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第5回 ─ ビート・サレンダー

連載
JAMES BROWN IS NOT DEAD
公開
2007/08/16   17:00
ソース
『bounce』 289号(2007/7/25)
テキスト
文/出嶌 孝次、石田 靖博、池田 貴洋

モッズを魅了したJBグルーヴは、ついにUKの伝統芸になった!?

 2か月ぶりのご無沙汰だけど、それぞれが相変わらずいろんな場所でJBに出くわしてると思う。まあ、こんな季節だからこそ汗をかきながら脂ぎったJBをガブガブ喰らって、夏バテを防止したいもんだな。そのように、ホットなダンスによる新陳代謝にJBがお役立ちするのは古今東西を問わないってことで、今回は60年代のオリジナル・モッズによる評価から始まって、JBがいかにUKのロック~ポップ・ミュージックを浸食していったか、という話だ。

 まず、ファンキー・ソウル確立期のJBサウンドがモータウンとかのノーザン・ソウルと並んで、機能性の高いダンス・ミュージックとして彼らに支持されていたんだ。で、モッズとは何か?っていうと……研究家の方に怒られそうなくらい迂闊なことをザックリと書けば、伝統的なマナーに囚われずに独自の習俗とセンスと考え方で行動する(遊ぶ)モダン=モッドな若者たち、ってことになるかな。つまり、あのコートやヴェスパといった様式美自体がモッズを示すわけじゃないんだな。それはさておき、ジャズやリズム&ブルースなどUS産ブラック・ミュージックの流行にも敏感だった彼らは、当時の最先端だったJBのレコードで踊りまくっていたわけだ。で、その格好良さをUKで体現したズート・マネーは別格の人気を集めたし、ローリング・ストーンズ(というかミック・ジャガー)やザ・フー、アニマルズ、ヤードバーズ(→レッド・ツェッペリン)といったビート・バンドの人たちがそのグルーヴを咀嚼して広く伝播させていった。

 それで、いわゆるモッズの時代は63~67年だとされるようだけど、その時点ですでにJBのDNAがUKポップ音楽のなかに注入されていたことが重要なんだ。モッズ・リヴァイヴァルに立ち会ったジャム~ポール・ウェラーも、彼がゆるやかに帰属していったアシッド・ジャズも、その元になったネオ・モッズやレア・グルーヴという考え方にも、すべてJB染色体の影響があったんだ。他にも、ストーン・ローゼズのダンス・アンセム“Fool's Gold”がJBサウンドを試みた結果だというのは有名だろうし、驚くほど漂白されていくそれ以降のUKロックでも、JBが隔世遺伝したような面構えのサウンドと出会うことはしばしばあるんだよな。この夏に海や山やフェスに出かける人も多いと思うけど、また目撃情報が多く寄せられそうだね。