パティ・スミス、ディクテイターズ、そしてラモーンズの虜だった
チューブスは有名なバンドとは言えないが、少なくとも悪名高かった。ファースト・アルバムを出す以前にも、なぜかサンフランシスコのケザー・スタジアムでのレッド・ツェッペリンのコンサートで前座として出演していた。チューブスはシアトリカルな(演劇っぽい)バンドで一風変わっていて、彼らのライヴを見ていたレッド・ツェッペリンのファンはその辺にあるものを手当たり次第ステージに向かって投げてブーイングを浴びせかけていた。その後、“White Punks on Dope”という地元だけのヒットを飛ばし、この曲はまだドイツにいた頃のニナ・ハーゲン、最近ではモトリー ・クルーによってリメイクされている。僕はチューブスの特に初期の頃が大好きだった。高校生の頃はニューヨーク・ドールズ、フランク・ザッパ、アリス・クーパー、イギー・ポップ、デイヴィッド・ボウイなどシアトリカルなアーティストたちが大好きだった。でも、学校ではこの辺で趣味の合う人はあまりいなかった。親友までもが、好きなミュージシャンはジャクソン・ブラウンやジョン・デンバーという具合で、僕が好きな音楽は<変わっている>と言われたものだった。今の若者にとって、デヴィッド・ボウイは70年代のロックスターにすぎないだろうけど、当時は変テコで派手な宇宙人、というイメージで見られ、話題になってはいたけれど、彼の音楽的才能を認めている人は実際には少なかった。
イギー・ポップとニューヨーク・ドールズこそがパンクの元祖だ。日本人のキッズの多くは、イギリスがパンクの発祥の地だと思っているけど、それは大間違いだ。実際にはパンクはニューヨークで始まったもので、ラモーンズ、ディクテイターズ、パティ・スミス、ハートブレイカーズ、テレヴィジョン、トーキング・ヘッズ、ブロンディー、デッド・ボーイズあたりがパンクの第一波とされている。CBGBやMax's Kansas Cityというクラブで夜な夜なパンクスがハング・アウトしていた。その後、イギリスのセックス・ピストルズ、クラッシュ、ダムドなどがパンクをよりファッショナブルなものに仕立てていったけど、もとはと言えばニューヨークが始まりだった。パティ・スミス、ディクテイターズ、ラモーンズのそれぞれのファースト・アルバムを僕はリアル・タイムで買ったんだけど、すっかり虜になってしまった。皿洗いのステキな仕事を辞めてニュージャージーに引っ越してしまうほどだった。本当はニューヨーク・シティに住みたかったんだけど、お金がなくて諦めた。でも、隣州のニュージャージーのアトランティック・シティに手ごろないい感じのビーチ・ハウスを見つけることができた。そこからニューヨークに通い、毎晩のようにクラブに遊びに行っていた。夢心地だった。