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第16回 ─ いまは亡きヒップホップ専門誌の思い出

連載
サ イ プ レ ス 上 野 の LEGEND オブ 日 本 語 ラップ 伝 説
公開
2009/05/07   16:00
更新
2009/05/07   18:29
テキスト
文/東京ブロンクス

 希代のエンターテイナーにして、ヒップホップの未来を担うラッパー、サイプレス上野の月刊連載! 日本語ラップへの深~い愛情を持つサイプレス上野と、この分野のオーソリティーとして知られるライター・東京ブロンクスの二人が、日本語ラップについてディープかつユルめのトークを繰り広げます。今回取り上げるのは、いまは亡きヒップホップ/R&B専門誌「FRONT」と「BLAST」。ゲストとして元「BLAST」編集長の伊藤雄介氏をお迎えしました!

ブロンクス 今日は、いまは亡きヒップホップ/R&B専門誌「FRONT」~「BLAST」の思い出を語ろうかと。というわけでゲストとして、元「BLAST」編集長の伊藤雄介君に来てもらいました。

伊藤 なんでいまさら「BLAST」の話なの?

上野 ネタが切れてきたからですね。

伊藤 失礼でしょ! 

ブロンクス まあまあ、事実だから(笑)。でも伊藤君が関係者として登場するのは「BLAST」後期で、最初は読者でしょ?

伊藤 そうそう。最初の10年くらい……少なくとも「FRONT」の頃は、二人と同じ立場だよ。俺が最初に買った「FRONT」は4号で、創刊号が出た頃はアメリカに住んでいた。94年の12月に日本に帰って来たんだけど、それは高校入試のためで。だから、春になって試験も終わって「さあ、そろそろ遊ぶか」と本屋さんに行ったら「FRONT」があったんだよね。

ブロンクス アメリカで日本の雑誌は読んでなかったの?

伊藤 売ってはいたけど、そういうとこまではチェックしてなかった。あと、ヒップホップは好きだったけど、「SOURCE」みたいな向こうのヒップホップ専門誌をチェックするほどのヘッズではなかったんだよね。

上野 俺が初めて買ったのは2号目ですね。

ブロンクス そういや俺も2号だったな。でも、2号が出た時点でタワレコに行ったら、まだ1号も売ってたんだよね。

伊藤 それは、「FRONT」がそもそも雑誌ではなくて、当初はムックだったからだよ。ムックは3か月とか半年とか店頭に残るからね。月刊化して雑誌になったのは、結構後の話。

ブロンクス なるほどね。士郎さん(宇多丸)とか有能なライターをヘッド・ハンティングして。

伊藤 そうそう。そもそも「FRONT」って名前を付けたのは士郎さんなんだよね。もともと士郎さんは「FRONT」と同じシンコー・ミュージック(現シンコー・ミュージック・エンタテイメント)が出してた雑誌「CROSSBEAT」でライターをしてて、当時の編集長に最初〈ILL(イル)〉ってタイトルを推したらしいんだけど、却下されて、ヤケクソで挙げた「FRONT」って名前が採用されたっていう。でも〈FRONT〉って、ヒップホップ的には〈虚勢を張る〉って意味のスラングだからさ、どうなのってところもあったみたいで。

ブロンクス 確かにそういう指摘は沼田(充司)*1さんもしてたよね。
*1 ニューヨーク在住のDJ/ビート・メイカー。ヒップホップ・ライターとしても活躍。

伊藤 沼田さんは、初めから「国内初のヒップホップ専門誌なのに第1号の表紙がビースティ・ボーイズってどうなんだ」って言ってたからね。

上野 それは確かに正論かも(笑)。

伊藤 もちろん、ビースティ自体が悪いってわけじゃないんだけど、なかを見るとあきらかに「CROSSBEAT」の流れのロック寄りな内容だったし。

上野 でも、内容は濃いっすよね。Pファンクとかまで載ってるし、勉強になった。

ブロンクス 初期の「FRONT」はいろんなことが詰め込まれてるから、おかげでヒップホップIQが高まったっていうか、向こうの人が何年もかかって知るようなことを飛び級で学べたよね。

伊藤 だから結果的に、このごちゃ混ぜスタイルは良かったんだけど、最初はヒップホップ専門誌というよりは、やっぱりロック雑誌が出してた別冊ってノリだった。

上野 ブロンクス君は、いつから「BLAST」に関わってるんすか?

伊藤 このなかじゃブロンクスが「BLAST」との付き合いが一番古いはずなんだよ。だって俺より前だもん。

ブロンクス そうかも。初めてグラフィティーの記事を書いたのが20歳だったから2000年の春か夏くらいか。

伊藤 オレが「BLAST」でライターを始めたのは2001年からで、編集部に入ったのが、2002年の5月号だったかな。高橋芳朗さんが辞めて、入れ替わりに近い形で。当時はまだ大学生だったんだけど、手伝いとして最初は入ったんだよね。だから高橋さんの机を引き継いで使ってたんだけど、あの人の机には色々な遺産が残ってて。引き出しを開けたら、ブロンクスが昔編集部に出した手紙が残ってて。細かい内容は忘れちゃったけど、国内のグラフィティーも扱えって言うクレームなんだよ。アツーい手紙がしたためてあってね。

ブロンクス あったあったあった(爆笑)。オレも昔はね……イケイケだったよ(遠い目)。

上野 ヤバい!

伊藤 すんげぇトンガってたのよ。その手紙を見た高橋さんが一回会ってみようってことになって。

ブロンクス 俺は「BURST」とか「QUICK JAPAN」みたいなサブカル誌で先にライター・デビューしてたからさ、「なんで他の雑誌がグラフィティーを取り上げてくれんのに、〈BLAST〉がやらないの?」っていう義憤で。その頃は文化を搾取してるだろってとこは片っ端からディスりまくってたから。

上野 くああ、ヤッベえ!!

伊藤 そうだったね。でも手紙に関して言うなら、上野だって出してたんでしょ?

上野 そうっすね。〈B-BOYイズム〉を連載していた士郎さんへ宛てて。「FRONT」編集部に送ってましたね。

伊藤 その上野が送ってた手紙ってどんなのだったの?

上野 俺なりの〈B-BOYイズム〉みたいな感じで。マンガだったりとか。「B-BOYイズムを感じるマンガを見つけました。士郎さんにとってはどうですか?」。

一同 (笑)。

上野 「……それでは、ウチの兄貴との対談をお送りします」。

一同 (爆笑)。

上野 「士郎さんのヤクザ映画評に対する兄貴のコメントも書いておきます」みたいな感じで。

伊藤 ……もう信者だよね(笑)。

ブロンクス オレも信者だったから何も言えないけどね。

伊藤 だから、初期「FRONT」の一番の功績ってことに関して言えばさ、〈B-BOYイズム〉じゃない?

上野 そうっすねえ。

伊藤 俺が「BLAST」編集部に入って、「日本でヒップホップを論じる場合、どういう視点が必要なんだろう」って考えたときに、価値観を一番植えつけられたのが〈B-BOYイズム〉だったのは間違いない。

ブロンクス 〈日本独自〉ってところと、シーンのみんなが切磋琢磨して競い合ってるなかで、士郎さんの「みんなで音源も知識もちゃんと体系づけて共有して、この文化を一歩前に進めようよ」っていう、あの100パーセント献身的な姿勢。シーンに対するあの気前の良さには惹かれたよね。