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第1回 ─ 宇多田ヒカル“Be My Last”をチアー&ジャッジ!

第1回 ─ 宇多田ヒカル“Be My Last”をチアー&ジャッジ!(2)

連載
菊地成孔のチアー&ジャッジ ―― 全ブロガー 参加型・批評実験ショー
公開
2005/10/06   18:00
更新
2005/10/06   22:05
テキスト
文/菊地 成孔

宇多田ヒカル“Be My Last”の〈チアー・タイム〉

  それまでの、もし洋楽に翻訳するならば〈ブラック・ミュージック〉にカテゴリーされるしかなかった(アメリカ進出のプランニングも、その上で立てられなければならなかった)彼女の作曲上の作法、つまり、他キーへのケーデンスを廃した純粋なマイナー・キーの循環。という陰鬱気味なビター・エンヴァイロンメントの上に、破綻ギリギリの自由なメロディが、しかし力強く乗る。というワンウェイ(これは、HIPHOP登場以降、一日も休まずに〈スイート〉さを廃し、〈ダークでビターでエロティックでクール〉になって行く米製ブラック・ミュージックの方向性と奇しくも一致しているが、後述する藤圭子/演歌フォークの遺伝子が大きいと思われる)から彼女は初めて抜けだし、それまで潜在化していた〈日本のニューミュージック/フォーク/国文学〉といった傾向(彼女は邦人のフェイバリットに尾崎豊を上げ、中上健次、芥川龍之介、埴谷雄高、ドストエフスキーを愛読書に上げて〈小説を書くのが夢〉と語っている)を前面に押し出している。これは、本作が同じく尊敬する作家として挙げている三島由紀夫原作の「春の雪」の主題歌である。という、メディア上のモチベーション変化が作用しているものと思われる。

 彼女が廃したものは、まずベース(ギター)である。多くの人が〈弾き語りではなく、ドラムやギターやキーボードが入っているのに、ベースが入っていない〉というサウンドの雅やかさ/円やかさにゆっくりと気が付くだろう。そして、純マイナーではなく、ケルトを想起させるミクソリディアン・モード(ポップ・フィールドに於いては一部のビートルズ作品を始めに、ケイト・ブッシュからエンヤ、ビョークまでを繋ぐ伝統的な手法だ)を冒頭2小節に起くことで、しかし、和装の質感を醸し出している手際は見事であり、その見事さは彼女の初めての〈知的技巧〉であり、ドキドキさせられるほどの鮮やかさだ。流石にサビは〈いつもの宇多田節〉になるものの、サビ前までの展開が地味にリズムが変拍子/破格を取っている事も加味し、松任谷由実や吉田美和、椎名林檎など、偉大な先達がその引き出しの中に常備していた〈和物〉というカードを、とうとう彼女が、しかもそれまでの誰とも違う手法で切ってきた事に我々はまたしても驚嘆を禁じ得ないだろう。

  琴や民謡を直接的に引用するペンタトニックや、化学調味料主義に徹した偽アナクロ路線といったギミックを一切使わず〈ベースレス、ミクソリディアン・モード、ちょっとした変拍子(そして、国文学への傾倒)〉を使って〈R&B/演歌/藤圭子〉という遺伝子から全く独自の「春の雪」の情緒を創出(そこにはご主人である紀里谷氏の優れた才覚も多大に貢献している。本作はPVがDVDとして封入された形の製品だが、舞台を東欧と思しきヨーロッパの古都に置き、そこにアジア人や黒人など、様々な民族が行き交うコスモポリタン感によって、逆説的に〈日本〉であることを浮き彫りにしている)したことは、彼女の偉大な音楽歴が熟成期に入った記録と言って良いだろう。

 力強く感動的な、そして静かで少々誘惑的ですらある一歩により、彼女は再び自己の記録(それは単に売り上げだけに換算されるものではない)を更新するだろう。輝きに満ちた新作だ。

→ 宇多田ヒカル“Be My Last”の〈ジャッジ・タイム〉はこちら
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