2024年最新リマスターでよみがえる、チェリビダッケが意図したブルックナーの音楽
近年最も重要で独創的解釈の指揮者の一人であったチェリビダッケ。完璧主義者であり、コンサートの即時性と聴衆とのライヴ感を好み、レコーディングスタジオで生成された合成音は嫌いました。1979年から1996年のミュンヘン・フィル音楽監督就任中の演奏は、仏教の影響を強く受け、音と空間のバランスを完璧に兼ね備えたものでした。卓越したこの旧EMIからリリースされて話題になった"チェリビダッケ・エディション"は、通常のオーケストラ演奏では考えられない響きの繊細な美しさや大胆なデフォルメの数々が、作品の可能性を改めて考えさせてくれる個性的名演の宝庫であり、ブルックナーやブラームス、ベートーヴェンの演奏にはこれまでにもさまざまな賛辞が寄せられました。
その中でも、ここに収録されたブルックナーの演奏は、ゆったりとした時間感覚と、徹底したリハーサルの果ての精緻をきわめたオーケストラ表現によって、圧倒的な情報量の音楽つくりあげていたチェリビダッケ晩年の充実した名演です。
今回の発売にあたって、オリジナルマスターより、日本の名マスタリング・エンジニアのひとりである藤田厚生氏にリマスターをお引き受けいただきました。藤田厚生氏は、これまでタワーレコード専売商品《Definition Series》でリマスターを行っており、定評のあるマスタリングを行ってきています。
2000年以前のデジタル録音(16bit/44.1kHz)では収録密度や情報量が少なかった(またはアナログ/デジタル変換時に失われてしまった)ため、現在のハイレゾ対応のオーディオセットでは発揮できていないとも考えられます。そこで収録されなかった倍音(ハイレゾ)音域を、最新テクノロジーによる特別なプロセッサー処理により復元処理し、広い周波数帯域とダイナミックレンジを最大限に活かすことによって、定位やダイナミックさにリアル感が生み出さます。ホール内の音楽本来の豊かな音色、滑らかさ、残響を維持し、チェリビダッケが意図した楽器配置や音量の絶妙なバランス等による名演奏がここではじめて明らかにされています。
SACD層に限らずCD層でも、リマスターされたDSD音源からその音が発揮されるよう細心の注意を図りながらマスタリングされ、その音を最大に反映させています。
最高品質の音をお届けするために、以下の高品位なプロ仕様の機器を使用
・高解像度フォーマット用に設計されたプロフェッショナル DA-ADコンバーター。
・オーディオ信号を処理するためのプロフェッショナル用アナログ機器。
・信号劣化を最小限に抑えるための高品質オーディオケーブル。
・正確なタイミングと同期を維持するための、低ジッター・マスタークロック・ジェネレーター。
・干渉を最小限に抑え、すべての機器の安定した動作のためのクリーン電源システム。
・リマスタリングプロセスを正確にモニタリングするための、モニタースピーカーシステム。
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ワーナーミュージック・ジャパン
発売・販売元 提供資料(2024/06/14)
《音楽評論 西村祐 氏による新リマスターへのコメント》
チェリビダッケとミュンヘン・フィルによる有名なブルックナー録音。ブルックナーの理想像を高い集中力で実現させようとする晩年のチェリビダッケとオーケストラとの共同作業のさまがよくわかる演奏として知られてきたが、今回のリマスターは今まで聴いてきたものとは趣が異なり、会場を包む空気感や緊張感、そしてチェリビダッケの真に伝えたかったことが感じ取りやすい音質となった。
今回のリマスターのポイントは、当時の16bit/44.1khzによるデジタル録音、または変換されしまい収録できなかった倍音(ハイレゾ)音域を最新のAIテクノロジーによって復元させたこと。豊かで伸びやかな響きとなり、今まで平板にすら聴こえていた全合奏にはダイナミックな広がりと奥行きが加わったのが特徴である。
チェリビダッケのブルックナーは、晩年の演奏になればなるほどその「極限的な遅さ」が好悪を分けた。確かに彼が存在のすべてを賭けて臨んでいた演奏会を体験していない聴き手にとっては、弛緩しているように聴こえることもあったかもしれない。しかしこのリマスターからは、その「長い時間」こそに大きな意味があり、チェリビダッケにとってなぜこのテンポが必要だったのかが理解できるように思える。たとえばこれらの演奏では随所に登場する長大なクレッシェンドの末にもたらされるクライマックスがまさに巨大だが、オーケストラに経過と結果を(瞬間ごとの響きを聴き取りつつ)綿密に構築させたいというチェリビダッケの意図がわかってくる。すべての音とフレーズがある一点を目指して動き始め、各パートが連動し絡み合い、最後にそれが大きなまとまりとして爆発するさまを以前にもまして味わうことができるのだ。
現地での経験を記した多くの評論による、「透明感」や「暖かさ」といったキーワードのとおりの音が今回のリマスターで初めて再現され、チェリビダッケとオーケストラが細部にわたって作り込み、本番で実際に響かせていた音の姿を想像することができるようになったのだ。
※ライヴ収録音源における会場を包む空気感や緊張感をできるだけお伝えするために、演奏ノイズや客席での咳などがそのまま収録されております。またその雰囲気を保つために修正は行わず、これまで以上にノイズが大きく聞こえる部分がございます。ご了承ください。
※「テ・デウム」「ミサ曲」の歌詞、および歌詞訳は付いておりません。
BOXサイズ:13cm x 13cm x 3.5cm
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ワーナーミュージック・ジャパン
発売・販売元 提供資料(2024/06/14)
What's the aesthetic nexus of Tibetan Buddhism and Austrian Catholicism? The symphonies of Anton Bruckner conducted by Sergiu Celibidache. The seemingly unique combination of abysmal misery and sublime serenity achieved in the late Romantic Catholic master's music is surprisingly suited to the passionate objectivity and blissful subjectivity inherent in the late Romanian Buddhist maestro's conducting. Recorded between 1987 and 1995, Celibidache's performances with the Munchner Philharmoniker of the symphonies from Third through the Ninth plus the Mass in F minor and the Te Deum are the embodiment, one might even say the incarnation, of the twin spirits of both religions. For those who know his work, it goes without saying that Celibidache's conducting technique is essentially flawless: every line, every harmony, every balance, every rhythm, every development is absolutely clear. And it likewise goes without saying that Celibidache had fashioned the Munchner Philharmoniker into a warm, lush, and powerful ensemble: throughout his long career he had already done so with orchestras from Sweden to Italy. But as it is the complete unity of conception and execution and the total integration of form and content that make these performances truly impressive, it is the unreserved, unrestrained spirituality of the music-making that makes them truly awe-inspiring. Anyone who loves Bruckner should not hesitate. EMI's live sound envelopes the listener in the sound of the Munchner Philharmoniker blasting full-tilt toward the fields of paradise.
Rovi
メーカーにお願いしたいのは、日本版と言いつつ輸入盤に帯付けただけという手抜きではなく、多少高くてもいいので、1枚1枚がしっかりしたプラケースに入った仕様でのBOX販売を希望します。