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第20回――サマー・ブリーズに吹かれて

再発先生奇談

連載
ロック! 年の差なんて
公開
2010/09/13   16:39
更新
2010/09/13   16:40
ソース
bounce 324号(2010年8月25日発行)
テキスト
文/内山田百聞


続々とリイシューされる幻の名盤や秘宝CDの数々──それらが織り成す迷宮世界をご案内しよう!



私は内山田百聞。売れない三文作家であるが、道楽のリイシューCD収集にばかり興じているゆえ、周りからは〈再発先生〉などと呼ばれている。静養先の小さな温泉が気に入った私は、滞留を続けながら小説を執筆していた。

残暑の続く昼下がり、私は隣りのU町まで散髪に出掛けた。山間とはいえ陽射しは容赦なかったが、道中で聴いていたトレイシーの84年作『Far From The Hurting Kind』(Respond/Cherry Red)のライトなUKソウル・ポップが清涼剤となった。なお、彼女は若きポール・ウェラーが主宰していたレスポンドの歌姫である。

町に一軒だけといううらぶれた床屋に入ると、陰湿な音楽が耳に飛び込んできた。ブレインチケットの72年作『Psychonaut』(Bellaphon/Lilith)じゃないか。ジャケ通りのドラッギーでグルーミーな欧州アングラ・サイケの怪盤だが、ついに再発されたのか……。そこに、どこか憂鬱で不機嫌そうな顔をした店主が奥から現れた。「風邪を引いちまったんですが、どうぞ」。私は急に気を削がれたので、髭だけを剃ってもらうことにした。

BGMはダブル・キーボードで正統派UKプログレを奏でるグリーンスレイドの74年作『Spyglass Guest』(Warner UK/アルカンジェロ)に変わった。メロディーはポップなのにアレンジが超絶的なため、スリリングな音世界を形成している。店主は剃刀を研ぎはじめたが、よほど調子が悪いのか手が震えている。店の外ではグリーンスレイド以上の音量で油蝉の狂ったような鳴き声が響いている。しばらくして「暑いな」と呻きながら鏡の前に立った店主の表情は、ひどく苛立っていた。

いつの間にかBGMは、強烈なヘヴィーネスがとぐろを巻くUKサイケの異端児、ハイ・タイドの69年作『Sea Shanties』(Liberty/Cherry Red)になっていた。ボートラ追加のうえリマスタリングも施されてのCD化と聞いていたが……その瞬間、冷たい剃刀が喉に当たった。神経質なファズ・ギターとヴァイオリンが凄絶にせめぎ合い、店主の「暑い、暑い」という呟きを掻き消す。遠くからヒステリックな赤ん坊の泣き声が聞こえ、店主の顔は脂汗でいっぱいになっている。

喉から頬、額と冷たい感触が這っていくうちに、音楽はチャールズ・ヘイワードも参加している幻のカンタベリー・バンド、ラダー・フェイヴァリッツの発掘音源集『Radar Favourites』(Reel)に変化していた。フリージャズにも似た前衛的なプログレ・サウンドが異様な緊張感を醸し出している。ふと曲が途切れた刹那、剃刀がなぜかふたたび喉元に当てられた。店主は無言である。私は自分の全身が冷や汗でびっしょりと濡れていることに気付いた。