
ヴィヴァルディ: グローリアとイメネオ、他 / シュテファン・プレヴニャク、他
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ヴェネツィアには、そしてヴィヴァルディにはセレナータが良く似合う。なかでも多く聴かれているのがLa Senna Festeggante(RV693)とMio cor,povero cor(RV690)の2作とこの作品で、いずれもオペラ程の規模の大きさはないが、元来王侯貴族を対象にした祝典的な曲目だから、相応の豪華さや壮麗さを備えている。シックでファッショナブルな装いを感じさせるお洒落な雰囲気もあって、彼の声楽曲のファンならばお気に入りになること請け合いである。この作品は1725年、彼の創作の絶頂期に書かれており、聴き手の感性に訴求する熟達した作曲技法が随所に示されている。例えば、彼にしてはテンポを抑え気味にして、憂いをを漂わせたイメネオのアリア、Tenero fanciulettoは個人的にお気に入りで、随所に現れる感傷的なフレーズや、控えめな音程の飛躍が効果的で、聴いていて思わず心を奪われる。このCD以外の彼のセレナータにも、ヴェネツィア娘のお喋りをそのまま音楽に差し替えたようなVorresti lusingarmi(RV690)や、フレスコ画に描かれた、嵐や雲に立ち向かう神話の巨神のようなスケール感のあるL’alta lor gloria immortare(RV693)等、聴いたり口ずさんだりして楽しいアリアがたくさんある。
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Antonioさんが書いたメンバーズレビュー
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「ザルツブルクのハイドン」と呼ばれたミヒャエル・ハイドンのこの分野の曲目はハプスブルク家のマリア・テレジアからも高く評価されていたといわれる。金管に加え、オルガンやティンパニを含めた重厚なオーケストラによる荘厳なこの「シュラッテンバッハ・レクィエム」は、聴かれることの少ない彼の作品の中では比較的多くCD化されている名作である。弦合奏によるオスティナート風の進行の上に現れるRequiem aeternamの合唱は、聴き手を深い悲しみの淵へと引き込む。Quam olim AbrahaeやCum sanctis tuisで聴かれるフーガは短いながらも手堅い作りで、彼の卓越した技量が示されている。カップリングされたもう一つのミサ曲は素朴ながら、鄙びたオーボエの響きが美しい。Cum Sanct Spirituのフーガは聴きごたえがある。彼は晩年、変ロ長調の「レクィエム」の断片を残している。こちらのKyrieのフーガでは、兄ヨーゼフの「天地創造」のフィナーレの、Des Herren Ruhm, erbleibt in Ewigkeitのそれと類似したフレーズを聴くことができる。
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ヴェネツィアには、そしてヴィヴァルディにはセレナータが良く似合う。なかでも多く聴かれているのがLa Senna Festeggante(RV693)とMio cor,povero cor(RV690)の2作とこの作品で、いずれもオペラ程の規模の大きさはないが、元来王侯貴族を対象にした祝典的な曲目だから、相応の豪華さや壮麗さを備えている。シックでファッショナブルな装いを感じさせるお洒落な雰囲気もあって、彼の声楽曲のファンならばお気に入りになること請け合いである。この作品は1725年、彼の創作の絶頂期に書かれており、聴き手の感性に訴求する熟達した作曲技法が随所に示されている。例えば、彼にしてはテンポを抑え気味にして、憂いをを漂わせたイメネオのアリア、Tenero fanciulettoは個人的にお気に入りで、随所に現れる感傷的なフレーズや、控えめな音程の飛躍が効果的で、聴いていて思わず心を奪われる。このCD以外の彼のセレナータにも、ヴェネツィア娘のお喋りをそのまま音楽に差し替えたようなVorresti lusingarmi(RV690)や、フレスコ画に描かれた、嵐や雲に立ち向かう神話の巨神のようなスケール感のあるL’alta lor gloria immortare(RV693)等、聴いたり口ずさんだりして楽しいアリアがたくさんある。
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この作品は1715年ローマでの初演後、1720年のロンドンでのデビューに当たり、改作されたものだという。セネシーノやドゥラスタンティといった当代きっての歌手陣のために、調性からオーケストレーションに至るまで細かく手が加えられているという。彼の作品には重厚さは余り感じられないものの、どれも繊細で気品があり、全体的にこぎれいにまとめられている。恐らくゼバスティアン・バッハやヘンデルよりも少し前の世代の作曲技法で作曲していると思われるが、シンプルさを生かした優美なフレーズが多い。アリアはどれも時間的に短めなので聴きやすい印象がある。また、彼はオペラではOvertureをよく使ったが、その割には単調になったり、重々しくもたれたりすることがない。コレルリ風のパッセージが織り込まれたりしていて、時にコンチェルトグロッソのようにも聴こえ、明るさや華やかさの点ではヘンデルのそれをも上回ると言えるだろう。バロックオペラの抜粋版でも聴くことができる第1幕のフェニチオ(バス)のアリア、Si Periroは音階を登ったり降りたりしながら軽やかに歌われる。個人的にはニーノ(ソプラノ)のアリア、Mi da crdel tormentoやL’esperto nocchiere等に彼の特徴が良く出ているかと思う。
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アントニオ ロッティは専ら教会音楽の作曲家として知られており、神秘的なクルチフィクススやヘ長調のレクィエムが有名だが、ヴェネツィア派の系譜に属するだけに、ドイツとりわけドレスデンと関係が深かった。本国でオペラ作曲家として活躍した後は、ザクセンのアウグスト強王のイタリアオペラ楽団の創設に深く関わり、そこで多数のオペラを作曲している。そのため、ハプスブルク家に仕えたアントニオ カルダーラ等と同様に、ドイツ各地の音楽家に与えた影響も大きかったと思われる。1719年にドレスデンを離れてからは、亡くなるまでヴェネツィアに住み、晩年はサン マルコのマエストロ ディ カペッラとして教会音楽の職務に専念し、多くの弟子達の指導・育成に当たったという。彼の世俗的作品にはアルビノーニやヴィヴァルディ等に通じるものがあり、器楽曲にも所々にそういった傾向が見られる。このCDは、現状では彼の世俗的な器楽曲と教会音楽の両方が聴ける数少ない音源だと言えよう。冒頭のGiove in ArgoのSinfoniaは、このCDに採り入れられた作品の中では比較的早い時期に作られたものだろう。Dies iraeはレクィエムから抜粋されたものだ。序奏部は荘重で聴きごたえがあり、続く合唱と共に葬儀に相応しい雰囲気を醸し出している。
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G B サンマルティーニは前古典派から古典派に至る演奏会用交響曲の発展に貢献した作曲家として知られているが、ミラノのサンタンブロージョ教会のマエストロ ディ カペッラを長く務めたことからも理解できるように、優れた教会音楽家だった。実際彼はこの作品のような宗教的カンタータを数多く書いていたようだし、マニフィカート等の典礼音楽を聴いても、この手の音楽に必須の卓越したフーガの技法を持っていたことがわかる。この作品はGerusalemme sconoscento ingrataとして1759年に書かれたという。導入の第一楽章のSinfoniaにおいて、刻むようなアクセントのあるリズム進行とスピード感のあるセンテンスが組み合わされて切れ目なく続くのは、中期から後期に至る彼の交響曲のそれに見られる典型的な特徴だ。第5楽章のSo che nel cor volgaにもそれらは投影されている。一般的なダカーポ・アリアであるにもかかわらず、同じ北イタリアのヴェネツィア派の作曲家達のアリアとまた異なった、どちらかと言えばドイツやオーストリアの作曲家のオペラセリア系に近い曲調に聴こえてくる。
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ガルッピは、現在ではカラフルな家並やレースの編み物で知られる観光の島、ブラーノ島出身で、ヴェネツィアを中心に活動し、後年サンマルコのマエストロ ディ カペラを務めた。一方で、英国やロシアに招かれて滞在した程名声があり、生前はとりわけオペラブッファが高く評価されていたという。その才能はオペラやセレナータの他に、鍵盤楽器のためのソナタや協奏曲などの器楽作品からオラトリオ・ミサ曲等の宗教的作品まで幅広い創作活動を可能にしていた。現状聴くことのできるものの多くは器楽曲であり、残念ながら声楽曲は少なめである。オペラセリアの分野では、1740年以降、時流の趨勢がナポリ派に移ってからの作品が多く、彼もご多分に漏れず、ティトの慈悲やオリンピアーデ、晩年サンクトぺテルブルクで書かれた棄てられたディドーネといったメタスタジオの定番台本を多く活用している。このラテン語の台本を持つオラトリオは彼の円熟期の作品で、旧約聖書のヤエルの物語を題材にしているが、音楽上の特徴からすれば、彼のオペラセリアと大差ないように思われる。例えば、冒頭のアリアNon sic a Celsa rupe velocesは、軽快なテンポと流麗な旋律、豊かな表情等の点で、彼のオペラアリアの特徴を余すところなく表していると言える。
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ジョヴァンニ アルベルト リストーリはボローニャ生まれと伝えられているが、1717年以降。ポーランドの宮廷に仕えるようになってからは紆余曲折を経ながらも常にドレスデンと一定の関係を保ち、晩年はハッセの下で宮廷副楽長まで務めている。彼は器楽曲も残しているが、世俗的な声楽曲や、ミサ曲などの教会音楽が創作の中心であり、とりわけ彼の喜歌劇は好評を博したという。彼のオペラやカンタータはメタスタジオの台本も使っているが、寧ろ地元にゆかりのある作者のものを多用しており、その音楽も当時のドイツの趣味に従ったものと見ることができよう。CD化されているものはカンタータやミサ曲等があるが、数少ない。ここで聴ける皇女マリア アントニアのアルカディア風の台本によるナポリ派様式のカンタータはいずれも完成度が高く、美しい。Didone abbandonataのQuand volteはいかにもロココ風で爽やか、時にハッセ風なパッセージが交錯する。Nice e TirsiのNon V`e duoro uguale al mioは拍子に変化を持たせてあたかもオペラセリアの一場面のように劇的に聴かせてくる。
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