日本のポップ・ミュージックの歴史に残された偉大なる足跡を探してタ~イムスリップ!!
89年、さり気なくも突然に1枚のアルバムがリリースされた。その前年、3枚目にして大ヒット作『TRAIN-TRAIN』を発表し、社会現象になるほど巨大な存在になっていたザ・ブルーハーツのギタリスト、マーシーこと真島昌利のファースト・ソロ・アルバム『夏のぬけがら』だ。彼が今作を発表したのは敬愛するローリング・ストーンズのギタリスト、キース・リチャーズがその前年に初のソロ・アルバムを発表したことにもインスパイアされたのかもしれない。静かなアコースティック・サウンドにテンポをグッと遅くした曲調、古き良き日本情緒に溢れる唱歌や童謡にも通じる普遍性を持った、哀しくて切なくも美しいメロディー――ブルーハーツとはかけ離れたその音楽性はシーンに大きな衝撃を与えた。さらに、思春期特有の痛みや怒り、悲しみ、焦燥や諦念といったやり切れない思いを、ビートニク精神を強く継承した私小説的/映画的手法で見事に描いてみせた、叙情溢れるノスタルジックかつロマンティックでセンティメンタルな歌詞。そして自分のイノセンスを死守するかのように叛逆心を露わにした、甲高くてか細くも嗄れたその歌声でも強烈なインパクトを与えたのである。
類い稀なる才能を持ったメロディーメイカーであり、非常に鋭い文学的感性を持った作詞家であり、強烈なオリジナリティーを持った非凡なシンガー・ソングライターでもあることを世に示したマーシーは、それからもブルーハーツでの活動の合間を縫いながらソロ活動を続けていく。91年にはボサノヴァや50~60'sポップスからの影響も垣間見せた、サウンド/歌詞共にハッピーでリラクシンなポップスを聴かせる『HA-PPY SONGS』を発表。前作では敬愛するフォーク詩人・友部正人の曲を採り上げていたが、今作ではロッド・スチュワートのロック・クラシックに淺川マキが日本語詞を付けて歌った“ガソリンアレイ”や日活活劇のスターである小林旭の “ダイナマイトが150屯”をカヴァーして、日本の先達への尊敬の思いも表している。翌92年には、音楽面のみならず大きな影響を受けた同郷・三多摩の先輩でもある忌野清志郎が、覆面バンドのザ・タイマーズとして89年に放った超過激な問題作『ザ・タイマーズ』の動きに同調するかのように、バブルに浮かれ騒いで混迷を極めていた不安定な社会/政治情勢に対しての強烈な怒りや苛立ちといったフラストレーションを、ヘヴィーなロック・サウンドに乗せてストレートにぶちかました問題作『RAW LIFE』を発表。94年には、前3作で見せたさまざまな作風をさらに洗練/深化させた『人にはそれぞれ事情がある』を発表する。
それ以降、ザ・ハイロウズ~ザ・クロマニヨンズでの活動に専念し続けているマーシーはソロ活動を行っていない。
友部正人の88年作『はじめぼくはひとりだった』(TMオフィス)