メンバーズレビュー一覧

グラフィック・ビートルズ / 松田行正

グラフィック・ビートルズ

松田行正

5:
☆☆☆☆☆
★★★★★

本書は『Please Please Me』から『Let It Be』までのアルバム11 枚のジャケット・デザインの「革新性」を20世紀デザイン史の中に位置付け、「デザインの歴史探偵」松田行正が検証する一冊。そもそもビートルズに関する本に面白くないものはない。したがって内容のレビューより先に本のデザインのレビュー。新書判の変型の大きさで、まるで弁当箱。写真を掲載するためか、丈夫な紙を使っているので、分厚くなってしまうが、細かく何冊かの薄い製本を束ねたもので、無理なく頁を広げられる工夫がされている。表紙にはA1判大のビートルズのアルバムをパロったジャケ・コレクション・ポスター(CD180点以上、書籍34 冊を掲載)も圧巻。「牛若丸」という出版元は、著者が主宰するミニ出版社であるが、たぶん手作り造本で大変だっただろう。本でしか味わえない造本の魅力が満載。分量・大きさ的に、税込3,960円は高い、と感じたが、本そのものもアートなっている書籍としても楽しめる一冊だ。
松田行正氏『RED ヒトラーのデザイン』(左右社 2017)『独裁者のデザイン』(平凡社 2019あるが、「With the Beatles」では、ヒトラーの大統領選挙ポスターや「Help!」ではニュルンベルク党大会の「光の大伽藍」が引用され検証の幅が広い。そして本題アルバムジャケット論。個々のアルバムにまつわる情報は既知のものだが、11枚のアルバムを時系列で見ていくと、その革新性の進化がわかる仕掛けだ。そして進化の到達点は「Abbey Road」。4人のメンバーが横断歩道を歩くそのアルバムジャケットは、「どこにでもある横断歩道を歩いているだけ」という日常の光景をアートに変えた。多くの模倣やパロディを生み出すことになった革新性。モダン・アートの言説では小難しい注釈とセットとするところだろうが、このアルバムにはタイトルもバンド名もない。「見ればわかるだろ!」。現在のバンクシーにもつながるストリートアートの走り?この本を手にしたとき、カバーがもう薄汚れていると思ったが、白の経年変化そのものをデザインに組み込んだ「White Album」のコンセプトの実例であったのだ。

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kapaoさんが書いたメンバーズレビュー

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ディアギレフ率いるロシア・バレエ団のために作曲されたバレエ音楽と言うと、「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」を書いたストラヴィンスキーが有名であり、また、代表作のように見られている。1909年から1929年の約20年間の活動期間で、74の演目があるが、その音楽の多くは過去作品の編曲・流用であって、オリジナルの作品は33曲と半分にも満たない。そして最も多くの楽曲を提供したのはストラヴィンスキーであるが、その他にも世紀転換期から第一世界大戦後の「新しい音楽」の時代の作曲家の作品も多い。しかし現在その音楽全てを耳にすることはできない。かつてHänssler Classicsが2007年から2016年、足掛け10年にわたり、ロシア・バレエ団音楽シリーズを録音リリースしてくれた。初めて聴けた曲も多かったが、全てではなかった。そのようななか、今回レイナルド・アーン作曲によるロシア・バレエ団初期のバレエ「青い神」の世界初録音がリリースされた。
初演は、しかし、失敗に終わったようだが、いくつかの伝記などではアーンの音楽が原因とされている。アーンの音楽と言うと、世紀転換期ロマンス(歌曲)やピアノ作品のサロン風音楽の作曲家というイメージがある。しかし彼は舞台音楽も多く書いている。「青い神」もその一つ。音楽はインド風のエキゾティックな主題を持扱いつつも、単なる異国情緒に陥らぬようにするため、半音階的な動きや旋法的な技法に実験的なポリフォニーも取り入れるなど、同時期のドビュッシー《遊戯》やラヴェル《ダフニスとクロエ》と同じように新しい響きが聞こえてくる。バレエは振付・舞台装置/衣裳・音楽が一体となった芸術であり、音楽のみが原因とは言いにくい。この100年ぶりの復活蘇演のライブ録音を聴くと、舞台が見えないだけ余計に音楽の面白さが伝わってくる。
因みにアーンには、《モーツァルト》というミュージカル作品がある。現在録音はないようだが、聴いてみたくなった。

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グラフィック・ビートルズ

松田行正

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☆☆☆☆☆
★★★★★

本書は『Please Please Me』から『Let It Be』までのアルバム11 枚のジャケット・デザインの「革新性」を20世紀デザイン史の中に位置付け、「デザインの歴史探偵」松田行正が検証する一冊。そもそもビートルズに関する本に面白くないものはない。したがって内容のレビューより先に本のデザインのレビュー。新書判の変型の大きさで、まるで弁当箱。写真を掲載するためか、丈夫な紙を使っているので、分厚くなってしまうが、細かく何冊かの薄い製本を束ねたもので、無理なく頁を広げられる工夫がされている。表紙にはA1判大のビートルズのアルバムをパロったジャケ・コレクション・ポスター(CD180点以上、書籍34 冊を掲載)も圧巻。「牛若丸」という出版元は、著者が主宰するミニ出版社であるが、たぶん手作り造本で大変だっただろう。本でしか味わえない造本の魅力が満載。分量・大きさ的に、税込3,960円は高い、と感じたが、本そのものもアートなっている書籍としても楽しめる一冊だ。
松田行正氏『RED ヒトラーのデザイン』(左右社 2017)『独裁者のデザイン』(平凡社 2019あるが、「With the Beatles」では、ヒトラーの大統領選挙ポスターや「Help!」ではニュルンベルク党大会の「光の大伽藍」が引用され検証の幅が広い。そして本題アルバムジャケット論。個々のアルバムにまつわる情報は既知のものだが、11枚のアルバムを時系列で見ていくと、その革新性の進化がわかる仕掛けだ。そして進化の到達点は「Abbey Road」。4人のメンバーが横断歩道を歩くそのアルバムジャケットは、「どこにでもある横断歩道を歩いているだけ」という日常の光景をアートに変えた。多くの模倣やパロディを生み出すことになった革新性。モダン・アートの言説では小難しい注釈とセットとするところだろうが、このアルバムにはタイトルもバンド名もない。「見ればわかるだろ!」。現在のバンクシーにもつながるストリートアートの走り?この本を手にしたとき、カバーがもう薄汚れていると思ったが、白の経年変化そのものをデザインに組み込んだ「White Album」のコンセプトの実例であったのだ。

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本書は『プリーズ・プリーズ・ミー』から『レット・イット・ビー』までのアルバム11 枚のジャケット・デザインの「革新性」を20世紀デザイン史に位置付け、「デザインの歴史探偵」松田行正が検証する一冊。そもそもビートルズに関する本に面白くないものはない。したがって内容のレビューより先に本のデザインのレビュー。新書判の変型の大きさで、まるで弁当箱。写真を掲載するためか、丈夫な紙を使っているので、分厚くなってしまうが、細かく何冊かの薄い製本を束ねたもので、無理なく頁を広げられる工夫がされている。表紙にはA1判大のビートルズのアルバムをパロったジャケ・コレクション・ポスター(CD180点以上、書籍34 冊を掲載)も圧巻。「牛若丸」という出版元は、著者が主宰するミニ出版社であるが、たぶん手作り造本で大変だっただろう。本でしか味わえない造本の魅力が満載。分量・大きさ的に、税込3,960円は高い、と感じたが、本そのものもアートなっている書籍としても楽しめる一冊だ。
「ウイズ・ザ・ビートルズ」では、ヒトラーの大統領選挙ポスターや「ヘルプ!」ではニュルンベルク党大会の「光の大伽藍」が引用されており、検証の幅が広い。また、タイポグラフィーとしてフォントの話もPCのフォント・ドロップダウンに並ぶフォント理解に役立った。
そして本題アルバムジャケット論。11枚のアルバムを時系列で見ていくと、その革新性の進化がわかる仕掛けだ。そして進化の到達点は「アビー・ロード」。4人のメンバーが横断歩道を歩くそのアルバムジャケットは、「どこにでもある横断歩道を歩いているだけ」という日常の光景をアートに変えた。多くの模倣やパロディを生み出すことになった革新性。モダン・アートの言説では小難しい注釈とセットとするところだろうが、このアルバムにはタイトルもバンド名もない。「見ればわかるだろ!」。バンクシーにもつながるストリートアートの走り?この本はカバーがもう薄汚れていると思ったが、白の経年変化そのものをデザインに組み込んだ「ホワイト・アルバム」のコンセプトの実例であった。映画「イェスタディ」では、真っ白なアルバムは、ダイバーシティ(多様性)の観点から問題となる、というプロモーション会議の場面があった。このコンセプトからすると、そのように評価ではなく、むしろ多様性を象徴するものして採用されていただろうに。

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41年にわたって書き綴った『断腸亭日乗』。いざレビューを書くとなると、どういった視点があるのか。日々折々に捉えた自然、人物、社会風俗、政治観、また、荷風は何をしていたのか、荷風は何を考えていたのか、荷風は何を食べていたのか、荷風はどんな女を抱いたのか、荷風は何を書き続けていたのか、さらに荷風の文章、漢語などネタは満載。
今レビューを書くとすると、現在話題となっているものを、当時荷風がどのように見ていたか、という視点がある。第一巻中の大正十二年と言えば、関東大震災であり、現在も関心が高い話題の一つが「災害」である。前年今でいう「異常気象」があったようで、「日本の気候年々不順になり行くはいかなる故か、なんとなく天変地妖怪の起こるべき前兆なるが心地す。」『日乗』で最初の地震の記述は大正十年で4回、「予言」をした大正十一年5回と増えていき、大正十二年九月「日将に午ならむとする時天地忽鳴動す」。地震を予知して記録したのではないだろうが、『日乗』には季節・自然の関する記述が多いことから、自然現象としての地震にも感度が高かったようだ。震災後も大正十三年・十四年と大きな余震が続いたことも記録している。
ただ、世間から隠遁していたことから、下町の被害についてはほとんど触れられない。第二巻昭和元年になって墨田区の「被服廠」跡地の大火災が語られる。この時点では日比谷公園の「至る処糞尿臭気甚しく」、また「震災後私娼大繁盛」と社会観察も怠らず。そして東京は「山師の玄関」であり、「灰燼になりしとてさして惜しむには及ばず」「近年世間一般奢侈驕慢貪欲」への「天罰」であって「何ぞ深く悲しむに及ばむや。」荷風らしい皮肉だが、まるで「ソドムとゴモラ」。現代の防災意識からすると他人事に移ってしまう。
荷風と「ペット」との関わりも、狷介な老人の隠れた細やかな心根を見せる話である。大正九年大久保で飼っていた牝犬の《玉》を思い出し「家畜小鳥などにつきての追憶を書かばやと想ひを凝らす」。大久保旧宅で飼い、「其務を尽くして恩に報いた」牝猫《駒》、「妓は去って還らず徒に人をして人情軽薄畜生よりも甚だしき」とぼやき。また、セキセイインコを買い求めてもいる。偏奇館には「三年来飼い馴らしたる青き鸚鵡」もいたのだ。

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終戦日記一九四五

エーリヒ・ケストナー、他

2:
☆☆☆☆☆
★★★★★

2024年はケストナー生誕125 年・没後50 年の記念出版のこの本は、日記による第三帝国下の生活を描いた、いわばドキュメンタリーものである。
読了後知ったことだが、ケストナーは、1941年から「戦時下の日常で起きた重要なことを、きょうからひとつひとつ書き残すことにする」と書き始めた日記があるらしい。5年間続けて書いたものではない。1941年、1943年、1945年の三年分だけである。そして1945年の日記が加筆編集されて1961 年に『45 年を想起せよ』として刊行されたものがこの著作である。
ケストナーは1945年第三帝国終末期の首都ベルリンの市街戦の真っただ中にいるわけではない。戦禍から離れた田舎の疎開し、そこでの出来事が中心。しかも外部の状況は伝聞・報道といった情報に限られる。周りは映画関係者と現地住民。知らない人物との話もいま一つピンとこない(脚注で解説されているが、唯一知っていたレニ・リーフェンシュタールほどの知名度ではない)。リアルさと終戦に迫力感が感じられないのである。
ナチ時代ケストナーの著作は「焚書」されたが、それでも彼は亡命せずに国内にとどまり、ナチ党体制を批判的に見ていた。そういった歴史的背景から、本書はナチス第三帝国の崩壊を一民間人としての日記という形式で綴った反骨の作家としての記録、と持ち上げ、「不公平な平和か公平な混沌かのジレンマ、だから戦争はナンセンス」とか「大人は子どもより愚かだ」といったゲシュタポに見られたらまずい発言、いかにも日記に隠して書いたような辛辣な政治・社会批判も出てくるが、安全な疎開先での話であって、本当に当時そう考えたのか、それとも戦後手を加えた創作なのかわからない。特に先立つ1941年・1943年も含めた日記の原典が『ケストナーの戦争日記1941-1945』として出版されているので、それとの関連で批判的に読んで評価すべきものだろう。
折しも同時並行的に永井荷風の『断腸亭日常乗』を読んでいるが、こちらはほぼ毎日の記録。書くべきことを日々メモしておき、あとでまとめて「浄書」したようである。後に死後この日記が人目に触れることを手も加えている(一日の記述が「日記」というには長すぎる日もある)。フィクションはないようだが、それでも時間が経つことによる変化で、「創作」の手が加えられることは避けられない。このような問題はあるのは

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