ガルッピは、現在ではカラフルな家並やレースの編み物で知られる観光の島、ブラーノ島出身で、ヴェネツィアを中心に活動し、後年サンマルコのマエストロ ディ カペラを務めた。一方で、英国やロシアに招かれて滞在した程名声があり、生前はとりわけオペラブッファが高く評価されていたという。その才能はオペラやセレナータの他に、鍵盤楽器のためのソナタや協奏曲などの器楽作品からオラトリオ・ミサ曲等の宗教的作品まで幅広い創作活動を可能にしていた。現状聴くことのできるものの多くは器楽曲であり、残念ながら声楽曲は少なめである。オペラセリアの分野では、1740年以降、時流の趨勢がナポリ派に移ってからの作品が多く、彼もご多分に漏れず、ティトの慈悲やオリンピアーデ、晩年サンクトぺテルブルクで書かれた棄てられたディドーネといったメタスタジオの定番台本を多く活用している。このラテン語の台本を持つオラトリオは彼の円熟期の作品で、旧約聖書のヤエルの物語を題材にしているが、音楽上の特徴からすれば、彼のオペラセリアと大差ないように思われる。例えば、冒頭のアリアNon sic a Celsa rupe velocesは、軽快なテンポと流麗な旋律、豊かな表情等の点で、彼のオペラアリアの特徴を余すところなく表していると言える。