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第7回 ─ “ロング・ゴーン”ジョン――W・ストライプスのレーベルオーナー

第7回 ─ “ロング・ゴーン”ジョン――W・ストライプスのレーベルオーナー(2)

連載
Sonically Speaking
公開
2003/01/23   17:00
更新
2003/01/24   22:26
テキスト
文/キース カフーン

Q:レーベルを始めようと思い立ったきっかけはなんだったの? レーベルの名前だけを見ると、どうも音楽産業の状況が哀れむべきものと思った(いまでも思っている)ようなんだけど。
そうだね…、この記事が日本で掲載されるということであれば本当のことを言ってもいいような気がするな。Sympathyレーベルはそのむかし俺がやっていた、極めてマニアックなブートレグレーベルが発展したものなんだ。当時はライブやレコードのレビューなんかを書くライターとして暮らしていたんだけど、ある日突然このお忍びレーベルを合法なレコードをリリースする方針に転換したんだ。俺はすごくマニアックなコレクターだったし、結局は自分でリリースするのがいちばん理にかなっていたんだよ。最初にSympathyレーベルから出したレコードは、レイジー・カウガールズで、当時は宙ぶらりんの状態で止まっていたプロジェクトをこの俺が取り計らったってわけだ。音楽業界が哀れなものかって? ああ、Sympathyレーベルを始めた14年前は確かにそうだった。それがいまにいたってはますますひどくなってきている。最近はレコードを売るのも、才能のある新人バンドに世間の目を向けさせるのもますます難しくなっているんだ。実に残念なことだよ。

Q:初めて買ったレコードはなに。それから、初めて行ったライブはなんだったか憶えてる。
13歳の頃、俺はカリフォルニア・ベニスのビーチにある少年施設に住んでいたんだ。そこでは誕生日に25ドルがプレゼントされることになっていて、俺はその金で5枚のアルバムを買ったんだよ。モノラル・バージョンのやつを。ステレオ・バージョンだと1ドル高かったし、どっちみちプレイヤーも安っぽいものしかなかったからね。そのとき買ったのは、ヤードバーズ『Over, Under Sideways Down』、バーズ『5th Dimension』、ローリング・ストーンズ『Aftermath』、アニマルズ『Animalization』、あとの一枚はいま思えば誰かに言いくるめられたとしか思えないんだけど、サークルの『Red Rubber Ball』だったね。こいつは最悪だった。

初めてのライブは15歳の時に見たマザーズ・オブ・インヴェンションだった。2回目も彼らなんだ。俺は本当にマザーズが大好きだった。彼らは俺の心をうまい具合に捻じ曲げてくれたんだよ。そのあと69年にローリング・ストーンズを見るまでライブは何も見なかったな。その年にストーンズを2度見てるんだけど、そのうち一度はオルタモントで開催されたんだ。俺はライブを見るために施設から抜け出して、帰りはヒッチハイクでカリフォルニアまで戻ってきたんだ。これは俺の人生において一大行事だったね。

Q:通常メジャーレーベルで交わされる契約書は平均70~100ページはあるものなんだけど、Sympathyレーベルでは契約書はどうなっているの。
実は、うちのレーベルには契約書がないんだ。作ったこともなければ、今後も作ることはないだろうね。俺の契約のしかたは、握手ひとつだったり、電話で決めたり…。俺くらいの規模のレーベルだと、自分が契約したバンドがメジャーから誘いがあった場合に簡単に契約書の内容が覆されることがあるかもしれないからね。それに、よそに行きたがっているバンドに、契約上リリースしなければならないという理由だけで本人の意思に反してアルバム作りをさせてもいいものができるはずがないだろ?

Q:ホワイト・ストライプスはSympathyレーベルの中でもビックヒットを記録したけど、彼らはどうやって見つけたの。
68カムバックに所属するジェフ・エヴァンスに薦められて、デトロイト・コブラズのアルバムをリリースしたんだ。そのときコブラズのメンバーのひとりが、ホワイト・ストライプスを薦めてくれたんだよ。その後ホワイト・ストライプスのメンバーのジャック・ホワイト(ボーカル)がサンプルを送ってくれたんだ。ジェフ・エヴァンスは俺がいま、最も気に入っているマイ・エアプレーン・マンも持ち込んでくれたんだよ。

▼ “ロング・ゴーン”ジョンが初めて買ったレコード、一部ご紹介。