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第21回 ─ 活躍に悔しさを覚えたクルー ~NITRO MICROPHONE UNDERGROUND 『NITRO MICROPHONE UNDERGROUND』

連載
サ イ プ レ ス 上 野 の LEGEND オブ 日 本 語 ラップ 伝 説
公開
2009/10/09   18:00
更新
2009/10/14   18:28
テキスト
文/東京ブロンクス

 希代のエンターテイナーにして、ヒップホップの未来を担うラッパー、サイプレス上野の月刊連載! 日本語ラップへの深~い愛情を持つサイプレス上野と、この分野のオーソリティーとして知られるライター・東京ブロンクスの二人が、日本語ラップについてディープかつユルめのトークを繰り広げます。今回はゲストにTARO SOULを迎え、NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDのアルバム『NITRO MICROPHONE UNDERGROUND』について語ります。

●今月の名盤:NITRO MICROPHONE UNDERGROUND 『NITRO MICROPHONE UNDERGROUND』 Def Jam Japan(2000)


MUROに師事するラッパーを中心に結成された、8MCのクルーによるファースト・フル・アルバム。個性豊かな各MCの客演などから、作品発表以前より大きな話題を集めていた。2000年10月のインディーズ盤が、2万枚を即完売。後にDef Jam Japanよりメジャー盤が再リリースされた。(bounce.com編集部)

ブロンクス「とりあえず今回は俺も上ちょ(サイプレス上野)もニトロの聴き方が偏ってるんじゃないかってことで、助太刀にTARO SOULに来てもらいました! TAROの初ニトロはなんだったの?」

TARO「名義はまだ違ったけどSHAKKAZOMBIEの『HERO THE S.Z.』に入ってるシークレット・トラック“共に行こう(Version Pure) ”ですね。USのヒップホップは96年くらいから聴いてたけど、ちゃんと日本語ラップを聴きはじめたのが97年くらいだから。〈さんピン(CAMP)〉とかは後追いなんですよ」

上野「あれシークレット・トラックだったんだ。俺は12インチで聴いてた!」

TARO「CDを流し聴きしていると急に曲がはじまって。しかも誰が参加しているかも書いてなかった」

ブロンクス「あれに参加しているのは、DABO、MACKA-CHIN、GORE-TEX、SUIKENの4人だっけ? 97年だよね」

TARO「そのあと、渋谷とかにも遊びに行くようになって、DJ HAZIMEさんの〈MIX TAPE〉にその曲が入ってて〈あれ、これ聴いたことあるな〉って」

上野「あのテープ良かったよね」

ブロンクス「それはどこで買ってたの?」

TARO「どこだっけな。 GROPE IN THE DARK*1とかだっけな」
*1 渋谷神宮前のストリート系セレクト・ショップ。

ブロンクス「ニトロの人たちって、渋谷のいろんなところに散らばってたよね」

TARO「あと原宿のFAT BEATSでMACKA-CHINさんが働いてて。後のHOME BASE RECORDSっすね」

ブロンクス「最初のシングル“REQUIEM”とか出た時にはもう有名だったんでしょ?」

TARO「そうですね。たぶん、ソロ・デビューはGORE-TEXさんが早かったんじゃないですか。MURO feat. GORE-TEXの“三者凡退”とかもあったし。Guntezから出た“WATER PROOF”の12インチが97年ですよね。あとSUIKENさんは……」

ブロンクス「DEV LARGE feat. SUIKENの“カモ狩り”とか」

TARO「それもあったし。BUDDHA BRAND“天運我に有り(撃つ用意)”のカップリング“REMIX(KRUSH GROOVE 4)”にSUIKENさんが参加してたりして」

ブロンクス「短いけどキレてて超格好良いよね。EL DORADO(RECORDS)からソロ12インチが出るちょっと前だね」

上野「XBSさんはHELMETって名前でもやってた。BF-Xのテープで、HELMET改めXBSって。その時はどう改めたのか全然わからなかった(笑)」

ブロンクス「ニトロ周辺の人たちは、クールな感じが渋谷っぽかったよね」

TARO「SAVAGE*2とか行ったりしてたんですけど、知り合いじゃないとまずガン付けられるみたいな(笑)」
*2 MUROによるセレクト・ショップ。

上野「接客業としておかしい(笑)」

ブロンクス「それでも当時のオープンマイクとかで断然目立ってたし、ちくしょー!って感じだったよね」

上野「〈Fine〉のスナップに写ってたK-BOMBさんとかの写真が恐いんですよね。SUIKENさんはインド人みたいで真っ黒に日焼けしてて、パッと見日本人が誰もいない(笑)」

ブロンクス「出た! CHANNEL5*3時代の(笑)。HILL THE IQのティンバーが超汚れてるっていう(笑)。CHANNEL5のテープって持ってた?」
*3 DABO、SUIKEN、DJ HAZIMEらによる、NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDの前身ユニット。

上野「俺は、CRIP13*4で買いました。白いテープでしたよね」
*4 渋谷にあったセレクト・ショップ。

ブロンクス「格好良いけど相当ゆるい内容だったよね」

上野「ゆるいけどヤバい内容でしたね。あれ、バーコードのところに電話番号が書いてあったんですよ。ピッチ(PHS)かなんかの。怖くてとてもかけれねぇと思って(笑)」

ブロンクス「俺が初めて買ったニトロは、短冊形のでっかい箱のやつ(ミニ・アルバム『NITRO WORKS』)だったな。“BAMBU”が入ってる。あの前にもいろいろ出てるんだっけ?」

TARO「ニトロっていう形でリリースしたのは、“REQUIEM”が最初じゃないですか。ラジオ番組〈HIP HOP JOURNEY DA CYPHER〉にMACKA-CHINさんが出た時に初めて“REQUIEM”がかかったんです。その時やってたプロモの12インチ5名様プレゼントにファックスを送ったら当たったんですよ」

ブロンクス「ヤバいね。それ、プロデュースはDJ WATARAIだっけ?」

TARO「そうです。ワタさんです」

ブロンクス「全然年上だけどワタさんは俺の中学校の先輩なんだよ。こう振り返ってみるとニトロって昔から特殊パッケージとか限定生産が多いよね。早く買わないとなくなるんじゃねーかって思わせるのが上手い」

TARO「箱のやつ(『NITRO WORKS』)藤沢の〈タハラ〉には結構ありましたよ(笑)」

上野「あそこは頭のおかしい原さんっていうバイヤーがいたからね(笑)」

ブロンクス「REALITYから出たファースト・アルバムも特殊パッケージで。あれ、ブックレットにコラージュがたくさん入ってるのに歌詞がないんだよね……っていうか上ちょさっきから静かじゃない?」

上野「いや、当時って流れがニトロに傾いている空気があったじゃないですか。次の世代が来てるなっていう空気を感じて、自分たちがなんもやってねえなって思って」

ブロンクス「ニトロの人気には何か悔しさがつきまとったよね」

上野「そうそう! 大学入って、後輩が(渋谷CLUB)QUATTROでやったニトロのワンマンのTシャツを着てて、地元のやつらもみんなCD買ってて」