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第10回 ─ 来日を控えたアル・クーパーに、キースが一問一答

連載
Sonically Speaking
公開
2003/05/23   18:00
更新
2003/05/23   20:01
テキスト
文/キース カフーン

ディランやジミヘンらとのセッション、数多くのユニットへの参加、そしてソロ作と、その全てがアメリカン・ロック界に大きな影響を与えている偉人、アル・クーパー。初来日公演を控えた彼に、キースが一問一答形式のメールインタビューを敢行。オールド・ファンからフリーソウル世代の方まで、必読の内容です!

兎にも角にも、ただただ凄い男――アル・クーパー。彼の名前を知ってはいるが、音楽を聴いたことがないという人は多いのではないだろうか。だが実際は、誰しもが一度はどこかで彼の曲を耳にしたことはあるはずだ。

彼のキャリアを語るとき、まずどこからはなしはじめたらいいのか分からなくなってしまう。あまりにも多くの偉業を成し遂げているからだ。例えば、ジミ・ヘンドリックス、ボブ・ディラン、ローリング・ストーンズやザ・フーとステージを共にしてきたアーティスト。これだけ並べても相当のものなのに、これはあくまでも彼のキャリアの一部にすぎない。

というわけで、彼のキャリアを追ってはみるが、スペースの関係上いろいろと省略してしまう部分が出てしまうことをあらかじめご了承いただきたい。この文章を読んで、彼のことをさらに詳しく知りたくなった人は、音楽史上最高に正直でおかしな本「Backstage Passes and Backstabbing Bastards」を読むことをおすすめしておこう。

アル・クーパーは8歳のときにピアノを弾きはじめた。それも、教育を受けていたわけではなく、独学でポップスを演奏しはじめたのだ。彼は10代になると数々のバンドに参加し、14歳のときにはヒットグループ、The Royal Teens(編集部注:タモリ倶楽部のオープニング曲「Short Shorts」で有名)にギタリストとして参加。また、この頃作詞家としての活動も行っている。そのうちの1曲、R&Bとして作った「This Diamond Ring」は、ドリフターズ(The Drifters)には拒否されたが、のちに売れっ子プロデューサーとして知られることとなるスナッフ・ギャレットに気に入られ、ギャリー・ルイスやプレイボーイズの曲で使用されたことでナンバー1ヒットに輝いた。他にも、彼が作った楽曲のうち、何度もカバーされているものは数多く存在する。たとえば、ブラック・オーク・アーカンソーやダニー・ハザウェイなど、ジャンルが異なるアーティストからカバーされた「I Love You More Than You'll Ever Know」もそのうちのひとつである。

▼ アル・クーパーの主な作品をご紹介。