ビリー・プレストンの歩み
ビリー・プレストンが6月6日に他界した。死因は肝不全の模様。59歳だった──と、こうして彼の死が伝えられるたびに決まって登場するのが、〈5人目のビートルズ〉という言葉だ。確かにビリーは、60年代末にビートルズのレコーディングなどにオルガン/キーボード奏者として参加して名声を得た。さらにローリング・ストーンズらのセッションやツアーにも参加。だが彼のキャリアを〈大物に仕えた名脇役〉として済ませるのは手落ちだろう。
46年9月9日にテキサス州ヒューストンで生まれ、LAで育ったビリーは、6歳でオルガン演奏を開始。10歳になる頃にはマヘリア・ジャクソンのバックを務めるなどして、ゴスペル界の天才オルガン少年として注目を集めた。61年に地元レーベルからデビューした後は、リトル・リチャードのツアーに同行して世俗音楽にも開眼。63年にはサム・クックが主宰したサーの傍系ダービーからブッカー・T風のオルガン・インスト曲“Greazee”をリリースした。65年にはヴィー・ジェイに移って2枚のアルバムを発表。人気TV番組「Shindig!」のキーボード奏者に採用されたのもこの頃で、これをキッカケにレイ・チャールズのバンドに加わったことは有名な話。これらはすべて10代の出来事だ。
DJ時代のスライ・ストーンが参加したアルバム『Wildest Organ In Town!』をキャピトルから発表したのが66年。その後、渡英したビリーはビートルズと活動を共にし、69~70年にアップルから2枚のアルバムを発表してシンガーとしての力量もアピール。ゴスペルを下地にしたポップな音楽スタイルが人気を集めるが、その才能がもっとも理想的なバランスで開花したのは、71年、帰国してA&Mと契約してからだろう。“Outa-Space”などのファンキーなインストや“Nothing From Nothing”のような軽快で人懐っこいヴォーカル曲が大きな評判を呼んだ。78年にモータウンに移籍して以降はヒットが減少したが、80年にはシリータと歌った“With You I'm Born Again”がポップ・チャートで4位を記録。その後はゴスペル界に戻ってマーやナッシュボロに作品を残し、セッション仕事も続けた。90年代にはドラッグ依存などのスキャンダルに見舞われたが、後に復活。多彩なセッション・ワークをこなしながら映画「ブルース・ブラザーズ2000」に出演したほか、2001年には事実上の最終作『Music From My Heart』を放ち、先日はソウル偉人たちのオムニバス盤『I Believe To My Soul』に参加するなど最期まで現役だった。ビリー・プレストン。偉大な名脇役は唯一無二の主役であったことを忘れないでいたい。