キリンジと振り返ろう! キリンジとキリンジの課外活動(の一部)を辿る歴史年表! その1
1998
〈ワーナー暫定名盤セレクション〉と銘打たれたメジャー・デビュー・アルバム『ペーパードライヴァーズミュージック』(ワーナー)を発表したのは98年10月。
高樹「レコーディングっていうものをよくわかってなかった頃なので、プロのシステムに翻弄されていたところもあります」
1999
セカンド・アルバム『47' 45"』(ワーナー)リリース。
泰行「地味なんだけどかなりおもしろいことをやっていて、スティーリー・ダンっぽいコード使いの曲とかを書きはじめた頃ですね」
高樹「バンド・サウンドというより、アコースティックな印象がある作品だね」
この年にリリースされたインディー時代の楽曲の編集盤は『2 IN 1~10TH ANNIVERSARY EDITION』 (おもちゃ工房)として新作『7-seven-』と同日にリイシュー。
2000
サード・アルバム『3』(ワーナー)からは、シングル“エイリアンズ”がスマッシュ・ヒット。
泰行「“エイリアンズ”がもっと異常に売れていたら、こればっかやらされてたでしょうね。そういう縛りがなかったから、これまで自由にできたのかもしれないですね」
高樹「ヴォリュームのある曲や重い曲が多いから、ライヴで演るごとに凄く消耗してました。演っててすり減っていく感じって初めて(苦笑)」
2001
スマッシュ・ヒットのあとは、ことのほか難産になったと語る4作目『Fine』(ワーナー)。
高樹「“エイリアンズ”みたいな曲で毎回泣かせなきゃいけないのかと気になり出しちゃった時期で」
泰行「ミドルテンポの曲が多い気がするんだけど、いま聴いてみると、そんなに悪くないアルバム。クォリティーは高いね」
初のリミックス盤『RMX』(ワーナー)も話題になりました。
2002
セルフを含むカヴァー曲中心に構成された異色作『OMNIBUS』、リミックス盤第2弾『RMX II』(共にワーナー)をリリースしたほか、はっぴいえんど、ユーミン、ピチカート・ファイヴなどのトリビュート盤にも積極的に参加。
泰行「思い切って新しい方向に行きたいよなあっていう気持ちが強かった時期」
また、高樹が曲提供した藤井隆“代官山エレジー”ではこんなエピソードも。
泰行「初めて詞が先にある曲の依頼が来て、それまで自分たちでもやったことなかったからどうしようかって話してたら、〈これからこういう仕事をするんだったら詞先もやっておいたほうがいいよ〉と松本隆さんがおっしゃってたそうで」