ちょっとマヌケなディラン・フリークの2人(リーマン)が、新年を迎えても相変わらず熱く〈ディラン愛〉に溢れた会話を繰り広げてるぞ!!

新年早々、偶然にも出張先がいっしょになった2人は、いっしょに一杯引っ掛けようと落ち合ったのだった――。
SD「いやあ、いっしょに来た同僚が全然コミュニケーション能力のないヤツでさ、話がまったく通じないから大変だったよ」
DD「相手に伝わる日本語をフツーに話せない連中が激増してて、どの職場もおかしなことになってるよなあ」
SD「それにしても、名古屋ってなんとも不思議な街だよな」
DD「関東と関西のちょうど間で、文化的にも混ざってるっていうか、でもどっちにも似てなくて独特の雰囲気を持ってる」
SD「(〈手羽先〉を食べながら)混ぜ合わせるっていえば、『Love』(※1)でのマーティン親子の〈手捌き〉は見事だったな」
DD「もしかしてそれは一応、手羽先と手捌きを架けたダジャレってことなのか?」
SD「いや、『Love』を聴いて、ビートルズはやっぱり偉大なるポップ・グループで、その音楽は何かを結ばせる接着剤みたいなものなんだな、ってことに気付いたってことを言いたかっただけだよ」
DD「この混沌として複雑化した社会環境のなかで改めて聴くと、やっぱりジョン・レノンの歌はグッとくるわな」
SD「ジョンの精神性、歌詞の深みは今でも通じるってことだよな」
DD「デビューした頃は〈ヘイねえちゃん、遊ぼうぜ〉って感じで、いかにもロックンロールっていう軽薄なラヴソングしか歌ってなかったけど、〈For Sale〉(※2)あたりからジョンの歌詞が急に変わってくるんだよな……」
SD&DD「ディランの影響でしょ!! やっぱりディランなんだよな~」
SD「そんで、『Help!』(※3)、『Rubber Soul』(※4)と、アルバムを出すごとにどんどんディランの影響が強くなってくる」
DD「言葉に重きを置くようになったから、アコギに持ち替えて歌い方までディランっぽくなってくるしな。そういえばその頃、ディランがハッパを教えて、それからビートルズのサウンドと歌詞が劇的に変化していったっていう有名な一説もあったし。一方のディランもビートルズの影響でメロディー・コンシャスになっていって、ちょうどブリティッシュ・インヴェイジョン(※5)もあったからエレクトリック化、バンド・サウンド志向にもなっていくわけだ」
SD「同じ皮肉屋ってところで、ジョンはディランに共感するところがあったんだろうな。世間を騒がせたり挑発するっていう」
DD「ディランが〈ハイウェイ61〉(※6)で、エレキに持ち替えて言葉という武器をさらに破壊力のあるものにしたとき、それまでのロックンロールとは違う、〈ロック〉と呼ばれる音楽が生まれたんだよな。同時に、ダンス・ミュージックを奏でるポップ・グループだったビートルズが、内省的かつ詩的な表現や、言いたいことを言う、世の中に毒づくっていうディラン的過激さを取り入れたことで〈ロック・バンド〉という存在になった」
SD「ディランはロックンロールのダンス的な部分を取り入れようとしたんじゃなくて、その毒の部分をさらに増幅/強調させるために、必然的にエレクトリック・ギターを手に取ったんだろうな」
DD「〈ロール〉=踊ることよりも、〈ロック〉=ビートをより強烈にしたり音をよりデカくすることのほうが、ディランにとっては重要だったんだろうね」
SD「で、ビートルズ時代にずうっとディランという大きな存在と対峙し続けていたジョンは、ソロになって〈ディランなんて信じない〉(※7)って歌うことになる」
DD「裸になって一人立ちしたとき、初めてジョンはディランと同じ場所に立つことになったんだろうな。自己主張してその責任もしっかりと負うというアティテュードこそがロックなわけで、そこから他者との本当のコミュニケーションが始まるわけだ」
SD「(〈手羽先〉を食べながら)よし、東京に帰ったらさっそく職場で俺のロックな〈手捌き〉を披露してやるぜ」
DD「もしかしてそれは一応、手羽先と手捌きを……」
朝までロック談義に花を咲かせていた2人はそのまま意気込んで始発の新幹線に乗り込むのだが、それは新大阪方面へと発車するのだった……。(続く)

アコギにハーモニカ・ホルダーでディラン化したジョン・レノンの写真は、ビートルズのメンバーが使用した楽器を時代ごとにヴィジュアルで追ったアンディ・バビアックの名著『Beatles Gear』(Backbeat)より