| フォーマット | 書籍 |
| 発売日 | 2022年06月17日 |
| 国内/輸入 | 国内 |
| 出版社 | 岩波書店 |
| 構成数 | 1 |
| パッケージ仕様 | 文庫 |
| SKU | 9784003247129 |
| ページ数 | 368 |
| 判型 | 文庫 |
構成数 : 1枚
まえがき
ベルリン
一九四五年二月七日から三月九日
マイヤーホーフェン村I
一九四五年三月二十二日から五月三日
マイヤーホーフェン村II
一九四五年五月四日から六月十五日
バイエルンのP
一九四五年六月十八日から六月二十八日
マイヤーホーフェン村 III
一九四五年六月二十九日から七月五日
シュリーアゼー村
一九四五年七月九日から八月二日
追記
一九六〇年
地図
解説
*文中に一部、現代において差別的とみられる表現があったが、原文を尊重しそのまま訳した。
大人は子どもよりも愚かではないか? 『エーミールと探偵たち』などで知られる児童文学作家ケストナー(1899-1974)が第三帝国末期から終戦直後にかけて右往左往する大人たちの姿を活写する。皮肉とユーモアたっぷりの日記から見えてくるのは、いまなお繰り返される戦争の愚劣さにほかならない。「1945年を銘記せよ」。

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読了後知ったことだが、ケストナーは、1941年から「戦時下の日常で起きた重要なことを、きょうからひとつひとつ書き残すことにする」と書き始めた日記があるらしい。5年間続けて書いたものではない。1941年、1943年、1945年の三年分だけである。そして1945年の日記が加筆編集されて1961 年に『45 年を想起せよ』として刊行されたものがこの著作である。
ケストナーは1945年第三帝国終末期の首都ベルリンの市街戦の真っただ中にいるわけではない。戦禍から離れた田舎の疎開し、そこでの出来事が中心。しかも外部の状況は伝聞・報道といった情報に限られる。周りは映画関係者と現地住民。知らない人物との話もいま一つピンとこない(脚注で解説されているが、唯一知っていたレニ・リーフェンシュタールほどの知名度ではない)。リアルさと終戦に迫力感が感じられないのである。
ナチ時代ケストナーの著作は「焚書」されたが、それでも彼は亡命せずに国内にとどまり、ナチ党体制を批判的に見ていた。そういった歴史的背景から、本書はナチス第三帝国の崩壊を一民間人としての日記という形式で綴った反骨の作家としての記録、と持ち上げ、「不公平な平和か公平な混沌かのジレンマ、だから戦争はナンセンス」とか「大人は子どもより愚かだ」といったゲシュタポに見られたらまずい発言、いかにも日記に隠して書いたような辛辣な政治・社会批判も出てくるが、安全な疎開先での話であって、本当に当時そう考えたのか、それとも戦後手を加えた創作なのかわからない。特に先立つ1941年・1943年も含めた日記の原典が『ケストナーの戦争日記1941-1945』として出版されているので、それとの関連で批判的に読んで評価すべきものだろう。
折しも同時並行的に永井荷風の『断腸亭日常乗』を読んでいるが、こちらはほぼ毎日の記録。書くべきことを日々メモしておき、あとでまとめて「浄書」したようである。後に死後この日記が人目に触れることを手も加えている(一日の記述が「日記」というには長すぎる日もある)。フィクションはないようだが、それでも時間が経つことによる変化で、「創作」の手が加えられることは避けられない。このような問題はあるのは