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第10回 ─ 渋谷=ヒップホップの街に! ~MICROPHONE PAGER『DON'T TURN OFF YOUR LIGHT』

第10回 ─ 渋谷=ヒップホップの街に! ~MICROPHONE PAGER『DON'T TURN OFF YOUR LIGHT』(2)

連載
サ イ プ レ ス 上 野 の LEGEND オブ 日 本 語 ラップ 伝 説
公開
2008/09/04   14:00
更新
2009/10/06   15:15
テキスト
文/東京ブロンクス

ブロンクス この後の“バスドラ発スネア行”辺りから、MUROさんは完全にディグとファッションのアイコンになっていったよね。

上野 そうっすね。MUROさんのミックス・テープの〈Diggin' Ice〉とか〈Diggin' Heat〉とか、マジでめちゃくちゃ流行りましたよね。

ブロンクス でも、俺は正直、その辺には複雑な気持ちがあってさ。〈Diggin' Ice〉とかを聴いて、ソウルとかファンクのネタ探しだけに走って、ヒップホップから離れていくやつをたくさん見ていたから。当時は、ネタ掘りにはまっちゃって大人の音楽を聴いたらキッズに戻れないって本気で思ってたんだよね(笑)。

上野 (笑)。

ブロンクス でも俺たちがいま、王道のネタに反応できるのは、MUROさんの影響が一番でかいよね。実際、当時の海外のDJよりもミックス・テープのクオリティーが全然高かったし。

上野 ほんとにみんな買ってたもんなあ。当時は日本語ラップを追ってたから、入ってる曲がどんな曲かは全然わかってないんすよ。でも〈Diggin' Ice〉なんかは、夏になったらいまだに聴くものになってますもんね。

ブロンクス BUDDHA BRANDの回の続きになるけど、ディグの精神はDEV LARGE & MUROの2大巨頭によってもたらされたよね。あ、SHIRO君(宇多丸)を忘れるとこだった(笑)。上ちょはライヴを観たことある?

上野 観てないっすねえ。『DON'T TURN OFF YOUR LIGHT』が出たときはもう解散状態でしたし。MUROさんのお店の〈Still Diggin'〉にはひたすら通ってましたけど。

ブロンクス 〈Still Diggin'〉は新しかったよね。あそこで売ってた高速回転でダビングしたテープの音の悪さったらなかったけど(笑)。

上野 むしろ、音の悪いのがかっこいい、くらいに思ってた(笑)。そこにヒップホップっぽい空気を感じ取ってたというか。

ブロンクス 〈ラフ&ラグド〉っていう価値観だよね。90年代のヒップホップ特有の、埃っぽい音がかっこいいという。いまや時代は〈SO FRESH SO CLEAN〉だもんね(笑)。

上野 確かにがらりと変わっちゃいましたもんね。どこでそうなったんだろう。

ブロンクス 境目としては、ノトーリアスB.I.G.とメイスの“Mo Money Mo Problems”(97年)だと思ってるけどね。そういえばその頃、MICROPHONE PAGERで、ショウ(ショウ& AG)がプロデュースしたシングルを出してたよね。

上野 “鬼哭啾啾”すね。……どういう意味なんだろう(笑)。

ブロンクス 4文字熟語。この辺の言葉遣いはRINOくんの影響もあるのかな。RINOくんもこのアルバムのフィーチャリングで初めて知ったよね。

上野 “七転八倒 feat. Lamp Eye”ですね。ここでのRINOさんはキレッキレでしたよねえ。とにかく、この人達は一体何なんだって思ってた。

ブロンクス 店にしょっちゅう行ってれば会えるんだけど、ほとんど謎のグループだったよね。TWIGYさんは仙人みたいに思われてたし。

上野 MUROさんの“三者凡退”のシングルが欲しくて、〈Still Diggin'〉にずっと通ってましたからね。GORE-TEXさんが店員で。〈少年〉とか呼ばれて仲良くしてくれた。中学生の頃とか、朝から行って開店待ちしてましたもん。いま、自分がお店で働く立場になってみると、そんなの超うざいと思うんですけど(笑)。懐かしいなあ。

ブロンクス MUROさんは〈SAVAGE〉と〈Still Diggin'〉っていうふたつのお店を同時進行させてた。残念ながら、渋谷の土地開発でどっちもなくなっちゃったけど。〈Still Diggin'〉の方が、まさしくラフ&ラグドな感じだったよね。

上野 〈SAVAGE〉は次のステージというか、もうちょっと洗練されていて。

ブロンクス 俺は〈Still Diggin'〉はよく行ってたから思い入れがあるなあ。〈さんピン〉の日、イヴェントの前の時間に〈Still Diggin'〉に行ったら確か、VIBLAMさんがいて。「〈さんピン〉行かないんすか?」って訊いたら「店番だよ!」って怒られた(笑)。

上野 (笑)。

ブロンクス あの頃のMUROさん周辺の人たちって、良くも悪くも渋谷っぽかったよね。接客態度もB-BOYというか。〈DJ's Choise〉ってお店にいくとMAKI(THE MAGIC)さんとTAIKIさんが、普通に店の中で将棋をしてたりとか。

上野 そうですねえ~。で、むしろ俺らの方がジャマというか、「なんで入ってきたの?」って感じで見られて(笑)。

ブロンクス でも、渋谷の人たちに「金を稼がないと話になんないよ」って教えたのは、たぶんMUROさんだよね。渋谷のヒップホップ・カルチャーの相当な部分をMUROさんが引っ張っていたのは間違いない。

上野 そういう当時の渋谷のお店はどこも怖かったなあ。ほんと態度が悪かった(笑)。でも、そこでお香を学んだり。

ブロンクス お香と香水ってのは当時のヒップホップから学んだよね。

上野 香水文化はありましたねえ(笑)。あれはなんだったんだろう。学ランで香水ガンガン付けて。お互いにブシュブシュかけ合ってたもんなあ。ヒップホップ系の店では香水の偽物まであった。敢えて偽物を買ったり。