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第3回 ─ エタ・ジェームスの人生と音楽──Etta James rocks the house

第3回 ─ エタ・ジェームスの人生と音楽──Etta James rocks the house(2)

連載
Sonically Speaking
公開
2002/09/19   12:00
更新
2002/09/19   12:24
テキスト
文/キース カフーン

16歳で歌いはじめた―サンフランシスコの「不良少女」

 エタ・ジェームスの経歴は、実に波乱万丈である。1938年、ロサンゼルス南部にジャメスタ・ホーキンスとして産まれた彼女は、主に祖母の手で育てられた。貧しい家庭に育つ典型的なサンフランシスコの若者らしく、ギャングと混じって街を徘徊していた。見た目は非常にキツい彼女、色が浅めの肌の黒人で、いつも好んでどぎついメークを施し、髪は金髪に染めていた。麻薬を常用していた期間も長く、実際、1972年には裁判所の命令で、2年間更生施設に入れられたこともある。若いうちから悪さをする一方で、実はその頃から歌い始め、16歳のときにはピーチズ(Peaches)という女性3人組のメンバーのひとりとして、はじめての作品のレコーディングをしている。

 このグループは、ハンク・バラードのヒット曲“Work With Me Annie”へのちょっと卑猥なアンサーソング、“Roll With Me Henry”で、1954年のR&Bヒット第2位を獲得した。ただ、ヒット曲としては大成功とまでは言えないだろう。その当時ありがちだった、白人シンガーによるリメイク(この場合はジョージア・ギブス)で浄化され、和らげられ、そのうえタイトルも変えられた“Wallflower”という別バージョンのほうが、明らかによく売れたのである。

 彼女のほとんどのヒット曲はチェスレーベルからリリースされていて、すでに挙げたもののほかには、“All I Could Do Was Cry”、“Sunday Kind of Love”、“Something Got A Hold On Me”と“Stop The Wedding”などがある。実はきちんと報酬をもらっていなかったと、本人は公言することがあるが、伝え聞くところによると、チェスレーベルのレオナルド・チェス氏が、彼女が薬物を購入するのを恐れて、直接本人に支払わずに家賃を払っていたんだそうな。

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