7月16日、セリアが逝った。世界中で愛されている、サルサ界の女王セリア・クルースだ。59年に起こったキューバ革命の煽りを受け、翌年アメリカに亡命をしたセリア――このことがその後のラテン音楽の運命を決定づけたといっても大袈裟ではないだろう。
セリアは男性優位のラテン音楽界のなかで、誰もが憧れ、そして共演をしたがった歌姫だった。キューバでは人気楽団ソノーラ・マタンセーラの看板歌手として活躍し、亡命後すぐにティト・プエンテとアルバムを制作。70年代にはNYで生まれたサルサの代名詞的レーベル、ファニアでレーベル創設者のひとりであるジョニー・パチェーコやウィリー・コローンらともアルバムを作った。さらにセリアの後継者ともいわれるインディア、アルゼンチンのミクスチャー・バンド、ロス・ファブロソス・カディリャクスやカエターノ・ヴェローゾ、デヴィッド・バーン、ワイクリフ・ジョンらともレコーディングをするなど、ジャンルや性別、国境を越えた文字どおりクロスオーヴァーな活躍をした。
今年の3月13日にマイアミで行われたセリアの芸歴50年強を祝うトリビュート・コンサート〈Azucar!〉の盛大さは、今後も語り継がれていくことだろう(音源と映像のリリースを求む)。この歴史的なコンサートでは、新世代のUSラテンの象徴ともいうべきマーク・アンソニーとグロリア・エステファンが司会進行を務め、主催したスペイン語TV局のテレムンドを通じて全米および中南米にも生中継された。意外かもしれないが、ここまで本格的な彼女へのトリビュート・コンサートは初めてだったらしく、参加者が全員「Finally!」と口を揃えていた。また、この日優秀な音楽家育成とガン撲滅を目的とした〈セリア・クルース基金〉の設立が発表された。
アメリカ各都市からだけではなく、中南米の各国でもさまざまなな賞を受賞しているセリア。サンフランシスコでは97年から10月25日が〈セリア・クルースの日〉に制定され、90年からはマイアミの8番街が〈セリア・クルース通り〉と呼ばれるようになった。こうして、今後もセリアはラティーナたちの心のなかでいつまでも生き続けていくのだろう。Que en paz descanse(合掌)!
▼セリア・クルースの作品(のほんの一部)を紹介
ソノーラ・マタンセーラ時代の音源を集めたベスト盤『100% Azucar : The Best Of Celia Cruz & La Sonora Matancera』(Rhino)