストの御三方にこの方々の名前が並ぶだけでも溜息が出るのですが、この超絶的名演奏の立役者は間違いなく指揮者のモリナーリ=プラデッリです。冒頭からいきなり凄まじい緊張感の中に引きずり込まれ、その緊張感は一瞬も途切れることなく幕切れまで持続します。全曲1時間50分があっという間に過ぎ去ります。オケ、合唱ともひと時も緩むことなく厳しく統率され、技術的にも音楽的表現も見事な統一感です。素晴らしいの一言に尽きます。トゥーランドット役のニルソンの素晴らしさは、幾つ言葉があっても足りません。難役とされるトゥーランドットをいとも軽々と歌い、そこに乗せる歌の表現には余裕すら感じます。いくつものトゥーランドットを聴いてきましたが、やはりニルソンのトゥーランドットは別次元です。コレッリのカラフもまた最高です。その存在感、役への没入度、劇的表現、よく伸びるうえに甘みを感じさせる高音。有名な「誰も寝てはならぬ」は勿論のこと、全編にわたって最高の歌唱を聴かせてくれます。そして通常はプリマを歌うスコットをリューに起用する贅沢さ!これほど存在感のあるリューはなかなか聴けません。3幕の尋問のシーンからリューの死までなど、涙なくしては聴けない程です。美しい高音のソット・ヴォーチェが特に印象的な流石の歌唱です。またこのセットはオケと合唱の素晴らしさ、そして穴のない配役も特筆しておきたいと思います。録音はリマスタリングがうまく決まって、大変鮮明で生々しい音質に生まれ変わりました。タワレコが復刻したこのリマスター盤は初出時はあっという間に品切れ、廃盤になり、中古市場では長らく法外な高値がついていました。ようやく再プレスされ入手しやすくなったことは、初出時に入手された方々(私も)や高額な中古盤を購入された方々には様々な思いもおありでしょうが、このセットにとっては喜ばしいことです。まだお聴きになられたことがない方々には本当にお勧めです。きっと感動されて愛聴盤になることと思います。

ネルソンスがそれぞれ音楽監督と楽長を務めるボストン響とゲヴァントハウス管の共同制作によるR.シュトラウスの管弦楽曲集セットです。7枚組のセット中、1枚目から3枚目まではボストン響パート。4枚目から6枚目までがゲヴァントハウス管パート。最後の7枚目は1曲目の祝典前奏曲が両オケ共同演奏、その後2曲がボストン響。続く2曲がゲヴァントハウス管と、ちょうど両オケ、半々の演奏によるセットとなっています。両オケはまたシュトラウス自身が指揮したオケという共通点もあり、企画としても面白いのですが、演奏内容もそれぞれに相性の良い作品群を振り分けて、どれも本当に見事で素晴らしいものとなっています(シュトラウス自身がそれぞれのオケで指揮した自作を、という選曲意図も一部含まれているそうです)。ネルソンスのシュトラウス作品の纏まった録音は、このセット以外にも、より若い頃、バーミンガム市響を指揮したものがありますが、それらの録音と比べると、作品の行間の読みがぐっと深まり、緩急自在、情報量の多い、いっそう彫りの深い作品解釈を聴かせてくれています。ネルソンスという指揮者は、最近の若手指揮者の中では譜読みに確かな個性がある指揮者ですが、作品が素晴らしくよく書けていて、ともすると誰が振っても似たような演奏になりやすいシュトラウス作品にあっても、その個性をいかんなく発揮し、かつてないほど瑞々しくて、新鮮な作品解釈を聴かせてくれているところに心から感銘を受けました。どの作品の演奏も甲乙付け難く本当に素晴らしいのですが、とくに私の大好きなドン・キホーテ!個人的にはこのセット、ドン・キホーテを聴くためだけに購入しても損はありません。ゲストで参加しているヨーヨー・マも最高のパフォーマンスを聴かせてくれています。録音はボストン・シンフォニーホール、ゲヴァントハウス、それぞれのホールに響き渡る両オケの美質を見事に捉えていて、ともに秀逸です。特にゲヴァントハウス管は言わずもがな、ボストン響の響きの美しさが印象に残ります。1つのセットで2つのオケ、それぞれのハイクオリティなベストパフォーマンスが楽しめて、かつネルソンスの自在で素晴らしいセンスに彩られたシュトラウス解釈が聴けるこの全集。シュトラウス好きにはもちろんのこと、色彩感溢れるオーケストラサウンドが聴きたい方々には心からお勧めです。

「…今回の録音で、あなたは個人的にどんな貢献をしたのかと問われたら、個人としての貢献は何もないと、私は答えるだろう。重要なのはベートーヴェンの音楽的天才のほうであり、指揮者として私の――そしてオーケストラの――なすべき仕事は、ベートーヴェンが思い描いたものを、最良の形で聴き手に届ける方法を見つけること、それに尽きる。確かに、私自身も構想をもつ必要はある。だがそれだけではベートーヴェンの世界観を主観的に表現することになると、私は自分に言い聞かせている。私の仕事は、ベートーヴェンが始まるところで、終わるのだ。」国内盤のブックレットに掲載されているネルソンス自身の言葉です。この全集でどのような演奏が聴けるのか、ということを端的に表す言葉としてもっとも相応しいと思い、引用させて頂きました。この言葉からイメージできるように、ここでネルソンスはその瑞々しいセンスと音楽解釈をしっかりと持ち込みながらも、端的に個人の主観的な解釈に走りすぎないように、厳しく自らを律しています。彼の言葉に嘘はありません。ですので、ざっと聴き流していても耳を引くような目新しいことは起こりません(新ベーレンライター版を基軸とする楽譜の問題も含めて)。これをどう捉えるかは聴き手次第ですが、虚心に細部にまで耳を傾けていると、そこには紛れもないネルソンスの素晴らしい音楽センスと楽曲解釈が聴こえてきて、この一連の演奏は誰にでも易々と出来るものではなく、まさしくネルソンスとウィーン・フィルの組み合わせでしか成しえないものである、ということが実感できます。録音は各々の楽器を絶妙なバランスで捉えた見事なもので、ウィーン・フィルの美しい響きを堪能できる大変素晴らしい音質です。9番のソリストや合唱も定位良く左右によく広がり、混濁せずその発声までとてもクリアに収録されています。国内盤のブックレットは上記に一部引用したネルソンスのベートーヴェンに対する発言の全貌、個々の作品の概要、9番の合唱の歌詞対訳が掲載されており、これは恐らくすべて輸入盤の邦訳ではないかと思われますが、英語に明るくない方々には大変価値のあるものかと思います。ネルソンスとウィーン・フィルが偉大なるベートーヴェンの表出にのみ心を砕いた稀有な全集。一人でも多くの方々と共有したいと思っています。

先日、サントリーホールにてネルソンスとライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によるブルックナーの9番の実演を聴いてきました。その演奏は霊感溢れる即興的感興と確固たる音楽的構築による類稀なる圧巻の大名演で、私にとって生涯忘れえぬコンサートになりました。この全集に収められた9番は、そこまでの大名演とまではいきませんが(むしろあの実演が奇跡的過ぎです)、やはり音楽的な構築の見事さと美しいブルックナーサウンドに浸り切れる本当に素晴らしい名演です。発売時期が近いこともあって、ティーレマンとウィーン・フィルによる全集との比較も楽しみなところですが、ティーレマンがウィーン・フィルの演奏伝統と美質を繊細に扱いつつ自身の作品解釈を持って花を添えた演奏だとすると、こちらはゲヴァントハウス管の演奏伝統とドイツ的な美しい音色を充分に尊重しながらも、ネルソンスの素晴らしい音楽的センスが優った演奏だと言えるかも知れません。いずれにしろ、どちらも大変素晴らしい全集です。ティーレマンの全集には00番まで収録されている代わりに、こちらはまた大変素晴らしい演奏のワーグナーの作品も多く収録され、それぞれに違った楽しみ処が多いですね。録音は大変優秀で、ゲヴァントハウスに響き渡る美しいゲヴァントハウス管の、今となっては貴重なドイツ的なサウンドを存分に堪能できます。またこの国内盤にはネルソンスの今回のブルックナー全集録音に対してのロング・インタビューの邦訳が記載されたブックレットが同梱されています。恐らく輸入盤にもこのインタビューは記載されていることと思いますが、英語に明るくない方々には、こちらの邦訳は必読かと思います。ネルソンスがどのようにブルックナー演奏に臨んでいたか、手に取るように分かります。また、ゲヴァントハウス管がまさにブルックナーにとって理想的なオーケストラであると考えている、とも答えています。先日の9番の実演、そしてこの全集を聴いて、ゲヴァントハウス管は勿論のこと、ネルソンスも現代に生きる、ブルックナーに対してとても誠実で確かな指揮者だと、その数々の名演から受けるブルックナー演奏の安心感に感銘を受けました。あの9番の圧巻の実演を聴いた方々は勿論、ブルックナーを愛する方々にも是非聴いて頂き、一人でも多くの方々にこの全集の素晴らしさを感じて頂けたらと思います。

ジャケットの、カメラに向かって微笑むゼルキンのカラー写真。DGのイエローエンブレムとそこに書かれた「ヴァルトシュタイン」と「アパショナータ」の文字、ゼルキンの名前。ゼルキンが亡くなって30数年。その長い時間が一瞬で消えてしまうほど実在感のあるジャケットを伴って、今になってゼルキンの「新譜」が発売されました。今この「新譜」が聴ける喜びを何と表現したらよいのか分かりません。とにかくこの喜びを一人でも多くの方々と共有したい思いでいっぱいです。録音の発売を承認された娘さんの御言葉に「それは完璧ではありません」とありますが、それが何でしょう。演奏に完璧はあっても、音楽に完璧はありません。「アパショナータ」の終楽章コーダ。80歳を過ぎた自身に出来る限界に挑むタッチで、持てる音楽をぎりぎりのスピードで追い込んでいくゼルキンの「音楽に対峙する姿勢」を聴くだけでも大変な価値があると思います。もちろんこの録音では、ゼルキンの持っている美しく輝かしいタッチと素晴らしい音楽解釈が全編にわたって楽しめます。ゼルキンの人生の生き様と共に「ベートーヴェンはかくあるべし」というゼルキンの声が聞こえてくるようです。音質もとても美しく、古さは全く感じません。マイクの距離感も絶妙で、タッチ、ピアノの音色も細部にわたり鮮明に捉えています。「ヴァルトシュタイン」と「アパショナータ」という2大名曲が揃った一枚。練りに練り込まれた素晴らしいベートーヴェン解釈と美しいピアノ。今発売されたゼルキンの「新譜」、皆様とぜひ一緒に楽しみたいです。

ついにウィーン・フィルが単独指揮者の下で初めての全集を録音しました。今まであったものも複数指揮者の下でのDeccaの全集がひとつだけ。今回の全集、ジャケットにはブラックの背景に大写しされたウィーン・フィルのエンブレムがひとつだけ。ティーレマンの写真の一つもありません。このジャケットを見るだけでも、この全集がウィーン・フィルにとっていかに重要で大切なものなのかわかります。この全集は「ウィーン・フィルにとっての全集」なのだと思います。この全集に抜擢されたのがティーレマン。今の時代にブルックナーを安心して聴かせてくれる指揮者の一人ではないかと思いますが、何よりウィーン・フィルとの息の合い方が本当にぴったりで、全編にわたって素晴らしい解釈を聴かせてくれています。月並みな言い方ではありますが、どこを取っても本当に美しい演奏です。また、この全集では00番や0番がウィーン・フィルの演奏で聴けるという楽しみもあります。ただでさえ演奏機会も録音も少ない2曲ですが、やはりウィーン・フィルがやるとこういう解釈、音色、響きになるのかと、改めて感銘を受けました。正直なところ、ブルックナー好きな方々になら、この2曲が入ったウィーン・フィルの全集というだけでも、充分な購入価値があるのではないでしょうか。この国内盤には124ページにも及ぶ、紙質も上質で大変立派なブックレットがついています。充実した楽曲解説は輸入盤のブックレットの邦訳ではないかと思いますが、ウィーン・フィルによる各交響曲の初演時からの演奏記録も載っていて、これは輸入盤のブックレットにもあるのでしょうか。資料的価値も大変高いものとなっています。録音はムジークフェライン、ザルツブルク祝祭大劇場、どちらもマイクとオケの距離感が程よく、音圧もたっぷりあり、直接音とホールトーンのブレンド感が絶妙で、ウィーン・フィルの美質を存分に味わえる大変美しい録音です。楽器の定位もはっきりしていて、対向配置ならではの響きもしっかりと聴きとれます。ウィーン・フィルに脈々と受け継がれてきたブルックナーの演奏伝統と、そこに花を添えるティーレマンのブルックナー解釈。素晴らしい名演の数々をぜひ多くの人と共有したいと思います。

今後これらの作品においてこれ以上の録音が出てくるだろうか、と思うほどの超絶的な名演奏です。驚嘆するほどのテクニック、底鳴りする低音から煌めく高音まで、どこまでもクリアで非の打ち所がないユジャのピアノ。歌には胸いっぱいのロマンが。そして、ドゥダメル率いるロサンゼルス・フィルとのフィーリングが本当に最高です。ピアノとオケの一体感がこれほど強く感じられる演奏にはなかなか出会えないのではないでしょうか。「私たちはまるで室内楽を演奏しているように互いに理解し合っています」ドゥダメルのこの言葉に一切の誇張はなく、この一体感こそがこの一連の演奏を特別なものにしていると感じました。特筆すべき互いの強烈なテンションの高さからリズム、フレージングまで、そのあらゆる要素に信じがたい一体感があります。これぞ言葉通り「協奏曲」です。また、録音が本当に素晴らしいです。音圧は高く、オケの強奏時でもピアノは埋もれることなくはっきりと聴きとれます。かと言ってピアノだけオンで拾ったような空気感の不自然さは全くなく、ピアノとオケの空気感、バランスはとても自然です。大変聴き心地よく、聴き手のテンションを上げてくれる録音です。ユジャはカーティス音楽院でグラフマンに師事していました。グラフマンはホフマンに師事、またホロヴィッツの元で研鑽を積んだ経験があり、その系譜を通しても、またカーティス音楽院のあるフィラデルフィアという街を通じてもラフマニノフと繋がっています。そのようなことに思いを馳せながらこの録音を聴くのもまた楽しいのではないでしょうか。

ヒラリーのSONY時代の全てのアルバム(5枚)が安価で一気に入手出来る、とてもお買い得なセットです。ベートヴェン、ブラームス、メンデルスゾーンといった大変な名曲から、ヒラリーの圧倒的に冴えわたるテクニックを満喫できるストラヴィンスキーやショスタコーヴィチまで、様々な作品を楽しめます。録音もどれも優秀です。今のヒラリーがこれらの作品を演奏すれば、もっと深い作品解釈を聴くことが出来ると思いますが、このセットの録音時17歳から20代前半のヒラリーの演奏は、その音と当時からすでに完成されていた圧巻のテクニックと共にほとばしる若さと勢いが本当に魅力的で、青春時代は2度と戻らないことを思えば大変貴重です。バッハにはDeccaに完結編となるその後の録音があり、名曲の協奏曲の続編にはGrammophonにチャイコフスキーやシベリウスの作品もあります。

圧巻の名演奏ですね。技術的にも唖然としましたが、何よりもその「音」が凄かったです。この作品はなかなかつかみづらいですが、この演奏は作品の全体像もとても分かりやすいです。録音も本当に素晴らしい。この国内盤はヒラリー自身のこの録音への長いコメントが邦訳されていて、読みごたえがあります。YouTubeに3番の若い頃の演奏の動画が上がっており、そちらも拝見しましたが、この録音では音楽の恰幅がぐっと広がり、楽曲の見通しもよく、ヒラリーの演奏家としての確かな成長も感じられ、感慨深い思いに浸りました。

  • 1

(全24件)