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第5回 ─ カート・コバーンが篤い信頼を寄せたロック渡世人──パット・スミアの半生

第5回 ─ カート・コバーンが篤い信頼を寄せたロック渡世人──パット・スミアの半生(2)

連載
Sonically Speaking
公開
2002/11/21   18:00
更新
2002/11/21   18:36
テキスト
文/キース カフーン

カート&コートニーとの「家族同様」の関係

パット・スミアはロックの世界で活動を続け、アドレセンツ(Adolescents)、セレブリティ・スキン(Celebrity Skin)、ヴァギナ・デンタータ(Vagina Dentata)や、(少年ナイフのトリビュートアルバムにも登場する)テーター・トッツ(Tater Totz)など、バンドからバンドへと渡り歩きがら、結局はエキセントリックなドイツ人アーティスト、ニナ・ハーゲンと組むことで落ち着いた。

 彼女のヒット曲といえば、リーナ・ラヴィッチの“Lucky Number”やチューブスの“White Punks on Dope”のカバー曲など、マイナーなものしかないが、自ら歌う曲の題材は概ねUFOとセックスについてだった(彼女は、なんとオーストリアのテレビ番組で、放送中にマスターベーションのテクニックを披露してみせたこともある。一方でパットは女装を楽しんでいたようだが)。

 これと平行して、パットはマイナーではあるが俳優業も始めていた。テレビ番組や、映画の『ブレードランナー』でパンクスとしてチョイ役を演じてみたり、はたまたミュージックビデオ、たとえばノー・ダウトの“Don't Speak”やプリンスの“ラズベリー・ベレー”(ここではドレッドヘア姿)に登場している。またMTVでは自分の持ち枠「House of Style」を担当していた。

 その他、南カリフォルニアの有望なパンクレーベル、SSTで2枚のソロアルバム『So You Fell In Love With a Musician』と『Ruthensmear』を出している。

 パット・スミアは、常にギタリストとして活動してきたが、いわゆるギター界のヒーロータイプからはかけ離れている。弾くギターはたいていノーブランドのギター、多くは「Hagstrom」(パットが大好きで購入していた、今はなきスウェーデンのブランド)を使っていた。奏でるリズムや旋律はたぐい稀なセンスを持っていることで有名で、フリーフォームなメロディというよりもむしろ、考え抜かれたメロディであることでも知られていた。

1993年の時点では、パットはサンセット大通りにあるレコード店の仕事で生計のほとんどをたてていた。レッド・ホット・チリ・ペッパーズのギタリスト、ジョン・フルシアンテの後任の話を断ったのもこの頃だ。同じ年、バンドに二人目のギタリストを入れるかどうかさんざん悩みぬいた挙句、ニルヴァーナのカート・コバーンはパット・スミアにツアーの同行を依頼する。それによって、歌うことに専念しようという意向だった。また、コートーニー・ラブは、映画『Breakin'』の製作のときにすでにパットには会っていた。

 そんなわけで、家族同様に扱ってくれたカート&コートニーと、パットはとても親しくなった。ツアー中、メンバーのデイヴとクリストが別のバスで移動していても、カートと行動を共にした。結局パットは、50以上もの(ニルヴァーナの)ライブに参加したが、それには アルバム収録されたMTVアンプラグドや、1994年3月1日のドイツでの最後の公演も含まれている。ニルヴァーナはカート・コバーンが銃で自殺し、死体で見つかった1994年4月8日に、正式に終止符が打たれた。

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