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第23回 ─ 最終回!! 日本語ラップのパイオニアに学ぶ~いとうせいこう & TINNIE PUNX『建設的』

第23回 ─ 最終回!! 日本語ラップのパイオニアに学ぶ~いとうせいこう & TINNIE PUNX『建設的』(2)

連載
サ イ プ レ ス 上 野 の LEGEND オブ 日 本 語 ラップ 伝 説
公開
2009/12/02   18:00
テキスト
文/東京ブロンクス

ブロンクス「今日は88年に出版された〈ULTIMATE DJ HAND BOOK〉を持ってきたんですけど、この時点でジャンルを超えてDJという職業と各々のカルチャーを説明していますよね」

いとう「そういう人たちとの付き合いをネットワークするのが上手かったってことじゃない? 俺もヤンさんもヒロシも、ほとんどクラブに行かないからね。家でレコードを聴いているのが大好きだもん。そういう人たちが実はカルチャーの中心にいたんだよね。意外にそんなもんだと思うよ。クラブにいるとマナーができてきて、それがあたりまえになっちゃう。〈マナーなんてどうでもいいじゃん、もともとヒップホップだろお前ら〉って、俺はいつも思ってたよ。だからヒップホップから離れたということでもあるし」

上野「体育会系みたいなノリが嫌だったということですか?」

いとう「ていうか、〈なんで(クラブに)来なかったの?〉みたいな雰囲気がね。幼稚園児の出席簿じゃないんだから、毎日出るわけじゃねーし。俺の好きな人も全然行かねーじゃんって」

ブロンクス「スチャダラパーがデビューした時っていうのは、どんな感じで見ていたんですか?」

いとう「俺のマネージャーだった吉岡たかしってのがいて、汗かいて一生懸命全国回ってこの本(〈ULTIMATE DJ HANDBOOK〉)作ったんだけど、たかしが主催しているDJコンテストみたいなのがあって、それに完ちゃんとか俺が審査員で出てたんだ。その時に彗星のごとく〈太陽にほえろ!〉のテーマで〈ウイーッス〉って出てきたのがスチャダラだった。一発で〈なんておもしろい奴らだ〉って思ったね。日本語の可能性もヒップホップの可能性も広がったなと」

ブロンクス「その頃いとうさんは、裏声でラヴァーズ・ロックも歌ってましたよね」

いとう「ヤンさんとDUB MASTER Xと俺でイヴェントに出ると、必ずダブの曲を1曲はやってた」

ブロンクス「ダンスホール・レゲエじゃなくて、ラヴァーズ・ロックだった理由は?」

いとう「ダンスホールをやっても、ラップと変わらないと思われちゃう時代でしょ。LKJ(リントン・クウェシ・ジョンソン)が素晴らしかった頃で。イエローマンはいたかもしれないけど、いまみたいなダンスホールではないし。でも俺は、ライヴの時はダンスホール的な乗せ方をしてた。レコードを出す時にも、ヒップホップが片面に入っていると、裏にはラヴァーズを入れてた。もともと、“東京ブロンクス”で〈俺はラッパー、ジャパラパマウス〉って言ってるわけだけど、あれはダンスホール的な名前だからね、俺にとって」

ブロンクス「シャバ・ランクスとイーク・ア・マウスみたいな」

いとう「そうね。ヒップホップで〈なんとかマウス〉っていう人いないもん。俺はレゲエが好きだったということが、そこからもわかるわけよね。あの曲は東京がなくなっちゃうっていう架空の物語なんだよ。その時の音楽体験としては、レゲエとダブが強烈にあって、それでファンクがあって、その上にヒップホップが乗っかってるんだよね。ヒップホップだけを聴いてきた耳じゃないからさ。だから自分がヒップホップ・オンリーの世界に完全に寝返ることはできないよね」

ブロンクス「いま、LAとNYがヒップホップの勢力では大きいと思うんですけど、昔はロンドンも大きかったですよね」

いとう「ロンドンの連中はロンドンの連中で、激しくダブの文化があったと思うよ。ワイルド・バンチ~マッシヴ・アタックの世界がブリストルにはあった。後にトリップ・ホップって言われるけど、彼らにとってはそんなことはどうでもよくて。基本的にダブ上がりの連中だっていう自覚があったはず。だから〈ロンドンやNYはそう来るか、じゃあ東京はこれだ〉みたいなさ。そういう気持ちがあったもん」

ブロンクス「YOU(THE ROCK★)さんが、いとうさんたちの世代がどんどんラップをしなくなった時期に〈夢中にさせておいて、この気持ちをどうしてくれるんだ〉って言ってたんです。そういう声は当時はなかったんですか?」

いとう「それは〈YOU自身がやってくしかないんじゃないか〉と思ってたし、のちのちBボーイ風の人がたくさん出て来たことに対して、〈俺が好きなヒップホップじゃなくなってんじゃん〉って思ってた。黒人のふりをしている日本人が増えてきたでしょ。俺のヒップホップってそういうのじゃないから。ヒップホップのアイデアを使ってこういう編集をしようとか、ヒップホップとインターネットがいっしょになったらこういう機会があるんじゃないかって一人でやってたし。型通りのものだったら、本気で型をやってる古典芸能のほうがおもしろいじゃんと思って、古典芸能を習ってもう十何年経つし。ただ、最近また俺が好きなヒップホップにもエリアができてきたんだよね。あんまりにもみんなが同じ方向に偏っちゃったんで、そこからはぐれた連中が、スペースを作っていったわけだ。それこそサイプレス(上野)とかが。92年くらいはその余地さえなかった。でも俺にとって格好いいヒップホップってこういうもんだから。俺は格好いいことしかできないよ、もう」

ブロンクス「確かにいまって飽和状態で、時代が上ちょ(サイプレス上野)やS.L.A.C.K.とか鎮座DOPENESSみたいなオルタナティヴな存在を必要としてるような雰囲気がありますね。そうそう、上ちょが初めて聴いたいとうさんの音源はなんだったの?」

上野「『MESS/AGE』ですね。街のCD屋にあって。それまで雑誌で見てたから知ってて。そこから『建設的』のCDを見つけて即買って、みたいな」

ブロンクス「『MESS/AGE』は、韻辞典が付いてるのにビビったよね。ヒップホップに熱中しているいまの若い子たちを見て、いとうさんがやろうとしていることってなんですか?」

いとう「僕はポエトリー・リーディングってわかりやすく言ってるけど、ほんとは演説してるつもりなわけ。演説って、明治維新からこっち、いろんな人たちがやってるわけで。〈婦人に参政権を与えろ〉とかさ、〈全国民が等しく参政権を持つべきだ〉とか。アフロ・アメリカンがやってきたことを日本でもやっているんだよ、明治/大正期に。全共闘時代にはたくさんの学生が演説し、三島由紀夫は右翼の立場から演説し、国会でいろんな人がいろんな演説をし……って、そのしっぽに80年代ヒップホップが乗っかっていただけだって認識が俺にはあるから。ヒップホップだけ聴いている人には、まったく負ける気がしない。聴こえるものが違うんだと思う。僕には意味が聴こえるから。意味のないラップに俺は興味を持てないし、心が動かない。政治的なポエトリー・リーディングとか歌とか、“ヒップホップの初期衝動”とか。どうやって聴いた人に意味を届けるのか、聴いた人の脳のなかに俺が伝えたい色とか形とかがどうやったら届くだろうかって。もちろん全部はできてないですよ。ただ、そういう気持ちでやっているからさ。〈あれ、こっちにもなんかヒップホップっぽいものがある〉とか、その〈気付き〉がヒップホップなんでしょ。宇多丸にも言ったことだけど、発明がヒップホップじゃん。だから、インクスティックで指を鳴らすだけでリハになることに感動したんだよ」