ディラン、ジャクソン・ブラウン、チック・コリア、ジョージ・クリントン、R.E.Mなど多くのミュージシャンに愛される名曲を書いた男。天才シンガーソングライター、ウォーレン・ジヴォンの歩みをキースがご紹介!!
ウォーレン・ジヴォン――1947年のシカゴ生まれ。ロシア移民の両親の息子として生を受けた。中学時代には、作曲家のイーゴル・ストラヴィンスキーに師事したこともあり、クラシックの神童として見なされた。しかし、ボブ・ディランの作品を聴き始めてからは、作曲、ギター、ロックンロールに熱中するようになる。
16歳のときにニューヨークに移り、地元バンドに参加。19歳のときにはフォーク寄りのシンガー、トゥール・リヴィングストンと組み、ライム&サイベルというユニットでレコーディングまで行っている。このユニットは短命に終わるが、レコーディングで知り合ったボーンズ・ハウ(タートルズ、フィフス・ディメンション、アソシエイションやトム・ウェイツのプロデューサー)は、その後も彼の「よき指導者」として活動をサポートすることとなる。ボーンズの紹介により、ジヴォンはセッションへの参加、映画「Midnight Cowboy(=真夜中のカーボーイ)」のサントラに楽曲を提供するようになる。また、同時期には悪名高いプロデューサー、キム・フォウリーとの共作で、アルバム『Wanted- Dead or Alive』をリリースしているが、このアルバムはセールス的には芳しくなかった。70年代初期にはピアニストとして、またエヴァリー・ブラザーズのディレクターとしても活動するかたわら、宣伝用のジングル製作などで収入を補っていた。
彼の活動が軌道に乗り始めたのは、リンダ・ロンシュタットが1976年に彼の楽曲「Hasten Down the Wind」を、1977年に「Carmelita」と「Poor Poor Pitiful Me」のレコーディングを行ってからである。とくに、後者はヒット曲となった。
当時のジヴォンはスペイン在住であったが、友人でもあり絶大なサポーターでもあるジャクソン・ブラウンに説得され、カリフォルニアに戻ることとなる。カリフォルニアに戻ったジヴォンは、ブラウンが所属するレコード会社のAsylumからブラウンのプロデュースによるアルバム『Warren Zevon』を発表。このアルバムは、評論家には絶賛されたが、セールスは控えめなものであった。
しかしながら、1978年のアルバム『Excitable Boy』は、折り紙つきのトップヒットとなった。収録曲には、「Werewolves of London」(のちに、映画「The Color of Money (=ハスラー)」でトム・クルーズがこの曲にあわせて踊ることになる)や、彼の最大のヒット曲であるタイトルトラックの「Roland the Headless Thompson Gunner」、「Sleep When I’m Dead」、「Lawyers, Guns and Money」(この曲は、その後ミートローフ、リック・デリンジャー、ハンク・ウィリアムス Jr.などといった多くのアーティストにカバーされた)が並んでいる。