今年でデビュー30周年。豊かな歴史を持ちながらも、歴史を感じさせないバンド、ムーンライダーズ。そのココロは、自分たちのイメージが固まる前にそれをブチ壊し、そのたびに生まれ変わってきたから。そして、メンバーそれぞれが、プロデューサーやセッション・ミュージシャンとして活動する職人でもあり、それそれがバンドに持ち帰ったものをアップデートする場として、バンド自体に〈生きた工房〉のような趣きがあったからだ。
ムーンライダーズの母体になったのは、日本のロック史に残る名作『センチメンタル通り』1枚を残して解散した、はちみつぱい。74年には、同バンドに在籍していた鈴木慶一(ヴォーカル/ギター)、武川雅寛(ヴァイオリン)、かしぶち哲郎(ドラムス)、岡田徹(キーボード)に、鈴木博文(ベース)、椎名和夫(ギター)を加えてムーンライダーズが結成された。初仕事はアグネス・チャンのツアー・バンドで、そうやって〈定職〉を確保しておきつつ、やりたいことはムーンライダーズでやるというシステムが、その後のバンドの在り方に大きな影響を与えていく。
76年に鈴木慶一のソロとして制作したつもりが、知らぬ間にジャケにバンド名が刷られていた『火の玉ボーイ』で、バンドは偶発的にデビュー。この作品から漂う無国籍性が70年代ライダーズを方向付けた。そして心機一転、バンド意識で挑んだ77年の『ムーンライダーズ』が実質的なファースト・アルバムとなり、細野晴臣も参加したエキゾ・ポップの秀作『イスタンブール・マンボ』で椎名が脱退。白井良明(ギター)が加わって、現在のラインナップとなる。
ムーンライダーズの30年を大まかに分けるなら、こんな流れになる。まずは、『ヌーベル・バーグ』までの〈70年代シティー・ミュージック期〉。79年の『モダーン・ミュージック』でニューウェイヴを発見、驚くほどのスピードで吸収し、『マニア・マニエラ』で開花した〈80年代ニューウェイヴ期〉。一時期バンドを休止しながら、〈最後の晩餐〉で不屈の30代バンドとして復活。当時の最新機材を駆使して、サイバーな肉体性を手に入れた〈90年代アダルト・オリエンテッド期〉。そして、さらに深化し続ける21世紀……。
なかでも特筆すべきは、バンドのアイデンティティーを確立した〈ニューウェイヴ期〉だ。80年の『カメラ=万年筆』で早くもダブに挑戦。続く『マニア・マニエラ』『青空百景』では、一気にテクノからポスト・ニューウェイヴまでを駆け抜けた。ザ・バンド的なはちみつぱいから出発して、XTCやディーヴォの方法論までを消化したムーンライダーズ。例えるなら、はっぴいえんどが解散せずにYMO的テクノ・ポップを展開。しかも、21世紀も解散していない、という離れワザを実践しているということだ。
最新作『MOON OVER the ROSEBUD』の圧倒的なテンションに触れるにつけて、ムーンライダーズが30年もの活動を続けたこと、そして、それ以上にムーンライダーズがムーンライダーズであり続けた奇跡を、ロックの神様に感謝せずにはいられない。なお、今年4月の30周年記念ライヴの模様を中心に彼らの歩みを振り返る映画「マニアの受難」やTVCM曲集も控えており、彼らのお祭り騒ぎはまだまだ続く模様。あと、30年はいけるでしょ。ダメ?