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Wagner: Die Meistersinger von Nurnberg [4CD+CD-ROM] / ヘルベルト・フォン・カラヤン、他

カラヤンが、どのような思いで、シュターツカペレとマイスタージンガーを録れることにしたのか今となっては分からないが、素晴らしいレコードが誕生したことを喜びたい。ベルリンフィルとでも、ウィーン国立歌劇場とでも、かけがえのない名演が期待出来ることは間違いないが、結果として(ライブ録音を除き)このコンビの唯一の記録となった。この、ドイツ音楽の粋を示した人類の至宝ともいうべき銘品が廃盤とは。

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ジャスミンさんが書いたカスタマーズボイス

(全65件)

名曲だけに、いくつもの名盤が存在するが、ゴールウェイの何種類ものレコードの中でばかりでなく、全ての同曲異演盤の頂点に君臨する名演が刻印されている。ベルリン・フィルの後輩主席奏者=パユの爽やかな演奏や工藤さんの鮮やかなテクニック、さらには、クイケンの典雅な奏法にも魅力を感じるが、この名奏には及ばない。

衝撃的な「英雄の生涯」に続いてカラヤンがDGに収録した第二弾が、このブラームスとドボルザークの舞曲集だった。カラヤンは、数年後にベートーベンとブラームスの交響曲全集をリリースするまでは、恩師レッグとEMIに録音したレパートリーとの重複を避け、リストの交響詩やドリーブの「コッペリア」とショパンの「レ・シルフィード」、モーツァルトのレクィエムを取り上げた。フィルハーモニアのシャープで粋なサウンドとは異なる、ピラミッド型の重厚な響きを聴くにつけ、独自路線を

ストラウ”ィンスキー自身から「これは違う!」と酷評されたカラヤンの「ハルサイ」。美しく調和した古典的な佇まいが、革新性を重んじる作曲家の意図と違ったのだろう。もちろん弦楽器のリズムの刻みや金管の炸裂、打楽器の強烈な一撃もある。しかし、意外性はなく、むしろ必然的な展開となる。新ウィーン楽派の不協和音を美しく響かせるこのコンビならではの、ユニークな演奏がここにある。

とにかく美しい。カラヤンのブルックナーといえば、グラモフォンの全集が名高いが、このEMI盤とは全くコンセプトが違う。グラモフォンのトーンマイスター、ギュンターヘルマンスがディテール重視のマクロ的音響ならば、EMIのミッシェルグロッツはボールトーンを活かしたマクロ的サウンド。霧の中から浮かび上がり、竜巻のように吹き上がる、空前絶後の演奏。

グラモフォンに収録したカラヤンのシュトラウスの最も優れた演奏の記録が集成されている(一部はウィーンフィルとのデッカ録音)。とりわけツァラとティル、ドンファンは、演奏ばかりでなく録音も含めて、カラヤンとベルリンフィルのベストフォームを示すもの。初出から40年経つが、未だに他の追随を許さない。英雄の生涯とドンキホーテは、EMIに録れた全盛期のものが優れているが、これはこれで素晴らしい。

言わずと知れた歴史的名盤。いきなり全集でリリースという異例の試みに、グラモフォンの倒産まで噂されたが、いざ蓋を開けてみると、ベートーベンの新しい規範、グラモフォンレーベルの看板として世界中で絶賛され、あっという間に完売した。70年代の再録音も、最初から全集として企画され、さらに彫塑を極めた演奏が刻印されたが、旧盤の歴史的価値は些かも揺るがない。

ショパンの練習曲の決定盤。ポリーニというピアニストが、過去のどのような偉人とも次元の異なる、ピアノ界の巨星であることを示した、記念碑的な名盤だ。ルービンシュタインがショパン国際ピアノコンクールの際に言った「彼は既にここにいる誰よりも上手い」という言葉は正しかった。それから、更に研鑽の期間を経て、以来、孤高の存在として君臨し続けている。

これらの楽曲の理想的な名演であり、登場以来半世紀が経つが、未だにこれを凌駕する演奏は現れない。ポリーニという新人が、これまで巨匠と称された偉人達でさえ到達し得なかった次元の存在であることを示した衝撃的なデビューだった。ショパンコンクールで、ルービンシュタインが「彼は既にここにいる誰よりも上手い」と感嘆したというが、その正しさは、次のショパンの練習曲のリリースによって証明されることになる。

プロコフィエフとストラウ”ィンスキーという鮮烈なプログラミングで衝撃的なデビューを果たした俊英が、ピアニストにとっての奔流であるショパンで決定的な演奏を展開し、それ以前の巨匠達に代わるピアノ界の巨星として認められて50年、未だにこれを超えるショパンは出現しないし、ポリーニを脅かすピアニストも現れない。ルービンシュタインの言った言葉は正しかったのだ。

カラヤンのオテロというとデルモナコ主演の決定的な名演があるが、「カラヤンの」最高のオテロがどれかということになれば、このEMI盤だろう,ここでの主役は、カラヤンとベルリンフィルであり、戦慄を感じるほどに劇的な演奏が展開されている。ウ”ィッカースに関しては評価が分かれるが、フレーニとともに、見事にカラヤンの意図する役割を果たしてると思う。

カラヤンが、その理想の上演を目指して、生まれ故郷であるザルツブルクにおいて復活祭音楽祭を創設したのが1967年。演目は、ワーグナーの指環だった。カラヤンをして、それほどに表現意欲を掻き立てさせる対象であったワーグナーを、当に、その全盛期に採り上げたこの企画は、果たして眼を見張るような出来栄えとなった。人類の至宝ともいうべき遺産だ。

カラヤンのブルックナーは、日本では、永らく正当な評価がされてこなかった。クナッパーツブッシュやシューリヒトという、かなり個性的な、むしろ特殊なブルックナーが正統とされ、ヨーロッパにおいて、ムーティやティーレマンといった同業者や批評家から「神の声を聞くようだ」と評されたブルックナーが異端だという捻れた状況だった。これは、実際に、カラヤンの演奏が如何に素晴らしかったかを今に伝える貴重な映像だ。

カラヤンのハイドンというと、デジタルで、より体系的に収録したグラモフォン盤が名高いが、演奏本位でいえは、断然このEMI盤が優れている。音楽の活力が違う。なにしろ、カラヤン自身が、「いま、私とベルリンフィルとは最高の状態にある」と豪語した絶頂期の演奏だ。続いてリリースされた「天地創造」も凄かった。オーケストラ芸術の極致が聴ける。

カラヤンがミュンシュ急逝の後を受けてパリ管の音楽監督を引き受けたのは衝撃的だった。ベルリンにウィーンにミラノ、そこまでは予測できても、パリまでとは。どのような思いでこのポストを引き受けたのかは今となっては分からないが、3年間の在任期間中に彼等は3枚のレコードを録った。いずれも、他には類を見ない傑作だ。

世界がもっとも輝いていた時代70年代は、カラヤンが君臨した時代だった。モーツァルトの権威とされたベームと比較しても、遥かに魅力的だった。私には、モーツァルトの規範ともすべきセル盤以上に、流麗で荘厳なカラヤンに惹かれるものがあった。カラヤンには、ウィーンフィルとのものや、後の総決算的なグラモフォン盤もあるが、断然このEMI盤が優れている。音楽が生きているのだ。

この曲の、もっとも輝かしい演奏だ。ワイセンベルクの長い休息後の復帰に際して、全面的に協力したのがカラヤンだったことは、よく知られている。ワイセンベルクにとって休息の意味がどのようなものだったのか、それ以前の彼をよく知らない私には判断ができないが、その後の彼の活躍を観るにつけ、有意義な期間であったことには疑いがない。復帰を祝うが如き、鮮烈な名演が刻印された。

私の持っていたLPの解説に、「フランクは、この交響曲一曲だけをもってしても、後世に名を残す作曲家たり得る」と記述されていたが、「カラヤンとパリ管は、このフランクの演奏一つだけをとっても、後世に語り継がれるべきコンビだった。」と言えるのではないか。それほどに素晴らしい名演が展開されている。カラヤンらしく、そして、パリ管らしい、かけがえのない記録だ。

向かう所敵なし、という状況だった時代の、かけがえのない成果の一つ。テーマに沿った魅力的な選曲といい、輝かしい演奏といい、文句のつけようがない。今となっては、こうしたお洒落な企画にはお目にかかれなくなってしまった。オーマンディー/フィラデルフィアと共に、玉手箱を開けるかのような、ワクワクする体験を約束してくれる、間違いのない名コンビだった。

交響曲第5番が発売された時、先のEMI盤の、怒涛のような動的な演奏から一転して、あまりにも精緻で、静的な演奏に、戸惑いを感じたのを思い出す。カラヤンが、商業主義的な理由で再録音を繰り返すという悪評を覆す、端的な実例と云えよう。今では、このどちらもが、カラヤンの表現したかった対極の世界でからことが、よく理解できるようになった。感動的なEMI盤と完璧なグラモフォン盤。両方聴くしかない。

「カラヤンがマーラーを演る」というので大きな話題になりながら、日本の多くの評論家からは、酷評された。バーンスタインの没入やショルティの剛演が本流で、カラヤンの美演は邪道という風潮に違和感を感じたものだった。その後、アバドやラトル、さらにはM .T.トーマスらの多様な演奏が世に出て、カラヤンのマーラーも、正当に評価されるようになったことを喜びたい。マラ5の最高の演奏の一つと確信する。

名曲だけあって多くの名演が犇めいているが、結局どうしてもこの演奏に戻ってしまうのは、学生時代に繰り返し聴き込んだ個人的な体験ゆえか。優雅でありながら、適度な量感もあって、充足感に満たされるのだ。ホグウッドやサバールもいいし、セルも素晴らしいが、私にとっては、これ。カラヤンと同じ時代を生きることが出来た幸い。

カラヤンにとって、ワーグナーは、もっとも表現意欲を掻き立てられる対象であったようで、その理想の上演を目指して、ザルツブルク復活祭を創設したことは、あまりにも有名な逸話である。まさに、このイースター祭創設からの10年間が、カラヤンの、そしてベルリンフィルの絶頂期だった。そうした、全盛期の記録。第一集と合わせて、必聴のアルバムといえる。

この曲集の、もっとも優れたレコードだろう。ゴールウェイの輝かしいフルートの音色が東京クワルテットの精妙なアンサンブルに乗って、モーツァルトの天才を天真爛漫に描きあげる。他の演奏が霞んで見えてしまうくらい、飛び抜けて素晴らしい。

カラヤンの全盛期を支えた黄金時代のベルリンフィルの木管奏者達。ライスター、コッホ、ビースク、ザイフェルト、キラ星の如きスーパースター集団だつた。中でもゴールウェイの存在感は抜きん出ていた。『カラヤンを振った男』といわれた彼が、独立後に収録したこのモーツァルトを聴くと、その素晴らしさに酔い痴れると同時に、やはり独奏者として活躍する人だったんだなと痛感する。

極めて優れた演奏だ。ドイツ・オーストリア系の巨匠で、同時代の音楽を積極的に取り上げる例は少ないが、カラヤンは、大衆路線ばかりでなく、バルトークやシベリウス、プロコフィエフやストラビンスキーにも名演を残している。ただし、得意のバルトークに関しては、私個人としては、先のEMI盤を採りたい。グラモフォン盤が秀演であることは間違いないが、EMI盤には、何かに憑かれたような熱気というものがあったのだ。

カラヤンのベートーベンの交響曲のベストは、やはり70年代の完全無欠な全集にとどめを刺すが、ボックス入りのLPレコードということならば、文句なく買いだ。発売当初から飛ぶように売れた伝説の名盤だ。普遍的な、規範ともなり得る録音ということなら、これが一番かも知れない。

カラヤンのブラームスで、どれが良いかと問われたならば、73年に映像収録された全集か、或いは83年のザルツブルクライブだと思うが.、ベルリンフィルとの三種の神器正規録音も、ウィーンフィルとの第一、第三も、いずれも素晴らしい。この全集も、ボックス入りのLPレコードならば、迷うことなく買いだろう。

もの凄い流れに巻き込まれるような壮絶な演奏。まるでライブ演奏のような勢いがある。カラヤンとベルリンフィルの最高の演奏は、73年に映像収録された全集か、83年のザルツブルクライブだと思うが、録音条件など加味すれば、これも捨て難い。絶頂期は過ぎたとはいえ、表現意欲は旺盛でまだ枯れてはいない。一般的には、ブラームスの交響曲のファーストチョイスとしていいだろう。

彼等は、いったいどれくらいこの曲を演ったのだろうか? このコンビの十八番《ブラ一》ならば、体調が悪かろうが、関係が悪かろうが、一旦舞台に立てば、とてつもない音楽が鳴り響くのだ。率直に言って、彼等のピークはとうに過ぎ去っていた。それでもこれだけの感動を与えられるのだから畏れ入る。ロウソクの炎は、消える直前に、ひときわ明るく燃えるという。この史上最強のコンビの最後の輝き堪能すべし。

カラヤンが、ありとあらゆる手法を駆使して、ベートーベンの偉大な作品を表現し尽くそうと、悪戦苦闘した記録である。演奏レベルとしては最高水準に達しているものの、演出の仕方やコンセプトに疑問を感じることは否定できない。しかしながら、何とかして、これらの楽曲の本質を描き尽くしたいという執念には、むしろ畏怖の念を抱く。どうしても、こうせざるを得なかったのだろう。

カラヤンが、ありとあらゆる手法を駆使して、ベートーベンの交響曲を表現し尽くそうという実験を試みた、悪戦苦闘の記録である。演奏レベルとしては最高水準に達しているものの、演出の仕方やコンセプトに疑問を感じることは否定できない。しかしながら、何とかして、このベートーベンの偉大な作品の素晴らしさを伝え切りたいという執念には、むしろ畏怖の念を抱く。どうしても、チャレンジせざるを得なかったのだろう。

ブラームスの交響曲の最高の演奏が記録されている。カラヤンとベルリンフィルが、自他ともに認める絶頂期にあった時代に、彼等の最も得意とする楽曲に取り組んだのだから、当然の結果とも言えようが、ただただ圧倒されるばかりだ。フルトベングラーもトスカニーニも凄いが、これを聴けば、カラヤン/ベルリンフィルというコンビが如何なる存在だったのかが、たちどころに理解できるだろう。

カラヤン得意の後期の交響曲。特に第8番は、まだブルックナーが殆ど知られていない日本での公演曲目に取り上げ、感動的な演奏を披露している。ウィーンフィルとの最晩年ライブが世評が高いが、やはり、70年代の完全無欠の演奏を採るべきだろう。ロマンティックでは、先のEMI盤の美麗極まりない名演を超えられなかったカラヤンだが、ここでは、彼とベルリンフィルのベストフォームを刻印出来ている。

カラヤンにとってのライフワーク、それは、指環の理想的な上演だった。なにしろ、そのために、私財を投げ打って、ザルツブルクイースター祭を創設したのだから、その執念たるや、凄まじいものがある。その時、彼とベルリンフィルは、まさに絶頂期にあった。四部作を一年に一作品ごと、手塩にかけて仕上げていった。この天下の名盤は、こうして出来上がった。悪かろうはずがない。

カラヤンは、彼の全盛期に、弦・チェレを再録音している。彼の盤歴で、全盛期の録音を凌駕するものに出会うことは、そうはないのだが、これは、その稀な一例だ。もちろん、グラモフォンへの再録音も文句のつけようのない名演だが、この物々しさ、何とも表現し難い熱気には、抗し難い魅力がある。画家マティスが、カラヤン唯一の録音というのも貴重だ。

カラヤンが得意とした作曲家の一人、バルトークの最高傑作を、全盛期のカラヤン/ベルリンフィルという最強コンビが収録しただけあって、素晴らしい出来栄えだ。先のグラモフォンへの録音も極めて優れた演奏だったが、さらに洗練の度合いを高めている。実際、カラヤン自身も、この録音の出来栄えには、大いに満足していたという。

あらゆる面でオーソドックス。爽やかさでは、ビノック盤やホグウッド盤、面白さではビケ盤もお薦めだが、どれか一つと言われたら、迷った挙句、ガーディナー盤か?

この素晴らしい作品の決定的名盤。これを聴いて、どれだけの友人がこの名盤を購入したことか。

他にもよい演奏がないわけではないが、この圧倒的な名演の前には、全てが色褪せてしまう。カラヤン自身も、先にウィーンフィルと、後にベルリンフィルと、いずれも素晴らしい録音を残しているが、全盛期にあたるこの時期の奇跡的な演奏が、やはりベスト。録音も含めて、これ以上魅力的なレコードが誕生する可能性はあるのだろうか?

もしかしたら、カラヤンのベスト盤は、これかもしれない。それほどに、非の打ち所のない名演が展開されている。作品の本質を突いた、圧倒的な演奏に、ただただ聴き入るばかり。

この新譜が発売された頃、カラヤンは既に全盛期を過ぎて、老化現象というか、バランス感覚的に疑問を禁じ得ない状況で、ハラハラドキドキしながら試聴した。ところが、蓋を開けてみれば、それまでケンべ/ドレスデン盤がベストとされていたのをひっくり返す、大逆転ホームランだった。桁違いのスケールと、明晰な描写とが両立した、まさに決定盤の登場に驚愕したものだった。今も、その地位が脅かされることはない。

この作品の主人公にカラヤンを見立てて、「英雄の生涯こそが、数多あるカラヤンのレパートリーの中での十八番」と云われるが、果たして、素晴らしい演奏だ。シュトラウスであれば、カラヤンのことだから、どの作品だって駄演、凡演はあり得ないが、それでも、出来不出来がないわけではない。どれを取るかと問われたならば、やはり、全盛期の70年代のものということになろう。この作品を語る上では、必聴の名録音だ。

カラヤンが、どのような思いで、シュターツカペレとマイスタージンガーを録れることにしたのか今となっては分からないが、素晴らしいレコードが誕生したことを喜びたい。ベルリンフィルとでも、ウィーン国立歌劇場とでも、かけがえのない名演が期待出来ることは間違いないが、結果として(ライブ録音を除き)このコンビの唯一の記録となった。この、ドイツ音楽の粋を示した人類の至宝ともいうべき銘品が廃盤とは。

まさにカラヤンにしか創れないレコード。テーマに沿って組み上げられた選曲の妙、そして精妙極まりない演奏。独壇場というのだろうか? 20世紀には、コンサートでも、レコードでも、幸せな、満ち足りた時間を約束してくれる機会があったのだが、今では大曲を並べるのが正当とも言わんばかりの状況だ。そのような現代社会にあって、こうしたレコードでの有難さが身にしみる。

カラヤン得意の展覧会の絵。中でもこの演奏は最高だ。カラヤン/ベルリンフィルの全盛期に差し掛かろうという1960年代の半ばの演奏にハズレはない。些か硬直的なところが気になる後年の録音に比べて、よりフレキシブル、よりダイナミック。全ての面でしっくりくる。これに比肩するのは、オーマンディーくらいではないか?

アンセルメ、コンドラシン、ゲルギエフ、オーマンディ、それぞれに素晴らしいが、こうしたレパートリーでは、全盛期のベルリンフィルのスタープレイヤーの名技の前には、他のどの演奏も到底太刀打ち出来ない。カラヤン/ベルリンフィルの実力をまざまざと見せつけられる、圧倒的な名演。

少し遅かった! 全盛期を過ぎたカラヤンの硬直した部分が露呈している。1970年代前半に夏のザルツブルクで演った名演が忘れられない。それでも他のレコードと比べれば、カラヤンとベルリンフィルにしか表現出来ないデリケートで、それでいてダイナミックな演奏は次元が違う。ターリッヒ、クーベリック、ノイマン、ケルテスで良しとするか、ザルツブルクでの超名演を偲びつつ、この演奏で我慢するか。悩ましい。

若きカラヤンの愉悦感と爽快感に溢れた名演だ。後に、ベルリンフィル、ウィーンフィルと再録音をしているが、この曲に関しては、これがベスト。クーベリックやノイマンほかの素晴らしい名演もあるが、これ以上の魅力があるかと問われれば、答えに窮する。個人的には、今も昔も、それほどにこの演奏に魅了されている。

(全65件)