ヴィヴァルディ47歳のときの作品で、「春」「夏」「秋」「冬」の4つのヴァイオリン協奏曲から成っています。各曲にはソネット(14行から成る定型詩)が付いていて、たとえば「春」には「春がやってきた。楽しげに。小鳥が幸せに満ちた歌を歌い、喜んで春を迎える…」という詩がつき、音楽がその情景を描写しています。この作品はヴィヴァルディの生前に人気を博しましたが、19世紀のロマン派の時代に一度忘れられ、第2次大戦後の世界的な「バロック・ブーム」に乗って人気作品として復活しました。
名前 | アントニオ・ヴィヴァルディ(Antonio Vivaldi) |
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生没年 | 1678年3月4日 - 1741年7月28日 |
出身地 | イタリア、ヴェネツィア |
あだ名 | 赤毛の司祭 |
音楽の様式 | バロック音楽 |
同時代人物 | 大岡忠相(1677~1752) |
ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集《四季》作品8の1-4
フェリックス・アーヨ(ヴァイオリン)イ・ムジチ合奏団
1959年のアナログ・ステレオ録音。ヴィヴァルディと同じイタリアの音楽家たちが録音した《四季》で、その明るい音色と美しいメロディの歌わせ方、流麗な演奏スタイルで世界的なベストセラー盤となりました。録音も今もって瑞々しい魅力をもっています。
ヴィヴァルディ:マンドリン協奏曲集
クラウディオ・シモーネ指揮イ・ソリスティ・ヴェネティ
ウゴ・オルランディ、ドリーナ・フラティ(マンドリン)
ダスティン・ホフマン主演映画「クレイマー・クレイマー」や、テレビBGMなどでも使用されている「ヴィヴァルディ:マンドリン協奏曲 ハ長調」など、マンドリンの魅力を凝縮したヴィヴァルディの作品収録した1枚。ヴィヴァルディの優雅な旋律が、マンドリンならではの素朴で可憐な響きと相まって、ゆったりとした気分を味わえます。
ヴィヴァルディ:フルート協奏曲集
有田正広(フラウト・トラヴェルソ)東京バッハ・モーツァルト・アンサンブル
ヴィヴァルディはフルート(当時は木製の横笛でフラウト・トラヴェルソと呼ばれました)のために「海の嵐」「夜」「ごしきひわ」など面白いニックネームがついた協奏曲を6曲作りました。いずれも美しく親しみやすいメロディをフルートが鮮やかなテクニックで吹いてゆく楽しい作品です。ここではヴィヴァルディ当時の楽器と演奏法を復元して演奏していています。
1992年、大阪出身のシンガーソングライター、嘉門達夫が歌う「鼻から牛乳」は、バッハの荘厳なオルガン曲、「トッカータとフーガ ニ短調」とコミカルな歌詞内容のあまりの落差に、多くの方に衝撃を与えたことと思います。同時にこのメロディが日本で幅広く知られているからこそ生まれた替え歌であることも再認識されました。この作品は他にも1940年のアニメ映画「ファンタジア」、1990年の映画「グレムリン2」、また多くのテレビ・ドラマやゲーム・ミュージックとして使われています。
名前 | ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach) |
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生没年 | 1685年3月31日 - 1750年7月28日 |
出身地 | ドイツ、アイゼナハ |
あだ名 | 音楽の父 |
音楽の様式 | バロック音楽 |
同時代人物 | 徳川吉宗(1684~1751) |
バッハ:トッカータとフーガ ニ短調 BWV.565
サイモン・プレストン(オルガン)
1988年のデジタル・ステレオ録音。イギリスの名オルガン奏者、プレストン(1938~)の演奏によりバッハの有名なオルガン作品を1枚で味わえるCDです。雄大、荘厳な「トッカータとフーガ ニ短調」、同じく悲劇的な内容をコンパクトな規模に収めた「小フーガ ト短調」、規模壮大にして明るく輝かしい「トッカータ・アダージョとフーガ ハ長調」など、10曲を楽しむことができます。
バッハ:ブランデンブルク協奏曲第5番
ラインハルト・ゲーベル指揮
ムジカ・アンティクヮ・ケルン
バッハがドイツ北西部のケーテンの宮廷楽長を務めていた36歳のときに作曲した作品です。ブランデンブルク辺境伯(現在のベルリンを含む地域を治める領主)のために書かれたので「ブランデンブルク協奏曲」という名前が付いています。ソロのヴァイオリンとフルートとチェンバロが、小編成のオーケストラをバックに活躍する、雅やかで華やかな作品です。このCDではバッハ当時の楽器と演奏法を復元して演奏しています。
バッハが音楽を手ほどきしたヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルクが、不眠症に悩むカイザーリンク伯爵のためにこの曲を演奏したという逸話から「ゴルトベルク変奏曲」のニックネームで知られています。演奏はカナダの伝説的なピアニスト、グレン・グールドが亡くなる前年、1981年にデジタル録音したものです。クラシック・ファンなら知らぬ人のいない有名なCDです。
1972年、フランスのポップス歌手、シルヴィ・バルタンが歌った「哀しみのシンフォニー」は世界的なヒット曲となりましたが、この哀愁に満ちたメロディを作曲したのは約200年前の天才作曲家モーツァルトでした。モーツァルトは33歳のときに交響曲第39番から第41番「ジュピター」まで3つの交響曲を一気に作曲しましたが、彼が35歳で亡くなったため、結果として最後の交響曲集となり、彼の「3大交響曲」と呼ばれています。
名前 | ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart ) |
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生没年 | 1756年1月27日 - 1791年12月5日 |
出身地 | オーストリア、ザツツブルク |
あだ名 | 神童 |
音楽の様式 | ウィーン古典派 |
同時代人物 | マリー・アントワネット(1755~1793) |
モーツァルト:交響曲第40番 ト短調 K550
クリストファー・ホグウッド指揮エンシェント室内管弦楽団
1981&82年のデジタル・ステレオ録音。イギリスの指揮者、鍵盤楽器奏者、音楽学者のホグウッド(1941~2014)は、世界で初めてモーツァルトの全交響曲をモーツァルトの時代の楽器と奏法を時代考証して録音し、モーツァルトの演奏史に輝かしい業績を残しました。その記念碑的全集の中の1枚で、ホグウッドの豊かな感性による清涼感に溢れた瑞々しい演奏によりモーツァルトの傑作がひときわ美しく再現されています。
モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク
オルフェウス室内管弦楽団
ドイツ語で「アイネ」は不定冠詞、「クライネ」は「小さな」という意味の形容詞、「ナハトムジーク」はNacht(夜)+Musik(音楽)の合成名詞で、日本語で「小夜曲(さよきょく)」と訳されたこともありました。テレビCMや商業施設のBGMなどでしばしば使用される、あまりにも有名なメロディをもっています。
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番「トルコ行進曲付き」
フリードリッヒ・グルダ(ピアノ)
モーツァルトが生きた18世紀末のヨーロッパは、東方のオスマン・トルコ軍がしばしばオーストリアに侵攻して人々の脅威となっていました。トルコ軍楽隊メフテルによる勇猛果敢な行進曲は、エキゾチックな魅力となって、ウィーンでその音楽が流行するという不思議な現象が起こりました。モーツァルトもトルコ趣味に魅せられた一人で、この曲以外にもヴァイオリン協奏曲やオペラにトルコ音楽を取り入れて作曲しました。
1972年、ヨーロッパの統合に取り組む国際機関、欧州評議会(Council of Europe)はベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」第4楽章「歓喜の歌」の前奏部分を「欧州の歌」として採択。指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンに編曲を依頼し、カラヤンは公式演奏を録音しました。この「歓喜の歌」は、このほかにも1989年の東欧革命やベルリンの壁崩壊、1998年の長野オリンピックなど、祝祭典にしばしば演奏されるほか、日本では「年末の第九」としてすっかり定着しています。また、1982年に発売開始されたCDのサイズ(収録時間)を決定する際、カラヤンの「ベートーヴェンの第九が1枚に入る長さが望ましい」との言葉から、直径12センチに決まったという経緯があります。
名前 | ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven) |
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生没年 | 1770年12月16日 - 1827年3月26日 |
出身地 | ドイツ、ボン |
あだ名 | 楽聖 |
音楽の様式 | ウィーン古典派~ロマン派 |
同時代人物 | ナポレオン・ボナパルト(1769~1821) |
ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」 ニ短調 作品125
カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ほか
1970年のアナログ・ステレオ録音。生前カラヤンと人気を二分したオーストリア出身の名指揮者ベームがベートーヴェンの生誕200年を記念して録音した「第九」で、悠揚迫らぬ雄大なスケールとウィーン・フィルの伝統の響きにたっぷりと浸ることのできる1枚です。1970年の音楽之友社主催、第8回レコード・アカデミー賞受賞盤です。
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」
カルロス・クライバー指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
「運命はこのように戸を叩く」ベートーヴェンが弟子のシントラーに語ったという言葉により、「運命」のニックネームで知られるこの名曲。ところが欧米では単に「第5番」とか「ハ短調交響曲」と呼ばれるそうで、シントラーとの逸話も否定説が主流となっています。しかし、ニックネームがつく、つかないに関わらず、この作品が大名曲であることは変わりありません。20世紀最後のカリスマ指揮者クライバーによる、音楽が奔流のように押し寄せる圧倒的な名演奏です。
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番「月光」
エミール・ギレリス(ピアノ)
ドイツの詩人、音楽評論家のレルシュタープが「月光の波に揺らぐ小舟のよう」と形容したことから標題が付けられた「月光」。ベートーヴェンのピアノ・ソナタの名作をロシア出身の名ピアニスト、ギレリスの演奏で収録したアルバムです。彼の硬質で透徹したピアノの音と、瞑想的な表現をお楽しみください。
よく音楽室に貼ってあった作曲家の肖像画で、めがねをかけたシューベルトの肖像画はひときわ目立つものでした。めがねがトレードマークだったシューベルトは、寝る時もめがねをかけていたそうです。これには理由があって、起きてからひらめいた曲をすぐ楽譜に書くためだったと伝えられています。
名前 | フランツ・ペーター・シューベルト(Franz Peter Schubert) |
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生没年 | 1797年1月31日 - 1828年11月19日 |
出身地 | オーストリア、ウィーン |
あだ名 | 歌曲王 |
音楽の様式 | ウィーン古典派~ロマン派 |
同時代人物 | 大塩平八郎(1793~1837) |
シューベルト: ピアノ五重奏曲「ます」, 楽興の時
イェルク・デムス(ピアノ)シューベルト四重奏団
1958~59年のアナログ・ステレオ録音。ウィーンの作曲家の名曲をウィーンの演奏家たちが演じた1枚。ピアノ五重奏曲「ます」は、第4楽章にシューベルトの自作歌曲「ます」の主題の変奏曲をもつ、メロディの美しい、親しみやすい作品です。この作品の明るい色彩、清冽な音楽の流れ、軽やかなリズムが、これほど自然に、気品のある美しさで再現された例は稀だと思います。カップリングの「楽興の時」は6曲からなるピアノ曲で、シューベルトの頭に浮かんだ楽想の移ろいを、そのまま書き留めたような作品。とくに第3番は有名です。
シューベルト:交響曲第8番「未完成」
ジュゼッペ・シノーポリ指揮
フィルハーモニア管弦楽団
シューベルトが25歳とき、1822年に作曲した未完成の交響曲で、第1、第2楽章しか完成されませんでした(通常の交響曲は4つの楽章から成ります)。彼の生前には演奏されず、死後37年経った1865年に、ウィーンで初めて演奏され、その美しさが当時の音楽界にセンセーションを巻き起こすとともに、たちまち不滅の名曲として認知されるようになりました。彼の死後に発見されたため、何番目の交響曲にあたるかに議論があり、近年では第7番と表示されることも増えています。
シューベルト:ます、アヴェ・マリア
エリー・アメリング(ソプラノ)
旋律が泉のように湧き出て次々に歌曲を作曲したことから「歌曲王」と呼ばれるシューベルト。彼の数多くの歌曲の中から、21曲を厳選して美声と知的な解釈で知られた名歌手アメリングが歌った楽しいアルバムです。「ます」のメロディはピアノ五重奏曲「ます」の第4楽章にも使われました。聖母マリアを讃える「アヴェ・マリア」の詩には多くの作曲家が曲を付けていますが、シューベルトのそれは間違いなくベストを争うものと言えます。
失恋、といえば「別れの曲」。もともとショパン作曲の24曲ある練習曲の第3番ホ長調で、とくにあだ名はついていませんでした。この曲が、1934年にドイツで制作されたショパンの伝記映画「別れの曲」でメインテーマとして使用され、翌年に日本で上演されたことから、日本では「別れの曲」という題名で知られるようになりました。
名前 | フレデリック・ショパン(Frederic Chopin) |
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生没年 | 1810年3月1日(諸説あり) - 1849年10月17日 |
出身地 | ポーランド、ジェラゾヴァ・ヴォラ |
あだ名 | ピアノの詩人 |
音楽の様式 | ロマン派 |
同時代人物 | 緒方洪庵(1810~1863) |
幻想即興曲&革命のエチュード~ショパン名演集
ハリーナ・チェルニー=ステファンスカ(ピアノ)
タイトル曲のほかに「別れの曲」「軍隊ポロネーズ」「雨だれ」など、ショパンの有名作品が計35曲収録されています。ポーランド出身のチェルニー=ステファンスカ(1922-2001)は1949年にショパン国際コンクールで優勝した名ピアニストで、正統のショパン解釈の継承者としてコンサートに、教育分野に活躍しました。
ショパン:ピアノ協奏曲第1番
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団
5年に一度、ショパンの母国ポーランドのワルシャワで開催されるショパン国際ピアノ・コンクールは、若手ピアニストの登竜門として広く知られています。その最終審査でオーケストラとともに演奏されるのがショパンのピアノ協奏曲です。憂愁に満ちたメロディーに始まり、「スター誕生!」を感じさせる華やかなフィナーレで結ばれる名曲を、1965年のコンクール優勝者、アルゲリッチが卓越したテクニックとセンス溢れる表現力で見事に演じています。
ショパン:レ・シルフィード(風の精)
ユージン・オーマンディ指揮
フィラデルフィア管弦楽団
ショパンが亡くなってずっと後になってから、ロシアのマリインスキー劇場の振付師だったミハイル・フォーキンはショパンの名曲をセレクトしてクラシック・バレエの演目としました。元々はすべてピアノ曲ですが、華やかなバレエの舞台に合わせてオーケストラ編曲され、「レ・シルフィード」(風の精)というタイトルが付けられました。ショパンの美しいメロディをオーケストラで楽しめるため、今日ではバレエの舞台だけでなく演奏会でも演奏されるようになりました。
生涯独身だったブラームスは、30代でウィーンを本拠地としてから、朝は公園を散歩して、昼には「赤いはりねずみ」という名前のレストランに出かけて食事をするのが習慣でした。このレストランで彼の大好物は肉団子のスープだったそうです。ブラームスの音楽が親しみやすいのは、こうしたレストランやカフェで接した当時のポピュラー・ミュージックからの影響もあったのかも知れません。
名前 | ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms) |
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生没年 | 1833年5月7日 - 1897年4月3日 |
出身地 | ドイツ、ハンブルク |
あだ名 | バッハ、ベートーヴェンに続く「ドイツ三大B」の1人 |
音楽の様式 | ロマン派 |
同時代人物 | 福沢諭吉(1835~1901) |
ブラームス:交響曲第1番
ギュンター・ヴァント指揮シカゴ交響楽団
1989年1月のデジタル・ライヴ録音。ブラームスが20年もの歳月をかけて、43歳のときに完成した交響曲第1番は、当時より「ベートーヴェンの10番目の交響曲の様だ」と評されました。ドイツの巨匠ヴァント(1912~2002)ならではの緻密な解釈が、シカゴ交響楽団の輝かしく圧倒的な名人芸によって、実際の音として鳴り響いた名演奏です。
ブラームス:ハンガリー舞曲集
ラベック姉妹(ピアノ・デュオ)
ブラームスは作曲家として成功する前は、ピアニストとして生計を立てていました。若き日にハンガリーのヴァイオリニスト、レメーニと二重奏を組んでいたときに、レメーニから魅力的なロマ(ジプシー)音楽をたくさん教わり、自分でもロマ音楽を採譜するようになりました。ブラームスは後年、それらを四手用の「ハンガリー舞曲集」として楽譜出版すると空前の大ヒット。悔しがるレメーニはブラームスを訴えますが、ブラームスは「編曲者」として出版したため勝訴した、という逸話が残っています。
ブラームス晩年の作品から「間奏曲」(インテルメッツォ)ばかりを集めたアルバムです。「間奏曲」とは本来、間に演奏する経過的な楽曲を意味しますが、ブラームスが生きたロマン派の時代には、日常のそこはかとない気分や情景を捉えた単独の楽曲のタイトルとして使用されるようになりました。郷愁と渋いロマンに満ちたブラームス晩年の枯淡の境地を、伝説的なピアニスト、グレン・グールドが慈しむように演奏しています。
サッカーの試合で応援団によりよくア・カペラで歌われるのは、ヴェルディの歌劇“アイーダ”の凱旋行進曲です。オペラの舞台は古代エジプト。1869年のスエズ運河開通を記念して開設されたエジプト、カイロのオペラハウスで、1871年に初演されました。ヴェルディはこの場面のために「アイーダ・トランペット」という管長1.2メートルの特注楽器を作り、音響的に壮麗で、見た目にもエキゾチックな効果を生み出しました。
名前 | ジュゼッペ・ヴェルディ(Giuseppe Verdi) |
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生没年 | 1813年10月10日 - 1901年1月27日 |
出身地 | イタリア、パルマ |
あだ名 | 歌劇王 |
音楽の様式 | ロマン派 |
同時代人物 | 井伊直弼(1815~1860) |
イタリア・オペラ管弦楽・合唱名曲集
アンドレア・バッティストーニ指揮
カルロ・フェリーチェ歌劇場管弦楽団&合唱団
1枚でイタリア・オペラの醍醐味を楽しめるイタリアの新進指揮者バッティストーニによる2014年録音盤です。ヴェルディの歌劇「アイーダ」より凱旋行進曲はもちろん、やはりサッカー放送でしばしば用いられるヴェルディの歌劇「ナブッコ」より「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」、美しい旋律で知られるプッチーニの歌劇「マノン・レスコー」間奏曲、ラストの行進曲があまりにも有名なロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲など、好選曲とダイナミックな演奏、優秀な録音が光ります。
ヴィオレッタ~ヴェルディ:歌劇「椿姫」抜粋
アンナ・ネトレプコ(ソプラノ)
卓越した実力とその美貌によっても名高い、現代を代表するオペラ歌手の1人、ネトレプコ。彼女がヴェルディの名作オペラ「椿姫」の悲劇のヒロイン、ヴィオレッタを演じたアルバムです。2005年のザルツブルク音楽祭で大評判を呼んだ「椿姫」のライヴから、その聴きどころのアリアとデュエットをセレクトしています。
誰も寝てはならぬ/珠玉のオペラ・アリア集
フレーニ、ベルガンサ、ベルゴンツィ、フィッシャー=ディースカウ、バスティアニーニ、他
ヴェルディを中心として、先輩作曲家のモーツァルトとロッシーニ、後輩にあたるビゼー、プッチーニ、ジョルダーノという6人のオペラ作曲家による有名なアリア16曲を選曲した、珠玉のオペラ・アリア集です。「魔笛」~夜の女王のアリア、「リゴレット」~女心の歌、「カルメン」~ハバネラ、「トゥーランドット」~誰も寝てはならぬ、など、きっとどこかで聴いたことのある名曲がズラリと揃っています。
「白鳥」をテーマとしたクラシック音楽はワーグナーやサン=サーンス、シベリウスなども手がけましたが、最も有名なのはチャイコフスキーのバレエ「白鳥の湖」でしょう。1877年、チャイコフスキーが37歳の時にモスクワのボリショイ劇場で初演されましたが、初演当初は不評でした。このバレエが名作と認められたのはチャイコフスキーが亡くなった翌々年、サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場が復活蘇演したときでした。とくにオーボエが物悲しい旋律をを吹く第2幕の「情景」は有名です。
名前 | ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(Peter Ilyich Tchaikovsky) |
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生没年 | 1840年5月7日 - 1893年11月6日 |
出身地 | ロシア、ヴォトキンスク |
あだ名 | 悲哀の権化 |
音楽の様式 | ロマン派 |
同時代人物 | 渋沢栄一(1840~1931) |
チャイコフスキー: 3大バレエ(ハイライツ)
アナトール・フィストゥラーリ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、ほか
1961年のアナログ・ステレオ録音。長年パリ・シャトレ座やバレエ・リュス・ド・モンテカルロの指揮者を務めたフィストゥラーリはバレエ音楽のスペシャリストとして知られています。とくに「白鳥の湖」を得意とし、英デッカに3回の録音を残しています。これは録音、演奏ともに最も優れていると定評のある2回目の録音で、エレガントで豊かな雰囲気とスケールの雄大さに魅せられます。チャイコフスキーの他の有名バレエ「くるみ割り人形」と「眠りの森の美女」がカップリングされているのも魅力です。
チャイコフスキー:弦楽セレナード
ネヴィル・マリナー指揮
アカデミー室内管弦楽団
クラシック愛好家だけに知られていたこの名曲も、人材派遣会社のテレビCMで使われてから一躍広く知られるようになりました。チャイコフスキーは大のモーツァルト・マニアで、彼の作品集の楽譜を書斎に備えていました。その憧れのモーツァルトの弦楽セレナードのスタイルで書かれたのがこの作品です。4つの楽章が、何れも美しいメロディーと豊かなハーモニーで溢れていて、とくにロシアの冬の風情が浮かぶような第3楽章エレジーは深い感動に満ちています。
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
ホルヘ・ボレット(ピアノ)
シャルル・デュトワ指揮
モントリオール交響楽団
チャイコフスキーは1875年にこの名曲を作曲し、モスクワの友人のニコライ・ルビンシテインに初演を依頼しました。ところがニコライは、この作品の真価を見抜けずこれを拒絶。チャイコフスキーはドイツ人ピアニスト、指揮者のビューローに初演を依頼し、ビューローはアメリカ、ボストンでこの曲を初演。大成功を収め、モスクワのチャイコフスキーの許へ電報で伝えました。ニコライは自分の非を認め、その後はこの協奏曲を演奏して広める側へ廻りました。録音や放送の技術がまだ無かった時代、名曲はこのようにして認知されていったのでした。
学校の放課後や公共施設の閉館の音楽に今でもよく用いられる「家路」。イングリッシュホルンが歌う哀愁にみちた旋律には、1892年から95年にかけて新天地アメリカに滞在し成功を勝ち得たドヴォルザークの故郷チェコへの思いが満ち満ちています。そしてドヴォルザークの郷愁は、日本人の心にも深く訴えかけたことから、これだけ有名な旋律となったのでしょう。
名前 | アントニン・ドヴォルザーク(Antonin Dvorak) |
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生没年 | 1841年9月8日 - 1904年5月1日 |
出身地 | チェコ、プラハ郊外ネラホゼヴェス |
あだ名 | チェコ音楽創造の父 |
音楽の様式 | ロマン派、国民楽派 |
同時代人物 | ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841~1919) |
ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」、交響曲第8番
クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮クリーヴランド管弦楽団
1984年のデジタル・ステレオ録音。ドホナーニ(1929~)はベルリン生まれの現役の巨匠指揮者です。1984年から2002年まで名門クリーヴランド管弦楽団の音楽監督を務め、その黄金時代を築きました。ダイナミックにして細部まで繊細な目が行き届き、情感にもみちた演奏はドヴォルザークの名作をひときわ美しく再現しています。
ドヴォルザーク:スラヴ舞曲集
クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮
クリーヴランド管弦楽団
ブラームスのハンガリー舞曲集を出版して大成功した楽譜出版社のジムロックは、ブラームスが可愛がっていた後輩のドヴォルザークに、同じような作品集の作曲を依頼します。そこでドヴォルザークが故郷チェコの民俗舞曲のスタイルで作曲したのが「スラヴ舞曲集」です。ハンガリー舞曲集と同じくピアノ連弾曲として書かれ、楽譜はすぐに評判となりました。その後、ドヴォルザークは自身でそれらをオーケストラ編曲して発表。たちまち世界中のオーケストラのレパートリーとして定着しました。
ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」
アマデウス弦楽四重奏団
音楽史上最高の「鉄オタ」と言えばドヴォルザーク。駅員よりも駅のダイヤに精通し、時には勝手に車掌になりきっていた、など吹き出してしまいそうな数多くの逸話が残っています。彼がアメリカ滞在中に書いたこの名曲の第4楽章にも、シュッシュッポッポ、シュッシュポッポ、というリズムが出てきて、彼が鉄道音楽を潜ませていたことが分かります。なんでもアメリカの音楽院の院長となる話を受けたのも、アメリカの鉄道を見たかったのが第1の理由とか…
19世紀後半より日本美術がヨーロッパ各国に紹介されはじめ、芸術家たちは大きな影響を受け「ジャポニスム」と呼ばれる潮流が生まれます。フランスの作曲家ドビュッシーも日本の浮世絵や工芸品が集められた書斎で作曲活動を行いました。そして1905年に作曲した交響詩「海」の初版楽譜の表紙に、葛飾北斎の冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」の模写を印刷して、作品に描かれた「波の戯れ」や「風と海の対話」のイメージを重ね合わせたのでした。
名前 | クロード・ドビュッシー(Claude Debussy) |
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生没年 | 1862年8月22日 - 1918年3月25日 |
出身地 | フランス、サン=ジェルマン=アン=レー |
あだ名 | 近代音楽の父 |
音楽の様式 | 印象派 |
同時代人物 | 森鴎外(1862~1922) |
ドビュッシ-: 交響詩「海」、夜想曲、バレエ音楽「遊戯」 他
ピエール・ブーレーズ指揮クリーヴランド管弦楽団
1993年のデジタル・ステレオ録音。フランスの現代作曲家で指揮者のブーレーズ(1925~2016)が、世界屈指のアンサンブルの精度と美しさを誇るクリーヴランド管弦楽団を駆使して、ドビュッシーの精緻な作曲技法を細やかに描き出した定評ある名演奏です。1899年に完成したドビュッシーのもう一つの代表的な管弦楽曲「夜想曲」がカップリングされているのも魅力です。
ドビュッシー: 「子供の領分」「ベルガマスク」組曲, 前奏曲集第1巻~「亜麻色の髪の乙女」&「沈める寺」 他
ゾルターン・コチシュ(ピアノ)
1904年、42歳のドビュッシーは妻リリーを捨て、裕福な銀行家の妻だったエマと駆け落ちして、世間の厳しい批判を浴びました。しかしエマとの新生活はドビュッシーにとって幸福で、エマとの間の娘クロード・エマを「シュシュ」と呼んで溺愛。1908年、3歳の「シュシュ」のために書かれたのが名作「子供の領分」です。6つの小品からなり、各曲のタイトルは「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」、「象の子守歌」、「人形へのセレナード」、「雪は踊っている」、「小さな羊飼い」、「ゴリウォーグのケークウォーク」。時に詩的で、時にユーモラスな彼の命名法は、彼のピアノ曲全般に見られます。
月の光~ドビュッシーによるメルヘンの世界
冨田勲(シンセサイザー)
放送・映画の世界を中心に作・編曲家として活動していた冨田勲が、1974年に発表したドビュッシー作品のシンセサイザー化アルバム(アメリカ盤タイトルは“Snowflakes Are Dancing”)。日本よりも先にアメリカで認められ、ビルボード・クラシカル・チャートで第1位を獲得し、1975年度のグラミー賞にノミネートされるなど高い評価を受けました。FM番組のテーマ音楽やBGMでしばしば用いられ、原曲のドビュッシーのピアノ曲よりも広く知られるようになりました。
1968年公開のスタンリー・キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」の中で、極めて印象的に用いられたことにより、クラシック・ファン以外にも広く知られるようになったのがリヒャルト・シュトラウス作曲の交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」導入部(日の出)です。同じシュトラウス姓には「ワルツ王」で知られるヨハン・シュトラウス2世(1825~1899)がいますが、血縁はありません。リヒャルトの方が約40歳年下ですが、生前ヨハンと間違えられることがしばしばあったようです。
名前 | リヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss) |
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生没年 | 1864年6月11日 - 1949年9月8日 |
出身地 | ドイツ、ミュンヘン |
あだ名 | 音の魔術師 |
音楽の様式 | 後期ロマン派 |
同時代人物 | 二葉亭四迷(1864~1909) |
R・シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」「ドン・ファン」 他
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1959年のアナログ・ステレオ録音。まさに映画「2001年宇宙の旅」の映画の中で使われたのが、このカラヤン指揮ウィーン・フィルの音源です。録音当時、クラシック・ファンの中でもこの作品はあまり知られておらず、カラヤンのステレオ録音の登場により一躍有名になったという経緯がありました。2分間の序奏のあと、約30分にわたって繰り広げられるロマンティックで劇的な音楽を、カラヤンとウィーン・フィルはダイナミックに、壮麗に演じています。英デッカの録音も今もって鮮烈を極めます。
R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1898年、34歳のR.シュトラウスが作曲した壮大な自分賛歌の音楽です。作品後半の「英雄の業績」の部分では、自分の過去の有名作品のメロディーが次々に現れます。CDはたくさん出ていますが、20世紀後半に「楽壇の帝王」の名を欲しいままにした名指揮者カラヤンがその絶頂期にベルリン・フィルと録音したこのアルバムはLP時代からの名盤として知られています。革ジャンを着て不機嫌そうにカメラを睨みつけている当時66歳のカラヤンを捉えたジャケット写真も、大きな話題を呼びました。
ニューイヤー・コンサート1987
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
こちらは同じシュトラウスでもリヒャルトではなく、約40歳年上の“ワルツ王”ヨハン。同姓であることからよく間違えられたというリヒャルトですが、血縁はありません。ここではリヒャルトの壮大な作品を得意としたカラヤンが、1987年に生涯一度だけ、ヨハン・シュトラウスのワルツの祭典であるウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートに出演した際のライヴ録音をご紹介いたします。有名ワルツの数々をお楽しみいただきつつ、優美で親しみやすいヨハン・シュトラウスの音楽が、リヒャルト・シュトラウスの音楽とかなり色合いが違うことも感じていただければ幸いです。