希代のエンターテイナーにして、ヒップホップの未来を担うラッパー、サイプレス上野の月刊連載! 日本語ラップへの深~い愛情を持つサイプレス上野と、この分野のオーソリティーとして知られるライター・東京ブロンクスの二人が、日本語ラップ名盤を肴にディープかつユルめのトークを繰り広げます。今回取り上げる作品は、〈真っ赤な目をしたフクロウ〉ことYOU THE ROCK★のアルバム『THE SOUNDTRACK '96』。

●今月の名盤:YOU THE ROCK★『THE SOUNDTRACK '96』
いまやお茶の間レベルの知名度を誇るエンターテイナー、YOU THE ROCK★が96年にリリースしたメジャー第一作目。DEV LARGE、MUMMY-D、TWIGYほか14人のラッパーが怒涛のマイク・リレーを繰り広げる“BLACK MONDAY '96”ほか、全16曲を収録。(bounce.com編集部)
ブロンクス ではYOU THE ROCK★『THE SOUNDTRACK '96』ということで。
上野 ユウちゃん・ダ・兄貴*1時代っすね。
*1 当時のYOU THE ROCK★の愛称。
ブロンクス 最初に言っておきたいのは、『THE SOUNDTRACK '96』はユウさんにとって3枚目のアルバムということ。
上野 そうなんすよね。みんなこれが1枚目だと思ってる。

YOU THE ROCK & DJ BENによる93年作『TIGHT BUT FAT』
ブロンクス ちなみに俺は『TIGHT BUT FAT』が一番好き。日本語ラップ冬の時代を生き抜いてきてる人だからこそ説得力があるんだよね。
上野 あと『THE SOUNDTRACK '96』のブックレットにユウさんが書いてるタグは超真似した。当時の基準って言うか。みんなこれと同じになりましたよね。
ブロンクス そうそう(笑)。あと「東京ストリートニュース」誌に載ってたKAZZROCK*2のタグ講座。
*2 日本を代表するグラフィティ・ライター。
上野 これ見てタグなんて知らなかったヤツらが、学校とかで超練習し始めた。それにしてもこのアートワークは改めてみるとすごいな。会社が入れる文字以外は全部タギング(笑)。
ブロンクス ほんとすばらしいね。で、この次の『THE★GRAFFITI ROCK '98』になると、いま現役で活躍しているグラフィティ・ライターが沢山参加してるんだよね。ユウさんと初めて会ったのはいつ頃なの?
上野 初めて会ったのは高1か高2くらいのときかな。〈会った〉っていうか〈話しかけた〉っていうか(笑)。ブッダ(・ブランド)が帰国して、DEV LARGEプレゼンツみたいな形でベルファーレで何発かイベントがあって。それに行ったときに「ユウさんだあ!」みたいな感じで。
ブロンクス でもユウさんってハンパな気持ちで話しかけると、結構返り討ちにあうことが多くなかった?
上野 そうそう。「お前はどうなんだよ?」みたいに返されて。途中から先生と生徒みたいになっちゃって。
ブロンクス オレも昔はだいぶ怒られたもんなあ。当時のユウさんに怒られてない奴は本物のヘッズとは言えないぜ(笑)。
上野 このアルバムは96年当時の象徴ですよね。みんながポンポン作品を出していったなかで、真打ち登場みたいな。全員がサポートして。
ブロンクス このころユウさんは率先してシーンを引っ張ってたもんね。
上野 「日本語ラップ代表ッ!」って言ってましたからね。それがガツンと来て。
ブロンクス あと、俺らにとってはやっぱりラジオ番組の「ユウ・ザ・ロックのヒップホップ・ナイト・フライト」がほんとにデカかった。1回目から聴いてた?
上野 聴いてました。
ブロンクス さすが~。俺、1回目は「いつやるんだろう、いつやるんだろう」と思ってたら、いつの間にか終わってたんだよね(笑)。
上野 けど、俺も初回は1時間逃しましたよ。寝ちゃって起きたらちょうど(キング・)ギドラがライヴ始めた時で。朝までずーっと後悔してた。
ブロンクス あの番組の放送情報ってホントに限られたところにしか載ってなかったよね。確か「bmr」誌か「REMIX」誌のニュース欄とか。
上野 完全に不定期の番組だったしね。新聞をちゃんと見てないと駄目。ラジオ欄にいきなり〈ナイト・フライト〉とかだけ書いてあって。
ブロンクス それも、一度全部の放送が終わったあとの時間に(笑)。
上野 朝5時までやってたからね。この後、学校じゃねーかよって(笑)。で、その場で録ったテープを学校に行くまでに聴き直す。「ナイト・フライト」で「電話でフリースタイルしてこいやーっ」みたいなコーナーがあったじゃないですか。ウチの電話は子機がなかったんだけど、コードは長かったんですよ。で、風呂場に電話持っていって(笑)。
ブロンクス うわあ~。
上野 「yeah~YOU THE ROCK★さん、カマすぜ」とか、夜中に風呂場で1人でずーっとブツブツブツブツやって。当然、採用されなかったけど(笑)。
ブロンクス 俺も「フリースタイルさせてください」って暑苦しいメッセージ書いて、近所のコンビニからファックスしたよ(笑)。で、ダッシュで帰ってもう一回ラジオつけて。
上野 けど、そこまでさせるだけの力があった。
ブロンクス 私利私欲とかじゃない、一番美しい時代だよね。そこをラジオで切り取ってくれた。その後、みんなディールとかを取り出してから派閥が分かれて行ったけど。
上野 収録スタジオにラッパーがみんな集合してた。普通にGAKU(MC)さんとかもいましたもん。「GAKU君も来てるぜ!」って。そのとき、みんな繋がってるんだと思った。ディスったりもしてたけど、すげぇな、この絆は……っていう。
ブロンクス で、フリースタイルでそのまま終わってく。当時はあの真夜中の時間に何かが起こってたよ。で、月曜日はマジやる気ない。5時までラジオやってたのに、それで8時過ぎに学校行くんだからたいしたもんだよ。
上野 朝日が昇るくらいまで聴いて。ちょっと寝て。
ブロンクス それですぐ寝れたらいいんだけど、最後がフリースタイルだから興奮してソワソワしちゃってね。ちょっと歌詞書いてみたり。
上野 レコード聴いたり。
ブロンクス 気絶してすぐ起きるみたいな。
上野 親にビンタされて「早く行け!」とか言われて。
ブロンクス あの経験はしとくべきだよね。映画「JUICE」のオープニングみたいな。
上野 そうっすね。そこまでさせる何かが……。だからこそ、ユウちゃん・ダ・兄貴だったんだよね。この人ならなんとかしてくれんじゃないかなあ、みたいな感じで。